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ケンカの末に窓から皿が飛び出したとしても、隣の家には届かない程度の間隔を空けて、レンガ造りの家が立ち並んでいる。
のんびりとした空気に包まれたボースン村の周囲には、森が広がっていた。
ゆるやかな傾斜を持つ森の先には、大きな山の姿が青白くかすんで見える。その先に、帝都ヴィクスがあった。
ボースン村のものたちは、帝都を見たことがない。旅の途中で立ち寄った連中から、どんなところか話に聞くだけだった。
つまり、帝都を知っている人間からすれば、次の町に向かうための休息所であり、食糧などの補給所であり、ちょっとした商売の場所であり、ただの通過点でもある、どこにでもある田舎村だった。
そんなボースン村の北にある丘の上で、村中の羊がのんびりと過ごしている。それをながめるカターナ・トイは、退屈そうに空に向けて腕を伸ばしながら、あくびをした。
「いい天気」
空は温かな青色の上に、ふわふわの雲を滑らせている。その景色とおなじように、青いカターナの瞳には、ふわふわの羊の姿が映っていた。陽光を含んで輝くカターナの金色の長い髪は、邪魔にならないよう三つ編みにされている。あるかなしかの風がなでるカターナの肌は血色がよく、白くなめらかだった。細く小さなアゴ。すらりと長い首。小さな唇。耳は上部がとがっている。どこからどう見ても、エルフとしか見えない容姿を、カターナはしていた。
「ねえ、ディル」
カターナはいっしょに羊の番をしている、ディル・ウィーに声をかけた。顔を向けた少年は、タカの羽根のような茶色の髪に、草色の瞳をしていた。手には腕の半分ほどの長さの、透明な石を埋め込んだ棒を握っている。透明な石の中心は緑に輝き、ディルがそれを動かすごとに、光はふくらんだり縮んだりしていた。
「ディルはバ・ソニュスの森に、行きたいと思う?」
「えっ」
ディルは目を丸くした。
「バ・ソニュスの森よ。もうすぐ、女神ヴィリアスの豊穣の祭でしょう? 村の畑でソニュスを育ててはいるけれど、豊穣の祭にはやっぱり、野生のソニュス――バ・ソニュスが必要よ。ディルはもう、すっかり魔導師としての力を身につけているし、私だって、ちいさな獲物なら簡単に捕らえられるし、狼だって追い払えるわ。バ・ソニュスを採りに行く役に志願をしても、問題ないと思うの」
「カターナ」
不安いっぱいの声で、ディルが首を横に振る。
「バ・ソニュスは森の奥にあるんだ。女の子が行くのは、危ないよ」
「あら」
今度はカターナが目を丸くした。
「それじゃあ、ディルは男の子しか森に入ってはいけないと言うの? 私、ディルよりもずっとうまく、狩りができるわ。だからこうして、ディルといっしょに、羊の番をしているんじゃない」
「そりゃあ、僕はサポートくらいしかできないけれど、それでも男だからね。森の奥にはなにがあるかわからないから、女の子が行くのは賛成できないな」
カターナは鼻の頭にシワを寄せて、ため息をついた。
「そういうの、カッコいいと思う人もいるかもしれないけど、私はちっともうれしくないわ」
「僕はべつに、格好をつけようと思って言っているわけじゃないよ、カターナ。僕らとおなじくらいの年で、バ・ソニュスを採りに行く役目に選ばれそうなのは、ニルマかマヒワなんじゃないかな。あのふたりはとても強いし、今日だって狩りの仕事をまかされているんだから」
「ニルマ・ラノとマヒワ・タナーね」
フン、とカターナは鼻を鳴らした。
「あのふたりとディルの3人で、今年の豊穣の祭の準備をするつもりでいるの? そんな話、ちっともしなかったじゃない」
「カターナがバ・ソニュスを採りに行くと言うから、可能性として言っただけで、計画をたてていたわけではないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
ふうんと疑わしげに、カターナはディルを見た。光の加減でグレーに輝く彼女の瞳が、カターナに別の種族の血が混じっていることを示している。ディルは彼女の変化する目の色に、ゴクリと喉を鳴らした。
「まあ、いいわ」
カターナが視線を外すと、ディルはホッと息をこぼした。
「でも、つまらない。私だって狩りは上手よ。女は危ない、なんて言うのなら、リズはどうなるの。リズは私よりもずっとおとなしくて、女の子らしいのに、狩りの仕事をしているわ」
「リズ・メイラは僕よりも攻撃的な魔術が得意だからね。本人がどう思っているのかは、わからないけれど、魔人の彼女はただの人間の僕なんかより、ずっと魔力が強いんだよ」
「僕なんか、ですって?」
カターナの声が高くなる。ディルは「しまった」という顔になった。
「そうやって、自分を見下すのってキライだわ。人間だとか魔人だとか、そんなことにこだわっていないで、堂々と自分の得意なことに、胸を張っていればいいじゃない」
カターナは両腕を広げて、ディルに向き合った。
「リズはたしかに、魔力が強いわ。攻撃的な魔法も得意よ。だけど、おなじ魔導師でも、彼女は羊の世話をまかされたことがない。魔法で羊を誘導して、はぐれないように散歩をさせる仕事は、魔導師がするものなのに」
「それは彼女が、風の魔法を苦手としているからだよ。羊たちがはぐれないようにするには、微風を起こして羊が群れから出て行かないように、囲っておかなきゃいけないし、羊小屋に入れるために、風で誘導もしなくちゃいけないからね」
「でもそれを、ディルはできるわ」
「僕ができる魔法は、回復とか援護とか、そういうものばかりだからね。そういうことしか、できないんだよ」
「ほら、それ!」
カターナは人差し指をディルの鼻先につきつけた。
「そういうの、謙遜を通り過ぎて、嫌味に聞こえるわよ。できない人間からすれば、すごいことなんだからね」
腰に手を当てて胸をそらしたカターナの瞳が、わずかに揺らぐ。ディルはハッとして、うなだれた。
「うん。……ごめん」
彼女はエルフらしい容姿をしているのに、魔力がすこしも備わっていないことを、気にしていたと思い出す。
「ひどいことを、言っちゃったな」
「ディル」
カターナはなぐさめの色で彼を呼び、ディルの手を取った。
「もっと自分に自信を持って。ニルマほど自信家になんて、ならなくってもいいけど。彼の自信をすこし……、ううん。半分は分けてもらったほうが、いいかもしれない。ディルの魔法はすてきよ」
「狼を追い払えるカターナも、すばらしいよ」
「お互いが」
「逆ならよかったのにね」
異口同音に発したふたりは、ケラケラと笑い声を立てた。
「お互いの両親が仲良しで、私たちの生まれた日がおんなじだったから、女神ヴィリアスは誕生のプレゼントを逆にしちゃったのよ。仕方がないわ」
「うん、そうだね。仕方がない。ありがとう、カターナ」
礼を言われるようなことはしていないと、カターナは首をかしげた。
「僕がなさけないから、いつも君にはげましてもらっている」
はにかむディルに、カターナは首を振った。
「ディルがそうやって、ときどき弱音を吐いてくれるから、私は強くいられるの。誰かが落ち込んでいるときに、クヨクヨなんて、していられないもの。……もしかして、ディル。あなた、私が考え込んで落ち込まないように、わざと弱気なふりをしているんじゃないでしょうね」
「ええっ」
「まあ、そんなに器用じゃないか」
カターナがニッコリすると、ディルはあいまいな笑みを浮かべた。
「今日はほんとうに、天気がいいわね」
森の先に目を向けると、遠い山の稜線がくっきりと見える。
「眠たくなりそうだよ」
ディルは草の上に腰を下ろして、手提げカゴを引き寄せた。かぶせている布を取ると、パンとチーズ、ソニュスの果実とそれを絞って作ったジュースが現れた。
「すこし、休憩をしよう。朝からずっと、羊をながめていて疲れたよ」
「ディルは魔法を使いっぱなしだものね」
カターナも草に座って、ディルの杖の輝きを見た。透明な石の中心で、緑の光が回転している。
「ディルの瞳みたいだわ」
「僕の目は、こんなにキレイじゃないよ」
「ううん。キレイよ。とってもキレイな緑色。……そういえば、炎の魔法が得意なリズの目は、真っ赤よね。もしかして目の色が、得意な魔法の種類と関係しているのかしら」
カターナは自分の目元に指をそえた。水筒から木のカップにソニュスのジュースをそそぎつつ、ディルは彼女の瞳を見つめる。
「だとしたら、カターナの空色の目は、のびのびと世界を駆け抜けるって意味かもしれないね」
「えっ?」
「空はどこまでも、途切れることなく続いているだろう? そしてときどき、灰色になって、恵みの雨をもたらすんだ。カターナの目もときどき、灰色に輝く。まるで空みたいだ」
差し出されたカップを受け取り、カターナは彼のおだやかな笑みを見た。
「世界を駆け抜ける、かぁ」
その言葉は、カターナの心をくすぐった。
「さあ、食べよう」
ディルがカゴをカターナの方へ軽く押す。カターナは桃色の、ひと口大のソニュスをつまんで、目の高さに持ち上げるた。
「バ・ソニュスはもっと、淡い色だったわよね」
「野生と栽培とじゃ、色や大きさが変わってくるものだしね。土地の具合によっても違うんだって、前に来た商人が言っていただろう。栄養をたっぷりと与えて育てるソニュスと、森の中で自力で栄養を求めているバ・ソニュスは、違ってあたり前だよ」
「ディルはかしこいのね」
「かしこくなんてないさ。旅人から話を聞くのが、好きなだけだよ」
「それも、商人とか楽士とか、冒険譚なんて聞けそうにない相手のね」
「なにも危険な行為のすべてだけが、冒険ではないよ。自分がいままで、してこなかったことを、新しくはじめたり、知らない土地に出かけたりすることのすべてが、冒険なんだ。この村しか知らない僕が、違う土地の風土や気候、人々の営みなんかを聞いて想像をするのは、ある意味、冒険のひとつなんだよ」
へえ、とカターナは感心しながら、ソニュスを口に入れた。プツリと薄い皮がはじけて、甘い果肉が舌にのる。それを咀嚼しながら、カターナは彼の言葉に耳をかたむけた。
「この村では、ソニュスが栽培できるけど、そうじゃない土地だってあると聞いたときは、本当におどろいたよ。豊穣の祭に、女神の果実を備えられないなんて、信じられないからね」
その話はもう、何度も彼に聞かされていた。けれど頬を紅潮させて、楽しそうに語るディルの姿は、遮ろうという考えを押し止める。なによりカターナも、話を聞きながらそんな村を想像するのが、好きだった。
「生の状態でソニュスをよそから運んではこられないから、ソニュスをかたどった彫刻を祭壇に飾るんだ。そして他の果実で作ったジュースやお酒を飲み、村の収穫を祝い、感謝し、最後にはかがり火にソニュスの彫刻をくべて、夜空に届くほど高く火が巻き上がるのをながめ、次の年も豊かであることを祈る。そして干したソニュスと木の実を練りこんだパンを、みんなで食べるんだ」
カターナは自分の知っている豊穣の祭と、ディルの話とを織り交ぜて想像をふくらませた。
彫刻のソニュス。
それはどのくらいの大きさで、誰が彫るのだろう。色はつけるのだろうか。材料は木材らしい。けれど、それをくべたら火が巻き上がるのは、どうしてなのか。考えれば考えるほど、聞きなれた話は新鮮なものとして、カターナの頭の中で展開していく。
「その村の人たちは、生のソニュスを食べたことが、ないのかしら」
「ないと思うよ。だって、干したソニュスでないと、その村まで運べないって聞いたから。水とお酒で戻しても、生とは違うしね」
カターナはうなずきながら、生のソニュスに手を伸ばす。ひとつの房に、いくつもの丸くみずみずしい実がなっているソニュスは、豊穣の祭の季節に収穫時期を迎える。大量のソニュスは絞られ、あるいは干されたり甘く煮込まれたりして保存され、収穫期以外にも食卓に上る。そういう、加工されたソニュスしか食べられない村は、生のソニュスが食べられないかわりに、この村では味わえないものがあるのではないか。
「その村では、どんな作物が育てられているのかな」
ぽつりとつぶやいたカターナに、ディルが答えた。
「りんごや、ソニュスによく似たブドウという果物が、あるらしいよ」
「そのブドウを、ソニュスに見立てて女神に捧げたりは、しないのかしら」
「似ていても、別のものだからね。女神をごまかすよりは、木彫りのソニュスを捧げるほうが、いいんじゃないかな。カターナだって、似ていても牛の乳と羊の乳じゃ、ぜんぜん違うと思うだろう?」
カターナは遠くにある村にある牛舎に目を向けた。牛舎の奥にあるの放牧場で、牛がぼんやりと過ごしている。
「似ているからいいだろうって出されたら、ビックリするわ」
言いながら、カターナは羊の乳で作ったチーズに手を伸ばした。
「そういうことだよ。女神だって、ソニュスの中にブドウがまざっていたら、きっとビックリなされるさ」
「それなら、食べられないけれど、ソニュスの彫刻のほうがいいかもね。女神ヴィリアスも、あっちこっちでソニュスを捧げられて、食べきれないでしょうから。ひとつくらい置物があっても、いいわよね」
「豊穣の季節のあとには、再生と育みの季節がきて、とても寒いから、薪のかわりにできて、助かるとお考えなのかもしれないよ」
クスクスと笑いをからませ、ふたりはゆったりと食事をした。
のんびりとした空気に包まれたボースン村の周囲には、森が広がっていた。
ゆるやかな傾斜を持つ森の先には、大きな山の姿が青白くかすんで見える。その先に、帝都ヴィクスがあった。
ボースン村のものたちは、帝都を見たことがない。旅の途中で立ち寄った連中から、どんなところか話に聞くだけだった。
つまり、帝都を知っている人間からすれば、次の町に向かうための休息所であり、食糧などの補給所であり、ちょっとした商売の場所であり、ただの通過点でもある、どこにでもある田舎村だった。
そんなボースン村の北にある丘の上で、村中の羊がのんびりと過ごしている。それをながめるカターナ・トイは、退屈そうに空に向けて腕を伸ばしながら、あくびをした。
「いい天気」
空は温かな青色の上に、ふわふわの雲を滑らせている。その景色とおなじように、青いカターナの瞳には、ふわふわの羊の姿が映っていた。陽光を含んで輝くカターナの金色の長い髪は、邪魔にならないよう三つ編みにされている。あるかなしかの風がなでるカターナの肌は血色がよく、白くなめらかだった。細く小さなアゴ。すらりと長い首。小さな唇。耳は上部がとがっている。どこからどう見ても、エルフとしか見えない容姿を、カターナはしていた。
「ねえ、ディル」
カターナはいっしょに羊の番をしている、ディル・ウィーに声をかけた。顔を向けた少年は、タカの羽根のような茶色の髪に、草色の瞳をしていた。手には腕の半分ほどの長さの、透明な石を埋め込んだ棒を握っている。透明な石の中心は緑に輝き、ディルがそれを動かすごとに、光はふくらんだり縮んだりしていた。
「ディルはバ・ソニュスの森に、行きたいと思う?」
「えっ」
ディルは目を丸くした。
「バ・ソニュスの森よ。もうすぐ、女神ヴィリアスの豊穣の祭でしょう? 村の畑でソニュスを育ててはいるけれど、豊穣の祭にはやっぱり、野生のソニュス――バ・ソニュスが必要よ。ディルはもう、すっかり魔導師としての力を身につけているし、私だって、ちいさな獲物なら簡単に捕らえられるし、狼だって追い払えるわ。バ・ソニュスを採りに行く役に志願をしても、問題ないと思うの」
「カターナ」
不安いっぱいの声で、ディルが首を横に振る。
「バ・ソニュスは森の奥にあるんだ。女の子が行くのは、危ないよ」
「あら」
今度はカターナが目を丸くした。
「それじゃあ、ディルは男の子しか森に入ってはいけないと言うの? 私、ディルよりもずっとうまく、狩りができるわ。だからこうして、ディルといっしょに、羊の番をしているんじゃない」
「そりゃあ、僕はサポートくらいしかできないけれど、それでも男だからね。森の奥にはなにがあるかわからないから、女の子が行くのは賛成できないな」
カターナは鼻の頭にシワを寄せて、ため息をついた。
「そういうの、カッコいいと思う人もいるかもしれないけど、私はちっともうれしくないわ」
「僕はべつに、格好をつけようと思って言っているわけじゃないよ、カターナ。僕らとおなじくらいの年で、バ・ソニュスを採りに行く役目に選ばれそうなのは、ニルマかマヒワなんじゃないかな。あのふたりはとても強いし、今日だって狩りの仕事をまかされているんだから」
「ニルマ・ラノとマヒワ・タナーね」
フン、とカターナは鼻を鳴らした。
「あのふたりとディルの3人で、今年の豊穣の祭の準備をするつもりでいるの? そんな話、ちっともしなかったじゃない」
「カターナがバ・ソニュスを採りに行くと言うから、可能性として言っただけで、計画をたてていたわけではないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
ふうんと疑わしげに、カターナはディルを見た。光の加減でグレーに輝く彼女の瞳が、カターナに別の種族の血が混じっていることを示している。ディルは彼女の変化する目の色に、ゴクリと喉を鳴らした。
「まあ、いいわ」
カターナが視線を外すと、ディルはホッと息をこぼした。
「でも、つまらない。私だって狩りは上手よ。女は危ない、なんて言うのなら、リズはどうなるの。リズは私よりもずっとおとなしくて、女の子らしいのに、狩りの仕事をしているわ」
「リズ・メイラは僕よりも攻撃的な魔術が得意だからね。本人がどう思っているのかは、わからないけれど、魔人の彼女はただの人間の僕なんかより、ずっと魔力が強いんだよ」
「僕なんか、ですって?」
カターナの声が高くなる。ディルは「しまった」という顔になった。
「そうやって、自分を見下すのってキライだわ。人間だとか魔人だとか、そんなことにこだわっていないで、堂々と自分の得意なことに、胸を張っていればいいじゃない」
カターナは両腕を広げて、ディルに向き合った。
「リズはたしかに、魔力が強いわ。攻撃的な魔法も得意よ。だけど、おなじ魔導師でも、彼女は羊の世話をまかされたことがない。魔法で羊を誘導して、はぐれないように散歩をさせる仕事は、魔導師がするものなのに」
「それは彼女が、風の魔法を苦手としているからだよ。羊たちがはぐれないようにするには、微風を起こして羊が群れから出て行かないように、囲っておかなきゃいけないし、羊小屋に入れるために、風で誘導もしなくちゃいけないからね」
「でもそれを、ディルはできるわ」
「僕ができる魔法は、回復とか援護とか、そういうものばかりだからね。そういうことしか、できないんだよ」
「ほら、それ!」
カターナは人差し指をディルの鼻先につきつけた。
「そういうの、謙遜を通り過ぎて、嫌味に聞こえるわよ。できない人間からすれば、すごいことなんだからね」
腰に手を当てて胸をそらしたカターナの瞳が、わずかに揺らぐ。ディルはハッとして、うなだれた。
「うん。……ごめん」
彼女はエルフらしい容姿をしているのに、魔力がすこしも備わっていないことを、気にしていたと思い出す。
「ひどいことを、言っちゃったな」
「ディル」
カターナはなぐさめの色で彼を呼び、ディルの手を取った。
「もっと自分に自信を持って。ニルマほど自信家になんて、ならなくってもいいけど。彼の自信をすこし……、ううん。半分は分けてもらったほうが、いいかもしれない。ディルの魔法はすてきよ」
「狼を追い払えるカターナも、すばらしいよ」
「お互いが」
「逆ならよかったのにね」
異口同音に発したふたりは、ケラケラと笑い声を立てた。
「お互いの両親が仲良しで、私たちの生まれた日がおんなじだったから、女神ヴィリアスは誕生のプレゼントを逆にしちゃったのよ。仕方がないわ」
「うん、そうだね。仕方がない。ありがとう、カターナ」
礼を言われるようなことはしていないと、カターナは首をかしげた。
「僕がなさけないから、いつも君にはげましてもらっている」
はにかむディルに、カターナは首を振った。
「ディルがそうやって、ときどき弱音を吐いてくれるから、私は強くいられるの。誰かが落ち込んでいるときに、クヨクヨなんて、していられないもの。……もしかして、ディル。あなた、私が考え込んで落ち込まないように、わざと弱気なふりをしているんじゃないでしょうね」
「ええっ」
「まあ、そんなに器用じゃないか」
カターナがニッコリすると、ディルはあいまいな笑みを浮かべた。
「今日はほんとうに、天気がいいわね」
森の先に目を向けると、遠い山の稜線がくっきりと見える。
「眠たくなりそうだよ」
ディルは草の上に腰を下ろして、手提げカゴを引き寄せた。かぶせている布を取ると、パンとチーズ、ソニュスの果実とそれを絞って作ったジュースが現れた。
「すこし、休憩をしよう。朝からずっと、羊をながめていて疲れたよ」
「ディルは魔法を使いっぱなしだものね」
カターナも草に座って、ディルの杖の輝きを見た。透明な石の中心で、緑の光が回転している。
「ディルの瞳みたいだわ」
「僕の目は、こんなにキレイじゃないよ」
「ううん。キレイよ。とってもキレイな緑色。……そういえば、炎の魔法が得意なリズの目は、真っ赤よね。もしかして目の色が、得意な魔法の種類と関係しているのかしら」
カターナは自分の目元に指をそえた。水筒から木のカップにソニュスのジュースをそそぎつつ、ディルは彼女の瞳を見つめる。
「だとしたら、カターナの空色の目は、のびのびと世界を駆け抜けるって意味かもしれないね」
「えっ?」
「空はどこまでも、途切れることなく続いているだろう? そしてときどき、灰色になって、恵みの雨をもたらすんだ。カターナの目もときどき、灰色に輝く。まるで空みたいだ」
差し出されたカップを受け取り、カターナは彼のおだやかな笑みを見た。
「世界を駆け抜ける、かぁ」
その言葉は、カターナの心をくすぐった。
「さあ、食べよう」
ディルがカゴをカターナの方へ軽く押す。カターナは桃色の、ひと口大のソニュスをつまんで、目の高さに持ち上げるた。
「バ・ソニュスはもっと、淡い色だったわよね」
「野生と栽培とじゃ、色や大きさが変わってくるものだしね。土地の具合によっても違うんだって、前に来た商人が言っていただろう。栄養をたっぷりと与えて育てるソニュスと、森の中で自力で栄養を求めているバ・ソニュスは、違ってあたり前だよ」
「ディルはかしこいのね」
「かしこくなんてないさ。旅人から話を聞くのが、好きなだけだよ」
「それも、商人とか楽士とか、冒険譚なんて聞けそうにない相手のね」
「なにも危険な行為のすべてだけが、冒険ではないよ。自分がいままで、してこなかったことを、新しくはじめたり、知らない土地に出かけたりすることのすべてが、冒険なんだ。この村しか知らない僕が、違う土地の風土や気候、人々の営みなんかを聞いて想像をするのは、ある意味、冒険のひとつなんだよ」
へえ、とカターナは感心しながら、ソニュスを口に入れた。プツリと薄い皮がはじけて、甘い果肉が舌にのる。それを咀嚼しながら、カターナは彼の言葉に耳をかたむけた。
「この村では、ソニュスが栽培できるけど、そうじゃない土地だってあると聞いたときは、本当におどろいたよ。豊穣の祭に、女神の果実を備えられないなんて、信じられないからね」
その話はもう、何度も彼に聞かされていた。けれど頬を紅潮させて、楽しそうに語るディルの姿は、遮ろうという考えを押し止める。なによりカターナも、話を聞きながらそんな村を想像するのが、好きだった。
「生の状態でソニュスをよそから運んではこられないから、ソニュスをかたどった彫刻を祭壇に飾るんだ。そして他の果実で作ったジュースやお酒を飲み、村の収穫を祝い、感謝し、最後にはかがり火にソニュスの彫刻をくべて、夜空に届くほど高く火が巻き上がるのをながめ、次の年も豊かであることを祈る。そして干したソニュスと木の実を練りこんだパンを、みんなで食べるんだ」
カターナは自分の知っている豊穣の祭と、ディルの話とを織り交ぜて想像をふくらませた。
彫刻のソニュス。
それはどのくらいの大きさで、誰が彫るのだろう。色はつけるのだろうか。材料は木材らしい。けれど、それをくべたら火が巻き上がるのは、どうしてなのか。考えれば考えるほど、聞きなれた話は新鮮なものとして、カターナの頭の中で展開していく。
「その村の人たちは、生のソニュスを食べたことが、ないのかしら」
「ないと思うよ。だって、干したソニュスでないと、その村まで運べないって聞いたから。水とお酒で戻しても、生とは違うしね」
カターナはうなずきながら、生のソニュスに手を伸ばす。ひとつの房に、いくつもの丸くみずみずしい実がなっているソニュスは、豊穣の祭の季節に収穫時期を迎える。大量のソニュスは絞られ、あるいは干されたり甘く煮込まれたりして保存され、収穫期以外にも食卓に上る。そういう、加工されたソニュスしか食べられない村は、生のソニュスが食べられないかわりに、この村では味わえないものがあるのではないか。
「その村では、どんな作物が育てられているのかな」
ぽつりとつぶやいたカターナに、ディルが答えた。
「りんごや、ソニュスによく似たブドウという果物が、あるらしいよ」
「そのブドウを、ソニュスに見立てて女神に捧げたりは、しないのかしら」
「似ていても、別のものだからね。女神をごまかすよりは、木彫りのソニュスを捧げるほうが、いいんじゃないかな。カターナだって、似ていても牛の乳と羊の乳じゃ、ぜんぜん違うと思うだろう?」
カターナは遠くにある村にある牛舎に目を向けた。牛舎の奥にあるの放牧場で、牛がぼんやりと過ごしている。
「似ているからいいだろうって出されたら、ビックリするわ」
言いながら、カターナは羊の乳で作ったチーズに手を伸ばした。
「そういうことだよ。女神だって、ソニュスの中にブドウがまざっていたら、きっとビックリなされるさ」
「それなら、食べられないけれど、ソニュスの彫刻のほうがいいかもね。女神ヴィリアスも、あっちこっちでソニュスを捧げられて、食べきれないでしょうから。ひとつくらい置物があっても、いいわよね」
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短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
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