死にたがりの黒豹王子は、婚約破棄されて捨てられた令嬢を妻にしたい 【ネコ科王子の手なずけ方】

鷹凪きら

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4章

26 生きる理由

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 深呼吸を繰り返す。
 焦る心を落ち着かせるように、新鮮な空気を肺に送り続けた。

 目の前に立つ背の高い樹を見上げる。
 爪が食い込むほどに強く握りしめていた手を解き、幹に触れた。
 手のひらでそっと撫でると、懐かしさがこみ上げる。

「スーリア……」

 行方の知れない、愛しい人の名前を呼ぶ。

 彼女を見つけるためには、しなければならないことがあった。
 獣の能力を使うために、呪いを発動させなければならない。

 黒ヒョウ時のロイアルドは、聴覚と嗅覚が人間の数倍になる。特に聴覚には優れており、かなりの広範囲の音を聞き分け、発生源を特定することができた。
 この力を使えば、捜索は格段に早くなる。

 しかし、呪いを発動させるには条件を満たなければならない。
 ロイアルドの呪いはある感情に起因するため、まずは精神状態を落ち着ける必要があった。

 今までその感情を抱くために、人との関わりは避けてきた。
 この呪いは、なんとなく思う程度では発動しないのだ。心の底から感情が込み上げてきた時のみ、獣の姿に変わる。
 安易に呪いが発動しないことは生活する上ではありがたかったが、獣の力を利用するロイアルドには悩ましい部分でもあった。

 特にこの感情に至っては、恋人でもできて日常に充足感を得たら、発動させるのは難しいだろう。
 他人と親しくなることを避けてきたのは、それが理由だった。
 記憶の中に残る懐かしい思い出に縋り、とある少女の存在を忘れられなかったことも原因のひとつだが。

 幹に触れた指先から伝わる懐かしさに、大切にしまっていた記憶が呼び起こされる。

 スーリアと秘密の逢瀬を重ねていたこの木陰こそ、あの少女と初めて出会った場所だった。



   *



 幼少の頃、ロイアルドはとても身体の弱い子供だった。
 少しの気温の変化で熱を出し、身体が冷えると咳が止まらなくなる。
 そんな毎日を繰り返していた。
 特に冬は酷く、ほとんどの時間を自室のベッドで過ごしていたほどだ。

 あの日もそうだった。
 夏の終わり、朝方に降った雨のせいで急に気温が下がり、咳が止まらなくなった。
 こうなると呼吸をするのもつらく、心に抱くのはひとつの感情だった。

 ――いっそ死んでしまいたい

 死ねばきっと楽になれる。
 この苦しみから、解放される。

 その感情を抱くと身体が軽くなった。
 己の体を確認すると、黒ヒョウに変化している。

 そう、ロイアルドは死にたいと、消えてしまいたいと思うと呪いが発動する。
 特に子供の頃は呪いの影響が大きいのか、少しでもその感情を抱くと黒ヒョウへと変わっていた。

 不思議なことに、獣の姿になると咳は止まり、だるさも消える。
 ベッドから起き上がれるようになったロイアルドは、その姿で部屋を抜け出すようになった。人の姿では城の外にはほとんど出られなかったが、黒ヒョウになれば庭園を歩くこともできる。
 窓から眺めるだけだった芝の上を、己の足で踏みしめる楽しさに、何度も庭を訪れた。

 そしてあの日、一人の少女と出会う。

 黒ヒョウになると獣の感覚が宿るらしい。
 庭園で見つけた小鳥を本能のままに追いかけ、気づいたらそこそこ高さのある樹に登っていた。
 降りることができなくなり途方に暮れていると、下から声がかけられる。

『くろねこさん、おりられないの?』

 ダークブラウンの髪を肩の下で切りそろえた、若草色の瞳をした少女だった。
 樹の上で震える黒ヒョウを、黒猫と勘違いしたらしい。確かに子供の頃のロイアルドの姿は、大きめの猫と言えなくもない。
 大人が見たらあきらかに違うことは分かるのだが、少女も幼く、そこまで判断がつかなかったのだろう。

『まってて、いまいくから!』

 少女は元気に叫ぶと、樹の幹に手をかけよじ登りだした。
 あの細い腕のどこにそんな力があるのだろうと思うほど器用に枝を掴み、あっという間にロイアルドがいる場所までたどり着く。

 少女は枝の上に腰かけると、黒ヒョウを抱き上げた。
 そのまま膝の上に乗せて、頭を撫でる。

『もうだいじょうぶだよ』

 優しい声に、恐怖が消えていく。

 こんなところになぜ女の子がいるのか。
 服装からして貴族の娘のように見えるが、そんな子が簡単に樹を登るなんて。

 疑問や驚きが尽きなかったが、体を撫でる少女の手が心地よく、深く考えるのをやめた。

『わあ、きれい!』

 少女が突然声を上げる。
 どうしたのかと視線の先を追うと、少し離れたところの庭園の一角が、一面黄色に染まっていた。
 よく見るとそれはひまわりの花で、樹に登ったことによって上から見下ろす形になり、幼い二人にはとても壮大な景色に見えた。

『ひまわりは、太陽のほうをむいて咲くのよ』

 花に詳しいのか、少女は知識を自慢するように言った。

『お城のお庭はすてきね。うちの庭も、もっと広かったらよかったのに!』

 少女を見ると、赤く染まった頬を膨らませている。
 そのりんごのような真っ赤な頬が印象的だった。

 しばらくひまわりを眺めていた二人だが、少女が残念そうに呟く。

『そろそろ、もどらなくっちゃ』

 そう言って、黒ヒョウを頭に乗せる。

『しっかり、つかまっててね!』

 掴まれと言われても、ヒョウの手ではなかなか難しい要望だ。
 爪を立てないように、必死で少女の頭を抱え込むように掴んだ。

 登ってきた時と同じように、器用に降りていく。
 地面に着地すると、ロイアルドは少女の頭の上から飛び降りた。

『ばいばい、くろねこさん!』

 大きく手を振って、城の方へと駆けていく。
 そんな少女の後姿を、ずっと眺めていた。


 それから、ロイアルドは毎日のように黒ヒョウになっては、この樹を訪れた。
 試してみたところ、獣の姿であれば樹に登ることは簡単だった。

 枝の上で座っていると、少女がやってくる。
 黒ヒョウを見つけると、また降りられなくなったのかと、その度に少女も樹に登った。
 樹の上から二人で庭園を眺めるひとときが、ロイアルドにとって大切な時間になるのはすぐだった。

 彼女と二人で過ごす時間が楽しい。
 友達と呼べるような者もいなかったロイアルドには、この時間が新鮮だった。
 ヒョウと人では会話は成り立たないが、彼女はその日の出来事を勝手に喋ってくるので、退屈はしなかった。

 少女がくるまで、一人で樹の上からひまわりを眺めていると、ふと思う。

 まるで、自分はひまわりのようだと。

 少女がくることを待ちわびて、その姿を探す自分は、太陽を追いかけるひまわりそのものだ。
 だとしたら、彼女は太陽か。
 ロイアルドの中で、少女の存在が太陽のように大きなものになっていた。
 雨の日はさすがに少女は庭園にこないようで、雨が嫌いになった。

 晴れた日に少女と会い、城に戻る。
 自室に入り、また明日も会いたい、もっと生きて彼女に会いたいと思うと人の姿に戻る。
 ロイアルドが人に戻る条件は、生きたい、何かをしたいと強く思う行動欲だった。

 しかし、ある日を境に少女の姿を見かけなくなった。
 彼女が庭園を訪れなくなったのは、ロイアルドの護衛を担当していた近衛騎士が、辞職した時期と重なる。

 会えなくなってからも、ずっと少女のことを考えていた。
 彼女を思うと、自然と力が湧いてくる。
 生きたいと、強くなりたいと、そう願うようになった。

 いつかまた会えたなら、今度は自分が彼女を守りたい。
 弱い自分は捨てて、もっと強くなる。
 身体も鍛えて、人の姿で会った時に恥ずかしくないように。

 そう。
 いつか、この腕で抱きしめることができたなら――

 それが、ロイアルドの生きる理由になった。



   *



 懐かしい記憶を思い出して、ふっと笑みがこぼれる。

 正直、彼女と再会できるとは思っていなかった。
 幼い頃はいつかまた会えると希望を抱いていたが、大人になるにつれ、ただの思い出になった。

 名前すら、知らなかったのだ。

 周りの大人に聞けば身元は分かったかもしれないが、言ってしまえば部屋から抜け出していたこともばれてしまう。
 そう考えて、同じ境遇にある兄弟以外には、誰にも話さなかった。
 今思えば、ロイアルドが部屋にいなかったことなど、とっくに知られていたのかもしれないが。


 任務で黒ヒョウになった時は、役目を終えると必ずこの樹の下に来ていた。
 少女を思い出し、また会うために生きたいと、そう願えば人に戻れた。

 スーリアと再会した日もそうだった。
 黒ヒョウの姿のまま、あの木陰でうたた寝をしていた。少女の夢を見ていたら、いつの間にか人の姿に戻っていたらしい。
 他人の気配に気付いて飛び起きてからは、記憶の通りだ。


 やっと会えた彼女を守ることができないなら、死んだ方がましだろう。
 今までしてきたことなど、全て無駄だったのだ。
 生きている価値など、ない。

 強制的に思考を闇の中へと堕としていく。

 これが最後になるかもしれない。
 でも、それでいい。

 この力は、ただひとつのためだけに使うのだから。

「俺は、君を護るために――死を願うよ」

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