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第三章 決闘
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隆々とした体躯を見せつけるかのように、体の線がはっきりと見て取れる装いの男が、応接室のイスに全体重を預け、ふんぞり返っている。玄晶が現れても、彼は立礼もせずに片頬だけを持ち上げて、余裕の顔をしていた。続いて室内に入った3人は、壁際に並んで背筋を伸ばした。
「ずいぶんと待たせるんですねぇ」
「こちらは、まだ発展途上だからね。あれこれとやらなければならないことが、山積しているのだよ」
ニッコリとした玄晶を鼻で笑い、壁ぎわにひかえている烏有、蕪雑、剛袁を一瞥してから、男はようやく立ち上がった。
「甲柄の領主、櫂達様よりの使者、寧叡です」
「明江の代表者をさせていただいている、岐の文官、晶龍の息子、玄晶です」
ふたりの手がうわべの親交のために重なる。
「明江の領主、とは言わないんですなぁ」
「正式に申皇から府と認められ、領主と定められたわけではないからな」
「なるほど。謙虚な態度ですな。交渉も、そのようにしていただければ、ありがたいのですが」
玄晶は目を細めて、寧叡に座るよう手のひらで促した。繋いでいた手が離れると、待ち構えていたかのように、うら若い女が茶菓を運んでくる。
「この女は、流浪の民ですか。それとも――」
「岐にいる父が、こちらに屋敷ができたと聞いて、送ってくれたのだよ。作法を知った者がいないと、不便だろうと考えたようでね」
一礼をして女が去る。
「なるほど。そちらで官僚となる道を選ばずに、領主になろうと考えたのは、どうしてなのか。お教えいただけますかな」
「さきほども申したとおり、こちらは忙しい身。すまないが、早々に本題を終わらせて、ほかの事案にとりかかりたいのだがな」
「それは失礼」
寧叡が蕪雑に視線を投げる。蕪雑は緊張した面持ちで、言われたとおりに直立していた。それをどう捉えたのか、寧叡はニヤリとする。
「玄晶様は、そちらに控えている男が、どういった者であるのか、ご存知ですかな」
「どういった、とは?」
「その男は甲柄で罪を犯し、牢に入れられていたところを、抜け出して山に住みつき、ほかの囚人の牢抜けを手伝い、仲間として山賊働きをしていたような男です。そんな男をどうして、ご自身の地の豪族にしようなどと、思われたのか。おそらく、知らずに決めてしまわれたのでしょう。山に集落を持っている、どこにも属していない、かつ、拓こうとしている土地の傍にいた男、という程度で」
寧叡が身を乗り出す。すでに交渉の勝ちを確信している顔をして、彼は獲物を鑑賞するように蕪雑を見上げ、玄晶に視線を戻した。
「私の楽士の目が、間違っていると言いたいのだな」
「そちらのキレイなお兄さんのことですな。楽士というものは、鳥かごの中の美しい小鳥のようなもの。あのような輩に捕らわれれば、ひとたまりもないでしょう。脅されたか、だまされたかして、やむなく引き合わせたのではないでしょうかなぁ」
ふ、と玄晶の唇がほころぶ。
「今の君のように、私に迫ったとでも言いたいのかな」
「この寧叡を、そこにいる山賊風情と同等に扱われますか。いやはや、心外、心外。玄晶様の御為を思って、あの男の本性をお伝えしておるのです。つまり、あの男が仲間と言って、こちらに引き連れてきた連中は、甲柄の罪人。それらを引き渡していただきたいと、お願いにまいったのですよ」
玄晶はゆったりと笑んだまま、茶杯に指をからめた。茶杯の曲線をなぶるように、指を這わせて満足そうに目を細める。
「いい茶器でしょう」
「は?」
「そうは思われませんか」
「はぁ」
間の抜けた顔をして、寧叡は茶杯に手を伸ばした。
「指に吸いつくような、なめらかな地肌とふくよかな丸み。ほどよい厚みは唇にあてたとき、おどろくほどに心地いい。どうぞ、おためしになってください」
調子を崩された寧叡は、それでもうながされるまま口をつけた。
「どうです」
「たしかに、これ以上ないほど、唇にぴったりと吸いつくようで、飲みやすいですなぁ」
うれしげに顔中をほころばせた玄晶は、芝居がかった仕草で頬に指をあて、小首をかしげると、眉宇を曇らせた。
「ですがこれでは、物足りないという方もいるのだよ」
「これほどみごとな口当たりの茶杯が、ものたりない?」
「そう。もっと厚みのある、どっしりとしたものが唇にあたらなければ、落ち着かないと」
ふうむと寧叡は器を目の高さに上げて、しげしげとながめた。
「そう言われると、そういう見方もあるように思えますな。玄晶様の手指には、なるほど繊細なこの茶杯は、いかにもふさわしく見えますが、ワシのような無骨な指には、頼りなく感じられる。唇にもまた、そのような差異があるのやもしれませんな」
「持つ者、用いる者によって、印象は変わるものということだね。ところで」
玄晶は指を組み、わずかに身を乗り出して、手本のような完璧な笑顔になった。
「人も、そうだとは思わないか」
「は?」
「君からすれば、ここにいる蕪雑や剛袁は罪人であり山賊だろう。けれども、そこにいる私の楽士は、私の望みを叶えうる者と見た。私も烏有の慧眼に納得し、彼等を使っている。蕪雑は見たとおりの偉丈夫だし、工夫をうまくまとめ、働かせる才がある。剛袁は力仕事だけでなく、算術なども得意としているので、重宝な男だと感じている。そちらにとっては微罪の人かもしれないが、こちらにとっては有益な人材なのだよ」
「そんな人間を傍に置いているというだけで、貴方様の名声が汚れてしまうのではないですかねぇ。玄晶様」
「おや。私のことを案じてくれているのだな。気遣い、いたみいる。だがそれは、無用の心配というものだ。こちらは素性を知った上で、使っているのだからな。どこから派遣された使者かは知らないが、そのような忠告ならば無用だよ」
「どこからの使者か、わからないと申されるのですか」
ギロリと寧叡が玄晶をねめつける。玄晶は涼しい顔で「ええ」と答えた。
「ワシは甲柄からの使者と、お伝えしていたはずですが」
「甲柄からの使者とは聞いているが、甲柄の領主から正式に派遣されたわけでは、ないのだろう? それを示す書簡は、お持ちかな」
喉を詰まらせた寧叡が、短くうなる。
「甲柄の領主、櫂達様よりの使者と、はじめに申し上げましたでしょう」
「だから、正式な使者であるという書簡を、見せていただこうと言っているんだ」
「おい。どういうことだ」
蕪雑が小声で烏有に問う。
「おそらく彼は、不平を訴える者たちをなだめるための、生贄にされたんだろう」
「生贄?」
「玄晶は蕪雑たちの素性も含めて、甲柄と取引をおこなったはずだ。罪状などを把握した上で、好きにこちらに住まわせてもいいと許諾を得ているんじゃないかな。めんどうごとに育ちそうな芽は、早めに摘んでおくほうがいいからね」
「そんならなんで、アイツは俺等を引き渡せって言ってきたんだよ」
「さっきも説明しただろう。蕪雑たちの罪は、支配階級の連中の私情が発端なんだ。治安上の犯罪ではないんだよ。なかには、でっちあげに等しいものだってあった。そのあたりを把握しているから、牢から逃げても捕縛の手が伸びてこなかったんだろう。山に住んでいると、わかっていたからね」
「そんで?」
「彼をよこしたのは、蕪雑たちに罪をかぶせた権力者たちだよ。山に隠れ住んで、みじめに暮らしていると思えば罰しているのと同等だと考えていたんだろうけど、それが新しく作られる国で、安穏と暮らすとなると、面白くない。そこで領主に、捕縛隊を差し向けるよう進言したんじゃないかな」
「しかしよぉ。そんな連中を引き受けるって言った玄晶に、領主はかまわねぇって返事をしたんだろう。だったら、そう説明すりゃあ、いいじゃねぇか」
「そう簡単に済むような話じゃないのさ。領主と言っても、実質的に土地を統治しているのは、豪族連中だからね。領主は中枢の方々との連絡役というだけにすぎない。府にあって領主は最高位の立場にあるけれど、実権は豪族が握っているのもおなじなんだよ」
「んんっ? なんだかよく、わかんねぇな」
「つまり。この世は申皇という神に等しい方が治めておられる。その方に土地の支配者として認めてもらうためには、中枢との橋渡しである領主が必要となる。領主は申皇の直々の従者であるから、地位は豪族よりも上。領主はいわば、国にとっては名誉な存在というところかな。それを据えられた国が、府と呼ばれて申皇のご加護を受けられるのだから。しかし実質的な統治の権限は、府となれるほどに領土を広げた豪族にある。その豪族に離反をされれば、領主の住み心地はとたんに悪くなる。かといって豪族が、あからさまに領主にはむかえば、それは申皇に叛くのとかわりないからね。領主は中枢に訴えられない程度の、けれど居心地が悪くなるような扱いをされてしまう」
「ますます、わからねぇ」
「つまりです」
横で聞いていた剛袁が、口を挟んだ。
「領主は我等の罪を問わないと決め、玄晶に身柄を預けることを認めた。しかし我等を罪人にした方々は、嫌っている我等が新たな土地で幸せに暮らすことが許せない。どうしたものかと悩んだ領主は、本気で我等を捕縛する気はないけれど、そのようにしたという事実だけは作っておこうと、ふたたび権力を手に入れたいと望んでいた寧叡に、捕縛隊になるよう命じたんですよ。失敗することを前提に」
「領主は失敗してほしいって、考えてんのか」
「ええ。だから正式な使者としての書簡を与えなかった。玄晶はそれを踏まえて、寧叡を迎え入れたのでしょう。甲柄の領主の体面をおもんぱかり、こちらとの友好的な関係を崩さないために」
寧叡が、コソコソと会話をしている3人に目を向ける。内容までは聞こえていないが、自分のことを言っているのだろうと、察していた。彼の視線にわざと気づかぬふりをして、玄晶は感情のない笑みを浮かべて会話を続ける。
「書簡がないのであれば、それぞれの罪状を書いたものでも、かまわないよ。正式な、そちらの警兵官発行の罪人書簡。それを提出してもらえたら、こちらも善処させてもらうが」
寧叡がくやしげに奥歯を噛む。おそろしげな形相に、玄晶は眉ひとつ動かさない。
「見ているこっちの胃が、痛くなりそうだぜ」
「玄晶が交渉に負けるわけがないよ。こちらはもうすでに、蕪雑たちの処遇に対する取り決めを終えているんだからね」
頬をひきつらせていた蕪雑が、ふと疑問を浮かべる。
「向こうは寧叡に失敗させるつもりで、送ってきたんだろ。それで、文句を言っていた奴等は、納得すんのかよ」
「そういう兵を派遣した、という部分で、満足をしているんじゃないかな。本気で牢に引きずり戻して、処罰しようなんて考えていないだろうから。罪人だってことを忘れるなって、釘を刺したいだけだと思うよ。単なる嫌がらせだね」
「そんなんでいいのか」
「もともと、それほど重大な罪を犯した人は、ひとりもいないんだ。やつあたりとか、その程度のことなんだからね。だから、こっちに戻ってくるな。顔も見たくない、って文句を伝えられれば、十分なんだよ」
「はぁ。ちっせぇなぁ」
「人間、そんなもんさ。権力があろうがなかろうが、大人だろうが子どもだろうが、ね」
ふうんと蕪雑が、やるせない息を吐く。
「なんか、かわいそうになってきたな。失敗前提でよこされたアイツは、どうなるんだよ」
「態のいい厄介払いだよ。彼は失った職にすがりついていたんだろう? 上からも下からも、うっとうしがられていたんじゃないかな。そこに、この問題が上がってきた。追い出す口実にもなるし、一石二鳥と任務を命じられたんだと思うよ」
「アイツはそれに、気づいてんのかな」
「わかっているはずだよ。彼の連れてきた部下たちは、気が抜けていたからね。おそらく彼等も、そういう扱いをされたんだと理解して、出てきたんだろう。そして人手不足のこっちで、雇ってもらえないかと考えているんじゃないかな。だから、なるべく嫌われないように、おとなしくしているんだろう。部屋に入る前にも言ったろう? 正規の警兵官として雇われる可能性が高いと考えたのだと思うよ、とね」
「気づいてて、あんなに交渉をがんばってんのか」
「交渉にすら、なっていないけれどね。完全に玄晶のオモチャだよ」
3人がそれぞれの思いを持って、なりゆきを見守っていると、玄晶が寧叡の茶菓に目を向けた。
「茶も菓子も、すこしも手をつけてはいないが、好まなかったかな。酒がいいのであれば、すぐに用意をしよう。明江特産の、猿酒をまねて造ったものだ。口に合えばいいのだが」
「ふっ」
「ふ?」
「ふざけやがって」
寧叡が勢いよく立ち上がる。膝が卓に触れて、茶杯が倒れた。
「おや。どうしたのかな」
「バカにしてやがるんだろう」
「口調が変わったな」
玄晶は余裕の態度をくずさない。
「使者としてではなく、ひとりの人間として対話をするというのなら、私もそのようにさせてもらうよ。ねえ、君。君の部下は追放同然の任務だと気づいているようだけれど、君はどう考えているのかな。まさか、そこまで頭が回らないというわけでは、ないのだろう。わかっているはずだ。君は甲柄に捨てられた、やっかいものだということが」
寧叡の顔が怒りに染まる。それを見ても、玄晶はひるむことなく言葉を続けた。蕪雑と剛袁が身構える。烏有は両腕を広げて、ふたりを制した。
「それなのに、どうしてそうがんばろうとするのかな。ありえないことだが、君が私を納得させて、蕪雑たちを連れ帰ったとしても、迷惑がられるだけだろう?」
寧叡は指が白くなるほど拳を握った。くやしさと羞恥のために、小刻みに震えている。
「君はまだ、そう頑固になるような歳ではないのではないかな。私よりも、ひとまわりほど上……おそらく、30をいくつか過ぎた程度だろう。ならば、いつまでも過去に所有していた権力になど縋らずに、新たな道を踏み出してはどうかな。君と共に来た部下たちのことも考え、これからはこの明江で働くという道がある。こちらは丁度、警兵官を設けなければならないと考えていたところだからね。こちらの流儀に従って働くと納得をしてくれるのなら、歓迎するよ」
「ふざけんなっ! ワシがここでそうなるということは、あの男の配下になるということだろう」
寧叡が蕪雑を指差す。
「あんな、あんな男の……ただの平民の命令に従うなんて、まっぴらごめんだ。かと言って、アンタはワシを豪族にするとは言わなさそうだからな。アイツ等をしょっぴいて、甲柄の、ワシをバカにしていた奴等を見返してやるんだ」
「ついでに、迷惑をかけてやろう、というところか。そんなことをしたら、ますます居づらくなるだけだと、わからないのか」
「これ以上、なりようがねぇほどの扱いを受けているんだ。奴等にひと泡吹かせてやれりゃあ、それでいい」
「寧叡。君の連れてきた者たちを、巻き添えにするつもりか」
「巻き添え? はなっから、ワシと運命を共にする奴等だ。覚悟はしているだろうさ」
「君という人は、なんて愚かな……」
「なんとでも言え。目的を果たすためなら、できたばかりのこの屋敷に、火をつけてやってもいいんだぜ」
「正気ですか」
「自棄になってる人間を、正気とは言わんだろう」
「自覚はあるんですね」
爛々と目を光らせた寧叡が、ニヤリと顔をゆがませる。笑みを消した玄晶は、寧叡の鋭い眼光を湖面のようにおだやかな瞳に映した。
室内の空気が張りつめる。時が流れるのを止めたかのように、誰もが微動だにしない。張りつめた空気が薄く細く研ぎ澄まされ、ほんのわずか動いただけでも、身が切れそうなほどの緊張に包まれる。
「決闘だ!」
それを突き破るように、蕪雑が言った。誰もが目を丸くして、蕪雑に注目する。
「決闘をしようぜ、寧叡」
「決闘、だと」
ゆらりと寧叡が蕪雑に体を向ける。
「おう。武官ってぇのは、決闘で物事を決めるって聞いたぜ。違うのか」
「違わないが、決闘をしてどうするつもりだ」
「蕪雑。決闘なんて、どうしたんです」
「動きもしねぇ話し合いをするよりゃあ、ずっといいだろう。わかりやすいしな」
眉をひそめた烏有に、蕪雑はいつもの笑みで答えた。
「そっちが勝ったら、要求どおりに俺等をしょっぴきゃいい」
「その逆なら、どうするつもりだ。ワシの首でも落とすのか」
「そんな物騒なこたぁ、しねぇよ。こっちにとっちゃ処刑なんて、得になるどころか胸糞悪くなるだけだからな」
「なら、何を望む」
蕪雑は「決まってんだろう」と、極上の笑みを浮かべた。
「アンタとその部下をまるごといただくんだよ。俺等がな」
一瞬の沈黙の後、玄晶が笑い出す。
「あはは。それはいい。なるほど明快な解決法だ。どうかな、寧叡。と言っても、受ける以外の選択肢はありえないが」
笑いに声を震わせる玄晶と、得意そうに胸をそらす蕪雑を、寧叡は等分に睨みつけた。
「ずいぶんな自信だな。いいだろう。乗ってやる」
「蕪雑、勝手な取り決めをしないでくれないか」
「そうですよ、蕪雑兄ぃ」
慌てる烏有と剛袁を、蕪雑は「大丈夫だって」と軽くなだめた。
「俺が勝てば、まぁるく収まるだけじゃねぇか。なあ」
「ワシを甘く見すぎると、足元をすくわれるぞ」
「甘くなんて、見てねぇぜ」
凄みのある笑みを浮かべた蕪雑を、寧叡が鼻で笑う。
玄晶が軽く片手を上げて、注目をうながした。
「決闘の日時は、3日後の昼過ぎにしよう。それまでは、この屋敷で部下と共に過ごしてもらうよ」
「ワシは今すぐにでも、かまわないがな」
「それでは、こちらが有利だろう。旅の疲れが残っている相手との決闘なんて、許可できないな。正々堂々と、最高の体調で行わなければ、双方共に遺恨が残るからね。ついでに、この明江の見学をしておいてもらいたい。どんな顔で、皆が働き生活をしているか。まだまだ発展途上の国だが、村と呼べる程度には整っている。生まれたばかりのこの国を、その目で見て、感じてほしい」
不快そうに鼻を鳴らして、寧叡が顔をそむける。立ち去りながら、彼は言った。
「決闘の申し込み。たしかに受けた」
そういうことに決まった。
「ずいぶんと待たせるんですねぇ」
「こちらは、まだ発展途上だからね。あれこれとやらなければならないことが、山積しているのだよ」
ニッコリとした玄晶を鼻で笑い、壁ぎわにひかえている烏有、蕪雑、剛袁を一瞥してから、男はようやく立ち上がった。
「甲柄の領主、櫂達様よりの使者、寧叡です」
「明江の代表者をさせていただいている、岐の文官、晶龍の息子、玄晶です」
ふたりの手がうわべの親交のために重なる。
「明江の領主、とは言わないんですなぁ」
「正式に申皇から府と認められ、領主と定められたわけではないからな」
「なるほど。謙虚な態度ですな。交渉も、そのようにしていただければ、ありがたいのですが」
玄晶は目を細めて、寧叡に座るよう手のひらで促した。繋いでいた手が離れると、待ち構えていたかのように、うら若い女が茶菓を運んでくる。
「この女は、流浪の民ですか。それとも――」
「岐にいる父が、こちらに屋敷ができたと聞いて、送ってくれたのだよ。作法を知った者がいないと、不便だろうと考えたようでね」
一礼をして女が去る。
「なるほど。そちらで官僚となる道を選ばずに、領主になろうと考えたのは、どうしてなのか。お教えいただけますかな」
「さきほども申したとおり、こちらは忙しい身。すまないが、早々に本題を終わらせて、ほかの事案にとりかかりたいのだがな」
「それは失礼」
寧叡が蕪雑に視線を投げる。蕪雑は緊張した面持ちで、言われたとおりに直立していた。それをどう捉えたのか、寧叡はニヤリとする。
「玄晶様は、そちらに控えている男が、どういった者であるのか、ご存知ですかな」
「どういった、とは?」
「その男は甲柄で罪を犯し、牢に入れられていたところを、抜け出して山に住みつき、ほかの囚人の牢抜けを手伝い、仲間として山賊働きをしていたような男です。そんな男をどうして、ご自身の地の豪族にしようなどと、思われたのか。おそらく、知らずに決めてしまわれたのでしょう。山に集落を持っている、どこにも属していない、かつ、拓こうとしている土地の傍にいた男、という程度で」
寧叡が身を乗り出す。すでに交渉の勝ちを確信している顔をして、彼は獲物を鑑賞するように蕪雑を見上げ、玄晶に視線を戻した。
「私の楽士の目が、間違っていると言いたいのだな」
「そちらのキレイなお兄さんのことですな。楽士というものは、鳥かごの中の美しい小鳥のようなもの。あのような輩に捕らわれれば、ひとたまりもないでしょう。脅されたか、だまされたかして、やむなく引き合わせたのではないでしょうかなぁ」
ふ、と玄晶の唇がほころぶ。
「今の君のように、私に迫ったとでも言いたいのかな」
「この寧叡を、そこにいる山賊風情と同等に扱われますか。いやはや、心外、心外。玄晶様の御為を思って、あの男の本性をお伝えしておるのです。つまり、あの男が仲間と言って、こちらに引き連れてきた連中は、甲柄の罪人。それらを引き渡していただきたいと、お願いにまいったのですよ」
玄晶はゆったりと笑んだまま、茶杯に指をからめた。茶杯の曲線をなぶるように、指を這わせて満足そうに目を細める。
「いい茶器でしょう」
「は?」
「そうは思われませんか」
「はぁ」
間の抜けた顔をして、寧叡は茶杯に手を伸ばした。
「指に吸いつくような、なめらかな地肌とふくよかな丸み。ほどよい厚みは唇にあてたとき、おどろくほどに心地いい。どうぞ、おためしになってください」
調子を崩された寧叡は、それでもうながされるまま口をつけた。
「どうです」
「たしかに、これ以上ないほど、唇にぴったりと吸いつくようで、飲みやすいですなぁ」
うれしげに顔中をほころばせた玄晶は、芝居がかった仕草で頬に指をあて、小首をかしげると、眉宇を曇らせた。
「ですがこれでは、物足りないという方もいるのだよ」
「これほどみごとな口当たりの茶杯が、ものたりない?」
「そう。もっと厚みのある、どっしりとしたものが唇にあたらなければ、落ち着かないと」
ふうむと寧叡は器を目の高さに上げて、しげしげとながめた。
「そう言われると、そういう見方もあるように思えますな。玄晶様の手指には、なるほど繊細なこの茶杯は、いかにもふさわしく見えますが、ワシのような無骨な指には、頼りなく感じられる。唇にもまた、そのような差異があるのやもしれませんな」
「持つ者、用いる者によって、印象は変わるものということだね。ところで」
玄晶は指を組み、わずかに身を乗り出して、手本のような完璧な笑顔になった。
「人も、そうだとは思わないか」
「は?」
「君からすれば、ここにいる蕪雑や剛袁は罪人であり山賊だろう。けれども、そこにいる私の楽士は、私の望みを叶えうる者と見た。私も烏有の慧眼に納得し、彼等を使っている。蕪雑は見たとおりの偉丈夫だし、工夫をうまくまとめ、働かせる才がある。剛袁は力仕事だけでなく、算術なども得意としているので、重宝な男だと感じている。そちらにとっては微罪の人かもしれないが、こちらにとっては有益な人材なのだよ」
「そんな人間を傍に置いているというだけで、貴方様の名声が汚れてしまうのではないですかねぇ。玄晶様」
「おや。私のことを案じてくれているのだな。気遣い、いたみいる。だがそれは、無用の心配というものだ。こちらは素性を知った上で、使っているのだからな。どこから派遣された使者かは知らないが、そのような忠告ならば無用だよ」
「どこからの使者か、わからないと申されるのですか」
ギロリと寧叡が玄晶をねめつける。玄晶は涼しい顔で「ええ」と答えた。
「ワシは甲柄からの使者と、お伝えしていたはずですが」
「甲柄からの使者とは聞いているが、甲柄の領主から正式に派遣されたわけでは、ないのだろう? それを示す書簡は、お持ちかな」
喉を詰まらせた寧叡が、短くうなる。
「甲柄の領主、櫂達様よりの使者と、はじめに申し上げましたでしょう」
「だから、正式な使者であるという書簡を、見せていただこうと言っているんだ」
「おい。どういうことだ」
蕪雑が小声で烏有に問う。
「おそらく彼は、不平を訴える者たちをなだめるための、生贄にされたんだろう」
「生贄?」
「玄晶は蕪雑たちの素性も含めて、甲柄と取引をおこなったはずだ。罪状などを把握した上で、好きにこちらに住まわせてもいいと許諾を得ているんじゃないかな。めんどうごとに育ちそうな芽は、早めに摘んでおくほうがいいからね」
「そんならなんで、アイツは俺等を引き渡せって言ってきたんだよ」
「さっきも説明しただろう。蕪雑たちの罪は、支配階級の連中の私情が発端なんだ。治安上の犯罪ではないんだよ。なかには、でっちあげに等しいものだってあった。そのあたりを把握しているから、牢から逃げても捕縛の手が伸びてこなかったんだろう。山に住んでいると、わかっていたからね」
「そんで?」
「彼をよこしたのは、蕪雑たちに罪をかぶせた権力者たちだよ。山に隠れ住んで、みじめに暮らしていると思えば罰しているのと同等だと考えていたんだろうけど、それが新しく作られる国で、安穏と暮らすとなると、面白くない。そこで領主に、捕縛隊を差し向けるよう進言したんじゃないかな」
「しかしよぉ。そんな連中を引き受けるって言った玄晶に、領主はかまわねぇって返事をしたんだろう。だったら、そう説明すりゃあ、いいじゃねぇか」
「そう簡単に済むような話じゃないのさ。領主と言っても、実質的に土地を統治しているのは、豪族連中だからね。領主は中枢の方々との連絡役というだけにすぎない。府にあって領主は最高位の立場にあるけれど、実権は豪族が握っているのもおなじなんだよ」
「んんっ? なんだかよく、わかんねぇな」
「つまり。この世は申皇という神に等しい方が治めておられる。その方に土地の支配者として認めてもらうためには、中枢との橋渡しである領主が必要となる。領主は申皇の直々の従者であるから、地位は豪族よりも上。領主はいわば、国にとっては名誉な存在というところかな。それを据えられた国が、府と呼ばれて申皇のご加護を受けられるのだから。しかし実質的な統治の権限は、府となれるほどに領土を広げた豪族にある。その豪族に離反をされれば、領主の住み心地はとたんに悪くなる。かといって豪族が、あからさまに領主にはむかえば、それは申皇に叛くのとかわりないからね。領主は中枢に訴えられない程度の、けれど居心地が悪くなるような扱いをされてしまう」
「ますます、わからねぇ」
「つまりです」
横で聞いていた剛袁が、口を挟んだ。
「領主は我等の罪を問わないと決め、玄晶に身柄を預けることを認めた。しかし我等を罪人にした方々は、嫌っている我等が新たな土地で幸せに暮らすことが許せない。どうしたものかと悩んだ領主は、本気で我等を捕縛する気はないけれど、そのようにしたという事実だけは作っておこうと、ふたたび権力を手に入れたいと望んでいた寧叡に、捕縛隊になるよう命じたんですよ。失敗することを前提に」
「領主は失敗してほしいって、考えてんのか」
「ええ。だから正式な使者としての書簡を与えなかった。玄晶はそれを踏まえて、寧叡を迎え入れたのでしょう。甲柄の領主の体面をおもんぱかり、こちらとの友好的な関係を崩さないために」
寧叡が、コソコソと会話をしている3人に目を向ける。内容までは聞こえていないが、自分のことを言っているのだろうと、察していた。彼の視線にわざと気づかぬふりをして、玄晶は感情のない笑みを浮かべて会話を続ける。
「書簡がないのであれば、それぞれの罪状を書いたものでも、かまわないよ。正式な、そちらの警兵官発行の罪人書簡。それを提出してもらえたら、こちらも善処させてもらうが」
寧叡がくやしげに奥歯を噛む。おそろしげな形相に、玄晶は眉ひとつ動かさない。
「見ているこっちの胃が、痛くなりそうだぜ」
「玄晶が交渉に負けるわけがないよ。こちらはもうすでに、蕪雑たちの処遇に対する取り決めを終えているんだからね」
頬をひきつらせていた蕪雑が、ふと疑問を浮かべる。
「向こうは寧叡に失敗させるつもりで、送ってきたんだろ。それで、文句を言っていた奴等は、納得すんのかよ」
「そういう兵を派遣した、という部分で、満足をしているんじゃないかな。本気で牢に引きずり戻して、処罰しようなんて考えていないだろうから。罪人だってことを忘れるなって、釘を刺したいだけだと思うよ。単なる嫌がらせだね」
「そんなんでいいのか」
「もともと、それほど重大な罪を犯した人は、ひとりもいないんだ。やつあたりとか、その程度のことなんだからね。だから、こっちに戻ってくるな。顔も見たくない、って文句を伝えられれば、十分なんだよ」
「はぁ。ちっせぇなぁ」
「人間、そんなもんさ。権力があろうがなかろうが、大人だろうが子どもだろうが、ね」
ふうんと蕪雑が、やるせない息を吐く。
「なんか、かわいそうになってきたな。失敗前提でよこされたアイツは、どうなるんだよ」
「態のいい厄介払いだよ。彼は失った職にすがりついていたんだろう? 上からも下からも、うっとうしがられていたんじゃないかな。そこに、この問題が上がってきた。追い出す口実にもなるし、一石二鳥と任務を命じられたんだと思うよ」
「アイツはそれに、気づいてんのかな」
「わかっているはずだよ。彼の連れてきた部下たちは、気が抜けていたからね。おそらく彼等も、そういう扱いをされたんだと理解して、出てきたんだろう。そして人手不足のこっちで、雇ってもらえないかと考えているんじゃないかな。だから、なるべく嫌われないように、おとなしくしているんだろう。部屋に入る前にも言ったろう? 正規の警兵官として雇われる可能性が高いと考えたのだと思うよ、とね」
「気づいてて、あんなに交渉をがんばってんのか」
「交渉にすら、なっていないけれどね。完全に玄晶のオモチャだよ」
3人がそれぞれの思いを持って、なりゆきを見守っていると、玄晶が寧叡の茶菓に目を向けた。
「茶も菓子も、すこしも手をつけてはいないが、好まなかったかな。酒がいいのであれば、すぐに用意をしよう。明江特産の、猿酒をまねて造ったものだ。口に合えばいいのだが」
「ふっ」
「ふ?」
「ふざけやがって」
寧叡が勢いよく立ち上がる。膝が卓に触れて、茶杯が倒れた。
「おや。どうしたのかな」
「バカにしてやがるんだろう」
「口調が変わったな」
玄晶は余裕の態度をくずさない。
「使者としてではなく、ひとりの人間として対話をするというのなら、私もそのようにさせてもらうよ。ねえ、君。君の部下は追放同然の任務だと気づいているようだけれど、君はどう考えているのかな。まさか、そこまで頭が回らないというわけでは、ないのだろう。わかっているはずだ。君は甲柄に捨てられた、やっかいものだということが」
寧叡の顔が怒りに染まる。それを見ても、玄晶はひるむことなく言葉を続けた。蕪雑と剛袁が身構える。烏有は両腕を広げて、ふたりを制した。
「それなのに、どうしてそうがんばろうとするのかな。ありえないことだが、君が私を納得させて、蕪雑たちを連れ帰ったとしても、迷惑がられるだけだろう?」
寧叡は指が白くなるほど拳を握った。くやしさと羞恥のために、小刻みに震えている。
「君はまだ、そう頑固になるような歳ではないのではないかな。私よりも、ひとまわりほど上……おそらく、30をいくつか過ぎた程度だろう。ならば、いつまでも過去に所有していた権力になど縋らずに、新たな道を踏み出してはどうかな。君と共に来た部下たちのことも考え、これからはこの明江で働くという道がある。こちらは丁度、警兵官を設けなければならないと考えていたところだからね。こちらの流儀に従って働くと納得をしてくれるのなら、歓迎するよ」
「ふざけんなっ! ワシがここでそうなるということは、あの男の配下になるということだろう」
寧叡が蕪雑を指差す。
「あんな、あんな男の……ただの平民の命令に従うなんて、まっぴらごめんだ。かと言って、アンタはワシを豪族にするとは言わなさそうだからな。アイツ等をしょっぴいて、甲柄の、ワシをバカにしていた奴等を見返してやるんだ」
「ついでに、迷惑をかけてやろう、というところか。そんなことをしたら、ますます居づらくなるだけだと、わからないのか」
「これ以上、なりようがねぇほどの扱いを受けているんだ。奴等にひと泡吹かせてやれりゃあ、それでいい」
「寧叡。君の連れてきた者たちを、巻き添えにするつもりか」
「巻き添え? はなっから、ワシと運命を共にする奴等だ。覚悟はしているだろうさ」
「君という人は、なんて愚かな……」
「なんとでも言え。目的を果たすためなら、できたばかりのこの屋敷に、火をつけてやってもいいんだぜ」
「正気ですか」
「自棄になってる人間を、正気とは言わんだろう」
「自覚はあるんですね」
爛々と目を光らせた寧叡が、ニヤリと顔をゆがませる。笑みを消した玄晶は、寧叡の鋭い眼光を湖面のようにおだやかな瞳に映した。
室内の空気が張りつめる。時が流れるのを止めたかのように、誰もが微動だにしない。張りつめた空気が薄く細く研ぎ澄まされ、ほんのわずか動いただけでも、身が切れそうなほどの緊張に包まれる。
「決闘だ!」
それを突き破るように、蕪雑が言った。誰もが目を丸くして、蕪雑に注目する。
「決闘をしようぜ、寧叡」
「決闘、だと」
ゆらりと寧叡が蕪雑に体を向ける。
「おう。武官ってぇのは、決闘で物事を決めるって聞いたぜ。違うのか」
「違わないが、決闘をしてどうするつもりだ」
「蕪雑。決闘なんて、どうしたんです」
「動きもしねぇ話し合いをするよりゃあ、ずっといいだろう。わかりやすいしな」
眉をひそめた烏有に、蕪雑はいつもの笑みで答えた。
「そっちが勝ったら、要求どおりに俺等をしょっぴきゃいい」
「その逆なら、どうするつもりだ。ワシの首でも落とすのか」
「そんな物騒なこたぁ、しねぇよ。こっちにとっちゃ処刑なんて、得になるどころか胸糞悪くなるだけだからな」
「なら、何を望む」
蕪雑は「決まってんだろう」と、極上の笑みを浮かべた。
「アンタとその部下をまるごといただくんだよ。俺等がな」
一瞬の沈黙の後、玄晶が笑い出す。
「あはは。それはいい。なるほど明快な解決法だ。どうかな、寧叡。と言っても、受ける以外の選択肢はありえないが」
笑いに声を震わせる玄晶と、得意そうに胸をそらす蕪雑を、寧叡は等分に睨みつけた。
「ずいぶんな自信だな。いいだろう。乗ってやる」
「蕪雑、勝手な取り決めをしないでくれないか」
「そうですよ、蕪雑兄ぃ」
慌てる烏有と剛袁を、蕪雑は「大丈夫だって」と軽くなだめた。
「俺が勝てば、まぁるく収まるだけじゃねぇか。なあ」
「ワシを甘く見すぎると、足元をすくわれるぞ」
「甘くなんて、見てねぇぜ」
凄みのある笑みを浮かべた蕪雑を、寧叡が鼻で笑う。
玄晶が軽く片手を上げて、注目をうながした。
「決闘の日時は、3日後の昼過ぎにしよう。それまでは、この屋敷で部下と共に過ごしてもらうよ」
「ワシは今すぐにでも、かまわないがな」
「それでは、こちらが有利だろう。旅の疲れが残っている相手との決闘なんて、許可できないな。正々堂々と、最高の体調で行わなければ、双方共に遺恨が残るからね。ついでに、この明江の見学をしておいてもらいたい。どんな顔で、皆が働き生活をしているか。まだまだ発展途上の国だが、村と呼べる程度には整っている。生まれたばかりのこの国を、その目で見て、感じてほしい」
不快そうに鼻を鳴らして、寧叡が顔をそむける。立ち去りながら、彼は言った。
「決闘の申し込み。たしかに受けた」
そういうことに決まった。
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