23 / 37
第七章
第二話 歴史の授業
しおりを挟む朝の光が黒板を斜めに横切り、粉チョークの白がきらりと光る。
半開きの窓から吹き込む春風が、かすかに眠気をさらっていった。
「はい、今日は“各国の古代試験制度”について話をしよう。」
教師が眼鏡を押し上げ、教科書を開いた。
「中国の科挙、日本の朱子学、ヨーロッパの官吏登用試験――形は違えど、いずれも“才能を試し、選ぶ”ための仕組みです。」
その声を聞きながら、教室のあちこちでペンを回す音がする。
誰かは小さく欠伸をし、誰かは机の下でスマホをいじっている。
ただ一人、彩音だけが真面目にノートを取りつつ、時折ちらりと隣を見た。
惠美――背筋を伸ばし、目を伏せ、まるで静物画の中の人物のように動かない。
「清代の八股文制度――」
教師が黒板に文字を書きながら続ける。
「最初は学問の方向を定めるためのものでしたが、やがて形式だけが残り、自由な発想を縛るものになってしまいました。」
その時。
「先生。」
静かな声が、教室の空気を裂いた。
黒板にチョークの音が止まり、教師が驚いたように顔を上げる。
「……高橋?」
惠美が立ち上がる。
姿勢はまっすぐ、目は揺らがない。
「科挙の制度は、初めこそ志ある者に門を開いたが、時が経つにつれて、形だけが残った。
才ある者、文の枠に縛られ、
まるで鳥籠に囚われた雀のごとし――羽ばたかんとしても、天に届かぬ。」
一瞬、教室の空気が凍りついた。
誰も息をすることさえ忘れる。
惠美は少しだけ間を置き、静かに続けた。
「だが、この仕組みがあったからこそ、
貧しき者にも道はあった。
不完全ではあれど、“夢を見られる枠”が、そこにあったのだと思います。」
教室がざわりと揺れた。
「……は? 何それ。」
「また始まったよ、“中二モード”だ。」
笑い声がいくつか漏れたが、教師は微笑んで首を振った。
「いや、高橋さん。とてもいい視点ですよ。
制度の功罪を、両面から見るのは大切なことです。
では――もし“試験制度”そのものがなくなったとしたら?
どうやって人の力を見極めると思いますか?」
惠美はわずかに目を伏せ、少しの間考える。
そして、静かに息を整えて答えた。
「人の才、紙上のみにては量れぬものです。。
昔は戦場にて刀を振るい、今は学び舎にて筆を取る。
けれど――どちらも、“努力をもって道を求める”という点では同じです。」
その声は、心の奥から静かに湧き上がり、教室の隅々まで沁みていくようだった。
「私たちは、飢えも戦も知らず、
この机の前で学べる。
数を解き、詩を読み、歴史を知る。
それは――過去の誰かが夢に見た“平和の形”。
だからこそ、この時間を大切にしたい。
一つの問題に悩み、一つの言葉に心を動かせること。
それこそが、今を生きる者の“幸せ”だと思うんです。」
しん……とした沈黙。
風が窓から吹き込み、紙の端がはらりとめくれる。
「……青春ってやつ?」
「マンガ読みすぎやろう?」
「でも……なんか、カッコよくね?」
小さな笑いとささやきが交錯する。
誰かが嘲り、誰かが感嘆し、誰かはただ黙って考えていた。
教師は少し目を細め、ゆっくりと頷いた。
「……素晴らしい発想ですね。
“学べること”そのものが、私たちの自由。
それを忘れないでください。」
鐘が鳴る。
教室が再びざわめき始めた。
それでも、どこか空気が違っていた。
彩音は俯いたままペンを握りしめ、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
――これが、あなたの“本当の姿”なんだね、惠美。
彼女の隣で、惠美は無言のままノートを閉じる。
指先がほんの一瞬だけ止まり、心の奥で呟く。
――父の灯の下、筆を執る背中。
あの光が、今の自分に、少し重なった気がした。
そして、静かに息を吐く。
「……筆を執りて、己の道を刻む。
たとえ剣を持たずとも、これは――わたしの戦。 」
春の光が、窓辺の紙を照らす。
風がそっとページをめくり、次の一行を促すように。
それは、新しい日々の始まりを告げる音だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
〘完〙なぜかモブの私がイケメン王子に強引に迫られてます 〜転生したら推しのヒロインが不在でした〜
hanakuro
恋愛
転生してみたら、そこは大好きな漫画の世界だった・・・
OLの梨奈は、事故により突然その生涯閉じる。
しかし次に気付くと、彼女は伯爵令嬢に転生していた。しかも、大好きだった漫画の中のたったのワンシーンに出てくる名もないモブ。
モブならお気楽に推しのヒロインを観察して過ごせると思っていたら、まさかのヒロインがいない!?
そして、推し不在に落胆する彼女に王子からまさかの強引なアプローチが・・
王子!その愛情はヒロインに向けてっ!
私、モブですから!
果たしてヒロインは、どこに行ったのか!?
そしてリーナは、王子の強引なアプローチから逃れることはできるのか!?
イケメン王子に翻弄される伯爵令嬢の恋模様が始まる。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。
しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。
冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!
わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?
それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる