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「――わかった。爺様、私は宗也を嫌っているわけじゃあないんだ。……ただ」
ただ、幸正を愛しているだけ――――。それを口にせずとも、爺様はなんとはなしに察したらしい。
「この爺の目の黒いうちは、いかなことでも姫様が心安くいられるように力を尽くします。それがたとえ、宗也様を裏切る行為であったとしても――この爺が買い上げた農民の子を不憫に思う気持ちはあれど、その家族は爺の金で飢えることなく暮らせるようになったのですから、欺くことに何の呵責もございませぬ」
幸正との密会を、爺様は叶えてくれると言うのだろうか。
「――そうか」
声が、思うよりも沈んでいたことに驚く。爺様を通せば、今日のように幸正と必ず会うことが出来るというのに、どうして――。
残りの茶を全て飲み干し、立ち上がる。
「菓子は――ああ、もうすぐに夕餉のころとなりますな」
菓子を乗せてあった紙で包み、私の手を取り手のひらに乗せた爺様が、今までの硬さなどうそのように、ふうわりと微笑んだ。
「では、先に夕餉の席へ参りましょうか。宗也様も、すぐに来られましょう」
急に自分が幼子になったような気がして、言葉を話せぬ童女のように、爺様を見つめながら頷いた。
宗也の部屋で――褥の上で、私の膝に頭を乗せて丸くなっている宗也の髪を撫でる。私は宗也の妻で、宗也が伊駒家の当主でありつづけるために夜の務めを果たさなければならない。この身に、宗也の情を受けなければいけない。
そうして臨んだ閨の上で、宗也は坐した私の膝の上に頭を乗せて、こうして寝転がっている。猫のように、私にただ撫でられている。
「伊佐」
抑揚の無い声で呼びながら、宗也が身を起した。いよいよ肌身を重ねるのかと、表情の無い宗也の顔を見つめる。何も湛えていない瞳は、冬の空のように澄んでいて遠く、よそよそしい。そのくせまっすぐに、何かを求めるように縋るように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「俺が欲しいものは、俺という存在だ。――俺というものが、ここにいるという証だ」
何を、言いだしているのだろう。しっかりと、自分の内面を噛みしめるように、確かめながら話す宗也は、言葉を覚えたての子どもが懸命になにかを伝えようとしているようだ。
「――俺は、奥村に引き取られてよりずっと、この屋敷の中で暮らしていた。さまざまなものと共に在り、接し、言葉を交わし、生きてきた」
ただ、幸正を愛しているだけ――――。それを口にせずとも、爺様はなんとはなしに察したらしい。
「この爺の目の黒いうちは、いかなことでも姫様が心安くいられるように力を尽くします。それがたとえ、宗也様を裏切る行為であったとしても――この爺が買い上げた農民の子を不憫に思う気持ちはあれど、その家族は爺の金で飢えることなく暮らせるようになったのですから、欺くことに何の呵責もございませぬ」
幸正との密会を、爺様は叶えてくれると言うのだろうか。
「――そうか」
声が、思うよりも沈んでいたことに驚く。爺様を通せば、今日のように幸正と必ず会うことが出来るというのに、どうして――。
残りの茶を全て飲み干し、立ち上がる。
「菓子は――ああ、もうすぐに夕餉のころとなりますな」
菓子を乗せてあった紙で包み、私の手を取り手のひらに乗せた爺様が、今までの硬さなどうそのように、ふうわりと微笑んだ。
「では、先に夕餉の席へ参りましょうか。宗也様も、すぐに来られましょう」
急に自分が幼子になったような気がして、言葉を話せぬ童女のように、爺様を見つめながら頷いた。
宗也の部屋で――褥の上で、私の膝に頭を乗せて丸くなっている宗也の髪を撫でる。私は宗也の妻で、宗也が伊駒家の当主でありつづけるために夜の務めを果たさなければならない。この身に、宗也の情を受けなければいけない。
そうして臨んだ閨の上で、宗也は坐した私の膝の上に頭を乗せて、こうして寝転がっている。猫のように、私にただ撫でられている。
「伊佐」
抑揚の無い声で呼びながら、宗也が身を起した。いよいよ肌身を重ねるのかと、表情の無い宗也の顔を見つめる。何も湛えていない瞳は、冬の空のように澄んでいて遠く、よそよそしい。そのくせまっすぐに、何かを求めるように縋るように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「俺が欲しいものは、俺という存在だ。――俺というものが、ここにいるという証だ」
何を、言いだしているのだろう。しっかりと、自分の内面を噛みしめるように、確かめながら話す宗也は、言葉を覚えたての子どもが懸命になにかを伝えようとしているようだ。
「――俺は、奥村に引き取られてよりずっと、この屋敷の中で暮らしていた。さまざまなものと共に在り、接し、言葉を交わし、生きてきた」
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