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2章
6 昼下がりの逢瀬
しおりを挟むロイと初めて出会ったあの日から二週間と少し。
今日も広い庭園の隅っこにある木陰に座りながら、スーリアは手作りの弁当を広げていた。
だいぶ春らしくなってきた陽気に心が弾む。
スーリアが庭師として働き始めた時期はちょうど真冬だったので、これから訪れる新緑の季節が待ち遠しくて仕方がなかったのだ。
待ち遠しいと言えば、もうひとつ。
「今日もうまそうだな」
茂みの横から顔を見せた人物が、スーリアの弁当を覗き込みながら言ってきた。
その人は今日も黒い隊服を着て、品のある装飾が施された剣を腰に差している。
「ロイ! またサボりなの?」
「サボりじゃない、休憩だ」
否定する彼に、胡乱な視線を向けた。
ロイは三日に一度のペースでこの場所にやってくる。何が楽しいのか分からないが、休憩と称してスーリアを構いにくるのだ。
どうせ次に会うのは当分先だろうと思っていたスーリアは、温室に行った翌日、早速やってきた彼に目を丸くした。
当然心構えなどできていなかったため、上擦った声で彼を出迎えることになった。
『ろ、ロイさま……?』
『命令』
『うっ……ろ、ろい、どうしてここに?』
『またな、って言っただろ? ほら、昨日の詫びだ』
そう言って手渡してきたのは、貴族の間で有名な高級菓子だった。
伯爵令嬢であるスーリアは口にしたことがあったが、実際のところ、庶民には簡単に手が出せないような菓子である。こんなものを昨日の今日で用意するとは、やはり相当身分の高いお坊っちゃんなのか。
それからも、彼は訪れるたびに何かしらの差し入れを持ってくる。
菓子であったり、フルーツであったり。女性が喜びそうなものを見繕ってくれているようだが、毎回食べ物なのはよほど食い意地が張っているように思われているのだろうかと、少しだけ恥ずかしくなった。
それにしても、本当に律儀な性格である。
なんだか餌付けされているような気分にもなったが、悪い気はしないので毎回素直に受け取っている。
「で、今日はなに?」
「俺を待っていたなら、素直に喜べ」
「別にあなたを待っていたわけじゃ……!」
待っていたのはお菓子であって、彼ではない。
自分にもそう言い聞かせているが、だんだんと苦しくなってきた。
そう、スーリアは昼下がりのこの秘密の逢瀬を、心待ちにしているのだ。
『命令』のせいで初めはぎこちなかった会話も、慣れてしまえばどうということはなかった。もともと淑女らしい振る舞いが苦手なこともあり、砕けた口調での会話はありがたかったのだ。
「わかってる、ほしいのはこれだろ」
ロイはシンプルな模様の描かれた、手のひらサイズの箱を手渡す。
それを受け取ったスーリアがふたを開けると、中には様々な形の小さめのチョコレートが並んでいた。ひとつひとつが繊細なデザインをしており、これもそれなりの値段がするだろうと予想できる。
「ありがとう」
礼を言いながらチョコレートをひとつ口に運ぶ。甘さと苦みが絶妙に合わさったそれは、なんだか大人の味がした。
ふたの裏側に説明書きがあり、そこには『恋の味』と書かれている。
「恋……」
「なんだ?」
「なっなんでもない!」
「?」
気づきそうになった気持ちに蓋をするように、スーリアは慌ててチョコレートの箱を閉じた。
まだ昼食の途中なので、残りはあとでゆっくりいただくとする。なんとなく、彼の前では食べにくかった。
スーリアは話題を変えようと、感じていた疑問を口にする。
「そういえば、私はいつも決まった時間に休憩に入るわけじゃないのに、あなたは毎回タイミングを見計らったようにやってくるわね?」
「それは……」
ロイは気まずそうに目を逸らす。露骨なその態度に、スーリアは隣に座る彼の顔を覗き込んだ。
「何か言いにくいことがあるのかしら?」
「……黙秘する」
「ずるいわ!」
「当然の権利だ」
顔を近づけて抗議するも、彼はそっぽを向いて拒否権を主張する。
スーリアが休憩に入る時間は毎日決まっていない。作業が落ち着いたら適当に抜けることにしているのだが、ロイはそれを見ているかのように、スーリアの休憩時間に合わせてこの木陰にやってくる。
初めはたまたまかと思っていたが、何回も続くとさすがに偶然とは思えない。
思い切って疑問をぶつけてみたが、これは答えてくれなさそうだ。
スーリアはふてくされるように頬を膨らませた。
「まさか、どこかで覗き見してるんじゃ――」
「うるさい」
「否定はしないのね?」
「……」
これでは肯定しているようなものだが、反対側を向く彼の頬がわずかに赤く染まっているような気がして、スーリアはそれ以上追及することをやめた。
これは気にかけてもらえているのだろう。その事実が分かっただけで満足してしまう。
どうしてそれだけで嬉しいと思えるのか、一瞬浮かんだ疑問は彼の言葉にかき消される。
「君は、その……あの同僚の男とは仲がいいのか?」
「同僚? ジャックのことかしら?」
スーリアへと視線を向けて、ロイは頷く。
先ほど彼に詰め寄ったせいで思いのほか距離が近く、いつもより間近で見た灰色の瞳に心臓が跳ねた。
近くで見ると不思議な色の瞳だと気づく。虹彩の部分が星くずを集めたように、キラキラと銀色に輝いて見えるのだ。
一瞬見惚れてしまったスーリアだが、我に返ると彼から少し距離をとり会話を再開した。
「ジャックは……そうね、仲がいいというか、少し特別なの」
「特別?」
スーリアの言葉に、ロイは不機嫌をあらわにするように柳眉を寄せる。
「ええ、ちょっと特別な関係で」
「……そうか」
ジャックはスーリアの身分を正しく知る、唯一の同僚だ。
彼は親方の一番弟子で、スーリアより五つ年上である。
スーリアはこの王城で、下積みもなく突然庭師として働き始めたため、職場内で諍いがおきる可能性があった。そんなスーリアをジャックが気にかけていれば、何らかの抑止力になるだろうと、父と相談した上で彼には本当のことを伝えたのだ。
そういう事情もあり、ジャックとは特別な関係と言っても間違いはないだろう。
本当のことをロイには言えないため、曖昧な表現になったが、彼は視線を落として黙り込んでしまった。
「ロイ?」
「何でもない。そろそろ戻る」
「あ、うん。チョコレートありがとう」
改めて礼を言うが、彼はスーリアには視線を向けず立ち上がった。
それを目で追うと、ロイが振り返る。
「しばらく忙しくなるから、ここには来られないと思う」
「あ……、そうなのね」
スーリアが見上げると、彼の銀灰色の瞳に射止められる。
「でも、待っていてくれたら、嬉しい」
「待っているわ、お菓子を」
「お菓子も、だろ」
なんとなく真剣なその雰囲気に、つい冗談を口にしてしまう。
それでも彼は笑って返してくれた。
「またな、スーリア」
いつものように、ロイは別れの挨拶を言う。
それからスーリアの頭に手を置いて、こげ茶色の髪をひと撫でして離れていった。
後に残されたスーリアは、己の胸に手を当てながら、そのざわつきの理由を探していた。
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