君のすべてがほしいだけだよ

水戸けい

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6.カブフリ

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 年寄りやちいさな子どもには、やわらかな魚の肉がいい。それをマトリがもらいに行っていると聞いて、カブフリは片眉をわずかに持ち上げた。取りに行く先は海の集落。相手は間違いなく、アユイだろう。それが奇妙な不快感をカブフリに与えた。

(あいつは油断がならない)

 人狼の中でだれよりも、カブフリはアユイの能力を買っていた。自分に匹敵できるのはアユイしかいないと思っている。それを口に出したことはないが、アユイの存在はつねに気にしていた。

 目立たない行動ばかりをするので、アユイの能力は実態より軽んじられている。成人の儀式でアユイがアルファだと宣言されたとき、おどろきの声が上がった。その中でカブフリは、驚愕するものたちの目にあきれた。だれもアユイの実力を見抜けていなかったのかと。

(俺だけは、あいつの能力の高さを理解していた)

 優越感も味わった成人の儀式から、カブフリはよりいっそう己の技を磨いた。これを機に、アユイを見る周囲の目も変化する。彼に負けてはいられない。

 しかしアユイはなにも変わらなかった。アユイが変わらなければ、いくらアルファと言われても、周囲からの評価は変化しない。あくまでも裏方に徹するアユイの態度が、カブフリにはじれったかった。

(なぜ、正当な評価を求めない)

 きつい目で挑発をしてみたこともある。大物をしとめてみせもした。どうだと反応をうかがえば、アユイは涼しい顔で受け流すばかり。ほかの連中と混ざって、カブフリはすごいと言うだけだった。

(バカにしているのか)

 そう思ったこともある。だが、アユイはけっしてカブフリをバカにしているわけではない。素直にカブフリのリーダー的な気質や身体能力、立派な体躯を認めているだけだ。それがまた、カブフリをおもしろくない気持ちにさせる。

(俺と渡り合えるだけの力を持っている。それがあるから、アユイはあんなことができるんだ)

 幼少期の狩りの練習のとき、しんがりを務められたのも高い能力があるからだ。あるいは自分よりも優れているのではと、カブフリは思う。人を導くよりも、こぼれ落ちるものに手を伸ばして引き上げるほうが、より高度なのかもしれない。

 そんな気持ちをずっと、子どものころから抱えていた。だれかがアユイを軽んじるのは、許せなかった。正当に評価されていないと感じると、アユイをほめた。すると評価が上がるのは、アユイではなくカブフリだった。それがはがゆくて、カブフリはアユイに言ったことがある。

「おまえは、俺と同等の力量がある。それなのになぜ、海の集落の群れを指導して狩りに出ない。それだけのことができるのに、どうして人の影に隠れてばかりいるんだ」

 低くうなったカブフリに、アユイは不思議そうな目をして答えた。

「そんなふうに、俺を評価してくれているなんて。ありがとう、カブフリ。だけどそれぞれ、身の丈に合った役割というものがあるだろう。俺の場合は、この状態がそれなんだ。だれもがカブフリを、みっつの集落すべてを率いることのできる、優秀なものだと言っている。俺もそう思う。俺にはそんなカリスマ性はない。性格的にもリーダーには向いていないんだ」

 ちょっと笑ったアユイは、澄んだ瞳でカブフリを見返した。

「俺は前に出る器じゃない。背後でだれかの手助けをするのが性に合っているんだ。――子どものころのように」

 謙遜ではなく本気で言っているのだとわかって、カブフリの胸はざらついた。切磋琢磨できる好敵手はアユイしかいない。そう思っているのは自分だけなのかと、受け取られない拳が空回りする。

(なぜ、あいつが評価されない。どうして評価されたいと考えない)

 正当に能力を把握できない周囲も、それを求めないアユイも、カブフリは理解ができなかった。せっかく優性種のアルファだとわかったのに、周知されても周囲はなにも変わらない。それほどすごい能力を持っていたのかと、アユイを評価することもないままだ。

(なにか、あいつが俺に匹敵するほどの能力を持っていると、だれもが認めるなにかがあれば)

 そう思っても、本人がそれをする気にならないのだからどうしようもない。アユイ自身が、いまの状態に甘んじていたいと考えている。

(だから、マトリに求愛をしないのか)

 アユイの気持ちがマトリにあることは、カブフリの目にはあきらかだった。そうだと断定できるなにかが、あったわけではない。ただ自然と、アユイはマトリに惹かれていると気がついた。カブフリはそれだけ、アユイのことを注視し続けていた。

(俺に遠慮をしているのか)

 必死になってカブフリの後を追い、能力に追いつこうと努力するマトリの気持ちは、自分にあるとカブフリは思っている。周囲もまた、マトリはカブフリとツガイになるものと信じている。それとおなじで、アユイもマトリはカブフリのツガイだと考えているのか。

(戦いもせずに、あきらめるのか)

 マトリの気持ちを優先して、自分の想いは伝えることなく終わらせる気でいるのか。

 それがカブフリはもどかしい。たとえ勝ち目のない戦いでも、真正面からアユイにぶつかってこられたい。全力でアユイと競いたい。子どものころから、幾度となく思い描いたそれは、かなえられていない。

(俺など眼中にないと言いたいのか)

 そんなつもりのないことは、重々承知している。好敵手だと、競い合いたいと思っているのはカブフリだけで、アユイは微塵も望んでいない。だからこそ、腹の底がムカムカする。

(俺がマトリを手に入れたとき、おまえはどんな顔で祝福をするつもりだ)

 その後は、だれともツガイにならずにいるのか。それとも声をかけてきた相手とツガイになるのか。心を向けていない相手を、ツガイにできるのか。

 海辺に向かいながら、カブフリはアユイに対して怒りを募らせた。優秀でありながら求めることをせず、あきらめるでもなく静かにそこにいるだけのアユイの生き方が、カブフリにはさっぱりわからない。マトリに関してだけは、譲れないと出てくるかと思ったのに、早々にあきらめる道を選んだアユイ。いくらマトリの気持ちがカブフリにあるとしても、わずかな望みをかけて手に入れようとはしないのか。

(俺とマトリの気持ちを優先しているのか)

 自分の気持ちは、どうでもいいと思っているのか。

 高みから見下ろされている気分になる。マトリとツガイになったとき、アユイに与えられた感覚におちいるのではと、カブフリは不快の内側に冷たいものを感じた。はじめから相手にされていない、無視をされているのではと考え、そういうヤツじゃないと否定する。

 潮の香りが鼻に触れて、カブフリは内側に向けていた意識を浮上させた。木々の向こうに陽光を受けてきらめく海が見える。浜辺に舟が並べられ、そのうちのひとつに人影があった。

 籠を持ち上げたアユイに、マトリが寄り添っている。手を伸ばしたマトリに、アユイがなにかを言った。遠目から見ても、むつまじく近しいふたりの姿が、日光よりもまぶしく感じて、カブフリは目を細めた。胸のあたりが鈍く痛む。そこに手を当てたカブフリは息を詰めて、ふたりの様子を見守った。

 ふたりはいくつか会話をし、マトリは甘えるような笑顔でアユイに身を寄せる。昔からマトリは、さりげなく手助けをしてくれるアユイに甘えたしぐさを見せる。同年の兄に接しているみたいな気安い姿は、だれもが見慣れているものだ。けれどこの日、カブフリはいつもとは違った雰囲気を感じ取った。どこがどう、というわけではない。なにか予感めいた、漠然とした違和感を覚えた。

 遠目だから。

 アユイへの対抗心を渦巻かせながら歩いてきたから。

 アユイがマトリを想っていると気づいているから。

 いくらでも違和感のもとはあった。しかしそのどれも、しっくりこなかった。なにかが違う。原因がわからない。

 アユイがマトリと離れて、集落へ向かう。マトリはその後を追いかけずに、森へと――カブフリのいる場所へと進んできた。魚はアユイが持っている。マトリは手ぶらだ。あとでアユイが森の集落へ届けるのだろう。では、マトリはなぜ森に来るのか。

(狩りをするのか。いや、薬草か木の実を探すつもりかもしれない)

 狩りよりも薬や調味料となる草花、木の実などを見つけるほうが、マトリは得意だ。獲れた魚に合うものを、森で収穫しておくつもりかとカブフリは大木の影に身を潜めた。

 自分でも、なぜそうしたのかわからない。ただ、アユイの姿が見えなくなり、こちらの動きがわからなくなるほど遠ざかるまで、気配を殺しておく気になった。

 森にマトリが入ってくる。アユイの姿は完全に見えなくなった。匂いも届かない。カブフリはマトリがより深く森の奥へ進むのを待った。獲物を狙うときとおなじように感覚を研ぎ澄ませて、カブフリはマトリの姿をこちらの匂いが感知されない距離で追った。

(なぜ俺は、こんなことをしているんだ)

 自問に答えはなかった。腹の底でアユイへの対抗心がくすぶっている。

(マトリは俺のものだ)

 独占欲が対抗心と絡まって、奇妙にねじれた。それに気づかず、カブフリはマトリを追う。マトリは森の奥へと進み、繁みの前でしゃがんだ。手を伸ばして草を摘んでいる。鼻を近づけ、深く匂いを吸い込んでほほえむ横顔に、カブフリはとびかかった。

「っ!」

 声も出せずに、マトリはカブフリに組み敷かれた。白銀の髪が草にちらばる。こぼれそうなほど見開かれたマトリの瞳に、カブフリは息を呑んだ。

「きれいだ」

 吐息に声が混じり、自分の言葉にカブフリはあらためて、マトリをきれいだと認識した。

「なにを、言っているんだよ」

 おどろいたまま笑おうとしたマトリの、ぎこちなくゆがんだ笑みにカブフリの心臓がわななく。

「おまえは、俺とツガイになるんだ」

「だからそれは……僕には、そんな気はないって言っているだろう」

 マトリの体から、いままでにはなかった香りが立ち上ってきた。ゴクリと喉を鳴らしたカブフリは、マトリの首筋に鼻を近づける。

「ちょ、カブフリ」

 困惑するマトリを無視して、肌の匂いを鼻孔で味わう。咲き誇る花の蜜に似た甘い匂いがした。発酵した果物の香りにも近い。濃密で甘ったるく、心地よく意識を揺さぶり弛緩させ、魂を引き寄せる酒のようだ。蠱惑的な匂いは、奥底に清らかさを持っていた。そのアンバランスさが見事に調和して、カブフリの芯を揺さぶった。

 熱い息が喉元にせり上がり、カブフリはうっとりとマトリの首に舌を伸ばした。

「ヒッ」

 マトリの喉からちいさな悲鳴がこぼれ出た。ゾクゾクとカブフリの下肢が薄暗い興奮に震えた。

「なにを……カブフリ」

 気丈でいようとするマトリの声は、こまかく震えている。牙を目にしたウサギみたいだ。

(これは、俺の獲物だ)

 だれにも渡さない。

 口を開いたカブフリは、マトリの首筋に噛みついた。

「いたっ……やめ、カブフリ」

 全力で抵抗しているらしいマトリの弱さに、カブフリはあらためておどろいた。これほど脆弱でありながら、だれにも後れを取るまいと努力をしていたのかと、カブフリは顔を上げてマトリを見下ろした。怯えを含んだ目で、懸命ににらんでくるマトリの可憐さがたまらなく愛おしい。

「おまえは、俺とツガイになるんだ」

 ささやいたカブフリに、マトリはきっぱりと言った。

「ならない!」

「なぜだ。だれもがそれを望んでいる。おまえはオメガだ。俺の子を産める」

「だからって、カブフリのツガイにならなきゃいけないわけじゃない」

「俺以外で、おまえのツガイにふさわしい相手がいるとでも思っているのか」

 言った瞬間、カブフリの脳裏にはアユイが浮かんだ。知らず腕に力がこもり、掴まれているマトリが痛みに顔をゆがめる。

「僕は僕のものだ。まわりの希望なんて関係ない。僕は僕が決めた相手とツガイになる」

「俺では不服だと言いたいのか? マトリ……おまえが俺のものだと、知らしめてやる」

 目の前のマトリの姿に、アユイのまぼろしをかぶせたカブフリは、乱暴にマトリの服を剥いでなめらかな素肌に唇を寄せた。

「あっ」

 ちいさな悲鳴を無視して、薄い胸に唇を這わせてズボンの腰ひもを解き、強引にずらすと肉欲を手のひらに包み込んだ。

「っ、カブフリ」

「俺は、おまえを手に入れる。絶対にだ」

 対抗心に燃えるカブフリは、自分の気持ちすらも見失っていた。
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