真夏の笛に 新月の舞う

水戸けい

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第十章

男の眉が不快そうに痙攣した。

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 男の口上に、ふざけるなと言いたい所を真夏はこらえた。朔の細く小さな肩が、小刻みに震えている。自分の父を失脚に追いやった男からの哀れみを、口惜しいと思っているのだろう。

(姫がこらえているのに、俺が怒鳴るわけにはいかない)

 気丈な朔の態度が珍しいらしく、男はニヤニヤとしながら、下唇が白くなるほどかみしめている朔を見ている。

(汚らわしい目で、姫を見るな)

 その目をえぐりだしたくなるほど、真夏は男の無礼な態度に怒り、体を熱くさせた。真夏の拳が震えている事に、男が気付く。

「おや。そちらの家人は何か、具合が悪そうですな。これは警護の者というよりは、みやびやかな遊びの相手、という風情をしておられますが……。ああ、もしかして、婦人に男装でもさせておられるのですかな」

 男の背後で笑いが起こる。自分に対する侮辱に、勝手に言っていろと心中で吐き捨てた。

(この程度の心根の男を使者に立てるような者が、長く政権をにぎっていられるはずは無い)

 すぐに失脚するだろうと、柳原公忠という男の資質を、使者を通して値踏みした。

(だが、姫が心安く落ち着けるまでに、そうなるとの保障は無い)

 朔の目の前にいる男が何かをしようとすれば、すぐさま対応できるよう真夏は身構えた。真夏の背後で、子どもたちが怯えている。それをなだめる芙蓉も、何がしかの覚悟を決めているらしい気配が伝わってきた。

 この数日で、真夏と芙蓉は朔を通じ、同士のような心を芽生えさせていた。共に大切に思う姫を守る。その心を武器に、目の前の者どもをにらみつけ、身構えている。

「この者は笛の名手。あなた方のような無骨な殿方には、わからぬような良い音色を奏で、私の心をなぐさめてくれています」

 朔が少しの皮肉を込めて言えば、男の眉が不快そうに痙攣した。

 自分から侮蔑の扱いをしてきたというのに、使者の男はほんの少しの嫌味に不快をあらわにし、銅鑼のような声を張り上げる。

「無骨な男でなくば、姫の護衛など務まりませんからな。野党に襲われたとしても、笛では何の役にも立ちますまい。さあ、姫。牛車に乗り、都へ戻られよ」

 男の声は、有無を言わせぬ響きを持っていた。真夏は朔の前に半身を滑りこませ、男と朔の間に立った。

「姫との会話の邪魔をするな」

 男が威嚇をするように、歯を見せて唸る。
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