真夏の笛に 新月の舞う

水戸けい

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第十三章

(きっと、私に愛想をつかしてしまったんだわ)

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 別荘での暮らしを思い起こしながら、朔は本気でそう思っていた。高級な着物も、贅沢な食事も、窮屈な暮らしの中でしか得られないのならば、そんなものは必要ない。のびのびと過ごした日々と、今の軟禁状態の暮らしとを比べ、ひしひしとそう感じていた。

(真夏は、本当にどこで何をしているのかしら)

 父や兄、姉への文は遠慮なく出せばいいと言われ、文を託し届ける役は、朔と共に柳原邸に来た者に託す事をゆるされた。その文に真夏の事を書いてみようかとも思ったが、久我家の者が人探しをしているとウワサになれば、迷惑をかける事になるだろうと控えた。

 彼の苗字を聞かなかったことを、朔はくやんだ。どこの家の者かがわかれば、文を託した者に頼み、その流れをたどり行方を探すこともできただろう。

(いいえ。今の私では、それすらも叶わないわね)

 何をするにもすべて、公忠の意見を仰がなければならない。庭を散策するのでさえ、自由にさせてはもらえない。人を探すなど、許されるはずは無い。知られたら、どんな事になるかわかったものではない。

 けれどせめて苗字を知っていたのなら、いつか何かの折に連絡を取れるかもしれない。風のウワサで、どこそこの屋敷に雇われたという話を耳にして、所在を知ることができるかもしれない。

(きっと、私に愛想をつかしてしまったんだわ)

 朔は近頃、そう思うようになっていた。だから真夏は姿を消したのだ。自分のあの言葉が、彼を傷つけたに違いない。芙蓉や真夏だけでなく、別荘で朔の世話をしていた者たち全員を路頭に迷わせない方法として、柳原家の半ば強制的な保護の申し出に従った。

 それが、間違いだったのだろうか。

(お姉様たちも、こんな気持ちだったのかしら)

 心を通わせていた相手と引き裂かれ、父の出世のための婚姻をした。それが世の常とはいえ、なんとむごいことかと、あの時よりもずっと強く、実感を伴って父の仕儀を思う。

(私だけが、逃れるわけにはいかない)

 父の武器となる姫は、もう自分しか残っていない。そう幾度も言い聞かせ、この宴で公忠が発表をする婚姻の話を受け入れなければと、朔は衣を強くにぎりしめた。なのに真夏の姿がちらついて、決心を固めさせてはくれない。
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