27 / 39
5章
27 薄暗い部屋で
しおりを挟む青く茂った葉の隙間から光が差す。
キラキラと輝く日差しが、地面に模様を描いていく。
遠くの方には、黄色い花畑が見えた。
懐かしい。
これは幼少の頃に、王城の庭園にある樹の上から見た景色。
現在はもうあのひまわり畑はないので、今見ている光景は夢だろうか。
ふと手のひらに温かさを感じ、膝の上に視線を落とす。
これまた記憶の中で眠っていた、懐かしい存在がいた。
黒い毛をそっと撫でる。
膝の上にいた黒猫が、スーリアを見上げた。
黒の中で光る、銀河を閉じ込めたような銀色の瞳が、まっすぐスーリアを見つめてくる。
この感覚は懐かしい――いや、違う。
つい最近にもあったような……
そうだ、この瞳はあの黒ヒョウと――
「……――ちゃんっ」
突如耳に入ってきた声に、意識が覚醒するのを感じた。
「――スーちゃん! 起きて!」
聞き覚えのある声に呼ばれて、目を開けた。
ぼんやりとした視界が徐々に定まっていく。
身体を起こそうとしたけれど、なぜか手が動かせなかった。
「スーちゃん、大丈夫?」
「……シェリル?」
ふわふわとした、キャメルブロンドの巻き毛が目に入る。見知った少女が、上から覗き込むようにスーリアを見ていた。
いまいち状況がのみ込めない。
辺りを確認すると、薄暗い部屋の中にいるようだ。
「わたしたち、誘拐されたみたいなの……」
「……誘拐?」
記憶を思い起こしてみる。
ジャックと二人で買い出しに出てきたはずだ。買い物を済ませ、路地裏に荷馬車を停めたところまでは覚えている。
そのあとは、確か――
そうだ、誰かに拘束された気がする。
それからの記憶が全くないが、シェリルの言っていることが事実だとしたら、あのあと意識を失いここに連れてこられたのだろう。
手が動かなかったのは、後ろで縛られていたからのようだ。
壁を使いながら、なんとか起き上がる。
天井の近くには小さな窓があり、光が差し込んでいないことからして、もう日が暮れているのだろうと判断した。
「シェリル、あなたはどうやってここに?」
彼女を見ると同じく後ろ手に縛られ、不安そうに身体を丸めていた。
「わたしはヒューゴ様のお屋敷にお邪魔して……途中から記憶がないの」
「ヒューゴの?」
「気づいたら知らない部屋にいたんだけど、さっきここに連れてこられて……そしたらスーちゃんがいたからびっくりした」
どうやらシェリルも似たような状況で攫われたらしい。
ヒューゴの屋敷に行ったあとから記憶がない、というのが引っかかるが。
「わたしたち、どうなるのかな……」
小さく震えるシェリルを勇気づけるように、隣に寄り添う。
妹のように接してきたからか、ヒューゴのことではいろいろあったが、やはりこの親戚を嫌いにはなれなかった。
「大丈夫よ、きっと必死で捜索してくれているはず」
ジャックが荷馬車に戻れば、スーリアがいないことを訝しんで、必ず通報してくれるだろう。
今頃は、騎士団が捜索を始めているはずだ。
一人ではパニックになっていたかもしれないが、シェリルがいたことにより、冷静さを保つことができた。スーリアは頼られると弱いのだ。
幸いなことに足は縛られていなかったので、なんとか立ち上がり、部屋の入り口の方へ行ってみる。
扉に耳を当ててみたが、外からは何も聞こえず人の気配も感じなかった。
見張りもおかないとは、随分とずさんな誘拐犯である。貴族の娘だと思って甘く見ているのか。
もしかしたら、今頃は身代金の要求で忙しいのかもしれない。
貴族を誘拐するということは、金銭が目的という可能性が一番高い。
このまま大人しくしていれば、身代金と引き換えに解放されるかもしれないが、別の目的で誘拐された可能性もある。
見張りが居ないうちに、脱出する方法を探した方がよさそうだ。
「シェリル、私のスカートをめくって」
「えっ!?」
「いいから早く」
促すと、シェリルはスーリアに背を向けて、縛られた手を少しずつ動かしながらスカートの裾を引き上げていった。
スーリアの白い脚があらわになる。
その女性らしい太腿に似つかわしくないものが、そこにあった。
「……ナイフ?」
「ええ」
シェリルが目を丸くさせて聞いてくる。
スーリアの太股に革ベルトで括り付けられたこの小さいナイフは、数カ月前に父が護身用にと持たせてくれたものだ。
貴族の娘が誘拐される事件が発生しているらしく、念のためにと外出時は持ち歩くように言われていた。
まさか、これが本当に役に立つ時がくるなんて。
使う機会がない方が良かったのは確かだが、今は素直に父に感謝をするしかない。
「引き抜けるかしら?」
「……やってみる。動かないでね、スーちゃん」
シェリルはおずおずとナイフを握り、ゆっくり引き抜いた。
「そのまま強く握っていて」
銀色に煌く刃先をスーリアへと向けながら、シェリルは柄をぎゅっと握りしめる。
刃が肌に当たらないように慎重に角度を調整して、腕を縛る縄を少しずつ切り裂いていった。
何度か繰り返したところで、ふっと腕の拘束が緩む。
思ったより時間はかかったが、なんとか縄を切り離せたようだ。
続いてナイフを受け取り、同じようにシェリルの腕を縛る縄を切り裂いた。
「あとは、ここからどうやって抜け出すかね……」
それが一番の問題だった。
人の気配は感じないが、いつ誰が戻ってくるとも限らない。
扉に手をかけてみたが、さすがに鍵が掛けられているようで開くことはなかった。
どうしたものかと思考を巡らせていると、地面に座り込んだシェリルが、ぽつりと言葉をこぼした。
「スーちゃんはすごいね、こんな時でも前向きで。私だったら、もうあきらめてるのに」
「あきらめるも何も、まだ何もしてないわよ?」
「普通の女の子は、こんな状況になったら何かしようなんて思わないよ」
それはスーリアが普通じゃないと言いたいのか。確かにその辺の令嬢よりは、ちょっとばかりおてんばな自覚はあるが。
「ねぇ、スーちゃん。気になってたんだけど、本当に第二王子様と婚約したの?」
「そ、それはっ――」
シェリルはあの夜会の時、ロイアルドに抱えられて退場するスーリアを、目の前で見ていたはずだ。
否定することはできないが、素直に頷くのもためらわれた。
「……そういうことになるわね」
「どうして婚約したの?」
「い、いろいろとあったのよ。そう、いろいろと……」
「ふうん。第二王子様のこと、好きなの?」
「えっ!?」
純粋なまなざしでシェリルが問いかけてくる。
緊急事態の最中に、なぜこんな色恋話をしているのか。今じゃなくてもいいだろうという思いはあったが、この質問には嘘をつきたくなかった。
「――えぇ、好きよ。ロイアルド殿下のことが」
「……そっか」
どこか切ない微妙を浮かべて、シェリルは頷いた。彼女のこんな顔は、初めて見たかもしれない。
「でも、スーちゃんが王子妃かぁ~、ぜんぜん想像できない」
今度は雰囲気を変えて、くすくすと笑う。
酷いことを言われているような気もするが、悪い気はしない。
縛られた腕の縄を自分で切る、そんな王子妃などいないだろうなと考えて、つられてスーリアも笑った。
「私もそう思うわ。でも、もう決めたから」
「何を?」
「あの人の――ロイアルド殿下の、妃になるって」
あの雨の日に、心などすでに決まっていたのだ。
あとはスーリアが一歩を踏み出すだけ。
彼はいつでも、待っていてくれるのだから。
「だから、早くここから出なくちゃ!」
そう意気込んだ時、コツンッと窓を叩くような音が聞こえた。
1
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています
鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、
「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた
公爵令嬢アイシス・フローレス。
――しかし本人は、内心大喜びしていた。
「これで、自由な生活ができますわ!」
ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、
“冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。
ところがこの旦那様、噂とは真逆で——
誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……?
静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、
やがて互いの心を少しずつ近づけていく。
そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。
「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、
平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。
しかしアイシスは毅然と言い放つ。
「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」
――婚約破棄のざまぁはここからが本番。
王都から逃げる王太子、
彼を裁く新王、
そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。
契約から始まった関係は、
やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。
婚約破棄から始まる、
辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!
寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~
紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。
「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。
だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。
誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。
愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜
六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。
極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた!
コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。
和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」
これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。
『婚約破棄された令嬢、白い結婚で第二の人生始めます ~王太子ざまぁはご褒美です~』
鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがないから、婚約破棄する」――
王太子アルヴィスから突然告げられた、理不尽な言葉。
令嬢リオネッタは涙を流す……フリをして、内心ではこう叫んでいた。
(やった……! これで自由だわーーーッ!!)
実家では役立たずと罵られ、社交界では張り付いた笑顔を求められる毎日。
だけど婚約破棄された今、もう誰にも縛られない!
そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き伯爵家――
「干渉なし・自由尊重・離縁もOK」の白い結婚を提案してくれた、令息クリスだった。
温かな屋敷、美味しいご飯、優しい人々。
自由な生活を満喫していたリオネッタだったが、
王都では元婚約者の評判がガタ落ち、ざまぁの嵐が吹き荒れる!?
さらに、“形式だけ”だったはずの婚約が、
次第に甘く優しいものへと変わっていって――?
「私はもう、王家とは関わりません」
凛と立つ令嬢が手に入れたのは、自由と愛と、真の幸福。
婚約破棄が人生の転機!? ざまぁ×溺愛×白い結婚から始まる、爽快ラブファンタジー!
---
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる