バッドエンドの女神

かないみのる

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 昼休み中、四組の教室で霜田と数学Bの宿題の答え合わせをしていると、霜田の友達の柴崎君が霜田に話しかけてきた。

彼はいつも焦ったように喋る。

餌をもらう前の子犬を髣髴とさせる。



「霜田ごめん!今日バイトだったの忘れてたわ!一緒に映画行けない!」



 申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせて霜田に頭を下げていた。

相変わらずこの二人は仲がいいんだね。

なんだか羨ましかった。



「わかった。バイトならしょうがないよ。一人で行こうかな」


「何の映画?」



 あたしは二人の話に割って入った。

この頃には柴崎君とも顔見知りだったし、二人に置いてけぼりにされることは少なくなっていた。



「『オペラ座の怪人』。フランスで公演されていたオペラが映画館で放映されているんだよ」



 霜田が答えた。

とても魅力的な情報に、あたしは胸踊った。

『オペラ座の怪人』はあたしの好きな物語の一つだ。

あたしもスクリーンであの感動を味わいたい。



「あたしも行く!」


「え?諏訪部も?」


「あー、二人で行ってもらえると俺も申し訳なさが半減するわ。一緒に行ってこいよ!」



 柴崎君が霜田の背中を押すようにポンと叩いた。



「じゃあ、二人で一緒に行くかー。諏訪部、自転車持ってないから歩きだよね?ホームルーム終わったらすぐ出発するよ」


「りょーかい!終わったら教室に迎えにくるねー」



 あたしは予定ができて、浮き足立った。

好きなオペラを映画館で観られるというのも嬉しかったんだけど、なによりも、誰かと一緒に映画を観ると言うこと自体が初めてで嬉しかった。

午後の授業は全く身が入らず、古文の授業で先生に「『帰らん』を現代語訳しなさい」と言われて意気揚々と「帰りません!」と答え大恥をかいた。

まったく逆の意味だったとは。



 ホームルームを終えて隣の教室に霜田を迎えに行った。霜田も丁度身支度を終えたところで、二人で一緒に学校を後にした。


「霜田、『オペラ座の怪人』を観るのは初めて?」


「うん。だから楽しみにしてたんだ。これだけ長い間世界中の人に愛された作品ってどんなものなんだろうって」


 あたしは隣を歩く霜田を見た。

霜田は駅から学校まで自転車で通っているらしく、今日は自転車を手で押して、あたしの歩く速度に合わせてくれた。

霜田は身長が小さい。

あたしは女子にしては身長が高い方だが、あたしと目線が大して変わらない。

そして華奢だ。

でも、喉仏があるところを見ると、やっぱり男の子なんだなって思う。

だからなんなんだって話だけど。



 ミュージカル『オペラ座の怪人』はやはり圧巻で、ラストは涙が止まらなくなるほど心が動かされた。

映画を観終え、あたしと霜田は帰り道で感想を言い合った。

霜田が押す自転車の車輪の音が細やかにリズムを刻んだ。



「やっぱり泣けるね」



 あたしはハンカチで涙を拭い、鼻声で言った。

クリスティーヌのキスでエリックが正気に戻るところは何度観ても泣ける。


「好きな人に尽くして好きな人の幸せのために退くエリックは見た目こそ醜いけど、本当は優しさを持っていたんだね。美しい愛だと思うよ」



 一方霜田は観る前と表情は特に変わらなかった。

あまり感情を顔に出さないタイプなんだなと改めて思った。

もっと霜田のいろいろな表情を見てみたいな。

心の底から笑ったり、感動で泣いたりしたとき、霜田はどんな顔になるんだろう。

これからも一緒に過ごせば見られるかな?



「原作もあるんだよね!読んだことないけど!」



 あたしは和美ちゃんが『オペラ座の怪人』の原作を読んでいたのを思い出した。

貸す?って聞かれた事があったけど、あんまり読書をしないから断っちゃった。

今思うと借りておけばよかったな。

原作を読んでいるのと読んでいないのでは映画の見え方が違うと思うし。



「そうなんだ。原作、読んでみたいな」



 霜田が呟いた。あたしは耳聡く、その呟きを拾った。



「今度本屋さんに買いに行こうよ!」



 霜田に提案すると、霜田は少し笑って、いいよと頷いた。

あたしは嬉しくて空を見上げた。

空は暗くて、星が出ていて、とても綺麗だ。

小さな星達は、ささやかだけど一生懸命夜空で輝いている。

歌でも歌いたくなるくらいあたしの気持ちは高まっていた。

北の空に、特に強く輝く星を見つけた。



「北極星がきれいだね」



 あたしは空を眺めながら霜田に伝えた。



「うん」



 あたしは、この日の空は一生忘れないと思う。

今までの人生で見た事がないくらい、澄んでいて煌めいていて、あたしの荒んだ心を洗ってくれるようだった。

それは隣に霜田がいたからだと思う。

誰かと見上げる夜空がこんなに綺麗だったなんて、今まで知らなかった。

霜田は最高の友人だ。

霜田にとって、あたしは何人もいる友達の一人かもしれないけど、あたしにとっては、たくさんのものを与えてくれるかけがえのない友人だ。



「奈緒!」



 急に後ろから声がした。

空を切り裂くような声に、夢心地から一気に現実に引き戻された。

あたしと霜田が同時に振り返ると、穂高が眉間に皺をよせて、機嫌悪そうな顔で立っていた。

後ろには穂高の車が路肩に停めてある。

ハザードランプがあたしと霜田を照らす。

その点滅よりずっと早いリズムであたしの鼓動は大きく鳴った。



「穂高?どうしてここに?」


「たまたまだよ」



 偶然会うことなんて滅多にないだけに、どうして今日に限って偶然が起こってしまったのだろうと残念に思った。

あまり霜田にあたしのお客さんを見たれたくなかった。

穂高の怒りも嫌だったけど、それ以上に、霜田に軽蔑されるんじゃないかということが急に怖くなった。



「奈緒、給料入ったからホテルいくよ」



 穂高はあたしの腕を引っ張った。

指が服越しに腕に食い込んで皮膚が悲鳴を上げたように痛んだ。



「今日はちょっと」


「は?断るの?」



 あたしは抵抗したが穂高の力の方が強かった。

いつも抵抗しないあたしが逆らったからか、穂高は苛立っているようだった。



「今日は嫌だって言ってるし、今度にしてあげたらどうですか?」



 手で押していた自転車を止めて、霜田が助けに入ってくれた。

穂高は鋭い眼光で霜田を睨みつけた。



「おまえなんなの?関係ないだろ」



 穂高は霜田を突き飛ばした。

霜田はよろけて、停めていた自転車にぶつかり転倒した。

あたしは霜田に駆け寄りたかったが、穂高の腕がそれを許さなかった。

穂高はあたしを無理矢理車の助手席に押し込み乱暴に車を発車させた。

後ろの車からクラクションを鳴らされたけど気にかける様子もなかった。

心配になって車の窓から霜田を見る。

霜田は倒れた自転車をおこしているところだった。

怪我はしていなさそうだけど、見えない傷を負っているんじゃないかと不安になった。


霜田、ごめん……。


 霜田の姿がどんどん遠ざかっていく。

映画の余韻はもうとっくに消え失せていた。



 あたしは近くのホテルに連れ込まれた。

もう自分のことはどうでもいいという気持ちになり、おとなしく穂高に従った。

霜田が怪我をしていないか不安で頭がいっぱいだった。

部屋に入るなり、穂高はかなり乱暴にあたしを押し倒した。

それでもあたしを撫でる手は優しかった。

猫を撫でるような手であたしに触れる。

掴まれていた腕が疼く。



穂高は怖い。

怖いけど優しい。



「奈緒、あの男の子は誰なの?」



 あたしをひとしきり抱いた後、ベッドの上で穂高は聞いた。

性欲を発散させたからか機嫌は少しだけ良くなったようだ。



「同級生だよ。やましい関係じゃないよ。大事な友達」



 霜田はあたしと話してくれる貴重な友人なんだ。

それなのに、あんな乱暴して。

あたしは穂高を許せなかった。



「なに?穂高はあたしに男友達がいることも許せないわけ?」


「別に、男友達がいるのは構わないよ。でも、向こうが変な気を起こして奈緒をたぶらかすような事をしたら心配だからさ。再三言っているけど、恋なんてしちゃいけないよ」



 それは結局のところ、男の友達を作るなと言っているのと同じではないか。



 穂高はベッドから立ち上がり、ソファに座った。

無造作に置いた自分のバッグをガサガサ漁っている。



「じゃあ、穂高はあたしを好きになってくれるの!?」



 あたしはヤケになって穂高に噛み付くように言った。

別に霜田に恋愛感情を抱いているわけでも誰かに恋をしたいわけでも無いが、穂高に指図されるのが腹立たしかった。



「それはない。俺には好きな人がいる」



悪びれもせずにこんな事を言う。

穂高は本当に身勝手だ。

好きになる気もないくせに、あたしを束縛する権利なんてない。

霜田に暴力を振るっていい理由なんてない。



穂高には好きな人がいて、あたしはその人の代わりでしかない。

それは常にあたしの頭の中にあった。

でもそれなら、身代わり人形のあたしに執着する必要はないのではないか。

あたしがそこまで束縛されなければいけない理由なんてない。



「あたしはあくまで穂高の好きな人の代わりなんでしょう?好きな人が手に入らないからあたしを抱くんでしょう?もう勇気を出して好きな人に気持ちを伝えなよ!好きな人と一緒になった方がいいよ!そうしてあたしとの関係を終わらせよう!そうすればあたしが恋しようが何しようがどうでもいいでしょう?」



 穂高の振る舞いに苛立っていたあたしは、溜まった怒りをぶつけた。

ここのところ苛立って爆発させてばかりだな、と冷静な自分が俯瞰する。

でも、どうしても穂高の束縛に耐えられなかった。

こんなに穂高相手に激昂したことはなかったから、穂高の反応が恐かったけど、自分を止めることはできなかった。



「俺の好きな人は」



 穂高は怒るでもなく、天井を眺めて言った。



「十四年前に死んだ」



 あたしは言葉に詰まった。

大切な人を失う辛さを知っているだけに、同じ辛さを感じている穂高に強くあたってしまったことに罪悪感を感じた。



「ごめんなさい。あたし、酷い事を」


「まあ、俺はずっとその人の事を好きで、奈緒のことを好きにはならない。美しい奈緒を抱かせてくれれば、奈緒がどんなおじさんと何をしていようが関係ない。ただ、奈緒をたぶらかすような奴は徹底的に排除する」



 あたしが軽率に穂高と約束したのが悪いのだが、あたしは自由に人を好きになれない自分の人生を憂いた。

穂高にがんじがらめに捕らえられている間は、あたしは、誰かを心から好きになる事が許されないんだ。

昔はそれでいいと思ったけど、なんだか急に寂しい気がした。

あたしの中で以前と何かが変わってきたのだと思う。



 穂高はバッグの中から何かを掴んで取り出した。


「クマのぬいぐるみ、古くなったね」


 穂高はあたしの鞄のキーホルダーを見つめた。

穂高からもらった手のひらサイズのベージュのテディベア。

持ち歩いていないと「使っていないのか」って怒られるからいつも鞄に付けている。



「新しいの、これ付けて」



 穂高は色違いのブラウンのテディベアを手渡してきた。

定期的に替えのテディベアを渡してくる。

確かに少し黒ずんできたけど、まだ取り替えるほどではないのだが、「いつも綺麗なものを身につけておいてほしい」とすぐに新しいものと取り替えさせられる。


 あたしは鞄のテディベアを外した。

古い方のテディベアは、使われなくなって悲しがっているようにも、役目を終えてほっとしているようにも見えた。



「はい」



 お疲れ様、と心の中でテディベアを労いながら、古い方を穂高に手渡し、新しい方を鞄につけた。

穂高は古い方を受け取り、静かに自分のバッグの中にしまった。



「穂高は『オペラ座の怪人』を見たことある?」



 本当は話す気力もなかったんだけど、沈黙が嫌だったから溜め息混じりに聞いてみた。

穂高はあたしと物事の考え方がまったく違っているから、どんな答えを出すのか気になった。



「あるよ。情けない醜い男の話でしょ?恋敵なんてさっさと殺してしまえばよかったのに」



 また過激なことを言っている。

穂高はやっぱり歪んでいるのではないか。



「そんなことしたらクリスティーヌは悲しむじゃない」


「その時はクリスティーヌも殺してしまえばいいよ。思い通りにならない恋なんて壊してしまえばいい」



 極端な思想に呆れてしまった。

やっぱりあたしは穂高のことを理解できない。

あたしと穂高はきっと性格の相性は最悪だと思う。

どこかで関係を終わらせた方がいいんだろうな。



「今、俺のことを歪んでいるとか思ったね?」



 心を見透かされたようで背筋が凍った。

動揺したのを気付かれたくなかったが、穂高のことだから何でもお見通しだろう。

あたしは肩をすくめた。

穂高は皮肉な笑みを浮かべた。



「よく言われるんだ。昔は精神科にも通って認知行動療法とか受けたけど、そもそも俺は直す必要があるなんて全く思っていないから、適当にやり過ごしていたけどね」


「どうして直す必要がないって思えるの?」


「俺は困ってないし」



 穂高は意地悪そうな笑みを浮かべた。



「奈緒だって、別に困っていないだろう?」



 あたしは穂高が宇宙人にでもなったのかと思った。

それくらい言っていることが理解できない。

あたしは穂高の一挙手一投足に苛立ち、怯え、苦しむことだってあるのに、なんで困っていないなんて言えるのだろうか。



「奈緒は今の俺とこうやって会い続けているんだから、今の俺に不満はないんだろう?わざわざ変わる必要なんてない。俺はずっと、このままでいいんだよ」



 ただの屁理屈だと思ったけど、何を言っても不快な言葉しか返ってこないから黙っていた。

ホテルのチェックアウト時間が来るまで二人で黙っていた。

砂袋みたいに重い時間にあたしは押しつぶされそうだった。



 翌朝、学校に着いて机に鞄を置くと、一目散に隣にクラスの霜田の元へ向かった。

他の生徒が騒がしくしている中、霜田は机に座って英語の単語帳を眺めていた。

昨日転倒したときに擦りむいたのか、手に絆創膏が貼ってあり、心が痛んだ。



「霜田、昨日はごめん」



 開口一番、あたしは昨日のことを謝罪した。

もう口も聞いてくれないかもしれない。

不安で鼓動が速まった。



「あ、おはよう。いいよ、全然大したことないし。諏訪部は大丈夫だった?怪我とかしてない?」



 霜田はいたって普通だった。

霜田の変わらない様子に安堵した。

あたしのせいで酷いことをされたのに、あたしを心配してくれている。

霜田は優しいな。



「で、今日空いてる?」


「今日?なんで?」


「忘れたの?本屋に一緒に行こうって言ったのは諏訪部だよ?はやく『オペラ座の怪人』の原作が欲しいんだよね」



 昨日の約束を覚えていてくれたらしい。

逆にあたしはすっかり忘れていた。

せっかくの約束を忘れてしまうなんて、あたしの馬鹿!

もしこれが原因で友達をやめられたら、いくら悔いても悔いきれない。

霜田はあたしの反応を見て察してくれたのだろう、それ以上追求してこなかった。



「駅から少し歩いたところに大きめの本屋があるから、そこにしよう」


「りょーかい!楽しみにしてる!」



 放課後の約束をして、あたしは教室に戻った。

映画の次は買い物を友達とできるなんて。

過去にできなかったことを、遅れを取り戻すように経験している気分だった。

他の生徒達の喧騒なんて耳に入らないくらい、あたしは満たされていた。

今日は曇り空だったけど、あたしの気持ちは雲ひとつない快晴だ。



 放課後本屋へ歩きながら、他愛のない話をした。

春の風が優しくあたし達の間を通り過ぎ、雀が数羽、目の前を横切っていく。



「霜田はよく本とか読むの?」



 あたしは霜田に聞いた。当たり障りのない話題を振ったけど、あたしと霜田はお互いにどんなことを話しても受け入れるから、話していて楽なんだよね。



「中学校の頃は読んでいたよ。今は勉強しないといけないから読む量は減ったけど」


「普段どんな本読むの?」


「色々だよ。推理小説もファンタジー小説もノンフィクションも新書も」


「あたしの中学時代の友達も読書家だったんだー」


「え、友達いたんだ」


「馬鹿にしてるの?でもまあ、その反応が妥当だよね」



 あたしは自嘲気味に笑った。

過去のあたしを見ていると、そう聞くのも無理はない。

実際一人しかいないしね。



「一人だけいたんだよ。『オペラ座の怪人』もその子が読んでたの。そうだ、霜田のおすすめの本教えてよ。買うから」



 和美ちゃんも読書家だったし、あたしの友人と言える人は本を読んでいる。

読書家の人達の読んでいる本を読めば、あたしもを彼らが何を考えて何を感じているかを知る事ができるかもしれない。



 おすすめねえ、と呟いて霜田は顎に手を当てた。



「なら、諏訪部のおすすめも教えてよ」


「えー?あたし、そんなに読まないんだけど」


「人生で一冊くらいは読んでるでしょ?」



 読書なんて中学校の時の朝読書の時間以来やってないし、今までどんな本を読んでいたのかも覚えていない。

どうしよう。

小学生が読むような本を薦めて、頭の悪いやつって思われるのも嫌だな。

頭をフル回転させて過去に読んだ本を思い浮かべた。



 本屋へ行き、まずは目当ての本を探すため、店内に置いてある検索機で『オペラ座の怪人』を検索し場所を調べた。

この書店はこの辺りで一番大きい店だから、本を一冊探すのも一苦労だ。

手がかりもなく探すとフロア内をグルグルと何周もすることになる、そう霜田が言っていた。



 所定の本棚へ向かい、無事に『オペラ座の怪人』をそれぞれ一冊ずつ手に入れることができた。

そして、次にそれぞれのお勧めの本を探した。



「何がいいかな。好きなジャンルは?」



 様々な色の表紙が所狭しと並んでいる本棚を眺めながら霜田はあたしに聞いた。

その横顔は、おもちゃ屋さんでプレゼントを選ぶ子どもみたいに目を輝かせていた。



「特にない、ていうかジャンル決められるほど読んでないし」


「なるほど。うーん、『星を紡ぐもの』……諏訪部、SF読める?」


「読んだことない」



 霜田が見ているのは洋書が並んでいる棚だ。

『そして誰もいなくなった』とか『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とか、あたしも聞いたことがあるような名前の本が結構ある。

霜田の知的な嗜好が少しだけかっこよく思えた。

少しだけね。



「んじゃもう少し定番なところで……『カラマーゾフの兄弟』は長いし、『老人と海』……渋すぎるか。『キャッチャー イン ザ ライ』……うーん。あ、これがいいかも」



 霜田からは一冊の文庫本を棚から抜き取った。

表紙には花の模様が縁取るようにあしらわれていて、真ん中に『アルジャーノンに花束を』と書かれていた。


「『アルジャーノンに花束を』?」


「そう。知ってる?」


「聞いたことない。アルジャーノンって、主人公?」


「いや、ネズミ」


「ネズミ?なんでネズミに花束を渡すの?」


「詳しいことは読んでみなよ」


 よく分からないけど、表紙が可愛らしくて飾っておきたくなるようなデザインだったので、買って損は無さそうだ。

何より、霜田があたしのために本を選んでくれたのが嬉しかった。

家に帰ったら早速読んでみよう。



 一方普段本を読まないあたしはおすすめの本を選ぶのに苦労した。

迷ったけど、中学生の時に読んだ『十二番目の天使』を勧めた。

和美ちゃんが以前読んでいた本で、唯一あたしが借りて読み切った作品だ。

家族を亡くした男性が、少年野球の監督になり、そこで亡き自分の息子にそっくりな少年に出会う話で、最後は涙がホロリと流れてしまうような感動作である。



「ありがとう。読むの楽しみ」



 霜田が表紙を眺めながら言った。

読むのが待ちきれないのか、数ページパラパラとめくっていた。

本当に本が好きなんだなあ。



 二人で『オペラ座の怪人』の原作とお互いに勧められた本を買い、書店をあとにした。

お揃いのビニール袋を手で持っているのが、一緒に買い物をした証拠みたいで嬉しかった。



「諏訪部ってさ」



 帰り道、信号待ちをしている時に、霜田が話し出した。



「話し始めた時はヤマアラシみたいだったのに、話すとうさぎみたいだね」


「ヤマアラシ?うさぎ?」


「最初はトゲトゲして攻撃的だったのに、いつのまにか人懐っこくなったなって」


「トゲトゲならハリネズミの方がいいな」


「そんな可愛らしいレベルじゃなかったよ。話したら鋭い針で突き刺してきそうなくらい、鬼気迫るものがあったよ」


「よくそれで話しかけてきたね」


「自分でもそう思うよ」


 霜田は笑っていた。

霜田のこんな笑顔を引き出せるようになったのかと、胸が熱くなった。

お互いに成長しているというか、距離を縮めているというか、出会った時との違いがあたしには嬉しかった。
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