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3章

17 塞がれた逃げ道

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「しかし、スーリアおまえ……」

 ヒューゴがなんとも言えない表情で、スーリアの胸元を凝視している。

「いつもサイズの合わない服を着ていたのは、それを隠していたのか?」

 スーリアは今まで、ヒューゴの前では大きめの服ばかり着用していた。
 それと言うのも、既製品だと胸のサイズが合わないのだ。オーダーメイドであればサイズを合わせた服を作れるが、価格が上がる。
 洋服に興味のないスーリアからすると、そんなものにお金を使うのであれば、新品の庭具を買い揃えたいという気持ちが勝った。

 結局胸のサイズに合わせて既製品を購入するため、私服のドレスはサイズの合わないものが多くなる。
 ヒューゴの前でも大きめの服を着ていたので、そのことを言っているのだろう。故意に隠していたわけではないが、結果的にそうなったのは事実だ。

 どう返事をしたものか迷っていると、ヒューゴは小さな声でぽつりともらす。

「……もったいないことをしたな」

 この男は容姿でしか他人を見られないのか。
 はっきりいって嫌悪感しかない。
 スーリア本人の前で言うのもどうかと思うが、隣にいる新しい婚約者にも失礼だろう。

 シェリルに視線をやると、彼女は頬を膨らませながら上目遣いでヒューゴを見て言った。

「ヒューゴさま、シェリルだって負けてませんよぉ」

 舌足らずな甘い声を出しながら、彼女はヒューゴの腕を取り、自分の胸元へと引き寄せる。
 急に引っ張られたからか、ヒューゴがバランスを崩した。

「シェリル、危なっ――」

 咄嗟に態勢を立て直そうとしたヒューゴの手から、ワイングラスがこぼれ落ちる。
 手を引かれた勢いで、そのグラスはシェリルの反対側にいたスーリアの方へと、吸い寄せられるように落ちて行った。

 スーリアには一連の流れがスローモーションのように見えていた。
 このままいけば、確実にあのグラスの中身がドレスを濡らす。そうなったらこの会場から抜け出せるだろうか、なんてやましい考えが頭を過った。

 実際には一瞬にして、脳内に思考が駆け巡る。
 スーリアの望み通り、赤いワインがドレスに染みを作ると思われたその瞬間、勢いよく腕を後ろへ引かれた。

「っ――!?」

 勢いのままに倒れ込みそうになったスーリアの背中を、男性の腕が支える。
 同時に、ワイングラスが床に叩きつけられるけたたましい音が、会場内に響き渡った。

 グラスが砕け散る床を、赤いワインが濡らしていく。
 その光景を茫然と見つめていると、頭上からほっとしたように息を吐く音が聞こえた。

「大丈夫か? 咄嗟に腕を引いてしまったが、怪我は――」

 かけられた言葉は途中で途切れる。
 聞き覚えのある声に、ゆっくりと後ろを振り向いた。
 そこで、大きく見開かれた銀灰色の視線とぶつかる。

「スー……リア?」

 喉から絞り出すように紡がれた声の主は、紛れもなく――

「ロイ!?」

 予期せぬ人物に、思わず大きな声でその名を呼んだ。
 割れたグラスのことなど一瞬で頭から消え去り、目の前の人に釘付けになる。

「どうしてあなたがいるの!?」

 勢いよく尋ねると、いつもの黒い隊服とは違うグレーの礼服を身にまとった彼は、その瞳に驚きを滲ませたまま、たどたどしく言った。

「君、こそ……なぜ、ここに?」

 動揺が伝わってくる彼の声に、スーリアははっと気づく。
 ロイは高位の貴族のはずだ。彼が王宮の夜会に参加していても何もおかしくはない。
 むしろ、おかしいのはスーリアの方である。

 彼の中でのスーリアは平民だ。
 よほどの後ろ盾がない限り、平民がこの夜会に参加することは難しい。ただの小娘が、そんな資格を持っているはずがない。
 これでは、完全に嘘をついてましたと言っているようなものだ。

 ここは素直に謝るべきかと口を開きかけると、少し離れたところから名前を呼ぶ声がした。

「スーリア、大丈夫か!? ロイアルド殿下、娘を助けていただきありがとうございます」

 全身の毛が逆立った。

 ――父は、いま、なんて?

「フロッド、彼女は……スーリアは、君の娘なのか?」

 フロッドというのは父の名前だ。
 なぜ彼が父の名前を知っているのか。

「ええ、そうですが、なぜ殿下が娘の名前を……?」

 親子揃って似たような疑問を抱く。
 だがそれよりも、もっと重要なことを耳にした。

 その呼び方は、まさか――

「でん、か……?」

 スーリアの口から、音がこぼれる。
 その声は、目の前のロイアルドと呼ばれた青年にしか聞き取れないほど、とても小さなものだった。

 銀灰色の瞳が細められる。
 彼は父の質問には答えず、柳眉を寄せて、苦い顔でスーリアを見た。

 ロイアルドが何かを紡ごうと口を開きかけるが、それよりも早く、周りからひそひそとした喋り声が聞こえ出した。

「ねぇ、あの娘。いま殿下のことを愛称で呼ばなかった?」
「わたしにもそう聞こえたわ。随分と砕けた口調で話しかけていたようだけど」
「あの冷酷王子にあんな態度で接するなんて……あぁ恐ろしい」

 気づくと周りには人だかりができていた。
 グラスの割れる音で、人が集まってきてしまったらしい。
 二人の会話が聞こえていたのか、皆口々に疑問を浮かべ、訝しむような視線を向けてくる。

 スーリアの身体が小さく震えだした。
 現実がだんだんと脳に浸透してくる。

 ――ロイアルド

 そうだ。確か第二王子はそんな名前だった。
 記憶の片隅に残る、王族の情報を引き出す。

 ――第二王子はとても冷酷で、他人を寄せ付けない性格をしている。

 ロイがアレストリアの第二王子、ロイアルド殿下。

 スーリアのよく知る彼と、第二王子のイメージは全く一致しないが、いま置かれている状況からしてこれは間違いないのだろう。
 そんな尊うべき人物に、今まであんな馴れ馴れしい態度で接していたなんて……

「も、申し訳ありませんっ……わたし――」

 彼の顔を見ることができずに俯く。
 身体の震えは酷くなり、全身から血の気が引いていくのを感じた。

 恐怖から立っていられなくなり、ふらりとその場に倒れそうになる。
 足の力が抜け、床に尻もちをつきそうになったスーリアの背中を、目の前にいた青年が支えた。
 それを見ていた人々から驚きの声がもれる。

「お、お離しくださいっ……」

 振りほどこうともがいたが、ロイアルドの手がしっかりとスーリアの腰を掴んで離さなかった。

「殿下っ……」
「その呼び方は、好きじゃない」
「え……」

 この期に及んで何を言っているのか。状況を考えてほしい。
 そう思うスーリアを無視して、ロイアルドは父に向けて言う。

「フロッド、今日は娘の伴侶を探しにきたと言っていたな?」
「え、ええ。そうですが……」

 父が頷くの確認してから、彼はスーリアの若草色の瞳を覗き込む。
 その銀灰色の瞳に、強い意志を宿して。

「スーリア……すまない。俺は、君をあきらめきれそうもない」

 言い終えるのと同時に、彼はスーリアの脚の下に手を差し入れ、横向きに抱き上げた。

「っ――!?」

 声にならない悲鳴がもれる。
 やたらと騒がしくなった人だかりに向かって、彼は芯の通る低い声で言った。

「静まれ」

 その一言で、場の空気が一変する。
 観衆の視線が、スーリアを抱えるロイアルドへと注がれた。

「彼女は俺の婚約者だ。どんな口のきき方をしようと問題はない」

 その場がしんと静まり返る。
 彼の言葉は観衆へと向けられたものなのか、それとも腕の中にいるスーリアへと向けられたものなのか。

「なっなにを言っ――」

 反論しようと声を上げたスーリアの耳元に、彼が顔寄せる。
 そして、スーリアにだけ聞こえるような小さな声で言った。

「今は話を合わせておけ」

 状況的にここでスーリアが否定するのはまずい。
 それは理解できたので、納得はできないがとりあえず黙ることにした。

 スーリアが大人しくなったのを見て、ロイアルドは歩き出す。
 彼が進む方向にいた人だかりは、自然と道を開けた。

 そのまま会場の外へと移動し、廊下を進む。
 後ろを追ってきた父が、ロイアルドに声をかけた。

「殿下、詳しく説明してもらいますよ」
「……分かっている」

 彼は気まずそうに答えた。

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