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第一話
しおりを挟む美人は憂鬱な顔してても美人だ。
東京の、都心からわずかに西にズレただけの好立地に広がる巨大な私立大学。広過ぎて逆に手入れが届いていないと、入学した者は口を揃えて不満を漏らすという。特にこの教育学部の校舎はひどい。古びた暖房は窓際まで暖気が届かないし、ささくれ立ったテーブルの角や、氷のように冷たい椅子、勾配がゆるいせいで全く黒板が見えない、過酷な大教室の中。ゆるくカールしたダークブロンドのカーテンからのぞく、憂いを帯びた横顔の美しさといったら。
国枝吉野は五秒に一度のペースでその横顔を盗み見している。隣のひとり分空いた席がもどかしいが、百合をじっくり観察するには最適な距離感だ。
掃き溜めに鶴とはこういうこと。ああ…なんて美しい。頬杖の角度がちょっと変わるたびに、吉野は夢見る心地になる。
ふいに左右対称のアーモンドアイが吉野の方に向いた。
「何?」
「え?!いやっ、なにも…っ」
「嘘。この前からずーっと憂鬱そうな顔して人のこと見ちゃってさ。なんか悩んでるんでしょ」
いやあ、憂鬱な顔してんのは百合の方じゃん。と、反論する前に授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。入学当初は長すぎると思った九十分も、今やあっという間の感覚だ。
しまった、今日もろくに授業を聞かなかった。わらわらと受講生が狭い通路に殺到する横で、吉野は来月に控えた後期試験を思い出して「ああ~」と机に顔を伏せる。一方の百合はテキパキと身支度を整えながら、「今日の学食、ラーメンフェアだよ」と嬉しそうに一言。
先週から百合の元気がない。百合というのは、吉野が学部で一番仲の良い女友達である。身長173センチのスレンダーなモデル体型で、顔も良ければ性格も良く、おまけにハーフで英語とフランス語がペラペラというのだから、この世に百合を好きにならない男はいないだろう。入学式で隣の席だったという縁でずっと仲良くしてもらっている吉野も例外ではなかった。友情が恋に変化し始めたのはいつ頃だっただろうか。「百合、お付き合いしてください」と何度もシミュレーションした告白…今言おうか、明日言おうか、もっと仲良くなってから…と、タイミングを図るばかりで肝心の一歩が踏み出せず、初恋はしばし膠着状態。しかも、そんな友人の恋心に全く気付かない様子の百合である。平気で吉野の一人暮らしの部屋に突入してくるし、乱暴なボディタッチも日常茶飯事、親愛の印だと頬に頬を寄せてくることもある。その扱い方は男というより犬猫に対してのそれに近い。
一方の吉野は、少々伸びた黒髪に黒い瞳、身長は百合と一緒の173センチ。カッコいいより癒し系の顔面はいまだに高校生に間違えられることもある。山育ちなので体力に自信はあるが運動は苦手で、サークルは変人の巣窟と噂の映像研究会。本が好き。映画が好き。座ってじっとしているのが好き。本当は文学部に入って外国文学をたんまり研究したかったが、女子に埋もれるのが不安で(この学校の文学部は女子が男子の三倍いる)商学部を選択した。慣れれば商売のお勉強も楽しい。成績はそこそこ。語学はまあまあ。つまり凡庸な人間であるが、誇れる点といえば「人に好かれること」。ただし、友情限定で…
「早く食べないと伸びるよ百合」
「学食のラーメンも伸びるのかな。これって本物の麺なの?」
「知らないけどさ。いいから、そんなん、あとで見ろって。汚れるぞ写真」
「わかってますよ」
月曜の二限の貿易論が終わると、二人は一緒に学食でランチを取るのが決まりになっている。テラス側の二人がけテーブルが夏でも冬でも定位置だ。吉野がたしなめると、百合は眺めていた写真をしぶしぶスマホケースの中に戻した。あれは数年前に撮った従兄弟一同の集合写真で…わざわざスマホのカメラロールから印刷に出したらしい…、何を気に入っているのか、ことあるごとに取り出してはしんみり眺めている。百合はひとりっ子だから、男女入り混じりの五人の従兄弟たちと会うのが何より楽しいのだと。吉野はそんな想い人の家庭事情までしっかり記憶に留めていた。
そうそう、最近百合の元気がないのだ。いつもは底抜けに明るいくせに、冬に入って様子が一変した。授業中もオフもお構いなしに、湿った空気を纏わせながらしきりとため息をついている。毎日百合と顔を合わせている吉野も、なんだか物寂しい気分が伝染してしまい、すっかりメランコリーが抜けなくなってしまった。なんせ原因が分からないから励ましようがない。かと言って面と向かって原因を聞くのはちょっと怖すぎる。ティーンの女の子の悩みといえば、まず考えられるのは「恋」だから。もしかして百合、誰かに恋してる?その疑いが脳裏を過ぎるだけで、吉野は心臓が痛くなってくる。
「ねえ、吉野午後暇だよね?」
「うん」
「良かった。ねえねえ、知り合いに超有能な悩み聞き屋さんいるから一緒に行こうよ」
「なにそれ、悩み聞き屋さんて。占い師?」
「うーん、いやっ、なんでも屋さんかな?私もよく知らないんだけど」
「怪しすぎるでしょ」
「今日ちょうど行く用あってさ。吉野も話聞いてもらえばいいじゃん」
吉野ー、百合ー、おはよー。通路をはさんだテーブル席の友人たちに手を振りながら、吉野は百合を訝しげに見つめた。どうやら吉野が何かを悩んでいると本気で考えているらしかった。それは勘違いだと弁明すれば話は済むのだが、好きな子からのデートの誘いを無下にする理由もない。
なんでも屋さん。吉野はラーメンをすすりながら実家によく来てくれた地域の便利屋さんのことを思い出した。軒先に蜂の巣が出来るとばあちゃんが近所中に聞こえる大声で電話をかけていた。便利屋さんは軽トラでやってきて、掃除機を魔改造した蜂吸い機で蜂を一網打尽にしていた。蜂のシーズンは便利屋さんというより蜂の駆除業者だった。
「東京の便利屋って、蜂も獲れるタイプ?」
「何言ってんの、バカじゃん」
百合はくすくす笑いながら吉野の器にぺろんとチャーシューを入れた。よしのー、ゆりー、こっち来いよー。また向こうのテーブルからお呼びがかかって、吉野はひらひらと左手を挙げる。
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