神憑き皇子と最愛の偽巫女姫

シェリンカ

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「やめろ」

 聞きなれない、静かだが有無を言わせない迫力を感じるような声が頭上で響き、慧蓮は固く閉じていた目を恐る恐る開いてみた。

(え……?)

 目に飛び込んできたのは、老人の傍に控えていた布を被った若者に、女将が腕を掴まれている光景だった。

「下働きの者を足蹴にするな」

 布の下からかろうじて見える切れ長の瞳が、ちらりと慧蓮を見下ろし、次いで女将を真っ直ぐに見据える。

「あ……」

 客人たちに見えないように慧蓮を蹴っていたつもりが、見透かされてしまったことが気まずかったようで、女将が取り繕うように笑う。

「あ、あら? いえいえ、私はそんなつもりは……」

 執拗に鳩尾を蹴られる行為から解放され、慧蓮はほっと息を吐いた。

「大丈夫か?」

 目の前にしゃがみこんだ若者に助け起こされ、慧蓮は緊張を覚えた。
 それは、まともな人間として扱われたことがとても珍しい経験であったからであり、目線を合わせるように慧蓮の顔をのぞきこんだ若者が、はっとするような美貌の持ち主だったからだ。

 邸の奥の小さな房室でひたすら織り機に向かう日々の中、慧蓮は商家の人間以外とはほぼ接したことがない。
 ましてや、見知らぬ若い男性と言葉を交わすことなど初めてで、どうしていいのか戸惑う。

「はい、大丈夫です。ありがとうございます……」

 かろうじてお礼を述べた時、若者の後ろから感嘆したような声が響いた。

「ほう、ほう、ほう……確かにこれは素晴らしい反物じゃ」

 慧蓮の手から女将が取り上げた反物に、どうやら老人が目を留めたらしい。

「あっ、はい! 自慢の一品です!」

 慧蓮を蹴っていたことを若者に見咎められ、気まずい思いをしていたようだった女将が、水を得た魚のように老人の言葉に飛びつく。

「ぜひお薦めいたします!」
「ふむふむ……」

 女将から反物を受け取った老人が、床に座り込んだ慧蓮とその前に跪いた若者を見ながら、しきりに頷いている。

「なんとも珍しい……そうか、そうか……」

(…………?)

 あまり手にした反物を見ているふうではない様子に、慧蓮は違和感を覚えたのだが、どうやら女将の目には映っていないらしい。

「そちらになさいますか? 限定のお品なので、かなり値は張りますが……」

 揉み手をしながら商談に入ろうとする声に、店頭からやってきたらしい店主の声も重なる。

「なにしろ、我が家の娘が手間暇かけて織っているお品で、数を生産することがなかなか叶わず……」
「なるほど、なるほど……」

 老人が、蹴られた鳩尾を手で押さえる慧蓮の様子を見て、頷いたように慧蓮には感じられた。

「では、言い値でこちらをいただくとしよう」
「「ありがとうございます!!!」」

 二人一緒に頭を下げた店主夫婦に、老人は飄々とした声音で告げた。

「そちらのお嬢さんも一緒に」
「「え……?」」

 店主夫婦の声がまた重なる。
 老人は好々爺こうこうやといったふうの笑顔で、慧蓮を見つめていた。

「私……?」

 思わずこぼれ出た呟きに、老人がしっかりと頷く。

「そうじゃ。儂のところは今ちょっと人手不足でのう……若い娘の働き手が欲しいと思っておったところじゃ」
「え? いや、しかし……」

 店主が困惑している。当然だ。
 下働きの者を譲渡するという行為自体は珍しくもないが、慧蓮をということになると、瑶家としては簡単に首を縦に振れないだろう。
 慧蓮が織る反物は、瑶家の看板商品だ。それで現在の繁栄を築いたと言っても過言ではない。
 慧蓮は幼い頃に拾ってもらい、住処すみかを与えてもらったお礼のために、これからも一生反物を織って生きていくのだと本人も思っていた。
 しかし――。

「言い値で構わん。この反物と一緒にそちらのお嬢さんを、そちらの良い金額で譲り受けたい」

 老人の破格の提案に、店主夫婦の声が上擦る。

「い、いくらでも?」
「そうじゃ、いくらでも」

介斉かいさい!」

 慧蓮の前に跪いていた若者が、抗議するように老人をふり返って声を上げたが、当の老人はまったく意に介さない。

「商談成立じゃな」
「それでは、詳しいお話をこちらで……」

 老人と店主夫婦がいそいそと何かを相談し始めた光景を、慧蓮はまるで夢を見ているかのような気持ちでぼんやりと眺めていた。

(私……ここを出て、違う家で働くの……?)

 一生この場所で奴隷のように機を織り続けるしかないはずだった慧蓮の運命が、この日の出会いによって、大きく動き出した。
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