復讐の勇者と魔神の僕

フルーツミックスMK2

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ミノタウロス

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 勇者一行は慣れ親しんだ隊列のまま、最奥を目指す。奥へ進むほど視界は悪くなる一方だったが、緑色に変色した岩壁の向こうに、開けた空間があることは確認できた。

 クロードは無意識に止めていた息を吐き出す。それは高まる緊張のせいでもあっただろうが、次第に濃くなる湿気と臭気が、自然と呼吸を制限していた。
 やがて光源が突き当りまで差し掛かると、そこで一同が目にしたのは黒褐色の巨大な物体だった。

「あれは...何?」
 レイラが懐疑的な声を出す。一瞬大岩か何かと錯覚するも、僅かに蠢いている事から生物である事が分かった。
 外殻は異常に発達した筋肉で包まれており、屹々きつきつとした背中は他者を寄せ付けない重圧を与えている。岩盤には天井まで届き得る堅固な斧が刺さっており、先端には乾いた血の痕がべっとりと固着していた。

 勇者一行は直感で理解する。あれこそが、件のミノタウロスなのだと──。

「あ...ああ...」
 その声は誰から漏れたものだったか。前方に目が釘付けな一同には分からないが、静寂が恐怖をハッキリと鮮明に伝えていた。

 恐ろしい形相をした牛頭と目が合う。余白で埋め尽くされた眼に眸はなく、ただ殺意に駆られるのみ。
 大斧が岩屑を散らしながら引き抜かれる。刹那、クロードは反射的に声を張り上げていた。

「全員構えろッ!」
 怪物が飢えた猛獣の如く勇者一行へと襲いかかる。巨大な体型の割にやけに素早い。

 まず最初に狙われたのはレイラ。彼女は四人の中で魔力量が特に多い分、魔物から強敵と判断されたのだろう。
 反射的にクロードの足が動いた。

「レイラッ!」
 やや強めに、クロードが彼女を突き飛ばすと、聖剣で大斧を受け止める。
「ぐ...っ...!」
 聖剣越しに声にならない悲鳴が漏れ出る。地面に尻もちを着いたレイラが彼の名前を叫ぶも、その声が届かないほど、意識は目の前の怪物へと引っ張られていた。

 ──なんだこのパワーは...!

 腕から背中、下半身にかけて物凄い負荷がクロードを埋め尽くす。日頃から鍛え上げている肉体も、剣術で培った体幹も、こと強大な暴力の前では無に等しく感じた。

 桁外れの力に対抗しながら、彼が逃げるように聖剣を横へ運ぶ。大斧が忌憚なく地面を貫いた。
 そこで、反射的に攻めの姿勢を作れたのは、彼の持つ気概に他ならない。

「うおおおッ!」
 第一刀が左肩口から腰の辺りに掛けて斜めの軌道を描く。だがしかし、堅固な肉体は刃をろくに受け付けず、薄皮一枚を削ぐので精一杯だった。
 ──浅すぎる。まるで手応えが感じられないまま、クロードが仲間の元へ後退する。

「クロード、大丈夫!?」
「...大丈夫だ。それよりも全員気を付けろ。尋常じゃないパワーだぞ」
 クロードが怪物を牽制しながら注意を促す。外傷を受けた訳でもないのに、彼は苦悶の表情を浮かべていた。

 ──たった一撃受けただけで、腕が鉛のように重たい。こんなのは戦ってきて初めての経験だ。

 彼が腕に残る痛みに意識を奪われていると、高さ十メートルにも及ぶ怪物が吠える。
 巨大な音の衝撃と覇気──。
 思わず全員が耳を塞ぐが、直ぐに意識は眼前に引き戻された。

「おいおい、冗談だろう...?これがAランクだと...」
 エルリックが疑心に満ちた声を出す。ミノタウロスの全身からは目に見えて膨大な魔力が溢れ出ており、かつて相対してきた魔物とは比較にもならない。
「へえ...まさかこれほどとは思わなかったわ...」
 レイラが苦笑いを浮かべる。表面上、その魔力量は彼女をも凌いでいた。

 張り詰めた緊迫感を与えながら、怪物が焦点のない眼で辺りを見回す。本当に見えているのか疑問が募るが、やがて眸はクロードに向けて止まった。初手の一撃で完全に敵視を買ったようだ。

「狙いは俺か。好都合だ」
 そう口にした瞬間、怪物が地面に突き刺さった大斧を引き抜き、一目散に標的へと迫る。
 洞穴内が大きく揺れた。

 その猛りを全身で感じながら、クロードが剣を構える。

「俺が注意を引き付けますので、殿下はその隙に攻撃を!レイラは後方援護、レイソン嬢は全体支援を頼みます!」
「了解!」
 他の三人が一斉に動き出すと、先ほどの意向を返すかの如く大斧が振られる。斜め前方より迫る凶刃は、空間そのものを断裂しかねない勢いを秘めていた。
 それをクロードが横っ飛びで回避すると、同じく前衛の剣聖へと声を掛ける。

「殿下!」
 合図とほぼ同時に、エルリックが細剣を高速で振るう。流暢な剣筋が幾度と弧を描いた。
 しかし、堅固な肉体は剣を弾くと、浅い傷跡を残すだけだった。
「ば、馬鹿な...幾度と魔物を葬ってきた技だぞ!?」
 予想外の結末に彼が目を見開く。普段ならば、今の流れで大抵の魔物は散っているのだが、推定Aランク以上の魔物が相手では、事はそう単純にはいかなかった。
 すかさず、クロードがフォローに入る。

「くらえ!」
 聖剣の分厚い刃が水平に薙ぎ払われる。しかし、またしても刃は強固な肉体に阻まれ、芯の部分までは届き得なかった。

 動きを止めた標的目掛けて、怪物が腕を前に突き出す。
 クロードの腹部に尋常でない衝撃が走った。

「がは...ッ...」
 彼の視界が濁流のように切り替わり、肉体が大きな音を立てて岩壁に直撃する。
「クロード!」
 詠唱を中断したレイラが彼の元へ駆け寄る。著しい吐血の後で、砕けた鎧の先に薄紫色に変色した皮膚が見えた。顔色も真っ青に染まっており、脂汗の量も尋常ではない。どうやら内蔵を酷く損傷しているようだった。

「ミリー様、回復魔法を!」
「わ、分かってるわよ!」
 取り急ぎ、ミリーが回復魔法の詠唱を始める。
 その間、怪物の敵視は近くにいるエルリックへと向いていた。

「く、来るな...!向こうへ行けぇ!」
 後退りながら、闇雲に剣が突き出される。その姿は酷く弱々しいものだった。
「エルリック様!」
「あっ!駄目よ!ミリー様!」
 レイラの制止を振り切り、愛する恋人の元へと駆け出すミリー。彼女の行動は深い愛情によるものだったが、それは自ら死地に飛び込むようなものだった。
 即座にレイラが魔法を唱える。

「天より授かりし風よ、その身を鋭利な刃と化せ!ウィンドカッター!」
 魔杖から真空の刃が飛び出すと、大斧を振り上げた怪物の腕を通過する。だが、太い腕は落ちるどころか、少量の血糊が付着したのみだった。
「何を食べたらそんな体に育つのよ!」
 意に沿わない結果に、レイラが先ほど晴れたばかりの疑問を口にする。さすがの彼女も、切羽詰まった状況に冷静さを欠いている様子だ。
 ミリーが腰を抜かしているエルリックの元へ到達する。

「エルリック様、大丈夫ですか!?」
「くそ...私は剣聖に選ばれた皇太子だぞ...。こんなはずでは...」
 恋人の声には反応せず、ただ虚ろな目でブツブツと呟くエルリック。そこに普段の華やかさはない。
「と、とにかくここから逃げましょう!」
 ミリーが彼の腕を引いて立たせると、逸早くその場を離れようと足を動かす。

 しかし、一度敵視した標的を怪物が見逃す筈もなく──。二人の視界を黒い影が覆った。

「いけない!二人共、早く逃げて!」
 レイラが悲鳴に似た叫び声を上げる。化物の凶刃は一切の躊躇もなく、的確に二人の脳天を捉えていた。
「きゃあああ!」
 到底、魔法を発動させる間もなく。レイラが数秒先の光景を想像して目を瞑る。

 そんなときだった。近くを一陣の風が通過すると、鋭い軌道が大斧の動きを食い止める。
 薄明かりの先で見えたのは、我らがリーダーの姿だった。

 聖剣が大斧と衝突する。
 既のところで、凶刃は仲間の頭上で動きを止めた。

「うおおお!」
 雄叫びと共に聖剣が大斧を弾く。そのまま間髪入れず、追撃の横薙ぎが繰り出されると、怪物は少ない手傷を負って後退した。
 その光景にレイラが安堵するも、すぐに顔を顰める。
 クロードの足許には大量の血液が滴っており、腹部の傷跡は中途半端な状態で塞がっていたのだ。ミリーが治療の最中に彼の元を離れた為だろう。

「クロード、一旦回復を──」
 すぐさま彼女が治療を勧めようとするも、彼はこの場を切り抜ける作戦を優先した。
「レイラ!もう一度魔法の詠唱を頼む!高威力のやつだ!」
「で、でも...」
「大丈夫だ!ここの地形は壁が硬い。数発なら耐えられるはずだ」
 クロードが化物から目を離さずに告げた。
 ──そんな事を言いたいんじゃない!彼女は思わずそう口を挟みたくなったが、昔からよく知る彼の正義感の強さに、半ば強引に自分を納得させた。

「死んだら承知しないわよ!」
 詠唱が始まり、魔杖に魔力が込められていく。それをクロードが一瞥すると、次は背後へと視線を向けた。
 窪んだ岩壁のすぐ近くには、腰を抜かすミリーとエルリックの姿がある。

「レイソン嬢、ライトの詠唱を頼みます!」
「は...?」
 リーダーからの唐突な指示にミリーが戸惑う。
「何でこのタイミングでライトなのよ!?」
 彼女の疑問はもっともだった。確かに、レイラが戦闘に重点を置いた事もあって、彼女の放ったライトは照度が落ちてきている。
 だが、今、視野を見渡すには十分な明かりを持っている。この状況での光源の確保は必要性が感じられなかった。そんな事は誰よりも周りを見ている彼が知っているだろうに。

 しかし、クロードの顔は真剣そのものだった。

「どうか俺を信じて下さい!」
「し、信じるって言ったって...」
「お願いします...」
「わ、分かったわよ!やればいいんでしょ、やれば!」
 ミリーが嫌々ながらも納得すると、錫杖を支えにその場を起き上がる。そして二、三度息を整えると、ライトの詠唱を始めた。

「天より賜りし光よ、暗闇を照らす道標となれ。──クロード、いつでも撃てるわよ!?」
「俺が合図を送ったら発動をお願いします!」
 彼はそう言い残すと、再び化物の注意を引き付け始める。

 果敢に振るわれる聖剣、それと対をなして薙ぎ払われる大斧。一つ読み違えれば命はない。
 やがて、より強大な力が地面を貫くと、クロードが腹の底から声を出した。

「今ですッ!」
「ラ、ライト!」
 梔子色の光が辺り一帯を包み込む。すると、牛頭の化物は自らの眸を庇って怯み出した。
 その隙にクロードが渾身の一刀を仕掛ける。

「うおおおお!」
 無防備な肉体に斬撃が入ると、化物が悲鳴を上げて仰け反る。
 依然として深手には及ばないが、刃は先ほどよりも通っているように見えた。

「ど、どうなってるの...?」
「ミノタウロスは夜行性なので、急激な光に弱いんです」
「そうなの!?」
「はい」
 奇っ怪な声を聞きながら、クロードが標的から目を離さずに頷く。

 Aランクに指定されるミノタウロスは、膂力と耐久力、どちらも付け入る隙がなく、真っ向から挑めば一撃の元に斬り伏せられてしまう。通常は魔法で遠距離から戦うのがセオリーなのだ。
 しかし、この洞穴は十分な幅もなければ広さもない。距離を必要とする魔導師にとって、この環境は戦いには適していないのだ。

 常套手段を取るのは難しい。そこでクロードが目を付けたのは、ミノタウロスの生態的特性だった。

 今回の洞穴内の様子からも分かるように、ミノタウロスは暗い場所を好んで住処にする。それは即ち、照度の高い環境に慣れていない事を意味していた。

「もしかしたらと思ったけど、上手くいって良かった...」
「そんな特性を知っていたのなら、最初に言いなさいよ!」
「すみません。何分、急に襲われたものだったので...。それに確証が持てなかったので言うのは控えていたんです」
「確証が持てないって...。それってつまり、失敗する可能性もあったって事...?」
「まあ、そうなりますね」
 その言葉を聞き、ミリーが暗がりでも分かるほど顔を赤くする。
「何が『俺を信じて下さい』よ!失敗したらどうする気だったのよ!」
「あはは...」
「笑って誤魔化すんじゃないわよ!ほんと大した勇者ね!」

 野次に耳を痛くするクロード。珍しく的を射た彼女の意見に、反論の余地はなかった。

「でも、今のを続ければ、あの牛を倒せるって事よね」
 一つの攻略法が生まれた。この流れを繰り返せば、ミノタウロスを倒す事が可能だ。彼女が期待に胸を膨らませるが、クロードが粛々と告げる。

「残念ながら、それは難しそうです」
「え、どうしてよ?」
「例え怯ませる事は出来ても、今の俺では奴に致命傷を与える事は出来ないからです」
 そう告げる彼の足許には、大量の血液が滴っており、呼吸も一段と激しくなっていた。

「ま、待ってなさい!今私が回復魔法を掛けて──」
「そうしたいのは山々ですが...どうやらその隙も与えてはもらえないようです」
 言った直後、二人の視線の先で怪物が態勢を立て直す。巨体からは確かに血が流れているが、傷は決して深くない。それどころか、手傷を負ったことで闘志が膨れ上がっている様子だった。

「既に手持ちの回復ポーションは全て飲んでしまいましたし、レイラの詠唱もまだ時間が掛かりそうです」
「な、なら私のポーションを...」
 咄嗟にミリーが自分の収納袋を漁るが、そこには僅かな飲み水が入ってるだけだった。
「あ......」
 道中での自分の行動を振り返り、彼女が青い顔をする。せっかく見えた一筋の光明も、暗い闇に呑まれてしまった。
 そんな彼女の事を安心させるように、クロードが半ば明るい口調で声を掛ける。

「大丈夫ですよ。俺達には、頼れる剣聖がついていますから」
「──え...?」
 その疑惑に満ちた声は、エルリックから発せられたものだった。

「殿下、先ほどは申し訳ありませんでした。敵視を引き付けられなかった俺の失態です」
「クロード君...」
 呆然とするエルリックの視界の先で、クロードが微笑む。
「どうか、もう一度だけチャンスを頂けないでしょうか?この化物は俺達だけで倒す事は不可能です。殿下のお力添えが必要なんです」
 彼の言葉に、近くにいるミリーも同調する。
「そうです!私には...私達にはエルリック様が必要なんです!」
「ミリー...」
 徐ろにエルリックが目を伏せる。

 レグイット帝国の王族として生を受けた彼は、幼い頃から才能に恵まれており、大抵の事は難なくこなせてきた。剣聖のスキルを得てからは更に拍車が掛かり、自分が如何にこの国で完璧な存在であるのかを再認識した。

 しかし──その仮面はついさっき剥がれ落ちてしまった。
 敵無しだと思っていた英雄の技は通用せず、あろうことか恋人にまで醜態を晒すばかり。未だかつてない喪失感と羞恥心が彼に伸し掛かった。

 そんな自分を窮地から救った勇者。その様は正しく英雄そのものだった。
 彼は特別なのだろう。そんな思いが頭の中を占める。
 だが、彼はこんな自分を必要だと言う。そして愛する恋人もまた、変わらぬ眼差しで自分を必要としている。

 自分を必要とする仲間の姿を見て、彼の心の楔が外れた。

「やれやれ...仕方がないな。君達に剣聖の技を見せてやるとしよう」
 徐ろに細剣を構えるエルリック。その瞳には再び光が宿っていた。
「殿下...ありがとうございます。では、俺が敵視を引き付けますので、レイソン嬢は合図と同時にライトの発動を。エルリック殿下は魔物が怯んだのを見計らって攻撃を仕掛けて下さい」
「分かったわ」
「任せたまえ」
 頷く仲間二人を確認すると、再びクロードが化物の前に出る。

「行くぞッ!」
 声を上げたクロードが大きな懐へと斬り込む。そんな彼を迎撃しようとミノタウロスが大斧を振るうも、寸前で見切って回避する。しかし、次第に大斧は振り幅を絞り出し、よりコンパクトな動きへと変わりつつあった。それに伴って、回避も難しくなっていく。
(こいつ、戦いながら俺の動きを学習しているのか。恐ろしい順応力だ)
 衝撃を受けるクロード。動きを変化させた事でその分威力は落ちているであろうも、まともに受ければ致命傷は免れない事実に変わりはない。元々こちらの回避を前提とする立ち回りで、これほど厄介な事もないだろう。

 額を汗が伝う。絶え間ない運動量と集中力により、勝手に無駄な汗が出てしまう。ましてや、負傷している状態ならば尚更だった。
 ──まだか。瞬きも許されない状況でクロードが思う。一秒が長い。今までの人生で、一秒がこれほど長く感じた事はないだろう。そんな事を考えながら回避を続けていると、言うが早いか、ミリーから合図が届く。

「クロード、いけるわよ!」
「了解です!」
 短く応えると、クロードが回避した直後の反動をつけて、大振りに聖剣を走らせる。筋肉で覆われた太腿に線が入ると、僅かな切り傷を生み出した。それが引き金となって、ミノタウロスの動きも変化する。
 咆哮と共に大斧の軌道は大きくなる。いくら順応力が高い魔物といえど、怒りの感情には逆らえないようだ。それを冷静に視覚で捉えながら、横に避けて隙を作る。大斧が地面に突き刺さった。

「レイソン嬢!」
「ライト!」
 名前を叫んだのとほぼ同時に周囲が照らされる。急激な光が網膜に痛みを与えるも、白い残影が残した先で、怯むミノタウロスが映った。
「殿下、今です!」
 怯んだ化物に颯爽と人影が迫ると、長身を活かした突進力は抑揚を付け、複数の真空波を生み出した。

「ソニックブレイド!」
 ミノタウロスの巨躯が真空波によって切り裂かれる。強固な肉体は刃を受け付けなかったが、それはあくまで瑕疵がない箇所に限られていた。複数の傷跡を中心に傷口が開き、黒い血飛沫が上がる。ミノタウロスが大きな音を立てて膝を着いた。
「やったか!?」
 確かな手応えを感じたエルリックが言う。その直後、化物が怒り任せに身を突き動かした。

「ぐぅ!」
 強靭な腕によって、クロードの聖剣を握る腕が掴まれる。全身の骨が軋むのが分かった。掴んだ腕はまるで微動だにせず、必死の抵抗も所詮は人間の範疇でしかなかった。大方分の悪い力比べだ。
「クロード君を離したまえ!」
 即座に近くのエルリックが迎撃に移る。しかし、ミノタウロスの執念は斬撃を物ともしなかった。クロードの体が高く持ち上げられる。彼の視界の先で、大口を開ける化物の顔が拡がった。

「俺を喰うつもりか」
 肯定するように、ミノタウロスの目元が歪む。唾液に塗れた形相は恐怖と醜悪に満ちていた。それを見て、クロードが聖剣を握る手元を開いた。宙を落下する一本の聖剣。それが半回転した時、彼の左手が柄を強く取った。
「生憎、お前の腹の足しになってやる気はない」
 化物の眸に聖剣が深く突き刺さると、初手の咆哮よりも大きな悲鳴が上がる。その弾みで、クロードの腕に尋常でない力が掛かった。

「ぐあああああ!」
 骨の砕ける音が辺りに鳴り響くと、クロードの体は地面に放り出される。彼の腕の皮膚は赤黒く変色し、上腕の部分が不自然なほど圧縮されていた。
「クロード!」
 仲間の悲鳴を聞きながら、彼が激痛を堪えて身を起こす。恐ろしい形相が目と鼻の先にまで拡がっていた。野性的で、それでいて暴虐な悪魔のような牛頭。恐らく目が合っているであろう眸を見ながら、彼が静かに告げる。

の勝ちだ」
 クロードの背後から、夥しい量の魔力が溢れる。その魔力量はミノタウロスをも凌いでいた。
「セイクリッドスピア!」
 魔杖から聖なる槍が飛び出す。槍の穂先は付近にいるクロードを避けると、ミノタウロスの胴体を貫いた。
「全く、これじゃあ嫌でも範囲を絞るしかないじゃないの」
 黒い血液が宙を舞う。槍の精度は正確無比で、日頃彼女がどれだけ魔法の修練を積んでいるか窺えるものだった。巨体が大きな音を立てて崩れ落ちる。

「クロード、大丈夫!?」
 魔物を仕留めたのと同時に駆け寄るレイラ。そんな彼女に対して、クロードはすぐに大丈夫だと答えようとしたが、腕の激痛がそれを拒んだ。
「あ、ああ...クロード、腕が...」
 彼女の表情は普段と違って酷く狼狽しており、今にも泣き出しそうなほどだった。
「このくらい大丈夫さ。皆が無事で良かった」
「大丈夫なわけないでしょうが、アホ!」
 レイラが強い口調で怒ると、近くにいるミリーへと顔を向ける。

「ミリー様、早く回復をおねがい!」
「ええ、もう少し勝利の余韻に浸らせてくれても」
「いいから早くして!」
「はいはい、分かったわよ。相変わらずキーキー煩いんだから」
 凄い剣幕で怒鳴られて渋々了承するミリー。おもむろに回復魔法が施される。あんなに酷い状態だった腕が元の形へと戻り、痛みも殆ど消えてしまった。

「ありがとうございます、レイソン嬢」
「べ、別にお礼を言われる程の事じゃないわ。私は慈愛の聖女なんだから」
 素直じゃない彼女の態度にクロードが微笑む。これが仮に怪我を負ったのがエルリックだったらと考えると、彼女の態度が百八十度変わる事は目に見えて分かるが、それも何だか微笑ましかった。
「エルリック殿下も素晴らしい剣技でした。流石です」
「当然だろう?剣聖であるこの私の自慢の技なのだ」
 自信に満ちた様子で告げるエルリック殿下。普段の調子が戻った様子だった。クロードの懸念が一つ晴れる。

「レイラも凄い魔法だったよ。助けられちゃったな」
「なに勝手に場を収めようとしてるのよ?あんたは本当に無茶ばっかりして...。言いたいことは山程あるから、帰ったら覚悟しておきなさい」
「う...仰せのままに」
 洞穴内に笑いが漏れる。危機的状況ではあったが、勇者一行の絆はより深まった気がした。

「もう動いて平気なの?」
 徐ろに立ち上がるクロードへレイラが声を掛ける。まだ多少は痛みが残っているものの、動く分には問題なさそうだった。
「うん、もう大丈夫だ。それより、思った以上に時間がかかってしまったから、早くギルドへ戻って依頼達成の報告をしよう」
 洞穴に入ってから、少なくとも三十分以上は経過してしまっている。往復での時間を考えると、出来るだけ早く帰還するに越した事はなかった。
「そうね、きっと私達の帰りを待っているはずだわ」
「ああ、こんな辛気臭い場所とはさっさとオサラバしたいものだ」
「私も早く帰ってシャワーを浴びたいわ」
 他のメンバーも同じ気持ちだったのか、クロードの意見に同意する。

(これでバルクエの脅威は取り除いた。だが、依然として岬には魔物が多数確認されたままだ。街へ戻り次第、岬周辺の立ち入りを禁止して、警備を強化してもらうべきだろう)
 仲間三人の背中を眺めながら、クロードが思う。またいつ、今回のミノタウロスのような化物が襲ってこないとも限らないのだ。入念に対策を取っておくべきだった。

 そうして今後の思索に耽っていた為か。この時の彼は「Aランク」という魔物がいかに強力な存在であるのか。それを失念してしまっていた。勇者一行の前に影が落ちる。クロードが慌てて振り返ると、横一文字に薙ぎ払われる大斧が目に入った。
「がふっ」
 大きな音を立てて、クロードの全身が岩壁に直撃する。咄嗟に向けた聖剣も勢いを殺しきれず、彼の体は無抵抗なまま吹き飛んだ。彼は意識が途絶える瞬間、レイラの声を聞いたような気がしていた。

「冗談でしょ、これ」
「う、嘘...」
「こいつ、まだ生きているというのか!?」
 真新しい血のりがついた大斧が勇者一行に向けられる。黒い大粒の雫を垂らす牛頭の眸は、手負いによる闘争心で燃え盛っていた。
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