凪の潮騒

水戸けい

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 幸正と私が出会ったのは、今からさかのぼっても季節が一巡するよりも短いころだった。その頃の私は、まだいろいろな相手に魚を売っていた。花がほころびはじめているのに、肌身に触れる空気は冷たく、海は人を拒絶するような冷ややかさだった。海から上がった私は、自分の肌をあたためるまえに買い手を探していた。顔なじみとなった商家の使いや、どこかの屋敷で働くものが集まり、入用な分だけを買って帰っていく。私の強みは、誰よりも早く売り始めることで、だからこそ体をあたためる前に売り切ってしまいたかった。体をあたためている間に、漁に出た舟が戻ってこれば、収穫量によっては買いたたかれる可能性がある。早めに売り出すと言う事で、誰もが私の言い値で買ってくれた。高すぎず、安すぎず、私が一日過ごせるよりも少しだけ多く収入が得られるくらいで。

 父が武士だったということは、村の誰もが知っているようだった。

 父は村になじもうとせず、村人たちも特に関わり合いになろうとはしなかった。けれど、私の漁場には近づかないようにしたり、それとなく玄関先に野菜などを置いてくれたりと、気遣われていた。親しくは無いが、倦厭されているわけでもない。言葉は交わさないが、気遣いは交わす。そんな生活の中にいた私は、父を失った後も村との距離を縮めることも、遠ざけることもせずに、自分の出来ることをして生活をしていた。

 同情めいた気持ちが、村人にも私から買ってくれるものたちの中にも、あったのだろうと思う。けれど、そういうものを表立って示されたことは無かった。私は、一人で立って生きていると、自負していた。

 それなのに、買い付けに現れた幸正は私を見るなりこう言った。

「唇が紫じゃねぇか。肌も青白い。商売の前に、体をあたためて来いよ」

「余計なお世話だ」

「体を壊しちまったら、困るだろうが」

「別に」

 困らない、と私は本気で思っていた。自分ひとりなのだから、永遠にこの生活が――季節の変化や収穫の違いはあるけれど――繰り返されるままに朽ちる身だと、思っていた。それならば、今この次の瞬間に命を落としたとしても、かまわないと思っていた。

「ほら、こんなに冷えてんじゃねぇか」

 いきなり腕を掴まれて、私は幸正の頬を打った。乾いた、いい音がして周囲の皆が驚く気配が広まっていく。

「アンタには関係ないだろう。言う事を聞かせたいなら、アンタが全部買い上げな! これが売れたら、私は家で体をあたためる」

 手にした網を顔に突き付ければ、呆然とした幸正は私を見つめた。幸正の背後にいた侍が、腰の得物に手をかけるのが見えたけれど、手打ちにされてもかまわないと、幸正を睨みつけた。
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