なりたいものと、できることー弓師になりたいミックス・エルフー

水戸けい

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 ベッドから下りたカターナは、手ばやく身支度を整えると、屋根裏部屋のドアをノックした。

 しばらく待っても、返事がないので、ふたたびノックする。返事は、やはりなかった。すこし迷ってからノブに手をかけ、そっと開いて室内を覗くと誰もいない。

「……帰ってないんだ」

 ぽつりとつぶやいたカターナは、閉めたドアに落胆の息をかけて食卓へ向かった。

 食卓には、アルテの皿も用意されている。

「おかあさま」

「なあに」

 ズィーラはスープを入れながら答えた。

「アルテさんはあれから、帰っていないの」

「カターナと出かけてから、ずっと出たままね」

「……そう」

 イスに座ったカターナの前に、スープが置かれる。

「女神ヴィリアスの恵みに感謝します」

 祈りをささげたカターナが、食卓の中央にあるカゴから、パンをひと切れ自分の皿に移し、もそもそと食べはじめると、ルーエイが姿を現した。

「おとうさま」

「おはよう、カターナ」

「おはよう、おとうさま。あのね、アルテさんがどうしているのか、知らない? 家に帰っていないの」

「ああ、彼か。彼ならこしらえてもらいたいものがあるとかで、道具師のところへ行っていたな。旅に必要なものでも、作ってもらっているんだろう」

「それなら、注文をして戻ってくればいいじゃない。せっかく作ったベッドが、使われないままでかわいそうだわ」

「その、かわいそうは、なにに対してのかわいそうなんだ」

 ルーエイの問いに、カターナは口をつぐんだ。

「旅の話が聞けなかったから、拗ねているのか。彼には彼の用事がある。細かな仕様の説明が、必要な道具かもしれないだろう。その道具ができるかできないかで、行き先を変更せざるを得なくなる、ということも、ありえるんだからな」

 ルーエイにやわらかく諭されて、カターナは自分のことしか考えていなかったと気づき、恥ずかしくなった。

「彼に甘えすぎないようにな」

「甘える? 頼る、ではなくて」

 疑問とおどろきをない交ぜにしたカターナに、ルーエイは「おや」という顔になった。ズィーラがクスクスと笑いながら、ルーエイの前にスープを置いて、席に着く。

「そのあたりは、微妙なところねぇ」

「おかあさまも、私がアルテさんに甘えていると思う?」

「そうね。……甘えると頼るは、とてもよく似ているから、難しいのだけれど。アルテさんがカターナのために、なにかしたいと考えていて、それをカターナが受け取るのは、どちらでもないんじゃないかしら」

「よく、わからないわ」

 カターナは眉を下げて、唇を尖らせた。

「形のないものを、無理に言葉の枠にはめなくてもいいのよ。そのほうが、言葉にするよりも、よくわかる場合があるのだからね。――おはよう、私のかわいい家族たち」

 ふんわりとしたランダの声に、カターナは笑顔で振り向いた。

「おはよう、おばあさま。……昨日も星読みをしていたのに、早起きなのね」

 カターナの肩に、ランダがニコニコと手を置いた。

「ルーエイが出かける前に、伝えておかなくてはならないことがあるのよ。ああ、ズィーラ。私はこれからすこし眠るから、せっかくだけれど食事はいいわ。ごめんなさいね」

「おばあさま、それって」

 カターナの声がはずむ。ランダはいたずらっぽく片目を閉じた。

「ええ、そうよ。カターナの想像どおり。豊穣の祭の日を、星に告げられたわ」

 全身をワクワクさせて、カターナは両親を見た。ルーエイもズィーラも顔を輝かせている。

「それじゃあ、さっそく皆を集めて、段取りを決めなくちゃならないな」

「それで、いつなの? おばあさま」

 カターナの目が、青とグレーにきらめいている。ランダはちいさな子どもに秘密をうちあけるように、額を寄せて答えた。

「6日後よ。その日に、星が女神ヴィリアスを地上へお連れになるわ」

「6日後!」

 カターナは身を震わせた。大人たちにバ・ソニュスの採取に行く許可をもらいたくて、ウズウズする。

 どうしてここにアルテがいないのだろうと、カターナはソワソワした。昨日、彼が見つけてくれた欠点を、どうすれば克服できるか相談したい。胸当てをきつくする以外の、息苦しくならない方法を、はやく見つけて練習したい。

「ああ、なんだか落ち着かないわ」

 さきほどまでの沈んだ気配をふきとばし、カターナは浮かれる心そのままに、朝食を済ませて席を立った。

「ごちそうさま!」

 いてもたってもいられない気持ちを抑えられず、カターナは部屋へ戻り、羊の番のための身支度を整えて、家を飛び出し隣家へ向かった。

 深呼吸をしてからノックをすると、ディルの母ミィリが顔を出した。

「あら。おはよう、カターナ。ディルを迎えにきてくれたの? ずいぶんとはやいわね」

「おはようござます、おばさま。まだご飯の途中だったら、ごめんなさい」

「いいえ、いいのよ。カターナはうちの娘みたいなものだから、いつだって気にせずにいらっしゃい」

 どうぞと仕草で招かれて、カターナはドアをくぐった。勧められたイスに座ると、ハチミツ入りのホットミルクを出される。

「ディルはいま、仕度中よ。これからふたりで、羊の番の仕事なのでしょう」

「ええ、おばさま。羊を出すまで、まだ時間があるのだけど、落ち着かなくってきちゃったの」

「落ち着かないって、どうして?」

「それは、ディルがきてから教えるわ」

 カターナはもったいぶって肩をすくめた。

 しばらくたわいない会話をしていると、準備を終えたディルが現れる。

「話し声がすると思ったら……。どうしたんだい、カターナ。こんなにはやく、僕を迎えにきてくれるなんて」

「ああ、ディル」

 カターナは勢いよく立ち上がり、ディルの手を握った。

「聞いて! とうとう決まったの」

 カターナのよろこびに満ちた声に、ディルの頬が紅潮する。

「豊穣の祭の日だね? いつに決まったの」

「6日後よ。おばあさまに、6日後だって星が告げたの」

「あら、大変。それなら今夜から、集会所での準備がはじまるわね。夜食の準備とか、しておかなくっちゃ。――あなた、あなた!」

 ミィリが大声を上げながら奥に行く。それを見送り、クスリと笑ったカターナとディルは、村中の羊たちを集めるために家を出た。

「おはようございます。羊を連れにきました」

 丘から遠い家から、声をかけていく。

「あら。今朝はいつもより、ずいぶんとはやいのね」

「ええ、おばさま。じっとしていられない気分だったの。だって、おばあさまが、豊穣の祭は6日後だっておっしゃったんだもの」

「まあ! それじゃあ準備を、はじめなくっちゃね」

 羊を集める先々でカターナがそう告げたので、豊穣の祭の日程はすぐに知れ渡った。

「あの、カターナ」

 リズの家に行くと、彼女が玄関先で待っていた。

「おはよう、リズ」

「おはよう」

 カターナとディルが挨拶をすると、消え入りそうな声で、リズが「おはよう」と返す。リズはチラリとディルを見ると、カターナの袖を引いた。

「なあに、リズ」

「カターナ、あのね……。私さっき、豊穣の祭が6日後になるって聞いて、それで……、カターナを待っていたの」

「私、まだこの家には、言っていないはずだけど」

「サシュが教えに来てくれたの」

「ああ。剣師見習いのサシュね。あの子の家なら、だいぶ前に寄ったわ」

 カターナはサシュの家の羊に目を向け、子犬のように走り回る少年を思い浮かべた。

「サシュはリズに、なついているものね」

「そんな」

 リズの顔が赤くなる。

「あの、それでね……、カターナ」

「なあに」

「闇の魔法、私……がんばるから、だから……あと6日しかないけど、でも、でもね……」

 懸命なリズの大きな赤い瞳に、カターナは胸が熱くなった。

「大丈夫よ。ありがとう、リズ。あと6日もあるんだから、がんばるしかないわよね」

 リズが顔を明るくさせて、かみしめるようにうなずく。カターナは昨日、抱き合って泣いたことを思い出して、リズの背に腕を回した。

「ありがとう、リズ。私、負けない」

「カターナ」

 そんなふたりを、ディルは温かな目で見守った。昨日、ふたりが泣いている姿を、ディルは目にしていた。事情はわからないけれど、女の子同士で大切な話をしたのだろうと、受け止めている。

 ディルはほんのすこし、リズに羨望を向けて、傍にいた羊の毛を指で探った。

「じゃあね、リズ。今日の仕事は?」

「森で木の実とか薬草とかを採って、ちいさな獣を狩る仕事。大きな狩りじゃないから、ちょっと……、ホッとしてる」

「そっか。大きな獲物を狙うのは、危険だものね」

 コクンとリズが首を動かす。

「でも、どんなことが起こるかわからないから、気をつけてね」

「カターナも。……ディルも、気をつけて」

「ありがとう、リズ」

 ディルがほほえむと、リズがはにかんだ。
 手を振ってリズと別れたカターナとディルは、村中の羊をひきつれて、丘へ上った。羊たちは草を食んだり歩いたり、それぞれのんびりと過ごしはじめる。ディルが杖を取り出して、風をあやつり羊が遠くへ行かないように囲った。

「ディルは風をあやつるほかに、どんな魔法を覚えたの」

「え」

「見たことがあるのは、風をあやつる魔法と、擦り傷を治す魔法だけだけど、他にもいろいろ、使えるんでしょう」

「……えっと。それは、そんなことは」

「ごまかさないで」

 目を泳がせたディルの腕を掴んで、カターナは瞳の光を強めた。青い瞳に灰色の波がかかって、不思議な色彩を描く。

「私、知っているんだから」

「な、なにを」

 カターナが、ずいっと顔を近づけると、ディルは頬をひきつらせて、のけぞった。

「おばあさまに、魔法を習いにきてること」

 ディルが息を呑む。フフンと鼻を鳴らして、カターナはディルを離した。

「どうして」

「ディルがこっそり、おばあさまの部屋から出ていくのを、見たことがあるのよ。おばあさまが、秘密にしておきたいみたいだからっておっしゃるから、知らないふりをしていたんだけど」

 腰に手を当て、カターナは素直に白状しなさいと言いたげに、ディルを見た。

「どこまで覚えたの」

「どこまでって……」

「おばあさまの魔法、どこまで覚えたの? ディルって、風の魔法しか使えないの?」

「えっと、それは」

「リズは炎と闇の魔法を使えるだろうって、アルテさんが言っていたわ。ディルも風の他に、使える魔法があるんじゃない?」

 ディルがひきつった笑みを浮かべて、視線をさまよわせる。

「ねえ、ディル」

 カターナは強気な態度を消した。

「教えてほしいの。私のことを気にして、内緒にしていたんでしょう? だったら、そんな必要はもうないんだから、ディルの魔法を全部、教えて」

「カターナ。……その、僕は」

「ごまかさないで。――私が、おばあさまにあこがれていて、おばあさまのようになりたいって思っているから、だから秘密にしていたんでしょう。大人になっていくにつれて、弓がへたくそになっちゃって、その上、魔力がちっともないってわかって、すごく落ち込んでいたのを、ディルは知っているから。……だから、こっそりしていたんでしょう。本当は羊の番よりも、もっとすごい仕事をまかされても、大丈夫なくらい、魔法が使えるんじゃない? ねえ、ディル。正直に答えて」

 真剣なカターナに、ディルは喉を鳴らした。

「ねえ、ディル。私、おばあさまのようになりたいって、そればっかり考えていたわ。おばあさまの若いころに、そっくりだって言われて。それでいい気になって、弓師になりたいって言って。――ディルは剣師になるって、言っていたわよね。いっしょに、おばあさまと帝都の剣師の竜退治の話を聞いていたから。それで剣師になるって、決めたんでしょう? だけど、魔力があるってわかったら、あっさりと剣師の道を捨てて、魔導師を選んだわ。……あんなに必死に練習をしていたのに、……。どうして?」

 ディルが拳を握り、眉をキリリとさせたので、カターナも気持ちを入れなおした。

「……僕の目的は、変わっていないよ。あの剣師のように、誰かを助けたいって思ったんだ」

「冒険がしたい、じゃなくて?」

 静かにディルが首を動かす。

「冒険ももちろん、すばらしく魅力的だよ。だけど僕はそれよりも、剣師がどうして竜に挑んだのかが、大切だと感じたんだ。それで単純に、剣師になるって決めたんだけど、剣師よりも魔導師のほうが向いているってことが、わかった。魔導師の資質は、持って生まれなければ得られないものだ。もちろん剣師にも、資質はいるよ。だけど努力でなんとかできる部分もある。――まあ、僕がどれだけがんばっても、ニルマのようにはなれないけどね」

 ディルが苦笑まじりに自嘲したので、カターナも口元をほころばせた。

「成長するにつれて、魔力も育っているってわかって。それなら僕は、そっちを伸ばそうって思ったんだ。剣師でも魔導師でも、目的はおなじままでいいから。……やり方は変わるけど、自分がより役に立てる方法があるのなら、剣師にこだわらなくてもいいかなって」

「そうだったの」

「うん、そう。……だから、方法が変わっただけで、僕の気持ちも目的も、昔からすこしもブレていないんだ」

「なんだか急に、ディルがたのもしく見えてきたわ」

「はは。それは、よろこんでいいのかな」

「ほめているんだから、よろこんで」

「じゃあ、そうする。ありがとう、カターナ」

「どういたしまして」

「それにね、カターナ」

「なあに」

「僕はいまでも、体を鍛えているんだよ。魔導師と言っても、ただ突っ立って魔法を使うわけじゃないからね。体力も必要だし、危険な場所に、魔法や薬に必要な材料を、採りに行かなきゃいけない場合もあるから」

「魔法を発動させる前に、攻撃をされちゃったら大変だしね」

 カターナがすこしおどけると、「そういうこと」とディルも笑った。

「でも、ひとりよりふたりのほうが、ずっと心強いかな。カターナがいるから、狼が現れても、僕は冷静に羊を村まで誘導できる。これがひとりなら、どっちを優先すればいいのか、迷って判断を間違えるかもしれない」

「だからよ」

 カターナが人差し指を立てる。

「ん?」

「はじめの質問。覚えてる?」

「えっと……。僕が、風の他に使える魔法があるかどうか、だっけ」

「そう。ディルが他に、どんな魔法が使えるのかを知っていたら、私の行動だって変わってくるわ」

「それって……」

 カターナが小首をかしげて、ニッコリとする。

「私ね、リズと昨日、5人でバ・ソニュスを採りに行きたいねって、言っていたのよ」

 ディルの目が丸くなる。それにクスクス笑いながら、カターナは人差し指を振った。

「リズはアルテさんに、防御の闇魔法を教えてもらうの。それで、私を助けてくれるんだって。だから弓師をあきらめないでって、言われたわ」

「そう、なんだ」

 カターナは昨日のやりとりを思い出して、照れくさくなった。

「それで、ニルマはきっと、志願をするだろうって話になって。それならディルやマヒワもくるんじゃないかなって……。ねえ、そうなると思わない?」

「うん。……カターナが許可をされたら、僕はついて行くよ」

「ありがとう、ディル」

「だから、僕の魔法がどの程度なのかを、知りたいんだね」

「そう」

「それなら、詳しく説明をしておいたほうが、いいかな」

「できるだけ、わかりやすく。でも、しっかりと教えてもらわないと困るわ」

「時間かかるよ」

「羊の番の間じゃ、足りない?」

「夕方まで? それなら、じゅうぶんだ。でも、途中であきたり、疲れたりしない?」

「それは、ディルの説明の仕方しだいね。……でも、がんばって理解するようにするわ。おばあさま直伝の魔法なんでしょう」

「そう。ランダさんから、しっかりと受け継いだ魔法だよ」

「それなら、大丈夫だわ。おばあさまの魔法を勉強するんだって気持ちで、聞けばいいだけだから」

「僕はまだまだ、未熟だけどね」

「当たり前よ」

 間髪入れずに返したカターナに、ディルが吹き出す。ふたりはコロコロとゆかいそうに喉を震わせ、希望に満ちた会話をはじめた。


 昼食を終え、羊の様子を見ながら、ディルの覚えた魔法薬の種類について、カターナが質問をしていると、アルテが背後にひょろりとした少年をつれて、やってきた。

「アルテさん。……それに、マヒワも」

 カターナとディルに疑問の視線を投げられても、マヒワは表情のない顔で、アルテの背後に陽炎のように立っている。白い肌と白銀の髪が、マヒワをより実体のないもののように見せていた。彼のあざやかな金色の瞳が、太陽の光を受けて輝いている。

「すこしカターナに用がある。すまないが、ディル。マヒワと羊の番をしてもらえないか」

 カターナはアルテとマヒワを見比べ、ディルを見た。ディルも不思議そうな顔をする。

「村の大人たちには、許可をとっている。マヒワも快諾をしてくれた。そうだな、マヒワ」

 マヒワは眉も動かさずに、うなずいた。

「それって、昨夜から家に帰ってこなかったことと、関係があるの?」

「おおありだ、カターナ。――ディルは、カターナをオレと森に行かせることに、賛成をしてくれるだろう?」

 ディルはアルテとマヒワを見、カターナを見てから、アルテの手にある大きな袋に目を落とした。

「カターナ。羊たちには、すこし窮屈な気分になってもらっても、いいと思うよ」

「え」

「蛇の獣人の血を引く、操獣師のマヒワが番人だと、羊たちは緊張をするかもしれないけど、マヒワなら狼がきたって大丈夫だから。気にせずに、行っておいでよ」

「……でも」

「いいから、ほら」

 ディルに背中を押され、カターナはとまどいつつ、マヒワを見た。

「えっと。……本当に、いいの?」

 無言で、マヒワがうなずく。

「それじゃあ、羊とディルのこと、よろしくね。ありがとう」

 またマヒワはうなずいた。

「ディル。ありがとう」

「うん。いってらっしゃい」

「いってきます」

 マヒワがディルの傍に行くのと入れ違いに、カターナはきびすを返したアルテとともに、森に入った。
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