ずっとキミを好きだった

シェリンカ

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2.一生一度の大失恋

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「何……? 俺の顔になんか付いてる?」

 私が見ていることになんて、まるで気がついていないと思っていたのに、やっぱり海里は侮れない。
 ママ自慢の手作りコロッケをお箸でつかみながら、伏せていた視線を急に上げ、真正面から私をじっと見つめて突然そんなことを聞いてくるから、ドキリと心臓が跳ねる。
 
(髪の色だけじゃなく瞳の色も薄いなー)
 とか
(睫毛ながっ!)
 とか
 私が考えていたことなんてまるでいつもどおりだったのに、それを素直に本人に伝える気にはやっぱりなれなかった。
 
「別に……いつもどおりのニヤケ顔だなって……そう思っただけ……」
「ひどっ! なにそれ……!」

 口では文句を言いながらも、もう笑ってる。
 
 笑い上戸の海里は、ちょっとしたことでもすぐに肩を揺すって大笑いを始める。
 大きな目の目尻をほんの少しだけ下げて、大きく口を開けて、屈託なく笑うその笑顔は、いろんな表情の中でも私が特に好きな顔だ。
 
 だから慌てて目を逸らす。
 
 ボッと火がついたように頬が赤くなるか。
 ボケーッと魂を奪われたように私のほうこそマヌケ面になるか。
 そんな失態を晒す前に、急いで危険を回避した。
 
「だって本当に、さっきからニヤニヤしっぱなし。気持ち悪い。何? ……思い出し笑い?」

 テーブルの上に頬杖をついて、そっぽを向いたまま問いかけたら、海里がブッと吹き出した。
 
「気持ち悪いって! ……でもまあ……うん……確かに思い出し笑いかな……ははっ」

 ちょっと照れたように、そのくせ嬉しそうに、素直に認めるものだから腹が立つ。
 海里のことならなんでもわかってしまう自分に――。 
 そして、結構いろんなことに気がまわるくせに、私の気持ちにだけはまるで気がつかない海里にも――。
 
「あっそう! よかったわね!」
 
 悔し紛れに、目の前にあったバケットを取り上げてガブリとかじりついた。
 
 ――海里の好物。
 
 これを焼き上げるのに、私は朝から休日の半分を費やしたというのに、当の本人は今日もやっぱり出かけていて、私の家に夕食を食べにやって来たのは、いつもよりかなり遅い時間だった。
 
(別にいいんだけど……! そんなこととやかくいう権利なんて私にはないし……!)
 
 顎が痛くなるほどの勢いで噛み砕いて、もう一口食べようとしたら阻止された。
 パンではなく私の手首をつかんで、海里がそのまま自分のほうへと引き寄せるからドキリとする。
 
「な、なによ!」
「なによって……これ俺のでしょ? ……ひとみちゃんが焼いたの? うまそー」
 
 そのまま本当に海里は、私の手に握られたままのバケットに顔を寄せて、一口食べてしまった。
 
 手首をつかまれたままの大きな手に、指先にかすかに触れた柔らかい髪に、どうしようもなく鼓動が速くなる。
 
「じ、自分で持って食べなさいよっ! バカ海里!」
 
 私が焦ることなんてまるであらかじめわかっていたかのように、ちょっと低い位置から悪戯っぽい笑顔で上目遣いに顔を見上げられるから、私は体をよじって顔を背ける。
 
(真っ赤になった顔なんて見せない! 絶対に、絶対に見せない!)
 
 しかし、固い決意が虚しくなるほどに、海里はまるで緊張感の欠片もない声でのんびりと呟いた。
 
「あ、美味しい……! 凄いなー、どんどん腕を上げてるんじゃない? 何? ……ひとみちゃん、将来パン屋になるの?」
「あっ……!」
 
 危うく『あんた以外のために作る気なんてないわよ!』と叫んでしまいそうだった自分を、必死でこらえた。
 
「……あ?」
 
 小首を傾げて、そんなに無邪気な笑顔で私を見ないで欲しい。
 私だって小さな頃は、海里と同じように素直に笑顔を返していた。
 でもあの頃のようには、最近は全然上手くいかない。
 
 大好きなはずなのに、海里の笑顔を目の前にすると、もともと意地っ張りで天邪鬼な性格が災いして、ますます意固地な態度を取ってしまう。
 
「あんたに関係ないわよっ!」
「えーっ! なにそれ……ひどいなぁ……ははっ」
 
 文句を言いながらもやっぱり笑いだす顔に、自然と視線が釘づけになる。
 どんなに顔を背けようとしたって、頑なに背を向けようとしたって、とっくの昔にはまってしまってるんだから、今さらもうどうしようもない。
 
 笑う海里が私のすぐ近くで頭を揺らすたびに、柔らかな茶色い髪からいいい香りがした。
 
 ――これまでの海里の周りでは嗅いだことのない、少なくとも私の知らない香り。
 
 学校をサボってどこかに出かけるようになってから、自分がそのいい香りをさせて帰って来るようになったことに、海里は気がついているんだろうか。
 
(きっと気づいてないよね……バカ海里……!)
 
 ズキンと胸の奥に突き刺さった痛みをなかったことにしようと、私は今日も複雑に絡みあった全ての感情を、怒りへとすりかえる。
 
(ほんっとにバカ! 最低!)
 
 海里がいつまでも私の手首をつかんだままなことが、本当は嬉しくて、少し苦しかった。
 
 

 
 毎日決まった時間にどこかに出かけていく海里が、きっと誰かと会っているんだろうってことは、私にだってすぐに察しがついた。
 
 以前よりずっと笑うようになったし、それとは逆に真剣に考えこむようにもなったから――。
 
 本人は全然そんな気はないかもしれないが、ずいぶんと男っぽくなったとも思う。
 
 クラスの男子たち同様、年齢よりもずっとお子様だと思っていたのに、時々ふとした瞬間に大人っぽい気遣いや仕草を見せるようになった。
 
 その変化はやっぱり、私の知らない誰かによってもたらされたのだ。
 
(『誰か』か……それってやっぱり……女の子だよね?)
 
 海里に、誰にも内緒で会っている女の子がいるなんて、これだけ状況証拠が揃っていたって全然想像できない。
 
(だってどんな顔して……? あの面倒臭がりが……?)
 
 わざわざ告白してくれたもの好きな女の子にだって、あいつはこれまでずっと断りを入れ続けてきたのだ。
 
 それに関しては病気のこともあるのかもしれないが、だからこそ尚更、海里にそんな相手がある日突然できるなんて、私は想像もしていなかった。
 
 小さな頃からずっと隣に並んで同じ景色を見て育ったのに、違う方向を向いて歩きだした途端、一足飛びに遠いところへ行ってしまったなんて、とても信じられない。
 
 ――それも私には手が届きそうもない遠いところへだ。
 
(ほんとにそうなのかな……?)
 
 微かな希望をこめた疑惑を捨て去ることのできない私は、海里に直接聞いてみることにした。
 もちろんそのものズバリを聞くなんてできないから、多少遠回しに――。
 
 でもそれが、この先どんなに自分にとって苦しいことになるのかなんて、この時はまだ全然わかってなかった。
 
 

 
 学校に行かずに自由に過ごすことを許可してもらった代わりに、海里は陸兄といくつか約束を交わした。
 
 常に携帯電話を持ち歩くことと、ちょっとでも具合が悪くなったら陸兄か私にすぐに連絡すること。
 そして週に一回は病院に検査を受けに行くこと。
 
 発作が起きたわけでもなく、ましてや今は長い入院からやっと開放されたばかりで体調だっていいはずなのに、週一は多すぎるんじゃないかと尋ねたら、陸兄に笑顔で諭された。
 
『常に万全を期すに越したことはないだろ?』
 
 さすがに現役で国立大の医学部に受かって、外科医の道一直線の人の言葉には重みがある。
 
 たとえ本人が実生活においては、海里とたいして変わらないくらい大事なところでどこか抜けている人だとしても――。
 
 つき添いには私が行くことになり、週に一回は学校に許可を貰って、海里と病院に通っている。
 
 海里が学校に行っていた頃は、朝夕一緒に乗っていたタクシー。
 ひさしぶりに並んで座る後部座席は、必要以上にドキドキした。
 
「毎回毎回ついて来なくても……子供じゃないんだし、俺は一人で大丈夫だよ?」

 ニッコリ笑いながら話しかけてくる海里に、わざと視線を向けないままに私は口を開く。
 
「それはどうかな? 今日だって私が教えてやらなきゃ、病院の日だってことすらすっかり忘れてたし……」
「それはそうなんだけど……知らせてくれれば、行くのは俺一人でだって……」
「どうかな? あんなに行きたがってた学校だってサボってるくらいだから……ひょっとしたら病院も……」
「それはない」
 
 意地悪な私の攻撃をのらりくらりとかわし続けていた海里が、急に反撃に出た。
 ――そんな気がした。
 
 唇には軽く笑みを浮かべたまま、瞳だけはこの上なく真剣に輝かせて、まっ直ぐにこちらを見ている気配を感じるから、妙に焦る。
 
「それじゃ死ぬのが早くなっちゃうじゃん……」
 
 さらりと何気ない口調で言ってのけられたセリフに、ドキリとどうしようもなく大きく心臓が跳ねた。
 
 『死』なんて言葉、私は耳にするのも嫌いだ。
 物心もつかない小さな頃から、私の大好きな従兄妹はずっとその言葉につき纏われてきた。
 
 危うく連れ去られそうになったり、なんとかこちらに踏み止まったり。
 何度も何度もくり返して、それでも戦いはまだ終わってはいないのだから、一瞬だって気が抜けない。
 
 私は『死』に負けるつもりなんてさらさらなかった。
 海里が連れて行かれるのを黙って見送るつもりもない。
 戦って戦って、最後の最後まで絶対に海里を守ってみせる。
 
 本人には決して言えない本心。
 でも私の中では揺らぐことのない強固な想い。
 
 だから『死』なんて言葉、海里が軽く口にするのは吐き気がするほど嫌いなのに、今日は必死に我慢して、いつもの罵声を飲みこんだ。
 
『なんって言い方するのよ! バカ海里!』と叫ぶ代わりに、これはきっといいチャンスなんだと、最近ずっと気になっていたことを問い質した。
 
「……もっと生きたいって思うようなことでもあった?」
 
 ハッとしたように海里が私の顔を見返した気配がしたが、そちらに視線は向けない。
 真っ直ぐに前を向いたまま、さらに尋ねる。
 
「……もっと生きて、傍にいたいと思うような人でも見つけた?」
 
 海里が息をのんだのがわかったような気がした。
 それでよかった。
 それで充分だった。
 もうこれ以上、私の疑惑を肯定するような海里の動きを感じたくはない。
 
『そうだよ。なんでわかったの?』なんていつもの調子で笑われてしまう前に、私は急いで、自分で始めたこの問答に終止符を打った。
 
「そう」
 
 そして、これ以上はどんな追加の説明も受けたくないという思いの意思表明として、海里に背を向けて、窓の外を向く。
 
 ズキズキとどうしようもなく胸が痛んでいた。
 
(そうか……やっぱりそうか……海里、好きな人ができたんだ……)
 
 思っていたよりもずっと苦しい。
 息をするのも苦しい。
 胸が痛い。
 必死に我慢していなければ、涙だって溢れてきそうだ。
 
『きっと誰のものにもならない……だから今のままでいい。一番近いポジションはきっとずっと私のもの』
 
 そんなふうに心の中で安心しきっていた先日までの自分に、できることならガツンと言ってやりたい。
 
(自惚れるな。甘く見るな。従兄妹だからってずっとその場所にいれるとは限らない。海里に大切な人ができたら、あいつの中の私なんて、きっと陸兄よりあと回しになってしまうんだから……)
 
『本当にただの従兄妹ですから!』
 
 誰かに海里との仲を冷やかされるたびに、怒って口にしていた自分の言葉が胸に痛い。
 それが本当に今の私たちの現実なんだと実感した途端、悲しくて悲しくてたまらなくなった。
 
(バカ海里! ……ううん……本当にバカなのは私だ……)
 
 ギュッとこぶしを握り締めながらも、一生懸命気持ちを落ち着ける。
 なんとか普通の様子に見えるように我慢するのだって、並大抵の努力じゃなかった。
 必死だった。
 
 ――だってそれは私にとって、全然平気なんかじゃない、一生一度の大失恋の瞬間だった。
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