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第二章 決行
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木造の大きな建物の一室で、烏有と剛袁は玄晶から交渉の手ほどきをうけていた。窓から威勢のいい工夫の声や、物を運ぶ音などが入ってくる。
「つまり、府になるための最低条件として、町の区画割りがはっきりとしていること。神祇官が常駐し、かつ神事を行える施設のあること。豪族が民衆をまとめ、統治できていること。自衛のための兵が訓練されていること。それらを備えていれば、府と認定されていなくとも、堂々と他所の府と渡り合える。そこを間違え、府になっていないからと、卑屈な態度を取ってしまえば損な取引になってしまう。卑屈にならないまでも、控えめすぎる態度でいれば、甘く見られる。いずれ府になるものとして、はじめから堂々としていれば、現状のような村にもなりきれていない場合でも、同等の取引が可能になると、覚えておくといい」
玄晶は剛袁を見た。
「鶴楽は官僚の中で生まれ育っているから、そのあたりの肌感覚は、身についている。かなり過去の話ではあるけれど、交渉の座に立ち合ったこともあるからね。しかし剛袁、君は違う。前にも言ったが、実直ばかりでは軽んじられ、知らぬうちに右に左にと好きに転がされてしまう世界だ。ずるがしこさも、必要となる」
不服そうに剛袁は目を床に落とした。思惟の間をあけてから視線を持ち上げ、烏有に向ける。
「民の財と命を守る領主と豪族、という考え方は、この世に満ちてはいません。それどころか、そのような在り方を思う人は、皆無と言っても過言ではないでしょう。民も搾取されることを、当然のこととして受け止めています。親の、そのまた先の親の、ずっと昔から、そのようにして生きてきましたから」
「だからこそ、僕たちが先陣を切り、そのような府を造り上げるんだ。異教の国の理だったとしても、いいと感じるところは受け入れていかなければ、いくら申皇が神の末裔であったとしても、内部から瓦解をしかねないからね。……楽士として、いろいろなところを見て回っている間に、幾度か暴動に出くわしたよ。そういう場所の民は、牛馬のほうが大切に扱われているんじゃないかと思うほど、虐げられていた。官僚や豪族が自己を神のように、民を虫けらのように扱うことの危うさを、民を主軸に扱う府の出現によって、世にしらしめなければならない。そのためなら、姑息な手だろうがなんだろうが、使ってみせるさ」
満足そうに玄晶がうなずく。
「その覚悟を、見失わないように。これから交渉をする機会は、どんどん増えていく。相手がどんなに高官だろうと、萎縮せずに相対するには、知識も必要だ。各地の情勢、中枢の状態を把握しておけば、相手もこちらに一目を置くだろう。そのための諜報は、私が受け持つよ」
「玄晶」
「どうしたのかな、鶴楽」
「かまわないのかい」
「何が」
「僕たちに付き合っていても」
「当然だ。両親からの承諾も得ているし、あちらはあちらで、根回しをしてくれている」
「根回し?」
「名も通っていない民が、国を興すので府にしてほしいと訴えるということは、流入した異教の民が申皇を害そうとしているのではないかと、疑われても文句は言えないほどに、とんでもないことだというのは、理解しているな?」
烏有がうなずく。
「官僚の数には、限りがある。位はあっても名ばかりで、実際には治世に関われていない者も、すくなくない。となれば、親から役割を継ぐことができなかった者などは、誰かを追い落とすか、新たな役目を作りだすかのどちらかの道を選ぶことになる」
説明をする玄晶は、剛袁にも目を向けた。
「私には兄がいる。父親の跡を継げるのは、どちらかひとりだ。もっとも、それにふさわしくないと判断されれば、別の人間に割り振られてしまうのだがな。私たち兄弟は、どちらが継いでも問題のない、頭脳と顔の広さを持っている。となると、どちらかが後継者にはなれない。あぶれた方は、己の力で誰かを追い落とすか、新たな役目を自ら作るか。そのどちらかだ。私の話の結末が、どこに向かっているのか。わかるな、ふたりとも」
「息子が領主となれるよう、新たな府を造っていると触れ回っているわけでは、ありませんよね」
おそるおそる答えた剛袁に、玄晶は謎めいたほほえみを浮かべ、烏有に顔を向けた。
「鶴楽は、どうだ」
「そんなことを大々的に言っては、ほかの連中も真似をしようとするか、潰しにかかるかのどちらかになるだろうね。……となると、交易をさらに円滑なものにするため、川の上下の府の間に村を作り、人や物の流れを多くするつもりだとでも、言っているのかな」
玄晶は楽しそうに双方の意見を受け止めると、答えを言った。
「この川のずっと先には海があり、さらにその先には異教の国がある。そこからの荷物が、下流の府で取引をされ、陸路で各地へ運ばれる。それでは中枢に届くまで、日数や手間賃が多くかかってしまうだろう。けれど川を上って運べば、半分以下の日数と運賃で済むのだよ。そうしたいと望んでいる方もいるのだが、運搬が楽になるということは、それだけ不穏なものも通りやすくなる、ということに繋がる。だから下流から上る船には、異国からの輸入品や人は、積まれていない。それを可能にするため、関門としての役割を果たせる場所を設けてはどうかと、提案をする。ためしにひとつ、我が息子に作らせてみましょうと言えば、提案の真意はどうであれ、反対をしにくくなる。なにより、私財でそれをおこなうのだから、誰の腹も痛くならない。成り行きを楽しもうという方々も出て、どうなるものかと傍観をしているうちに、関門は国となり、官僚の一族のひとりが成り立ちから関わった領主として君臨することで、府として認められる。とまあ、そういう筋書きだ」
あきれと感心をない交ぜにした顔で烏有はうなずき、剛袁は半眼となった。
「不服そうだね、剛袁」
「結局は、玄晶が領主になるという話で落ち着くのですね」
「そうは言っていないよ。ただ、領主はそれなりの血筋の者でなければ、受け入れてはもらえない。以前にも、そんな話をしたはずだ。民を統べるのは蕪雑。領主となって、各所の府や中枢との外交を担うのは、官僚だと」
「聞きました。ですがそれは、仲間を説得するための方便として、言っていたのではありませんか」
「もちろん、そうだ」
「だったら――」
剛袁の言葉を、玄晶が手のひらで制する。
「いきなり、すべての慣例をくつがえすなんて乱暴すぎる。そんなことをして、誰も混乱をしないとでも、思っているのか。変革はすこしずつ、わからぬように浸透させていくほうがいい。これは蕪雑をはじめとした、君の仲間を守ることでもあるのだと、かしこい剛袁ならば、わかるはずだよ」
「剛袁。対外的には、おなじだと思わせておくのが得策だよ。人は異質なものを恐れる傾向にある。定めとは違った形の国を造ったとなれば、どこかの兵がここを潰しにこないとも限らない。それを迎え撃てるほどの兵力はないし、戦なんて、しないほうがいい。相手の常識の範囲からギリギリ外れない程度で、すこしずつ変えていく方法が、もどかしく遠回りに思えるだろうけれど、確実で安全なんだ」
烏有からも説かれた剛袁は、不服そうにしながらも「わかりました」とつぶやいた。
「それに、領主となるのは私とは限らない。鶴楽にも、その資格はあるのだからね」
「えっ」
烏有が声を上げる。
「ここが大きくなれば、いつまでも楽士の烏有のままでは、いられないよ。折を見て素性を明らかにしてもらわなければな。血筋というのは、滑稽だけれど権力者と呼ばれる相手には、有効な力となるのだから」
「でも、僕は5年も前に出奔し、行方知れずになっていたんだよ。いまさら名乗り出ても、なんの役にも立ちはしないさ」
「君のことは、見識を広めるための忍び旅に出したと、届け出をしているから、その心配はしなくてもいいさ。君の名前で、最低限の式典の供物なんかも、献上しつづけているからな。中枢では、君は生きて親の跡を継ぐために、勉学にいそしんでいることになっている」
烏有が息を飲む。その肩を、玄晶はやさしく叩いた。
「それだけ君を大切に、心配に、思っているということだ」
烏有は下唇を噛み、うつむいた。玄晶がまた、かるく彼の肩を叩く。
やさしく温かな空気が漂った。
それを突き崩すような、大きな足音が近づいてくる。
「勉強は、はかどってんのか」
うかがいもせずに扉を開けて現れたのは、蕪雑だった。片手に麻袋をぶらさげている。
「お。どうした。なんか、辛気臭ぇな」
どっかと麻袋を卓に乗せた蕪雑が、ごそごそと中身を取り出す。
「そういうシケた面してんなら、丁度いいや。異教の国の酒ってのを手に入れたからよ。こいつで気分を盛り上げようぜ」
蕪雑が取り出したのは、革の水入れと干し肉の塊だった。
「この肉は、削って炙るといいらしいんだが、このままでも十分うまかったぜ」
蕪雑が器用に小刀で薄く干し肉を削り取り、革の水入れとともに配る。
「真っ赤な酒でよぉ。なんかの血みてぇで、気持ち悪ぃと思ったんだが、なんか酸っぱいっつうか、甘いっつうか、不思議な味がするんだよ。んで、干し肉をかじりながら飲むと、それがいい具合でな」
ほらほらと勧められるまま口にした面々が、感心や驚きを示すのを、蕪雑はニコニコとながめた。
「どうしたんですか、これ」
烏有の問いに、蕪雑はこともなげに答えた。
「俺等の作った猿酒を、停まってる船の奴等に飲ませたら、異教の国にも果物で作った酒があるっつって、飲ませてくれたんだよ。そんで、他の連中にも飲ませてやりてぇから、わけてくれっつったら、こんだけくれた」
「……くれた」
玄晶が水入れと干し肉の塊を見る。
「おう。ドーンと持ってけってな。気のいい奴等だよなぁ」
「蕪雑。君は、これがどの程度の価値あるものか、知っていて受け取ったのか」
「珍しいってぇのは、わかってるけどよ。価値とか言われても、ピンとこねぇな」
驚く玄晶に、烏有は笑みを向けた。
「これが、蕪雑という人なんですよ。僕が夢を賭けようと思った理由、わかってくれましたか」
玄晶は破顔した。
「ああ。とんでもない男のようだな、蕪雑は」
「うん?」
烏有と玄晶がクスクスと楽しげにする間で、蕪雑が首をかしげる。その姿に、ふたりはますます笑いを深くした。剛袁が、笑うべきか不快とするべきか迷い、妙な顔になる。
「それで、蕪雑。僕たちにこれを飲ませるためだけに、こちらへ来たんですか」
「いや。袁燕が山の奴等と甲柄に残っている連中への、移住時期の説明が終わったっつって、帰ってきたからよぉ。早めに伝えといたほうが、いいだろうと思ってな」
「袁燕は、どうしているんです」
「駈けずり回って疲れたし、汗と砂埃にまみれてっから、汚れを落として、ひと眠りするってよ。後でたっぷり、ほめてやれよな」
「汚れ疲れていたとしても、まずは報告をすべきでしょう。まったく。きちんと伝えられたのか、あとで聞いておかねばなりませんね」
苦笑のなかに誇らしさを滲ませた剛袁の背を、蕪雑が強く叩く。
「いつまでもガキ扱いしてやんなって。袁燕がいなきゃあ、連絡係に困っていたところなんだしよ」
「蕪雑。移住計画に反対をする人がいたとは、聞いていないよね」
烏有がきびしい顔で確認をする。
「おう。不安そうな奴もいるにはいたが、現状より悪くなるこたぁねぇだろうって、言っていたそうだ」
「全員が、大賛成というわけではないんだね」
「もろ手を上げて賛成をされるより、そのくらい慎重な者もいるくらいが、丁度いいよ。……蕪雑が来たことだし、国の名前をそろそろ決めておくほうがいいと思うのだけれど、どうかな。呼び名があったほうが、愛着も湧くし、人と話をするときにも便利だろう」
玄晶の提案に、皆が賛同する。
「でもよぉ、名前っつったって、どうすりゃいいのか」
「そうですね。どうしましょうか」
蕪雑と剛袁が顔を見合わせ、烏有を見た。
「烏有がつければ、いいのではないか。表向きは私から資金が出ていることになっているが、実際は烏有の私財を投じているのだからな」
「え」
「そいつぁ、いいや。いい名前をつけてくれよ」
烏有が剛袁をうかがうと、彼は静かな視線を返した。
「計画を持ちかけ、必要な資金を出しているのは、貴方です。これは貴方の夢なのでしょう。それなら、夢を形として捉えられる名を、烏有がつければいい。袁燕は、後で結果を伝えても、不服を言ったりはしませんから。どうぞ、お好きに」
烏有はそれぞれの顔を見回し、目を閉じて耳を済ませた。外から流れ込む人々の活気ある声を聞きながら、深い呼吸を繰り返す彼の脳裏に、両親の笑みや、旅の途中で目にした人々、蕪雑らの顔が浮かぶ。それは明るい希望に満ちた、光の先に流れていった。
「明江」
薄く目を開き、烏有はつぶやいた。
「明るい川、という意味だよ。……どうかな」
「いいじゃねぇか」
すぐさま蕪雑が答えると、いいねと玄晶が同意し、剛袁も「異論ありません」と言う。
「今からここは、明江だ。袁燕が起きてきたら、命名式をやろうぜ。ドーンと楽しく、工夫や船乗りたちを集めてよぉ。俺等の国の名前は、明江だ! ってな」
はじける蕪雑の明るい声に、烏有の胸が熱くなった。
「つまり、府になるための最低条件として、町の区画割りがはっきりとしていること。神祇官が常駐し、かつ神事を行える施設のあること。豪族が民衆をまとめ、統治できていること。自衛のための兵が訓練されていること。それらを備えていれば、府と認定されていなくとも、堂々と他所の府と渡り合える。そこを間違え、府になっていないからと、卑屈な態度を取ってしまえば損な取引になってしまう。卑屈にならないまでも、控えめすぎる態度でいれば、甘く見られる。いずれ府になるものとして、はじめから堂々としていれば、現状のような村にもなりきれていない場合でも、同等の取引が可能になると、覚えておくといい」
玄晶は剛袁を見た。
「鶴楽は官僚の中で生まれ育っているから、そのあたりの肌感覚は、身についている。かなり過去の話ではあるけれど、交渉の座に立ち合ったこともあるからね。しかし剛袁、君は違う。前にも言ったが、実直ばかりでは軽んじられ、知らぬうちに右に左にと好きに転がされてしまう世界だ。ずるがしこさも、必要となる」
不服そうに剛袁は目を床に落とした。思惟の間をあけてから視線を持ち上げ、烏有に向ける。
「民の財と命を守る領主と豪族、という考え方は、この世に満ちてはいません。それどころか、そのような在り方を思う人は、皆無と言っても過言ではないでしょう。民も搾取されることを、当然のこととして受け止めています。親の、そのまた先の親の、ずっと昔から、そのようにして生きてきましたから」
「だからこそ、僕たちが先陣を切り、そのような府を造り上げるんだ。異教の国の理だったとしても、いいと感じるところは受け入れていかなければ、いくら申皇が神の末裔であったとしても、内部から瓦解をしかねないからね。……楽士として、いろいろなところを見て回っている間に、幾度か暴動に出くわしたよ。そういう場所の民は、牛馬のほうが大切に扱われているんじゃないかと思うほど、虐げられていた。官僚や豪族が自己を神のように、民を虫けらのように扱うことの危うさを、民を主軸に扱う府の出現によって、世にしらしめなければならない。そのためなら、姑息な手だろうがなんだろうが、使ってみせるさ」
満足そうに玄晶がうなずく。
「その覚悟を、見失わないように。これから交渉をする機会は、どんどん増えていく。相手がどんなに高官だろうと、萎縮せずに相対するには、知識も必要だ。各地の情勢、中枢の状態を把握しておけば、相手もこちらに一目を置くだろう。そのための諜報は、私が受け持つよ」
「玄晶」
「どうしたのかな、鶴楽」
「かまわないのかい」
「何が」
「僕たちに付き合っていても」
「当然だ。両親からの承諾も得ているし、あちらはあちらで、根回しをしてくれている」
「根回し?」
「名も通っていない民が、国を興すので府にしてほしいと訴えるということは、流入した異教の民が申皇を害そうとしているのではないかと、疑われても文句は言えないほどに、とんでもないことだというのは、理解しているな?」
烏有がうなずく。
「官僚の数には、限りがある。位はあっても名ばかりで、実際には治世に関われていない者も、すくなくない。となれば、親から役割を継ぐことができなかった者などは、誰かを追い落とすか、新たな役目を作りだすかのどちらかの道を選ぶことになる」
説明をする玄晶は、剛袁にも目を向けた。
「私には兄がいる。父親の跡を継げるのは、どちらかひとりだ。もっとも、それにふさわしくないと判断されれば、別の人間に割り振られてしまうのだがな。私たち兄弟は、どちらが継いでも問題のない、頭脳と顔の広さを持っている。となると、どちらかが後継者にはなれない。あぶれた方は、己の力で誰かを追い落とすか、新たな役目を自ら作るか。そのどちらかだ。私の話の結末が、どこに向かっているのか。わかるな、ふたりとも」
「息子が領主となれるよう、新たな府を造っていると触れ回っているわけでは、ありませんよね」
おそるおそる答えた剛袁に、玄晶は謎めいたほほえみを浮かべ、烏有に顔を向けた。
「鶴楽は、どうだ」
「そんなことを大々的に言っては、ほかの連中も真似をしようとするか、潰しにかかるかのどちらかになるだろうね。……となると、交易をさらに円滑なものにするため、川の上下の府の間に村を作り、人や物の流れを多くするつもりだとでも、言っているのかな」
玄晶は楽しそうに双方の意見を受け止めると、答えを言った。
「この川のずっと先には海があり、さらにその先には異教の国がある。そこからの荷物が、下流の府で取引をされ、陸路で各地へ運ばれる。それでは中枢に届くまで、日数や手間賃が多くかかってしまうだろう。けれど川を上って運べば、半分以下の日数と運賃で済むのだよ。そうしたいと望んでいる方もいるのだが、運搬が楽になるということは、それだけ不穏なものも通りやすくなる、ということに繋がる。だから下流から上る船には、異国からの輸入品や人は、積まれていない。それを可能にするため、関門としての役割を果たせる場所を設けてはどうかと、提案をする。ためしにひとつ、我が息子に作らせてみましょうと言えば、提案の真意はどうであれ、反対をしにくくなる。なにより、私財でそれをおこなうのだから、誰の腹も痛くならない。成り行きを楽しもうという方々も出て、どうなるものかと傍観をしているうちに、関門は国となり、官僚の一族のひとりが成り立ちから関わった領主として君臨することで、府として認められる。とまあ、そういう筋書きだ」
あきれと感心をない交ぜにした顔で烏有はうなずき、剛袁は半眼となった。
「不服そうだね、剛袁」
「結局は、玄晶が領主になるという話で落ち着くのですね」
「そうは言っていないよ。ただ、領主はそれなりの血筋の者でなければ、受け入れてはもらえない。以前にも、そんな話をしたはずだ。民を統べるのは蕪雑。領主となって、各所の府や中枢との外交を担うのは、官僚だと」
「聞きました。ですがそれは、仲間を説得するための方便として、言っていたのではありませんか」
「もちろん、そうだ」
「だったら――」
剛袁の言葉を、玄晶が手のひらで制する。
「いきなり、すべての慣例をくつがえすなんて乱暴すぎる。そんなことをして、誰も混乱をしないとでも、思っているのか。変革はすこしずつ、わからぬように浸透させていくほうがいい。これは蕪雑をはじめとした、君の仲間を守ることでもあるのだと、かしこい剛袁ならば、わかるはずだよ」
「剛袁。対外的には、おなじだと思わせておくのが得策だよ。人は異質なものを恐れる傾向にある。定めとは違った形の国を造ったとなれば、どこかの兵がここを潰しにこないとも限らない。それを迎え撃てるほどの兵力はないし、戦なんて、しないほうがいい。相手の常識の範囲からギリギリ外れない程度で、すこしずつ変えていく方法が、もどかしく遠回りに思えるだろうけれど、確実で安全なんだ」
烏有からも説かれた剛袁は、不服そうにしながらも「わかりました」とつぶやいた。
「それに、領主となるのは私とは限らない。鶴楽にも、その資格はあるのだからね」
「えっ」
烏有が声を上げる。
「ここが大きくなれば、いつまでも楽士の烏有のままでは、いられないよ。折を見て素性を明らかにしてもらわなければな。血筋というのは、滑稽だけれど権力者と呼ばれる相手には、有効な力となるのだから」
「でも、僕は5年も前に出奔し、行方知れずになっていたんだよ。いまさら名乗り出ても、なんの役にも立ちはしないさ」
「君のことは、見識を広めるための忍び旅に出したと、届け出をしているから、その心配はしなくてもいいさ。君の名前で、最低限の式典の供物なんかも、献上しつづけているからな。中枢では、君は生きて親の跡を継ぐために、勉学にいそしんでいることになっている」
烏有が息を飲む。その肩を、玄晶はやさしく叩いた。
「それだけ君を大切に、心配に、思っているということだ」
烏有は下唇を噛み、うつむいた。玄晶がまた、かるく彼の肩を叩く。
やさしく温かな空気が漂った。
それを突き崩すような、大きな足音が近づいてくる。
「勉強は、はかどってんのか」
うかがいもせずに扉を開けて現れたのは、蕪雑だった。片手に麻袋をぶらさげている。
「お。どうした。なんか、辛気臭ぇな」
どっかと麻袋を卓に乗せた蕪雑が、ごそごそと中身を取り出す。
「そういうシケた面してんなら、丁度いいや。異教の国の酒ってのを手に入れたからよ。こいつで気分を盛り上げようぜ」
蕪雑が取り出したのは、革の水入れと干し肉の塊だった。
「この肉は、削って炙るといいらしいんだが、このままでも十分うまかったぜ」
蕪雑が器用に小刀で薄く干し肉を削り取り、革の水入れとともに配る。
「真っ赤な酒でよぉ。なんかの血みてぇで、気持ち悪ぃと思ったんだが、なんか酸っぱいっつうか、甘いっつうか、不思議な味がするんだよ。んで、干し肉をかじりながら飲むと、それがいい具合でな」
ほらほらと勧められるまま口にした面々が、感心や驚きを示すのを、蕪雑はニコニコとながめた。
「どうしたんですか、これ」
烏有の問いに、蕪雑はこともなげに答えた。
「俺等の作った猿酒を、停まってる船の奴等に飲ませたら、異教の国にも果物で作った酒があるっつって、飲ませてくれたんだよ。そんで、他の連中にも飲ませてやりてぇから、わけてくれっつったら、こんだけくれた」
「……くれた」
玄晶が水入れと干し肉の塊を見る。
「おう。ドーンと持ってけってな。気のいい奴等だよなぁ」
「蕪雑。君は、これがどの程度の価値あるものか、知っていて受け取ったのか」
「珍しいってぇのは、わかってるけどよ。価値とか言われても、ピンとこねぇな」
驚く玄晶に、烏有は笑みを向けた。
「これが、蕪雑という人なんですよ。僕が夢を賭けようと思った理由、わかってくれましたか」
玄晶は破顔した。
「ああ。とんでもない男のようだな、蕪雑は」
「うん?」
烏有と玄晶がクスクスと楽しげにする間で、蕪雑が首をかしげる。その姿に、ふたりはますます笑いを深くした。剛袁が、笑うべきか不快とするべきか迷い、妙な顔になる。
「それで、蕪雑。僕たちにこれを飲ませるためだけに、こちらへ来たんですか」
「いや。袁燕が山の奴等と甲柄に残っている連中への、移住時期の説明が終わったっつって、帰ってきたからよぉ。早めに伝えといたほうが、いいだろうと思ってな」
「袁燕は、どうしているんです」
「駈けずり回って疲れたし、汗と砂埃にまみれてっから、汚れを落として、ひと眠りするってよ。後でたっぷり、ほめてやれよな」
「汚れ疲れていたとしても、まずは報告をすべきでしょう。まったく。きちんと伝えられたのか、あとで聞いておかねばなりませんね」
苦笑のなかに誇らしさを滲ませた剛袁の背を、蕪雑が強く叩く。
「いつまでもガキ扱いしてやんなって。袁燕がいなきゃあ、連絡係に困っていたところなんだしよ」
「蕪雑。移住計画に反対をする人がいたとは、聞いていないよね」
烏有がきびしい顔で確認をする。
「おう。不安そうな奴もいるにはいたが、現状より悪くなるこたぁねぇだろうって、言っていたそうだ」
「全員が、大賛成というわけではないんだね」
「もろ手を上げて賛成をされるより、そのくらい慎重な者もいるくらいが、丁度いいよ。……蕪雑が来たことだし、国の名前をそろそろ決めておくほうがいいと思うのだけれど、どうかな。呼び名があったほうが、愛着も湧くし、人と話をするときにも便利だろう」
玄晶の提案に、皆が賛同する。
「でもよぉ、名前っつったって、どうすりゃいいのか」
「そうですね。どうしましょうか」
蕪雑と剛袁が顔を見合わせ、烏有を見た。
「烏有がつければ、いいのではないか。表向きは私から資金が出ていることになっているが、実際は烏有の私財を投じているのだからな」
「え」
「そいつぁ、いいや。いい名前をつけてくれよ」
烏有が剛袁をうかがうと、彼は静かな視線を返した。
「計画を持ちかけ、必要な資金を出しているのは、貴方です。これは貴方の夢なのでしょう。それなら、夢を形として捉えられる名を、烏有がつければいい。袁燕は、後で結果を伝えても、不服を言ったりはしませんから。どうぞ、お好きに」
烏有はそれぞれの顔を見回し、目を閉じて耳を済ませた。外から流れ込む人々の活気ある声を聞きながら、深い呼吸を繰り返す彼の脳裏に、両親の笑みや、旅の途中で目にした人々、蕪雑らの顔が浮かぶ。それは明るい希望に満ちた、光の先に流れていった。
「明江」
薄く目を開き、烏有はつぶやいた。
「明るい川、という意味だよ。……どうかな」
「いいじゃねぇか」
すぐさま蕪雑が答えると、いいねと玄晶が同意し、剛袁も「異論ありません」と言う。
「今からここは、明江だ。袁燕が起きてきたら、命名式をやろうぜ。ドーンと楽しく、工夫や船乗りたちを集めてよぉ。俺等の国の名前は、明江だ! ってな」
はじける蕪雑の明るい声に、烏有の胸が熱くなった。
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