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番外編
36 黒豹王子の手なずけ方 ②
しおりを挟む執務棟へと続く道を歩きながらも、スーリアの足取りはどこか重たかった。
今日は休日なのだが、わざわざ馬車を出してもらい、王城まできている。
さすがにあの別れ方をしたあとで、休日を楽しむ気にもなれなかったし、一刻も早く彼に謝りたかった。
別れ際のロイアルドの顔が頭から離れなくて、昨夜は結局ほとんど眠れていない。人を本気で好きになると、こんなにも弱くなるのかと、自分自身驚いていた。
執務棟の入口に到着し、いつものように受付の者に話しかけようと扉を開ける。
ロイアルドは呼び出しに応じてくれるだろうか……
不安を抱きながら中に入ったところで、最近はすっかりと見慣れてしまった人物に遭遇した。
「クアイズさん?」
思わず名前を呼ぶと、サラサラの金髪を後ろでひとつに結った、黒い隊服を着た青年がこちらを向く。
「スーリアさん……? 今日は非番でしたよね?」
「え、えぇ。そうなんですが、ちょっとロイに用事があって……」
「殿下に、ですか?」
「はい、呼び出してもらうことは可能ですか?」
クアイズはなんだか難しそうな顔をして、スーリアをじっと見つめる。その真剣な表情にたじろいでいると、少しして口が開かれた。
「殿下はいま、呼び出せるような状態ではないので、こちらからお連れいたします」
「え、何かあったんですか?」
「えぇ……まあ」
曖昧な返事をして、クアイズはスーリアを連れて歩き出す。
呼び出せない状態とは、どういうことだろう。
緊急の任務でも入ったのだろうか。それともスーリアに対しての怒りが大きすぎて、呼び出しに応じてくれないとか……
つい、悪い方向に考えてしまう。
暗い気持ちのまま歩いていると、いつの間にか騎士団の訓練場の近くまで来ていた。この辺りは隊員でもない限り、あまり来る機会のない場所だ。
まだ午前中の早い時間なこともあり、数名の訓練生が準備運動をしている様子が窺える。
それを横目に通り過ぎ、さらに奥へと進んでいくと、小さな白い建物が見えてきた。建物の周りには何もなく、人気もない。
小さな窓には鉄格子が取り付けられており、入り口には厳重な鍵とともに、関係者以外立ち入り禁止の札がかけられていた。
なんとも言えない雰囲気の場所に目を丸くしていると、クアイズが扉を開ける。
「殿下は奥から二番目の部屋にいます。鍵はかけていないので、そのままお入りください」
中を覗いてみると、いくつかの小部屋が並んでいた。部屋の入り口は重たそうな鉄の扉でできており、頭の高さに鉄格子の付いた小さな窓がある。
「えーと……」
「どうぞ?」
物々しい雰囲気に尻込みしていると、クアイズがにこりと笑って入室を促した。
恐る恐る一歩を踏み出し、建物の扉をくぐる。
二、三歩進んだところで、後ろから声がかけられた。
「明日までに戻っていただかないと業務に支障がでますので、頑張ってくださいね」
どう言う意味かと振り向くも、その時にはすでに建物の扉は半分以上閉められ、声をかけてきた人物の金色の髪が一瞬見えただけだった。
ぱたりと音を立てて扉が閉まる。
「戻るって、まさか……」
思い至った答えが正しいか、それを確認するためにも奥に行くしかない。
通路には窓からの薄日が差しているのみで、歩くには支障はないが、随分と不気味な雰囲気が漂っていた。
どうしてロイアルドはこんな所にいるのだろうか。そもそも、ここはいったい何のためにある場所なのか。
いくつかの部屋を通り過ぎる。
手前にあった部屋はどれも扉が開いたままで、中を覗くと埃にまみれており、しばらく使われていないように見えた。
「奥から二番目って言ってたわよね……」
目的の部屋の前に到着する。
扉を開けようとしたスーリアだったが、ふと突き当たりにある一番奥の部屋が目に入った。
開け放たれたままの扉の奥には、壁一面に鋭い爪でひっかいたような跡が見える。石でできた床も傷だらけだ。
思わず背筋を振るわせる。
手前にあったものとは違い、あの部屋は最近まで使われていたように見える。壁や床は傷だらけだが、掃除がされているのか比較的きれいなのだ。
いろいろと疑問が浮かんだが、スーリアは今やるべきことを思い出し、目的の扉に手をかけた。
力を込めて押すと、ギィッ――と言う音とともに、鉄の扉が動き出す。言われた通り、鍵はかかっていなかったようだ。
開いた隙間から中を覗くと、部屋の隅の方に黒い塊が見えた。
鉄格子のついた窓から差す陽光が、その黒い天鵞絨のような体表に反射して、うっすらと輝いて見える。薄暗い室内で、その空間だけは現世から切り取ったように幻想的だった。
「ロイ……?入るわよ」
声をかけてみるが、返事はない。
あの黒い塊は間違いなく彼だと思うが、その体はぴくりとも動かなかった。
少しずつ近づいていくと、はっきりと黒い肢体が確認できる。誘拐事件のとき以来に見る、ロイアルドのもうひとつの姿だ。
壁の方を向いて地べたに寝そべっているため、表情はわからない。
スーリアは黒い毛皮に手が届くくらいの位置までやってくると、膝を折って床に座った。
これほど近くまできているのに、反応がない様子に不安が増す。
なんと声をかけたらいいものか逡巡して、小さな音で言葉を紡いだ。
「ロイ、昨日はごめんなさい。私の行動が軽率だったわ」
素直に謝ると、ぴくりと黒ヒョウの耳が動いた。
「これからはちゃんと気をつけるわ。だから……機嫌を直してくれない?」
スーリアの言葉を聞き取ろうとしているのか、小さな黒い耳殻だけを後ろに傾ける。
しかし、彼の反応はそれだけだった。
「ロイ……」
震える声で名前を呼ぶ。
話をする気も起きないほど、怒っているのだろうか。この様子だと、謝るだけでは赦してもらえなさそうだ。
こんなこともあろうかと、スーリアは昨夜のうちに考えていた行動を実行することにした。
多少リスクはあるが、彼に嫌われたまま過ごすよりはましだ。
ごくりと唾をのみ込み、ゆっくりと口を開いた。
「ひとつだけ、あなたの願いをなんでもきくから――ゆるしてくれないかしら……?」
躊躇いがちに指先で尻尾の付け根に触れると、首だけを動かし、黒ヒョウが振り向く。薄暗い室内でもきらきらと輝く銀色の瞳が、スーリアを捉えた。
しばらく見つめ合う。
少しして、黒い尻尾の先端が、スーリアの膝頭にそっと触れた。
スカートの裾に隠れた細い脚を、優しく撫でていく。
その黒い尻尾を目で追っていると、突然視界に眩しさを感じ、反射的に目を閉じた。
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