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挿話

6歳のアリーチェ

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【アリーチェ6歳】

 お祖母様が亡くなって1か月が経った頃だった。
 母は、心労と連日続く暑さのせいで食欲がなくなり、見るからに元気がなかった。
 心配した父が、母を自然が美しいリンゼーの避暑地で過ごすように手配していた。そして、母の希望でわたしも一緒にリンゼーへ来たのだ。

 父と弟の傍を離れたのは、初めてでワクワクする反面少し不安もある。
 リンゼー湖のすぐ近くの大きなお屋敷は、直前に手配したとは思えない立派な所だった。
 父のことだもの、このお屋敷を借りるのに、きっと誰かに強くお願いをしたのだろう。だけど、子どものわたしには、どうやったのか分かる手段もない。

「アリーチェのためにサンドイッチを作ったわよ」
「何をやっているのお母様! 寝てないと駄目でしょう」
「ふふっ、いいのよ。私は至って元気よ。むしろずっと食べるのを我慢していたから、もう限界よ」
 悪い笑いをする母。だけど、なんだかキラキラして見えた。
「――お母様……、まさかとは思うけど、屋敷の外で過ごすための仮病ですか?」
 
「ふふっ。このことは、みんなには内緒よ。いつも外に行きたがっているアリーチェが可哀そうで、ちょっと頑張ってみたけど、上手だった?」
 俄かには信じられない母の言葉に唖然とした。
 わたしや従者が騙されたのは、穏やかな性格の母を疑わないから納得できる。
 でも、あの疑り深い父が、すっかり騙されるなんて。
 父は母のために強引な方法で準備したのだから、母の演技は相当だ。

 ちょっと前までのわたしは、体調の悪い母のことが心配で、こんなに自然が美しいリンゼーへ来ても、楽しむ気持ちに離れなかった。
 だけど母の体調は元気だし、演技してまで、わたしのことを心配してくれたと言うのが、たまらなく嬉しい。
 さっきまで父や弟と離れたことに不安を感じていたのが、嘘のように明るく晴れている。

「どうしてわたしだけ。マックスだって」
「やりたいことをいつも我慢しているのは、アリーチェだけだもの。マックスはあなたが近くにいるだけで、他にしたいことなんてないんだから。母としては、将来アリーチェがマックスの傍を離れられるか心配だわ」
「別に、わたしもマックスが好きだし、大人になってもマックスと一緒でいいもの、どうしてそれが心配なの?」
「2人とも、わたしが産んだ子よ。どんなに臨んだって、一緒にはなれないわ。だから、この機会にマックスには少し姉離れをしてもらいたくて」

 確かにマックスは、いつもわたしの傍にいたいと、無理を言う。
 家庭教師と1対1で勉強していれば、必ずわたしの部屋へ、やって来るマックス。1人で勉強する方が集中できる気がする。
 だけど、結局いつも2人一緒に勉強している。
 夜は寂しいと言ってわたしのベッドで一緒に寝ているマックス。
 昼間だって、いつもくっついて一緒に過ごしているし、マックスに嫌なところはないから別に気にしていない。
 母は、何がいけないと言っているんだろうか?
 その答えが知りたくて、母に聞いて見たけど答えは特になかった。

「もうしばらくゆっくりしたいでしょう? 私が食事を普通に食べ始めると、直ぐに帰る羽目になってしまうもの。だから、侍従が用事を足しにいっている間しか、思う存分食べられないと思ってね。私、初めてサンドイッチを作ってみたの、食べましょう」

 母の作ったサンドイッチは、手に持つとボロボロと崩れ、元から酷かった見た目が、もはや原形を留めていない。
「お母様、どうやって食べればいいんですか、これ……」
「おかしいわね、こんなはずじゃなかったのに。でも、手に持って、大きな口でバクッと一気に食べれば大丈夫よ。ほら、こうやって」
 サンドイッチを口いっぱいに頬張っている母が、すごく幸せな顔をしているように見えた。
 父や家庭教師の前で、こんなことをしたら怒られてしまうけど、今は母と2人きりだ。
 初めて大きな口を開けてパンを頬張った。
 お世辞にも美味しいとは言えないサンドイッチだったけど、母の愛が嬉しくて、口いっぱいに幸せが広がった。

「お父様の前で絶対にこんなことしちゃ駄目よ。あの人は煩いから、少しも気が抜けないわ」
「大きくなったって、マックスはきっと怒らないわよ」
「だから、マックスは駄目よ。違う王子様を見つけなさい」
「そうなの。じゃあ食べたら探してくるわ」
「ふふっ、その辺に王子様はいないわよ、王子様はお城にいるから。アリーチェ、外に出るのは、侍従が戻って来てからよ、勝手に外に行っては駄目だからね」
「は~い」

 母には適当に答えておいた。
 だって、初めて屋敷の外を歩き回るのに、侍従がいたら楽しさが半減しちゃうもの。
 将来自分がなりたいものを、初めて抱いた。
 母のようになりたい。
 娘のために大芝居までして、あの父を騙してくれた。
 お陰で今まで経験できなかった、自由をくれたんだもの。
 わたしも、いつか子どもを産んで母のようになるわ。


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