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「父様――」
両手のひらを眺める。この手は、もう銛を掴むことは無い。私は、もう漁に出る必要は無い。父様が暮らした家で、武家のものとしての暮らしを始める。
拳を握り、両目に当てる。瞼の裏には、幸正の姿があった。夏の日差しのようにまぶしい、幸正の笑顔があった。たくましい四肢があった。包み込むような広い胸があった。心を落ち着かせる香りが、鼻孔に蘇った。激しい熱を、肌が思い出した。切なく大切なもののように、私の名をささやく声が耳に響いた。
「幸正……」
私を近くで観察し、会話を交わし、様子を報告する。幸正が怪我をした私につきっきりでいられたのも、丸一日を共に過ごせたのも、その命令があったからだ。幸正のあれは全て、命じられたからの行動だった。深く私を探るために、肌身を重ねた。――もしかしたら、宗也が本来の場所ではない所に欲を埋めたのは、自分に従う身分である幸正が先に乱した場所だったから、それを嫌がって別の場所に――私が誰にも暴かれたことの無い場所に沈んだのだろうか。
鈍い痛みを抱え続けている胸に、そっと手を添える。幸正が私の監視のために近づいたことを知ってから、じくじくと膿んだような痛みが胸にあった。幸正の笑顔も優しさも熱っぽくささやく声も全て――仕事だったから。私を案じていたのは、仕える家の正統なる血筋だから。身を重ねたのは、きっと私が先に手を伸ばしたからだろう。重ねなければ不自然に思われると思ったからだろう。けれどその後も、幸正から手を伸ばして身を重ねていたのは――――?
わからない。理由などわからないし、知りたくも無い。どんなつもりで幾度も肌を重ねてきたかなど、今はどうでもいい――どうでもいいと、片付けたい。私はもう、幸正と会うことは無いのだから。
思えば思うほど、胸からあふれ出る濁った何かがたまっていく。あえぐほど強い痛みでは無く、無視が出来るほど弱い痛みでも無い。宗也に抱かれたことで、よけいにくっきりとしてしまった幸正へ向ける想いに、下唇を噛んだ。――武家の出だったと告げて、幸正と添うことはできないだろうかと、考えるともなしに思ったことがある。ばかばかしいと首を振ったその想いが、胸に刃物を突き立てていた。
「幸正――」
今頃は、もう任を解かれて村へ行かずに屋敷のどこかにいるのだろうか。それとも、変わらず村に行き、誰かから朝餉の膳に乗せるものを購入しているのだろうか。
静かに眠る宗也の顔を見て、額にかかる髪を撫でるように掻き上げる。幸正が仕えていた相手が宗也だったのだから、私が捕らえたものは昨日のように調理をされて、宗也の口に入っていたのだろう。
両手のひらを眺める。この手は、もう銛を掴むことは無い。私は、もう漁に出る必要は無い。父様が暮らした家で、武家のものとしての暮らしを始める。
拳を握り、両目に当てる。瞼の裏には、幸正の姿があった。夏の日差しのようにまぶしい、幸正の笑顔があった。たくましい四肢があった。包み込むような広い胸があった。心を落ち着かせる香りが、鼻孔に蘇った。激しい熱を、肌が思い出した。切なく大切なもののように、私の名をささやく声が耳に響いた。
「幸正……」
私を近くで観察し、会話を交わし、様子を報告する。幸正が怪我をした私につきっきりでいられたのも、丸一日を共に過ごせたのも、その命令があったからだ。幸正のあれは全て、命じられたからの行動だった。深く私を探るために、肌身を重ねた。――もしかしたら、宗也が本来の場所ではない所に欲を埋めたのは、自分に従う身分である幸正が先に乱した場所だったから、それを嫌がって別の場所に――私が誰にも暴かれたことの無い場所に沈んだのだろうか。
鈍い痛みを抱え続けている胸に、そっと手を添える。幸正が私の監視のために近づいたことを知ってから、じくじくと膿んだような痛みが胸にあった。幸正の笑顔も優しさも熱っぽくささやく声も全て――仕事だったから。私を案じていたのは、仕える家の正統なる血筋だから。身を重ねたのは、きっと私が先に手を伸ばしたからだろう。重ねなければ不自然に思われると思ったからだろう。けれどその後も、幸正から手を伸ばして身を重ねていたのは――――?
わからない。理由などわからないし、知りたくも無い。どんなつもりで幾度も肌を重ねてきたかなど、今はどうでもいい――どうでもいいと、片付けたい。私はもう、幸正と会うことは無いのだから。
思えば思うほど、胸からあふれ出る濁った何かがたまっていく。あえぐほど強い痛みでは無く、無視が出来るほど弱い痛みでも無い。宗也に抱かれたことで、よけいにくっきりとしてしまった幸正へ向ける想いに、下唇を噛んだ。――武家の出だったと告げて、幸正と添うことはできないだろうかと、考えるともなしに思ったことがある。ばかばかしいと首を振ったその想いが、胸に刃物を突き立てていた。
「幸正――」
今頃は、もう任を解かれて村へ行かずに屋敷のどこかにいるのだろうか。それとも、変わらず村に行き、誰かから朝餉の膳に乗せるものを購入しているのだろうか。
静かに眠る宗也の顔を見て、額にかかる髪を撫でるように掻き上げる。幸正が仕えていた相手が宗也だったのだから、私が捕らえたものは昨日のように調理をされて、宗也の口に入っていたのだろう。
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