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序章
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じくり、と腹部が痺れるような感覚がした。右車線を走る車が追い越していったのか、甲高いエンジン音がして、落ちかけていた瞼が持ち上がった。ここ数週間、原因も分からない腹部が疼くような感覚に悩まされている。特に夜はひどく、自然と眠りが浅くなり、大学の講義でも寝こけてしまうことが増えた。幸い、友人には恵まれているのでノートを借りることでカバーはできているが、せっかく自分で希望して行かせてもらっている大学だ。学べる機会は逃したくなかった。
カーステレオの音が大きくなる。幼い頃の俺が眠れなくなって愚図ったときは必ず流したというオルゴール曲だ。穏やかなメロディに、不思議と腹部の疼きが引いていく気がする。窓へもたれかかっていた頭を起こすと目を覚ましたことに気づいたのか、バックミラー越しの父さんと目が合った。
「夜莫、起きたのか」
「……うん」
「家までまだかかるから、もう少し寝ていたら? 寒かったら言ってね」
そう声をかけてくれたのは母さんだった。エアコンのスイッチへ伸ばしかけた手を「大丈夫」と言って止める。車内は、暖かかった。
少し奮発したという家族旅行の帰り道。それが俺を気遣ってのものだということは、言われなくても分かった。八歳でこの家に引き取られて、十年間育ててもらった。引き取られる以前の記憶はない。だから俺にとってはスタートが少し遅れただけで、父さんも母さんも本当の両親と何ら変わらない。少し心配性なところもあるけれど、二人とも優しい俺の両親だ。
他の家庭のことは分からないけれど、友だちの犀川曰く、うちの家庭は「羨ましいほど仲がいい」らしいから、きっとそうなんだろう。勉強嫌いで女の子と遊ぶことが大好きな犀川だけれど、そういう嘘は吐かない。尤も、「少し過保護過ぎる」と言われたこともある。
あれは入学してしばらくしてからのことだ。犀川に誘われるまま合コンへ参加したときのことだ。人と話をすることも話を聞くことも好きだったので、合コンの場は結構盛り上がった。犀川も「今日は当たりだ」と言っていたような気がする。当然のように二次会に行くことになり、みんなでカラオケ店まで歩いていたそのときだ。父さんと母さんから代わる代わる着信とメッセージが来たのは。
「今日は泊まりか? 気をつけるんだぞ」
「お友だちも一緒ならいいんだけど……絶対に一人にならないでね」
友だちと遊ぶなとか、外泊するな、とか言われたことは一度もなかったけれど、二人の様子がどこか気が気でないようにも見えて、結局俺は途中で帰ることにした。玄関先で迎えてくれた父さんと母さんはどこかほっとしていて、それきり俺は夜遊びをすることはなくなった。俺が家にいる間は父さんも母さんも不安や焦燥とは無縁のようだったから、俺はそれでよかった。
「帰ったらココアを淹れましょうね」
助手席の母さんの声に、ふっと意識が引き戻される。確かに再び忍び寄ってきた眠気のせいか、少し肌寒い。
「いいな。母さんのココアは世界一美味い」
「あら。昨日のディナーでは『こんな美味いもの初めて食べた』とか言ってなかったかしら」
「……母さんの手料理は別だよ。なあ夜莫?」
少し小さくなった父さんの声に「そうだね」と相槌を打つと、母さんは照れ隠しのようにぷいと顔を窓の方へ向けた。
「ふたりとも、調子がいいんだから」
「さあ、それじゃあ少し急ぐか」
そう言って、父さんがアクセルを踏み込んだ。徐々にスピードが上がる。暖房が効いた車内に、心地いい揺れが加わった。オルゴールの音色と、またたく間に置き去りにされていく夜景が、眠気を誘う。等間隔に連なる街灯の光が視界の端へ流れていく様子を眺めていた、そのときだった。
「――?」
ふと、街灯の下に影のようなものが見えた気がした。しかし確かめる間もなく、それは視界から外れてすぐに見えなくなる。ほんの一瞬だったので、もしかしたら見間違いかもしれない。もしかしたら、連日の寝不足が祟っているのかもしれない。父さんと母さんには悪いけど、少しだけ寝かせてもらおう。そう思い、再び瞼を閉じようとしたときだった。
たった今まで、淀みなく流れていたオルゴールのメロディが途切れた。かと思えば次の瞬間、ノイズ音交じりの音程を外したメロディが車中に響く。思わず閉じかけていた瞼を開けると、外は真っ暗だった。電灯は全て消えていて、ヘッドライトに照らされた前方の道だけが僅かに照らされている。
「あなた……!」
「……大丈夫だ。夜莫。大丈夫だから、眠っていなさい」
焦ったような母さんの声と、強ばった父さんの声。ふたりの僅かな、しかし明らかな異変に脳が警鐘を鳴らす。同時に、収まっていた腹部の疼きがぶり返してきた。思わず呻きながら、シートへもたれかかる。ステレオからは音の外れたメロディが大音量で流れている。
「夜莫⁉ 大丈夫、痛いの⁉」
「夜莫、平気か⁉」
どくん、どくん、と全身が脈打ってるみたいだ。熱くて、気持ち悪い。座面に押しつけられた額に汗が浮かぶ。は、は、と口からは不規則な呼吸が漏れて、上手く息が吸えない。その苦しさで、涙が溢れて視界が滲む。父さんと母さんが心配している。大丈夫だよ、って安心してあげなくちゃ。そう思ったそのときだった。
「あッ――⁉」
視界が明滅し、何かが壊れる轟音と共に全身に衝撃が走った。慣性に沿って放り出されそうになった身体をシートベルトが締め付けて、息が詰まる。 音の外れたメロディが鳴り続いている。けたたましい笑い声にも似た音が反響する車内の中、父さんと母さんが俺を呼んでいる。夜莫、夜莫――「逃げろ」って必死に呼んでいる声に答えようとする意思とは裏腹に、視界は突如としてブラックアウトした。
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