なりたいものと、できることー弓師になりたいミックス・エルフー

水戸けい

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 ケンカの末に窓から皿が飛び出したとしても、隣の家には届かない程度の間隔を空けて、レンガ造りの家が立ち並んでいる。

 のんびりとした空気に包まれたボースン村の周囲には、森が広がっていた。

 ゆるやかな傾斜を持つ森の先には、大きな山の姿が青白くかすんで見える。その先に、帝都ヴィクスがあった。

 ボースン村のものたちは、帝都を見たことがない。旅の途中で立ち寄った連中から、どんなところか話に聞くだけだった。

 つまり、帝都を知っている人間からすれば、次の町に向かうための休息所であり、食糧などの補給所であり、ちょっとした商売の場所であり、ただの通過点でもある、どこにでもある田舎村だった。

 そんなボースン村の北にある丘の上で、村中の羊がのんびりと過ごしている。それをながめるカターナ・トイは、退屈そうに空に向けて腕を伸ばしながら、あくびをした。

「いい天気」

 空は温かな青色の上に、ふわふわの雲を滑らせている。その景色とおなじように、青いカターナの瞳には、ふわふわの羊の姿が映っていた。陽光を含んで輝くカターナの金色の長い髪は、邪魔にならないよう三つ編みにされている。あるかなしかの風がなでるカターナの肌は血色がよく、白くなめらかだった。細く小さなアゴ。すらりと長い首。小さな唇。耳は上部がとがっている。どこからどう見ても、エルフとしか見えない容姿を、カターナはしていた。

「ねえ、ディル」

 カターナはいっしょに羊の番をしている、ディル・ウィーに声をかけた。顔を向けた少年は、タカの羽根のような茶色の髪に、草色の瞳をしていた。手には腕の半分ほどの長さの、透明な石を埋め込んだ棒を握っている。透明な石の中心は緑に輝き、ディルがそれを動かすごとに、光はふくらんだり縮んだりしていた。

「ディルはバ・ソニュスの森に、行きたいと思う?」

「えっ」

 ディルは目を丸くした。

「バ・ソニュスの森よ。もうすぐ、女神ヴィリアスの豊穣の祭でしょう? 村の畑でソニュスを育ててはいるけれど、豊穣の祭にはやっぱり、野生のソニュス――バ・ソニュスが必要よ。ディルはもう、すっかり魔導師としての力を身につけているし、私だって、ちいさな獲物なら簡単に捕らえられるし、狼だって追い払えるわ。バ・ソニュスを採りに行く役に志願をしても、問題ないと思うの」

「カターナ」

 不安いっぱいの声で、ディルが首を横に振る。

「バ・ソニュスは森の奥にあるんだ。女の子が行くのは、危ないよ」

「あら」

 今度はカターナが目を丸くした。

「それじゃあ、ディルは男の子しか森に入ってはいけないと言うの? 私、ディルよりもずっとうまく、狩りができるわ。だからこうして、ディルといっしょに、羊の番をしているんじゃない」

「そりゃあ、僕はサポートくらいしかできないけれど、それでも男だからね。森の奥にはなにがあるかわからないから、女の子が行くのは賛成できないな」

 カターナは鼻の頭にシワを寄せて、ため息をついた。

「そういうの、カッコいいと思う人もいるかもしれないけど、私はちっともうれしくないわ」

「僕はべつに、格好をつけようと思って言っているわけじゃないよ、カターナ。僕らとおなじくらいの年で、バ・ソニュスを採りに行く役目に選ばれそうなのは、ニルマかマヒワなんじゃないかな。あのふたりはとても強いし、今日だって狩りの仕事をまかされているんだから」

「ニルマ・ラノとマヒワ・タナーね」

 フン、とカターナは鼻を鳴らした。

「あのふたりとディルの3人で、今年の豊穣の祭の準備をするつもりでいるの? そんな話、ちっともしなかったじゃない」

「カターナがバ・ソニュスを採りに行くと言うから、可能性として言っただけで、計画をたてていたわけではないよ」

「本当に?」

「本当だよ」

 ふうんと疑わしげに、カターナはディルを見た。光の加減でグレーに輝く彼女の瞳が、カターナに別の種族の血が混じっていることを示している。ディルは彼女の変化する目の色に、ゴクリと喉を鳴らした。

「まあ、いいわ」

 カターナが視線を外すと、ディルはホッと息をこぼした。

「でも、つまらない。私だって狩りは上手よ。女は危ない、なんて言うのなら、リズはどうなるの。リズは私よりもずっとおとなしくて、女の子らしいのに、狩りの仕事をしているわ」

「リズ・メイラは僕よりも攻撃的な魔術が得意だからね。本人がどう思っているのかは、わからないけれど、魔人の彼女はただの人間の僕なんかより、ずっと魔力が強いんだよ」

「僕なんか、ですって?」

 カターナの声が高くなる。ディルは「しまった」という顔になった。

「そうやって、自分を見下すのってキライだわ。人間だとか魔人だとか、そんなことにこだわっていないで、堂々と自分の得意なことに、胸を張っていればいいじゃない」

 カターナは両腕を広げて、ディルに向き合った。

「リズはたしかに、魔力が強いわ。攻撃的な魔法も得意よ。だけど、おなじ魔導師でも、彼女は羊の世話をまかされたことがない。魔法で羊を誘導して、はぐれないように散歩をさせる仕事は、魔導師がするものなのに」

「それは彼女が、風の魔法を苦手としているからだよ。羊たちがはぐれないようにするには、微風を起こして羊が群れから出て行かないように、囲っておかなきゃいけないし、羊小屋に入れるために、風で誘導もしなくちゃいけないからね」

「でもそれを、ディルはできるわ」

「僕ができる魔法は、回復とか援護とか、そういうものばかりだからね。そういうことしか、できないんだよ」

「ほら、それ!」

 カターナは人差し指をディルの鼻先につきつけた。

「そういうの、謙遜を通り過ぎて、嫌味に聞こえるわよ。できない人間からすれば、すごいことなんだからね」

 腰に手を当てて胸をそらしたカターナの瞳が、わずかに揺らぐ。ディルはハッとして、うなだれた。

「うん。……ごめん」

 彼女はエルフらしい容姿をしているのに、魔力がすこしも備わっていないことを、気にしていたと思い出す。

「ひどいことを、言っちゃったな」

「ディル」

 カターナはなぐさめの色で彼を呼び、ディルの手を取った。

「もっと自分に自信を持って。ニルマほど自信家になんて、ならなくってもいいけど。彼の自信をすこし……、ううん。半分は分けてもらったほうが、いいかもしれない。ディルの魔法はすてきよ」

「狼を追い払えるカターナも、すばらしいよ」

「お互いが」

「逆ならよかったのにね」

 異口同音に発したふたりは、ケラケラと笑い声を立てた。

「お互いの両親が仲良しで、私たちの生まれた日がおんなじだったから、女神ヴィリアスは誕生のプレゼントを逆にしちゃったのよ。仕方がないわ」

「うん、そうだね。仕方がない。ありがとう、カターナ」

 礼を言われるようなことはしていないと、カターナは首をかしげた。

「僕がなさけないから、いつも君にはげましてもらっている」

 はにかむディルに、カターナは首を振った。

「ディルがそうやって、ときどき弱音を吐いてくれるから、私は強くいられるの。誰かが落ち込んでいるときに、クヨクヨなんて、していられないもの。……もしかして、ディル。あなた、私が考え込んで落ち込まないように、わざと弱気なふりをしているんじゃないでしょうね」

「ええっ」

「まあ、そんなに器用じゃないか」

 カターナがニッコリすると、ディルはあいまいな笑みを浮かべた。

「今日はほんとうに、天気がいいわね」

 森の先に目を向けると、遠い山の稜線がくっきりと見える。

「眠たくなりそうだよ」

 ディルは草の上に腰を下ろして、手提げカゴを引き寄せた。かぶせている布を取ると、パンとチーズ、ソニュスの果実とそれを絞って作ったジュースが現れた。

「すこし、休憩をしよう。朝からずっと、羊をながめていて疲れたよ」

「ディルは魔法を使いっぱなしだものね」

 カターナも草に座って、ディルの杖の輝きを見た。透明な石の中心で、緑の光が回転している。

「ディルの瞳みたいだわ」

「僕の目は、こんなにキレイじゃないよ」

「ううん。キレイよ。とってもキレイな緑色。……そういえば、炎の魔法が得意なリズの目は、真っ赤よね。もしかして目の色が、得意な魔法の種類と関係しているのかしら」

 カターナは自分の目元に指をそえた。水筒から木のカップにソニュスのジュースをそそぎつつ、ディルは彼女の瞳を見つめる。

「だとしたら、カターナの空色の目は、のびのびと世界を駆け抜けるって意味かもしれないね」

「えっ?」

「空はどこまでも、途切れることなく続いているだろう? そしてときどき、灰色になって、恵みの雨をもたらすんだ。カターナの目もときどき、灰色に輝く。まるで空みたいだ」

 差し出されたカップを受け取り、カターナは彼のおだやかな笑みを見た。

「世界を駆け抜ける、かぁ」

 その言葉は、カターナの心をくすぐった。

「さあ、食べよう」

 ディルがカゴをカターナの方へ軽く押す。カターナは桃色の、ひと口大のソニュスをつまんで、目の高さに持ち上げるた。

「バ・ソニュスはもっと、淡い色だったわよね」

「野生と栽培とじゃ、色や大きさが変わってくるものだしね。土地の具合によっても違うんだって、前に来た商人が言っていただろう。栄養をたっぷりと与えて育てるソニュスと、森の中で自力で栄養を求めているバ・ソニュスは、違ってあたり前だよ」

「ディルはかしこいのね」

「かしこくなんてないさ。旅人から話を聞くのが、好きなだけだよ」

「それも、商人とか楽士とか、冒険譚なんて聞けそうにない相手のね」

「なにも危険な行為のすべてだけが、冒険ではないよ。自分がいままで、してこなかったことを、新しくはじめたり、知らない土地に出かけたりすることのすべてが、冒険なんだ。この村しか知らない僕が、違う土地の風土や気候、人々の営みなんかを聞いて想像をするのは、ある意味、冒険のひとつなんだよ」

 へえ、とカターナは感心しながら、ソニュスを口に入れた。プツリと薄い皮がはじけて、甘い果肉が舌にのる。それを咀嚼しながら、カターナは彼の言葉に耳をかたむけた。

「この村では、ソニュスが栽培できるけど、そうじゃない土地だってあると聞いたときは、本当におどろいたよ。豊穣の祭に、女神の果実を備えられないなんて、信じられないからね」

 その話はもう、何度も彼に聞かされていた。けれど頬を紅潮させて、楽しそうに語るディルの姿は、遮ろうという考えを押し止める。なによりカターナも、話を聞きながらそんな村を想像するのが、好きだった。

「生の状態でソニュスをよそから運んではこられないから、ソニュスをかたどった彫刻を祭壇に飾るんだ。そして他の果実で作ったジュースやお酒を飲み、村の収穫を祝い、感謝し、最後にはかがり火にソニュスの彫刻をくべて、夜空に届くほど高く火が巻き上がるのをながめ、次の年も豊かであることを祈る。そして干したソニュスと木の実を練りこんだパンを、みんなで食べるんだ」

 カターナは自分の知っている豊穣の祭と、ディルの話とを織り交ぜて想像をふくらませた。
  彫刻のソニュス。

  それはどのくらいの大きさで、誰が彫るのだろう。色はつけるのだろうか。材料は木材らしい。けれど、それをくべたら火が巻き上がるのは、どうしてなのか。考えれば考えるほど、聞きなれた話は新鮮なものとして、カターナの頭の中で展開していく。

「その村の人たちは、生のソニュスを食べたことが、ないのかしら」

「ないと思うよ。だって、干したソニュスでないと、その村まで運べないって聞いたから。水とお酒で戻しても、生とは違うしね」

 カターナはうなずきながら、生のソニュスに手を伸ばす。ひとつの房に、いくつもの丸くみずみずしい実がなっているソニュスは、豊穣の祭の季節に収穫時期を迎える。大量のソニュスは絞られ、あるいは干されたり甘く煮込まれたりして保存され、収穫期以外にも食卓に上る。そういう、加工されたソニュスしか食べられない村は、生のソニュスが食べられないかわりに、この村では味わえないものがあるのではないか。

「その村では、どんな作物が育てられているのかな」

 ぽつりとつぶやいたカターナに、ディルが答えた。

「りんごや、ソニュスによく似たブドウという果物が、あるらしいよ」

「そのブドウを、ソニュスに見立てて女神に捧げたりは、しないのかしら」

「似ていても、別のものだからね。女神をごまかすよりは、木彫りのソニュスを捧げるほうが、いいんじゃないかな。カターナだって、似ていても牛の乳と羊の乳じゃ、ぜんぜん違うと思うだろう?」

 カターナは遠くにある村にある牛舎に目を向けた。牛舎の奥にあるの放牧場で、牛がぼんやりと過ごしている。

「似ているからいいだろうって出されたら、ビックリするわ」

 言いながら、カターナは羊の乳で作ったチーズに手を伸ばした。

「そういうことだよ。女神だって、ソニュスの中にブドウがまざっていたら、きっとビックリなされるさ」

「それなら、食べられないけれど、ソニュスの彫刻のほうがいいかもね。女神ヴィリアスも、あっちこっちでソニュスを捧げられて、食べきれないでしょうから。ひとつくらい置物があっても、いいわよね」

「豊穣の季節のあとには、再生と育みの季節がきて、とても寒いから、薪のかわりにできて、助かるとお考えなのかもしれないよ」

 クスクスと笑いをからませ、ふたりはゆったりと食事をした。
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