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「悪くない」
「おぉおおおっ」
ニルマが吼える。アルテはうなる剣戟を軽々とかわして、ニルマのわき腹に蹴りを入れた。
「ぐっ、ぅうう」
一瞬、動きを止めたニルマは足を踏ん張り、拳を振るった。
「そうだ。それでいい」
アルテはニルマの猛攻を踊るような足取りでかわしつつ、蹴りを入れたり剣で打ちすえたりしている。
「……す、ごい」
リズがぽつりとこぼし、カターナは息を呑んだ。ニルマは完全に、アルテの手玉に取られている。これが旅の剣師の実力なのかと、カターナは身を奮わせた。
あのくらいにならなければ、外に冒険になんて出られない。
カターナは興奮に身をふくらませて、リズの手を握った。
「ねえ、リズ。……私、もっともっと腕をみがいて、狩りどころか森の奥に入りたい。今年の豊穣の祭に、バ・ソニュスを採りに行きたいの」
「カターナ」
リズが細い声を出す。カターナは希望に目を輝かせた。
「私の射的がどうしてだめなのか、あっという間にアルテさんは見抜いたわ。その対処法もきっと、すぐに見つかるはずよ。そうすれば、バ・ソニュスの収穫を許可されるかもしれない。――ううん。きっと私、行ってみせる」
リズの赤い瞳が心配に揺れる。カターナは大丈夫よと視線で示した。キュッと唇を結んだリズが、声を震わせる。
「わ、私も……」
「ん?」
「それなら、私も……、あの、怖いけど……、あの人がニルマにかけた闇の魔法、覚える。それで、カターナといっしょに行くわ。きっとディルも、そのつもりなんだと思う。ニルマも、行きたいって……、そう、言っていたし」
「そっか。それなら、マヒワもそう言うかもしれないわね」
リズが「どうして」とまばたきで問う。
「だって私たち、なにかをするときは、だいたいこの5人のうちの誰かと、組まされて仕事を割り振られているでしょう? 仲間意識っていうのかな。そういうの、あると思うの。マヒワってあんまりしゃべらないし、表情もそんなに変わらないから、なにを考えているのか、わかんないところあるけど。でも、仕事の割り振りをされるとき、狩りの組ではニルマかリズのいる組に、自分から入りたがるって、おとうさまが言っていたわ」
「……そう、かも」
でしょう、とカターナは笑みで伝えた。
「だから、きっとマヒワも行きたがるわ」
カターナはアルテとニルマに視線を戻す。ニルマは剣と拳を使い分け、アルテに迫っていた。アルテはニルマの動きを指摘しながら、軽々と攻撃をかわしている。
「私たち5人で、バ・ソニュスを採りに行きたいな」
ぽつりとカターナがこぼすと、リズはそっと、ひかえめにうなずいた。
突進をしたニルマを、アルテが半円を描いてかわす。
「これで、終わりだ」
高く上がったアルテのかかとが、ニルマの背に落ちた。
「ぐっ」
短くうめいたニルマの体が、地面に落ちる。リズがカターナの腕を強く掴み、縮めた体を伸ばすように、ニルマに駆け寄った。
「ニルマ……」
不安そうに手を出すリズに手を振って、大丈夫だと示しながら、剣を杖がわりに立ち上がったニルマの肩を、アルテが叩く。
「筋は悪くない。根性もあるようだ。これにこりなければ、また稽古をつけてやろう」
ニルマは忌々しそうにアルテをにらみ、それでも頼むと頭を下げた。ニルマが頭を下げるところなど、見たこともないカターナとリズが目を丸くする。
「リズ。ニルマにはかすり傷ひとつ、ついていないだろう? これを覚えておくと、便利だとは思わないか」
コクリと首を動かしたリズは、おずおずとアルテを見上げた。
「あ、あの……、教えて、ください」
「そのつもりだ。そんなに難しいものじゃないから、数時間で覚えられるだろう」
「……そんなに、すぐに?」
リズの目が丸くなる。
「この村では必要とされていないから、教えるものがいないだけだ。……おそらくな」
丸く開いた目をしばたたかせて、リズは何度もうなずいた。
「さて、カターナ」
次は自分が教わるのだと、カターナはウキウキしながらアルテに駆け寄った。
「ついでだ。ここで、君もオレに挑んでみろ」
「え?」
「いいから」
「う、うん」
戸惑いながらカターナが弓を掴むと、違うとアルテが首を振る。
「弓と矢は置くんだ」
カターナはキョトンとした。アルテの言っている意味がわからない。
「アルテに挑むんでしょう? 私は弓師よ。武器を置くなんて、おかしいじゃない」
「だからこそ、置くんだ」
わけがわからない。しかし、彼にはなにか考えがあるのだろうと、カターナは弓と矢筒を地面に並べた。
「丸腰で、どうすればいいの」
「君はまだ、武器を身につけているだろう」
アゴで腰の短剣を示されて、カターナはとまどった。
「私は弓師よ」
「わかっている。だが、いまはそれでオレに挑んでこい」
不満に顔をしかめたが、カターナは腰を沈めて短剣の柄に指をかけた。これもきっと、弓を射るのに必要ななにかを、見極めるために違いない。それならば全力で彼に挑もうと、覚悟を決める。
村の大人が高く評価しているニルマ相手に、余裕のある動きを見せていたアルテには、持ちうるものを出しきらなければ、きっと次のことを教えてもらえない。
そう考えたカターナは、胸深くに息を吸いこみ、狼に向かうときのように神経を研ぎ澄ませた。アルテはニルマのときと同様、なんの構えもしていない。
細く鋭い息を吐き出し、カターナは地面すれすれに倒れこむような態勢で、草を蹴った。アルテの足首めがけて短剣を引き抜く。刃は空気を切り裂いた。カターナは地に手をついて勢いを殺し、背中越しに蹴りを繰り出す。それも空を切った。その反動を利用して起き上がれば、編まれた髪の先が高い位置に浮かぶ。毛先が落下するより前に腰をひねり、腕を体に引き寄せて回転したカターナは、アルテの体に身を寄せた。腰に短剣を据えて、体当たりを試みる。
「いい動きだ」
アルテはわずかに身をずらし、それをかわした。カターナは態勢がくずれる前に足を出し、軸足を変えてアルテに挑む。カターナの動きに翻弄された彼女の長い髪は、陽光にきらめきながら宙を舞い続けた。
「……カターナ」
リズが祈るように胸の前で指を組み、見守っている。ニルマは苦々しげに、ふたりの様子をながめていた。
「誰かに体術を教わったのか」
アルテの問いに答える余裕を、カターナは持っていなかった。狼よりも大きな体で、狼よりも動きのはやいアルテを追いかけるだけで、せいいっぱいだ。息が苦しい。胸当てが、彼に締められた状態のままだったら、とっくに窒息で倒れているただろうと、カターナは頭の片隅で思いながら、短剣を繰り出した。体中の毛穴から汗が吹き出し、息が上がる。苦しいけれど、妙な充足が四肢に満ちていた。
楽しいとすら、感じている。
「もういい。ここまでだ」
腕を掴まれ、カターナは動きを止めた。軽く握られているだけなのに、全身を掴まれているような感じがする。肩で息をしながらアルテを見ると、彼は汗ひとつかかず、息も乱れていなかった。
「よくわかった。カターナ、あらためて聞く。誰かに体術を習ったのか」
カターナは首を振った。
「強いて言えば、森の獣たちよ」
弓の練習をしているときに、目を凝らして獲物となる獣の動きを追っていた。羊を狙う狼の動きも、全身で見るような感覚でいた。それを真似ることが、カターナの体術の基盤となっている。
「なるほど。目がいいんだな」
「弓で追い払えないぶん、動きをはやくしようと思ったの。エルフは森の妖精って言われているでしょう? そんなふうに、森の獣のように動けるようになろうって、弓の練習とおなじくらい、運動もしていたの」
まだ息が整わない。カターナはアルテが怪物に見えた。
「なるほど、いい判断だ。これからも続けたほうがいい」
「弓師と、関係があることなの?」
「そうだな。ないとは言いきれない」
どういうことかとカターナが問う前に、アルテが口を開く。
「オレはすこし用事を思いついた。村の見学ついでに、用事を済ませてくる。疲れただろう。ゆっくり休むがいい。休息も、大切だからな」
ひらりと手を振り、アルテが背を向け歩きだす。それを追いかける気力も、呼び止める余裕もなく、カターナはくずおれるように座った。
「カターナ」
リズが駆け寄る。
「これ」
水筒を差し出され、カターナは目で礼を言うと口をつけた。中身はソニュスのジュースだった。ほんのりとした酸味のある甘い果汁が、疲れた体に心地いい。
「カターナがあんなに動けるなんて、私、ちっとも知らなかったわ」
リズの肩越しにニルマを見ながら、カターナは首を振った。ニルマは険しい顔で、ひとり鍛錬に励むため、森へと向かった。その背を視線で追いながら、カターナは口を開いた。
「ぜんぜん、すごくないわ」
呼吸が整うにつれて、カターナの心は低い場所に落ちていく。
リズが不思議そうに首をかしげた。
「でも……、あんなに動いて、すごくはやかったし。それに、その……、なんて言ったらいいのか」
うまく言葉が見つからず、顔をくもらせるリズに、カターナは笑みを浮かべて首を振った。
「そういうことじゃないの。ありがとう、リズ。ごめんね……。私、弓師なのに、あんなふうに試されて、もしかしてアルテさんに、弓師じゃない道を勧められるのかもって、思ったんだ」
「……カターナ」
「村の皆は、私を弓師だって認めてくれてる。だけど、旅をしてきたアルテさんからすれば、すごく甘い状態なんだろうなって。ニルマだってかなわなかったし、私もちっともかなわなかったから」
カターナは笑みを消した。
「……さっき、アルテさんに私の矢が左にそれる理由を、教えてもらったの」
カターナは弱音を吐き出したかった。リズは真剣な案じ顔で、カターナの言葉を聞いている。
「胸当てをきつくして、射的のときに胸が弦に当たらないようにすれば、いいだけだった。そんな簡単なことに、私はずっと気づけなかったし、誰もそれを指摘しなかった」
「それは……、気づいていても、指摘、しづらかったと思う」
リズの頬が、ほんのりと赤くなる。カターナは「そうね」と応じた。
「そうかもしれない。でも、それを指摘しなくても、問題なかったってことなんだと思う。狩りはダメだけど、それ以外の村の仕事は、狙いを外す弓師でも、問題ないんだって」
カターナはくやしさに顔をゆがめた。
「弓師はやっぱり向いてないって、他の職業にしないと狩りにも出られないままだって言われたら、どうしよう」
脛を引き寄せて、膝に顔を伏せたカターナの背中を、リズがそっと抱きしめる。カターナはアルテに挑んでいるときに感じた、四肢のよろこびに身を震わせた。
「自分でも、本当はわかっているの。弓師より、闘師のほうが向いているって。そっちを磨いたほうが、バ・ソニュスの収穫に出させてもらえる可能性が、ずっと高くなるって」
「カターナ」
リズの厳しい声に、カターナはおどろいた。おそるおそる顔を上げれば、泣きそうな顔でリズがにらんでいる。
「……リズ?」
「カターナ、さっきと言っていることが違う。さっき私に、言ってくれたよ? アルテさんがすぐに、射的がだめな理由、見つけてくれたって……。だから対処法もきっと、すぐに見つかるはずだって。……そうすれば、バ・ソニュスの収穫に行けるかもしれないって、うれしそうに言ってた。5人で、バ・ソニュスを採りに行きたいなって…………。そうなったらいいなって、私、うれしくなって。だから、あの人のこと、怖いけど、さっきの魔法……、教えてもらおうって決めたのに……。カターナがどうして、そんなこと言うの……」
「リズ」
ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、リズは目を見開いてカターナに訴える。
「希望を見つけてすぐに、そんなことを言うなんて……、ひどい」
「リズ。……ごめんね、リズ。ごめん……私、私」
カターナも涙を流し、ふたりは抱き合った。
「私、がんばる」
「わ、私も……、新しい魔法、がんばる」
「うん、うん……いっしょにがんばろうね、リズ」
「カターナ」
抱き合って泣くふたりの姿を目にした村の人たちは、そっと目配せをして、見て見ぬふりを決め込んだ。
「おぉおおおっ」
ニルマが吼える。アルテはうなる剣戟を軽々とかわして、ニルマのわき腹に蹴りを入れた。
「ぐっ、ぅうう」
一瞬、動きを止めたニルマは足を踏ん張り、拳を振るった。
「そうだ。それでいい」
アルテはニルマの猛攻を踊るような足取りでかわしつつ、蹴りを入れたり剣で打ちすえたりしている。
「……す、ごい」
リズがぽつりとこぼし、カターナは息を呑んだ。ニルマは完全に、アルテの手玉に取られている。これが旅の剣師の実力なのかと、カターナは身を奮わせた。
あのくらいにならなければ、外に冒険になんて出られない。
カターナは興奮に身をふくらませて、リズの手を握った。
「ねえ、リズ。……私、もっともっと腕をみがいて、狩りどころか森の奥に入りたい。今年の豊穣の祭に、バ・ソニュスを採りに行きたいの」
「カターナ」
リズが細い声を出す。カターナは希望に目を輝かせた。
「私の射的がどうしてだめなのか、あっという間にアルテさんは見抜いたわ。その対処法もきっと、すぐに見つかるはずよ。そうすれば、バ・ソニュスの収穫を許可されるかもしれない。――ううん。きっと私、行ってみせる」
リズの赤い瞳が心配に揺れる。カターナは大丈夫よと視線で示した。キュッと唇を結んだリズが、声を震わせる。
「わ、私も……」
「ん?」
「それなら、私も……、あの、怖いけど……、あの人がニルマにかけた闇の魔法、覚える。それで、カターナといっしょに行くわ。きっとディルも、そのつもりなんだと思う。ニルマも、行きたいって……、そう、言っていたし」
「そっか。それなら、マヒワもそう言うかもしれないわね」
リズが「どうして」とまばたきで問う。
「だって私たち、なにかをするときは、だいたいこの5人のうちの誰かと、組まされて仕事を割り振られているでしょう? 仲間意識っていうのかな。そういうの、あると思うの。マヒワってあんまりしゃべらないし、表情もそんなに変わらないから、なにを考えているのか、わかんないところあるけど。でも、仕事の割り振りをされるとき、狩りの組ではニルマかリズのいる組に、自分から入りたがるって、おとうさまが言っていたわ」
「……そう、かも」
でしょう、とカターナは笑みで伝えた。
「だから、きっとマヒワも行きたがるわ」
カターナはアルテとニルマに視線を戻す。ニルマは剣と拳を使い分け、アルテに迫っていた。アルテはニルマの動きを指摘しながら、軽々と攻撃をかわしている。
「私たち5人で、バ・ソニュスを採りに行きたいな」
ぽつりとカターナがこぼすと、リズはそっと、ひかえめにうなずいた。
突進をしたニルマを、アルテが半円を描いてかわす。
「これで、終わりだ」
高く上がったアルテのかかとが、ニルマの背に落ちた。
「ぐっ」
短くうめいたニルマの体が、地面に落ちる。リズがカターナの腕を強く掴み、縮めた体を伸ばすように、ニルマに駆け寄った。
「ニルマ……」
不安そうに手を出すリズに手を振って、大丈夫だと示しながら、剣を杖がわりに立ち上がったニルマの肩を、アルテが叩く。
「筋は悪くない。根性もあるようだ。これにこりなければ、また稽古をつけてやろう」
ニルマは忌々しそうにアルテをにらみ、それでも頼むと頭を下げた。ニルマが頭を下げるところなど、見たこともないカターナとリズが目を丸くする。
「リズ。ニルマにはかすり傷ひとつ、ついていないだろう? これを覚えておくと、便利だとは思わないか」
コクリと首を動かしたリズは、おずおずとアルテを見上げた。
「あ、あの……、教えて、ください」
「そのつもりだ。そんなに難しいものじゃないから、数時間で覚えられるだろう」
「……そんなに、すぐに?」
リズの目が丸くなる。
「この村では必要とされていないから、教えるものがいないだけだ。……おそらくな」
丸く開いた目をしばたたかせて、リズは何度もうなずいた。
「さて、カターナ」
次は自分が教わるのだと、カターナはウキウキしながらアルテに駆け寄った。
「ついでだ。ここで、君もオレに挑んでみろ」
「え?」
「いいから」
「う、うん」
戸惑いながらカターナが弓を掴むと、違うとアルテが首を振る。
「弓と矢は置くんだ」
カターナはキョトンとした。アルテの言っている意味がわからない。
「アルテに挑むんでしょう? 私は弓師よ。武器を置くなんて、おかしいじゃない」
「だからこそ、置くんだ」
わけがわからない。しかし、彼にはなにか考えがあるのだろうと、カターナは弓と矢筒を地面に並べた。
「丸腰で、どうすればいいの」
「君はまだ、武器を身につけているだろう」
アゴで腰の短剣を示されて、カターナはとまどった。
「私は弓師よ」
「わかっている。だが、いまはそれでオレに挑んでこい」
不満に顔をしかめたが、カターナは腰を沈めて短剣の柄に指をかけた。これもきっと、弓を射るのに必要ななにかを、見極めるために違いない。それならば全力で彼に挑もうと、覚悟を決める。
村の大人が高く評価しているニルマ相手に、余裕のある動きを見せていたアルテには、持ちうるものを出しきらなければ、きっと次のことを教えてもらえない。
そう考えたカターナは、胸深くに息を吸いこみ、狼に向かうときのように神経を研ぎ澄ませた。アルテはニルマのときと同様、なんの構えもしていない。
細く鋭い息を吐き出し、カターナは地面すれすれに倒れこむような態勢で、草を蹴った。アルテの足首めがけて短剣を引き抜く。刃は空気を切り裂いた。カターナは地に手をついて勢いを殺し、背中越しに蹴りを繰り出す。それも空を切った。その反動を利用して起き上がれば、編まれた髪の先が高い位置に浮かぶ。毛先が落下するより前に腰をひねり、腕を体に引き寄せて回転したカターナは、アルテの体に身を寄せた。腰に短剣を据えて、体当たりを試みる。
「いい動きだ」
アルテはわずかに身をずらし、それをかわした。カターナは態勢がくずれる前に足を出し、軸足を変えてアルテに挑む。カターナの動きに翻弄された彼女の長い髪は、陽光にきらめきながら宙を舞い続けた。
「……カターナ」
リズが祈るように胸の前で指を組み、見守っている。ニルマは苦々しげに、ふたりの様子をながめていた。
「誰かに体術を教わったのか」
アルテの問いに答える余裕を、カターナは持っていなかった。狼よりも大きな体で、狼よりも動きのはやいアルテを追いかけるだけで、せいいっぱいだ。息が苦しい。胸当てが、彼に締められた状態のままだったら、とっくに窒息で倒れているただろうと、カターナは頭の片隅で思いながら、短剣を繰り出した。体中の毛穴から汗が吹き出し、息が上がる。苦しいけれど、妙な充足が四肢に満ちていた。
楽しいとすら、感じている。
「もういい。ここまでだ」
腕を掴まれ、カターナは動きを止めた。軽く握られているだけなのに、全身を掴まれているような感じがする。肩で息をしながらアルテを見ると、彼は汗ひとつかかず、息も乱れていなかった。
「よくわかった。カターナ、あらためて聞く。誰かに体術を習ったのか」
カターナは首を振った。
「強いて言えば、森の獣たちよ」
弓の練習をしているときに、目を凝らして獲物となる獣の動きを追っていた。羊を狙う狼の動きも、全身で見るような感覚でいた。それを真似ることが、カターナの体術の基盤となっている。
「なるほど。目がいいんだな」
「弓で追い払えないぶん、動きをはやくしようと思ったの。エルフは森の妖精って言われているでしょう? そんなふうに、森の獣のように動けるようになろうって、弓の練習とおなじくらい、運動もしていたの」
まだ息が整わない。カターナはアルテが怪物に見えた。
「なるほど、いい判断だ。これからも続けたほうがいい」
「弓師と、関係があることなの?」
「そうだな。ないとは言いきれない」
どういうことかとカターナが問う前に、アルテが口を開く。
「オレはすこし用事を思いついた。村の見学ついでに、用事を済ませてくる。疲れただろう。ゆっくり休むがいい。休息も、大切だからな」
ひらりと手を振り、アルテが背を向け歩きだす。それを追いかける気力も、呼び止める余裕もなく、カターナはくずおれるように座った。
「カターナ」
リズが駆け寄る。
「これ」
水筒を差し出され、カターナは目で礼を言うと口をつけた。中身はソニュスのジュースだった。ほんのりとした酸味のある甘い果汁が、疲れた体に心地いい。
「カターナがあんなに動けるなんて、私、ちっとも知らなかったわ」
リズの肩越しにニルマを見ながら、カターナは首を振った。ニルマは険しい顔で、ひとり鍛錬に励むため、森へと向かった。その背を視線で追いながら、カターナは口を開いた。
「ぜんぜん、すごくないわ」
呼吸が整うにつれて、カターナの心は低い場所に落ちていく。
リズが不思議そうに首をかしげた。
「でも……、あんなに動いて、すごくはやかったし。それに、その……、なんて言ったらいいのか」
うまく言葉が見つからず、顔をくもらせるリズに、カターナは笑みを浮かべて首を振った。
「そういうことじゃないの。ありがとう、リズ。ごめんね……。私、弓師なのに、あんなふうに試されて、もしかしてアルテさんに、弓師じゃない道を勧められるのかもって、思ったんだ」
「……カターナ」
「村の皆は、私を弓師だって認めてくれてる。だけど、旅をしてきたアルテさんからすれば、すごく甘い状態なんだろうなって。ニルマだってかなわなかったし、私もちっともかなわなかったから」
カターナは笑みを消した。
「……さっき、アルテさんに私の矢が左にそれる理由を、教えてもらったの」
カターナは弱音を吐き出したかった。リズは真剣な案じ顔で、カターナの言葉を聞いている。
「胸当てをきつくして、射的のときに胸が弦に当たらないようにすれば、いいだけだった。そんな簡単なことに、私はずっと気づけなかったし、誰もそれを指摘しなかった」
「それは……、気づいていても、指摘、しづらかったと思う」
リズの頬が、ほんのりと赤くなる。カターナは「そうね」と応じた。
「そうかもしれない。でも、それを指摘しなくても、問題なかったってことなんだと思う。狩りはダメだけど、それ以外の村の仕事は、狙いを外す弓師でも、問題ないんだって」
カターナはくやしさに顔をゆがめた。
「弓師はやっぱり向いてないって、他の職業にしないと狩りにも出られないままだって言われたら、どうしよう」
脛を引き寄せて、膝に顔を伏せたカターナの背中を、リズがそっと抱きしめる。カターナはアルテに挑んでいるときに感じた、四肢のよろこびに身を震わせた。
「自分でも、本当はわかっているの。弓師より、闘師のほうが向いているって。そっちを磨いたほうが、バ・ソニュスの収穫に出させてもらえる可能性が、ずっと高くなるって」
「カターナ」
リズの厳しい声に、カターナはおどろいた。おそるおそる顔を上げれば、泣きそうな顔でリズがにらんでいる。
「……リズ?」
「カターナ、さっきと言っていることが違う。さっき私に、言ってくれたよ? アルテさんがすぐに、射的がだめな理由、見つけてくれたって……。だから対処法もきっと、すぐに見つかるはずだって。……そうすれば、バ・ソニュスの収穫に行けるかもしれないって、うれしそうに言ってた。5人で、バ・ソニュスを採りに行きたいなって…………。そうなったらいいなって、私、うれしくなって。だから、あの人のこと、怖いけど、さっきの魔法……、教えてもらおうって決めたのに……。カターナがどうして、そんなこと言うの……」
「リズ」
ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、リズは目を見開いてカターナに訴える。
「希望を見つけてすぐに、そんなことを言うなんて……、ひどい」
「リズ。……ごめんね、リズ。ごめん……私、私」
カターナも涙を流し、ふたりは抱き合った。
「私、がんばる」
「わ、私も……、新しい魔法、がんばる」
「うん、うん……いっしょにがんばろうね、リズ」
「カターナ」
抱き合って泣くふたりの姿を目にした村の人たちは、そっと目配せをして、見て見ぬふりを決め込んだ。
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一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
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