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嘘月

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庭にある鹿威しと小さな池が月の光に照らされる。私は、一人縁側に佇み、それを眺めていた。光を反射する水面がとても綺麗で、池には錦鯉が軽やかに泳いでいる。

今日は満月の夜である。月の光が照らすものは、全て真実であるかのように透き通り、綺麗で神秘的にその場を照らしていた。

しかしその真実は偽りであり、月は嘘をついていることを私は知っていた。

「あら、灯織子(ひおりこ)様、起きていらっしゃったの?」

「ええ、目が覚めてしまって、今月を眺めていました」

「そうなのですね。お身体が冷えてしまうので、何か毛布でも」

「構わないわ」

「そうですか...」

沈黙は、私の心を癒した。今も尚、満月は私達を照らし続けている。

「こんな満月を見ると、思い出しますわ。まだ灯織子様が幼かった日、泣き止まない貴方様をこの縁側を歩きながらあやしたことを」

「そうなのですか」

「えぇ、灯織子様は、夜泣きが多かったですから」

「迷惑を、かけましたね」

「いえいえ、こんなにご立派にそして、清く正しく美しく育って頂けたのですからあの時の苦労も報われています。本当に貴方様は素晴らしい子に育ちました」

「それは良かったですね」

「少し、冷えてきたので、私も失礼させて頂きます。灯織子様もあまり夜更かしはよろしくありませんよ?」

「分かっています。時期に寝ますよ。もう下がっていいわ」

「左様ですか。それでは失礼致します」

私の乳母は、私に対してとても優しい。いつも気遣い、私の世話をし、色々手を尽くしてくれる。私に乳をやり、物心着くまで育てられた恩もある。
そんな、私と乳母とのやり取りを月の光は綺麗に照らしていただろう。

でもそれは、汚いものを明るい光で見えなくしているだけだった。

この綺麗な光景は、虚像であり、嘘であることを私だけは知っている。

乳母は、私に表では気遣い、思いやりを持ってお節介をいつもしてくれるが、裏では私の悪口を言っている。
その悪口は、とても汚い言葉遣いで聞くに絶えないものだった。
もう亡くなってしまったお爺様から、母の話を色々聞いた。子宝に恵まれなかった母は、唯一の我が子である私に愛情を持って接し、乳を与えて育てていたらしい。乳母が乳を与えて、私の夜泣きをあやしていたというのは嘘だ。実際に、1歳半頃に母は亡くなったと、お爺様は言っていた。

私の父はこの事実に関して問い詰めても、何も言わなかった。父は、女遊びが好きな人で、もう母のことを忘れてしまっているのかもしれない。

私は、平民から羨ましがられ、妬まれる存在だ。全てが恵まれ、そして幸せに生きているように見えているのだろう。

でも、それは月の光が照らし出した嘘である。

私が本性を出し、打ち解けて話せる人間は家の中にはもう、誰もいない。
それでもまだ、満月は私を照らしている。

「嘘月...」

池に映った満月に向かってそう呟いた。

その瞬間、縁側に風が吹き、肌寒く感じ、私は寝床に戻るために腰をあげた。

家全体を包み込む月は、今日も、闇夜を照らし、家を取り巻くその闇を見えなくしていた。


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