叶わぬ恋に心を尽くすより犬猫を飼え

羽津子

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第二話

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 てっきり悩み聞き屋さんはキャンパスの近くにいると思いきや、電車を二回も乗り換えて三十分以上揺られる羽目になるとは。今年の春に東京に出てきたばかりで地理に詳しくない吉野は、シティーガールの百合に引きずられるまま目を白黒させていた。「時間あるから歩いて行こう」と言われてわけもわからず地下鉄の階段を上ると、そこには日頃縁のない銀座の街が広がっていた。

「百合、どこまで行くんだよ!」

「築地よ」

「築地?!」
 
 脚が長くせっかちな百合は大股でさかさかと歩く。吉野はそれを必死に追いかけながらキョロキョロと辺りを見回した。
 冬本番に向かう街は誰も彼も忙しそうだ。等間隔に距離をあけて黙々と前進するサラリーマンたちは、まるでモノクロの回遊魚のようで薄ら寒くなる。
 銀座の大通りを横切ってまっすぐ進むうちに、道幅はみるみる狭くなり、交通量は徐々に減っていった。繁華街の喧騒が遠くなり、洒落た隠れ家的飲食店をいくつか通り過ぎたあとは、しんと静まり返った住宅街が川のそばまで広がっていた。
 百合が足を止めたのは年季の入った低層マンションの真ん前だった。一つだけある駐車スペースにはピカピカのロードスターが停まっている。クラシカルな街並みと古ぼけたアイボリーの外観にはミスマッチすぎる光景で、胡散臭さがいよいよ本格的になってきた感じだ。

「もしやここ?」

「うん。外は汚いけど、中は綺麗にリノベされてるの」

「ますます怪しいっていうか…」

「ウフ。いかにも悩み聞き屋さんが居そうでしょ」

「いやあ、そうかな?」

 吉野は蜂に強い地元の便利屋さんのことを考えた。プレハブ小屋とガレージが隣り合わせになった事務所は工具やストーブや掃除道具で雑然としていて、大抵ご主人がガレージの中で何かをいじくっていた。吉野の中で悩み聞き屋さんと言えばアレがスタンダードである。
 吉野はハアハア言いながら階段を上っていく。住人はいるのかいないのか、マンション内は真夜中のようにひっそりとしていた。三階の角の部屋に辿り着くと、百合はインターホンを使わずにカンカンと扉を叩いた。しかも、返事を待たずに扉を開ける。「いるー?」って、居なかったらどうするんだ!吉野が慌てて「鍵は?!」と叫ぶと、「開けっぱよ。こんなボロマンション空き巣も狙わないわ」。続けて部屋の中から心地よい男の声で、

「悪かったな、古いマンションで」

「!」

 吉野は腰が抜けるかと思った。いや、悩み聞き屋さんの性別は、その職業の先入観から男だろうとは予想していた。だが、まさか、こんなに見た目のいい男がこんなチンケなマンションの一室から出てくるとは夢にも思わなかったからだ。
 ご機嫌とも不機嫌とも判断つかない、あえて言えば真顔のそれは、どう見ても日本人ではない。すっと通った鼻筋の始まりに収まっている二つの瞳…グレーとブルーが混ざった不思議な色がジッと吉野を捉えている。肩まで伸びたウェーブの髪は若々しさを感じるが、おそらく吉野より十以上歳上であろう。ギギッと、ゆっくり蝶番の限界まで開き切った扉の向こうにはそんな男が立っていた。ついでに言えば股下の長さは吉野の五倍はありそうだ。

「アルちゃん」

 アルちゃん!?
 百合の屈託のない一言に吉野はギョッとした。この得体の知れない外国人に対してやけにフランクではないか。
「さっさと入れ、部屋が冷える」
 アルちゃんはふっと吉野から視線を外すと、これまた長い腕でシューズクローゼットを開けてスリッパを二組取り出した。これは、つまり吉野も客してカウントされたということだ。吉野は底のすり減ったコンバースを履いてきたことも、その中に毛玉だらけの靴下を履いてきたことも、ダブルで後悔した。
 百合の話通り、マンションの外観と共用スペースは年代ものだが、室内はとても綺麗にリノベーションされていた。廊下を抜けた先はリビングというより商談スペースなのか、生活感のないモノトーンの家具が部屋をモダンに格上げしている。しかも、これは床暖だ。吉野は思わずダークブラウンのフローリングにそっと手を置いた。冷えた手のひらがじんわり温かくなってくる。

「…失礼。寒いなら温度を上げるが」

「!いやっ、いえっ、これはその!」

 気付けばアルちゃんが、しゃがみ込んだ吉野を珍しそうに見下ろしている。シベリアンハスキーを思わせる氷色の瞳はかすかに笑っている。吉野は頭が真っ白になった。

「吉野は床暖が珍しかったんだよねえ」

「(余計なことを言うな!)」

 アルちゃんはふむ、と顎をさすると「吉野は苗字か?」と尋ねた。
 そこで、吉野はようやく家主に紹介される運びとなった。吉野は下の名前であること。学部の友人であること。癒し系の見た目だけど実は頑固で気が強くてたまに口が悪いこと。友達は多いけど彼女はできず、たぶん、友達止まりなタイプ…と余計なことまでバラされた。アルちゃんは終始真顔で聞いていた。

「アルちゃんはこんなにイケメンなのに頭が良くて何でも悩みを聞いてくれる超ハイスペックお兄さんなんだよね」

「はあ」

「仲良くしあげてね」

 吉野はよろよろ立ち上がって、ひょろっと長いシルエットに対峙した。コンパスのような脚の上に引き締まった胴体があって、その上に小さな頭が載っている。吉野より顔半分ほど背が高い。人種が違うとこんなにもプロポーションに差が出るものか…それに、なんといってもモデルのように整った顔立ちだ。少し高飛車で非友好的な感じもまた、凄みがあって惹き込まれる。吉野が唇を真一文字にすると、アルちゃんはすっと手を差し出して「宜しく」と言った。
 握手した手は想像より大きくてゴツゴツしていた。それはひんやり冷たくて、吉野は緊張と床暖で汗ばんだ己の手のひらに再び後悔した。

「アルちゃん、さっそくだけどアレある?」

「ああ、まだクローゼットに…」

「いいよ、自分で取る。あのね、吉野もなんか悩んでるみたいだから、お話聞いてあげて」

 キッチンから二人分のティーカップを運んできたアルちゃんをスルーして、百合はネズミのような素早さで隣の部屋に消えていった。
 ソファに取り残された吉野は「ひとりにするな!」と片手を挙げたところでピタリと停止した。初対面の人とも短時間で打ち解けられるのが強みだが、異国の方(しかも得体の知れない)は例外だ。アルちゃんは百合の鉄砲玉みたいな振る舞いを気にも留めず、黙々とティーカップをローテーブルに並べている。

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