ジュンケツノハナヨメ

かないみのる

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 電話の音、ボールペンでメモを取る音、軽やかにキーボードを叩く音、微かな話し声。


 一つひとつの音にわたしの耳は敏感に反応する。



 わたしは会社で引継書を作成しながら周囲の様子を見渡す。


 わたしが何もしなくても、問題なく会社は回っているようだ。


 自分では頑張っていたと思っていた分、空しさが込み上げてくる。


 しかし、これから起こるであろう愉快な惨劇のことを考えればどうということはない。



 しばらくすると、武田さんが席を立ったのが見えた。


 トイレか給湯室に向かうのだろう。


 タイミングを見計らい、後をつける。小走りで武田さんの元へ行き、声をかけた。



「武田さん、ごめん。ナプキン持ってない?」


「持ってるよー」


「急に生理来ちゃって、一個貰えない?明日返すから」



 わたしは声を潜めて話す。


 武田さんは頷いた。二人で化粧室へ向かう。



「ほいほいどうぞー」



 武田さんは棚から自分のポーチを出してナプキンを一つ手渡してくれた。


 わたしはお礼を言って受け取った。


 吉川は、わたしに子宮がないことだけは周囲にバラさないでいてくれたらしい。


 それはわたしにとって好都合だった。



「真由子さん、明日で最後かー。寂しいなー」



 武田さんが寂しそうに目を細めて言った。


 おそらく本音だと思うが、社交辞令だとしても嬉しい。



「わたしも寂しいよ。ごめんね」


「謝る事じゃないけどさ。これからも一緒に飲みに行こうよ!」


「うん!」



 その約束は果たされないだろうなと心の中で呟く。


 武田さんはわたしの癒しだった。


 いつも気取らず明るく話しかけてくれて、わたしの心を支えてくれた。


 今生の別れのような気分になり、涙ぐみそうになる。


 今までありがとう。


 これからは横山君と二人で頑張ってね。


 二人で化粧室を出てデスクに戻り、何事もなかったかのようにまた仕事に取り掛かった。



 翌日、わたしは昨日同様、会社で引継書作成の続きをしながら佐藤麻美の動向を目で追った。


 多すぎる喫煙や無駄話などで頻繁に仕事をサボるから、うろちょろと目で追うだけでも一苦労だ。


 営業部の平川さんとの長い雑談を終わらせた後、佐藤麻美はフロアの出入り口へ向かった。


 おそらくそろそろトイレの個室で昼寝だろう。


 ランウェイを歩くモデルのように堂々と、私を見てと言わんばかりの迫力で歩いて行く。


 相変わらずヒールの音がうるさい


 佐藤麻美が出ていったのを見計らって、私は武田さんに声をかけに行った。



「武田さん、昨日のお返しするから、ちょっと来てもらえない?」


「え?何かしたっけ?」


「ほら」



 わたしは声を出さずに口の動きだけで「ナプキン」と伝えた。


「ああ、別にいいよー、そんなの」


「お礼しないと私の気が済まないの。お願い」



 半ば強引に武田さんを連れて化粧室へ向かった。


 わたしはポーチの一番手前からナプキンを一つ取り出して、武田さんへ手渡した。


 一つだけ目立つように、小さなシールを付けてある。間違いは許されない。



 このナプキンはかなり高い部類の品だ。



「はい、昨日もらった分の代わりのナプキン」


「わあ!パッケージ可愛い!」


「可愛いでしょ? 気になって買っちゃった。着け心地も凄くいいの。試してみて!」


「高かったんじゃない?いいの?」


「いいのいいの! いっぱいあるし。困ったら、わたしのポーチを置いて行くから自由に持っていっていいよ。上から二段目の一番右に置いとくね」


 わたしはナプキンと下着を汚れないようにするシートを目一杯入れたポーチを棚の中に入れる。



 二人で化粧室から出ると、トイレの個室の扉が開く音が聞こえた。


 そして棚を開ける音。


 先程の会話が個室でサボってる佐藤麻美に聞こえたことを確信した。


 ポーチもブランドものだったし、丸ごと盗んでいくに違いない。


 この後ラブホで不倫三昧の彼女に、わたしから媚薬のプレゼントだ。



 わたしは前を歩く武田さんを呼び止めた。



「武田さん。明日、この封筒の中身をみんなで見てほしいの。面白いものが入っているから」


「え? 何?」


「見ればわかるよ。きっと面白いことが起こると思うから」



 被害者には悪いけど、明日の事を想像すると笑いを堪えられない。



 その場にいられないことを心底残念に思った。


*******


「ねえ、武田さん。今日、センター長休みなの?」



 勤務開始時間ギリギリに出勤してきた平川若菜さんが目を丸くして言った。



「そうなんですよ。なんか、体調悪いみたいですよ」



 若菜さんより少し早く来たあたしはパソコンの電源を入れながら答えた。


 保育園の送迎さえ無ければもう少し余裕を持った時間に出勤できるのにな、と心の中で愚痴をこぼす。


 でも、娘のためなら頑張れるのが不思議だ。



「今日随分休んでる人多くない? 何人休んでる?」


「和泉さんと麻美さんと菅野さんとセンター長ですね」


「うちの旦那も休みだし」


「風邪ですか?」


「いや、なんか、皮膚が炎症を起こしてるみたい。蕁麻疹なのか虫に刺されたのかは分からないけど」


「心配ですね」


「子ども達にさえ移らなければ旦那はどうでもいいよ」



 若菜さんは悪戯っぽく笑って言った。


 憎まれ口を叩いているが、若菜さんは旦那さんの事が大好きなのだ。


 朝礼を終え、あたしは問い合わせ一覧の画面を開き、優先度の高いものから順番に手を付けていった。


 大半はマニュアルを見ればわかるようなものだが、たまにシステムの不具合など深刻なものがあるから油断は禁物。


 急ぎの問い合わせがあらかた終わり、コーヒーを一口飲んだところで昨日真由子さんから渡された封筒を思い出した。


 引き出しの一番下の段にしまっていたそれを取り出した。



「なあに、それ?」



 若菜さんが声をかけてきた。



「分からないんです。昨日、真由子さんに渡されて、みんなで見てって」


「封筒? 開けてみようよ」



 若菜さんは興味津々だ。


 たまたま近くにいた管理部の今田さんも加わり、向かいに座っていた社員さん二人も身を乗り出して覗いてきた。


 あたしはハサミで封を開ける。


 中から出てきたのは大量の写真だった。


 写っているのは営業部の佐藤麻美、わたし達サポートセンターの敵だ。


 佐藤麻美が男性と腕を組んでホテルから出てきた写真だ。一緒に写っていたのはーー。



「ーーう、嘘っーーこんなの何かの間違いよ!」



 若菜さんが悲鳴のような声で言った。


 フロア全体に聞こえる声で叫び出し、ショックで眩暈がしたのか、椅子から崩れ落ちてしまった。



「若菜さん! しっかりして、若菜さん!」



 あたしは持っていた写真を放り出し、倒れた若菜さんの両肩を掴んで呼びかけた。


 写真がバラバラと床に散らばった。



「どこかで休ませないと!」



 騒ぎを聞きつけ社員がざわざわと近寄ってきた。


 真っ先に駆けつけてくれた横山君と、今田さんが二人がかりで若菜さんを休憩室へ運んだ。


 あたしは床に散らばった写真を一枚一枚拾い上げた。



「何があったの?」



 駆けつけてきた内藤さんが声をかけてきた。



「昨日、真由子さんからもらった封筒に、この写真が入っていてーー」



 あたしは内藤さんに写真を手渡した。


 佐藤麻美と腕を組んでいたのは平川さん、若菜さんの旦那さんだ。


 他の社員も次々に写真を手に取る。



「こっちは和泉さんだよ! たしか和泉さんは独身で、麻美さんと本気で付き合ってたんじゃなかった!? 騙されてたってこと!?」



「これ、センター長も写ってるじゃない! 信じられない……」



 写っているのは今日休んでいる人ばかりだ。



「こっちには……これ取引先の人じゃない!?」


「こっちにはパートナー会社の人が……たしかこの人、前にこの会社にいた鈴木さんの彼氏だよ」



「やば……」



 あたりは騒然とした。佐藤麻美がこれほどたくさんの人を騙していたなんて、そして社内にこれほど自分の家族を裏切った人がいたなんて。



 今日体調不良で休んでいる人はこの写真に写っている人ばかりだ。



 まるで裏切り者に天罰を下すように、なにか未知の病原菌が、佐藤麻美を介して感染していったのか。


 真由子さんは知っていたんだ。何もかもを。



******



「あの女は見つかったか?」


「見つかったというか、何というか」


「なんだその曖昧な答えは。はっきり言え」



 俺は苛立ちを隠さずに言った。



 俺は探偵事務所にいた。

 
 目の前にいるこの探偵は写真を持っていなくても似顔絵を描いて調査をしてくれると有名なやつだ。


 だから高い料金を払うつもりで頼んだのだ。


 しかし、この返答はなんだ?全くもって的外れだ。



「菅野さん、本当にこの似顔絵、合ってます?書いた私が言うのもなんですが」


「ああ、間違いない。俺のことを騙して金だけ取って逃げたあの小娘にそっくりだ。あいつのせいで俺は会社をクビになったんだぞ」



 思い出しただけで怒りが沸々と湧いてくる。


 純粋そうなあの瞳は、俺を騙そうという魂胆で澱んでいたとは。



「会社の金を横領したのにクビで済んで良かったじゃないですか。普通は逮捕です」



「うるさい! 余計なことは聞きたくない。見つかったのか!?」



 俺はテーブルを叩いた。


 苛立ちが全身を巡り、頭に血が昇る。



 股間がむずむずする。


 ズボンのポケットに手を入れるふりをしてさりげなく掻いた。


 数週間前に急に股間が痛痒く爛れ、大変な思いをした。


 医者が言うにはウルシかぶれらしいが、下半身を露出してウルシの近くを歩くようなことはしていない。



 心当たりがあるとしたら、佐藤麻美と久しぶりにホテルで寝た時のことだ。


 痒くなり始めたのはあの女と会った時からだ。


 おそらくヤツからなにか性病のようなものを移されてしまったのだろう。


 これだから尻の軽い女は油断できない。



「菅野さん、落ち着いて聞いてください。菅野さんが言っているのって、この人じゃないですか?」



 探偵はため息を吐きながら一枚のポスターを見せた。


 写っていたのは女性アイドルグループで、飲酒運転撲滅のメッセージが添えられている。


 その中の一人に見覚えがあった。


 俺のことを罠に嵌めたあの小娘だ。



「ああ、こいつだ! アイドルになりたいって言うから援助してやったんだが、何!? もうデビューしたのか?」



「菅野さん、落ち着いて聞いてください。この子はとっくにデビューしているアイドルです。クラフティというグループの岸山ももはです」


「何!? じゃあ、俺を騙したのはこいつか?」


「いいえ。クラフティは活動をアジアまで広げていて、今はシンガポールにいます。日本にはずっと帰ってきていないそうですよ」


「はあ? じゃあ、俺が会っていたのは誰だって言うんだ!」


「だから、見間違えたんじゃないですか?」



 探偵は呆れ果てた様子で言う。


 腕を組んで椅子にもたれ掛かり、鼻で大きく息を吐いた。



「どうにかならないのか!?」


「近くを色々探してみましたが、岸山ももはのそっくりさんはこの辺りにはいませんでした。もうどうしようもありません」



*******



 弁護士から慰謝料が振り込まれたと連絡があった。


 友希哉と吉川からそれぞれ七桁の金額。


 お金なんて貰っても友希哉が戻ってくる訳じゃ無いから嬉しくはないけど、式場からの損害賠償を請求された場合に備えられるだろうし、お母さんの通帳に振り込んでおこう。


 弁護士費用や佐藤麻美への復讐につかった興信所の費用は前から貯めていた結婚資金で賄えたし、菅野から巻き上げた金もある。


 私は優しくお腹を撫でた。


 決して動くことはないが、確実に育っている。


 苦しみや悲しみ、それはわたしの中で大きな憎悪に育っていった。


 今にもお腹を割いて出てきそうなくらい、大きな大きな憎しみに。


 もう少しだから待っててね。



 わたしはカレンダーをめくり、十月のページを開いた。


 十月十六日を眺め、指でなぞる。


 友希哉とわたしが結婚することになっていた日。


 指折り数えて待っている。
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