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第四章 錆色の迷宮
55:心傷3
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その時ふいに――どこか遠くで車が急ブレーキをかける音と、タイヤの軋む音がした。
驚いて顔を跳ね上げた瞬間、両手が震えだし、弁当を落としてしまった。
「あっ……いけない……」
急いで椅子を立ち、その場にしゃがみ、すぐに拾いたいのに体が動かない。
風に乗って聞こえてくる人々の騒めきや悲鳴や叫び声に、体中の神経が集中してしまっている。
(違う! 違う! 違うから!!)
弁当を諦めた私は、両手で自分の耳を塞ぎ、強く首を振った。
「ここはあの街じゃない! 今はあの時じゃない!」
呪文のようにくり返し、自分自身を抱きしめる。
急にズキズキと痛みだした背中の傷のせいか、次々と脳裏に甦る無残な光景のためか、溢れだした涙を拭いもせず、ただ首を振り続けた。
事故に遭ったあの日から、車の音や大通りは私のトラウマになっており、時折こうして恐くてたまらなくなる。
叔母や叔父が傍にいてくれ、根気強く言い聞かせてくれたおかげで、最近ではあまり気にならなくなっていたが、どうやら事故が起きたらしい気配は、私の記憶の蓋を強引にこじ開けてしまったようだ。
嫌だと心が拒否しているのに、足が勝手に立ち上がる。
黒煙が上がり人々の騒めきが聞こえるほうへ、ふらふらと歩きだす。
(嫌だ! 嫌だ!)
頭では力の限り拒絶しているのに、まるで自分の体ではないかのように、私の足はまったく止まらない。
様子のおかしな私を心配してか、ニャーニャーと鳴きながらまとわりついてくる猫たちにも、見向きできない。
前にも何度かこういうことがあった。
自分で思っているよりも根深く、私はあの事故の時、最後まで紅君を見守れなかったことを後悔として心に残しているらしい。
事故の現場など恐くてたまらないのに、ひき寄せられるようにそちらへ向かってしまう。
そこに紅君がいるはずないということは、今ではいっそう深く理解しているのに、体は私の指示に従わない。
「嫌だ……嫌だよ!」
声をふり絞ることもできず、小さな声で呟きながら、止めどなく涙を流して事故の現場へ向かう女の子など、誰が見ても奇妙だろう。
自分でもおかしいと思う。
止まることができるものならば、とうにそうしている。
でもできない。
「誰か……! 誰か止めて……!」
泣きながら小さな悲鳴を上げた時、私の足が向かっている大通りとは反対から声がした。
「千紗ちゃん?」
見えない糸で操られていたかのような体が、まるで糸が切れたように、ふいに自由になった。
私はゆっくりと首だけで背後をふり返る。
私に手を振る蒼ちゃんと、その横に立つ紅君の姿を目にし、まるで呪いが解けたかのように、ぴたりと足も止まった。
「どうした? 何かあったの?」
心配げに問いかけてくる蒼ちゃんへ向かい、私は踵を返し、助けを求めるように歩みだす。
いつも私の心を救ってくれる眩しいほどの笑顔に、無我夢中で駆け寄る。
だが――。
ガタガタとまだ震えが止まらない両手で、縋るように私が掴んだのは紅君の手だった。
自分に向かって大きく広げられた蒼ちゃんの腕ではなく、その隣でとまどうようにさし伸べられていた紅君の手だった。
「千紗ちゃん……?」
驚いたように掠れた声で、蒼ちゃんに名前を呼ばれた瞬間、思い知った。
四年ぶりに触れた紅君のあの頃とは比べものにならないほど大きな手が、私の手をふり払ったりせず、しっかりと握り返してくれた時に、痛いほどわかった。
(何年経ってもやっぱり変わらない……私が好きなのは紅君だ! 何があったって……どんなに離れていたって、結局全然変わらない……変わるはずがない!)
この上なく残酷に、我が儘に、胸の中では蒼ちゃんへの抱えきれないほどの罪悪感を覚えながら、それでも私は自覚した。
苦しくてたまらなかった。
驚いて顔を跳ね上げた瞬間、両手が震えだし、弁当を落としてしまった。
「あっ……いけない……」
急いで椅子を立ち、その場にしゃがみ、すぐに拾いたいのに体が動かない。
風に乗って聞こえてくる人々の騒めきや悲鳴や叫び声に、体中の神経が集中してしまっている。
(違う! 違う! 違うから!!)
弁当を諦めた私は、両手で自分の耳を塞ぎ、強く首を振った。
「ここはあの街じゃない! 今はあの時じゃない!」
呪文のようにくり返し、自分自身を抱きしめる。
急にズキズキと痛みだした背中の傷のせいか、次々と脳裏に甦る無残な光景のためか、溢れだした涙を拭いもせず、ただ首を振り続けた。
事故に遭ったあの日から、車の音や大通りは私のトラウマになっており、時折こうして恐くてたまらなくなる。
叔母や叔父が傍にいてくれ、根気強く言い聞かせてくれたおかげで、最近ではあまり気にならなくなっていたが、どうやら事故が起きたらしい気配は、私の記憶の蓋を強引にこじ開けてしまったようだ。
嫌だと心が拒否しているのに、足が勝手に立ち上がる。
黒煙が上がり人々の騒めきが聞こえるほうへ、ふらふらと歩きだす。
(嫌だ! 嫌だ!)
頭では力の限り拒絶しているのに、まるで自分の体ではないかのように、私の足はまったく止まらない。
様子のおかしな私を心配してか、ニャーニャーと鳴きながらまとわりついてくる猫たちにも、見向きできない。
前にも何度かこういうことがあった。
自分で思っているよりも根深く、私はあの事故の時、最後まで紅君を見守れなかったことを後悔として心に残しているらしい。
事故の現場など恐くてたまらないのに、ひき寄せられるようにそちらへ向かってしまう。
そこに紅君がいるはずないということは、今ではいっそう深く理解しているのに、体は私の指示に従わない。
「嫌だ……嫌だよ!」
声をふり絞ることもできず、小さな声で呟きながら、止めどなく涙を流して事故の現場へ向かう女の子など、誰が見ても奇妙だろう。
自分でもおかしいと思う。
止まることができるものならば、とうにそうしている。
でもできない。
「誰か……! 誰か止めて……!」
泣きながら小さな悲鳴を上げた時、私の足が向かっている大通りとは反対から声がした。
「千紗ちゃん?」
見えない糸で操られていたかのような体が、まるで糸が切れたように、ふいに自由になった。
私はゆっくりと首だけで背後をふり返る。
私に手を振る蒼ちゃんと、その横に立つ紅君の姿を目にし、まるで呪いが解けたかのように、ぴたりと足も止まった。
「どうした? 何かあったの?」
心配げに問いかけてくる蒼ちゃんへ向かい、私は踵を返し、助けを求めるように歩みだす。
いつも私の心を救ってくれる眩しいほどの笑顔に、無我夢中で駆け寄る。
だが――。
ガタガタとまだ震えが止まらない両手で、縋るように私が掴んだのは紅君の手だった。
自分に向かって大きく広げられた蒼ちゃんの腕ではなく、その隣でとまどうようにさし伸べられていた紅君の手だった。
「千紗ちゃん……?」
驚いたように掠れた声で、蒼ちゃんに名前を呼ばれた瞬間、思い知った。
四年ぶりに触れた紅君のあの頃とは比べものにならないほど大きな手が、私の手をふり払ったりせず、しっかりと握り返してくれた時に、痛いほどわかった。
(何年経ってもやっぱり変わらない……私が好きなのは紅君だ! 何があったって……どんなに離れていたって、結局全然変わらない……変わるはずがない!)
この上なく残酷に、我が儘に、胸の中では蒼ちゃんへの抱えきれないほどの罪悪感を覚えながら、それでも私は自覚した。
苦しくてたまらなかった。
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