叶わぬ恋に心を尽くすより犬猫を飼え

羽津子

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第四話

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 国枝吉野調べによれば、春夏秋冬のうち、一番季節の進みが早いのが冬だ。先々週はジャケットで過ごせていたのが、先週はウールのコートが必要になって、今週はマフラーに手袋も欲しいくらい。吉野は乾燥した風が縦横無尽に吹き荒ぶキャンパスを駆け抜けながら、すれ違うカップルに次々呪いをかけていく。こんなところでイチャつくな、全員単位落として留年しろ!冬が濃さを増すにつれ…つまり、クリスマスが近づくにつれてカップルの数も上昇傾向。午後のベンチは常につがいで満席だ。独り身にはつらいシーズンの到来である。
 …百合はアルちゃんの事務所で何をしていたのだろう。
 築地での一件から数日。あれもこれもそれも、次百合に会ったら聞こうと思っているうちにタイミングを見失い、真相はいまだ謎のまま。
 アルちゃんの事務所を訪れてからというもの、百合のナーバスはますます拍車がかかったようだ。ある時は九十分ずっと上の空で窓の外を眺め、ある時は発狂したかのように髪をかきむしり、気付けばホロリと涙してることもある。隣で授業を受けている吉野の存在は完全に認識外。目が合えば普通に話すし、食欲もあり、パワフルで豪快、明るい百合は今も健在だ。だが、春の嵐の如く突然狂気の表情を見せるその瞬間は、全身の造りが美しい分、一種の神々しさすら感じてしまって、ますます声などかけられない。
 良き話し相手を失った吉野は大人しく読書に勤しむ時間が増えた。アルちゃんから借りた本を律儀に読み込んでいる。宗教の本は、各地の大学で横行する悪質な勧誘手口が詳細にまとめてあって、おかげで実用的な知識が身についた。先日南門でまた同じような誘いを受けたが、今度は毅然とした態度でお断りすることに成功した。アルちゃんには感謝しなければならない。

「国枝!今日飲み来ない?」

「いやー、今日はパス」

「バイト?」

「バイトー」

 銅像前のベンチに座っていたカップルの片割れは学部の同期であった。軽い誘いを片手でいなして(ついでに呪いもかける)、吉野は前進する。
 そういえば、吉野は百合がナゾの手紙を読みながら血の気のない顔をしている場面にも遭遇した。基本は誰かと一緒にいる彼女がひとりきりで、法学部のテラスに座って一生懸命手元の便箋に視線を落としていた。少なくとも数枚にわたり、びっしりと黒い文字で書かれたそれ。スマホで簡単にメッセージを送れる令和の時代に、レトロな手紙と現代っ子の百合の組み合わせはあまりにも意外だった。授業が始まる直前だったので声をかけることはできなかったが、その光景は深く吉野の心に刻まれることになった。
 あれは一体なんだったんだろう。果たし状か何かだろうか。
 ひとりきりの四限授業を終えた吉野は、今にも失神しそうな百合の顔を思い出しつつ駅を目指していた。あれこれ考えることが多すぎるが、電車で二駅離れたバイト先にこれから向かわねばならない。本当は自宅近くのコンビニでレジ打ちする予定だったのに、「そんなとこで働いたら同期の溜まり場になっちゃうよ」とサークルの先輩が忠告するので考えを改めた。それで、つま先立ちの背伸びをして、カフェでウェイター。夏は寒すぎるし冬は暑すぎる職場だが、珍しい個人オーナーのオシャレなカフェで、しかも同じ学部のOBというから何かと可愛がられている。
 履き古したコンバースで恥ずかしい思いをしてから、「今後何があってもいいように」と意気込んで買ったナイキのスニーカー。真っ白なつま先を見ていると否が応でもアルちゃんの青白い肌を思い出す。
 借りた本はどうやって返そうか。それには百合を誘わねばならない。参ったな…今の百合にどうやって声をかけるべきか……

「悩み事か、国枝吉野くん」

 俯いていた吉野の視界に真っ黒なビットローファーが飛び込んできた。マットな質感のつま先には傷や汚れひとつない。はて、どこかで聞いたことのある声だ…吉野はゆっくり視線を上げる。黒のスラックスに黒のチェスターコート…インナーは黒のタートルネック。今日は指先までレザーのグローブが覆っている。

「アルちゃん」

「元気そうだな。読書は順調か」

 アルちゃんはニヤッと笑った。ニヤッと笑ったように見えるが、おそらくこれはアルちゃん的に通常の微笑みなのだろう。真後ろの黄金色のイチョウ並木が背景となって、雑誌のスナップのような仕上がりだった。吉野は思わず見惚れてしまって「読書は順調…」とおうむ返しすることしかできなかった。

「ボケッとしてるとまた勧誘されるぞ」

「っ、もう大丈夫ですから!あの本、すごく役に立ちましたありがとうございます」

「それは何より」

 長い脚がターン。コートがふわりと翻り、吉野の隣にイケメンが収まる。

「送ってやろう。バイトに行くんだろう」

「え、はい。行きますけど…って、え、エスパー?」

「この通りは駅に向かうルートだ。田舎から出た新入生はわざわざ電車通学の距離に部屋を借りない。となるとアルバイトの可能性が高い」

「…この前から思ってたけど、アルちゃんて何者なんですかね」

「さあな」

「百合は便利屋さんって言ってたけど、実は探偵なの?」

 アルちゃんは音もなくフフと笑った。
 歩幅は吉野の倍ありそうなのに、百合と違って歩くペースはのんびりだ。留学生という歳ではないし、外国語の准教授にしては見た目がファンタジーすぎる。一緒に歩いているところを見られたらなんて噂されるかな。並んで学生街を歩きながら、吉野はちょっとドキドキした。胸が躍るような、ワクワクと優越感。百合と初めて二人きりでキャンパスを歩いた時を思い出す。最近誰かさんのネガティブにあてられて参っていたから、こういう気持ちは久々だ。

「よく俺が分かりましたね」

「目立つオーラをしているから」

「そうかな、初めて言われたけど。ところでアルちゃんはなぜうちの大学に?」

「この辺りでいくつか用事が。図書館にも寄りたかった」

「図書館って…アルちゃん、もしかしてうちのOB?」

 アルちゃんは無言で眉の片方をくいっと上げた。きっと肯定の意味である。
 大学自慢の巨大な図書館はビジターを受け入れておらず、利用できるのは大学の学生、職員とOBに限られている。なるほど、アルちゃんが大学のOBである可能性は全く考えていなかった。そういうことなら、百合とどこかで接点があってもおかしくない。吉野は記憶のノートに情報を認めた。

「ねえ、それって何年前?何学部だったの?アルちゃん日本に十八年いるって言ってたもんね?」

「質問が多いな」

「いやいや、まだ聞きたいことたくさんあるから…年齢とか、出身とか、本名とか、あと…血液型?誕生日!」

「ひとつに絞ってくれると助かる」

「ひとつ?!…じゃあ年齢は?」

「今年で三十六に」

「三十六…」

 ということは、吉野と十七違うことになる。見た目がいいからもっと若いと思っていた。それこそ二十代前半と言われても信じてしまうだろう。外国人は年齢不詳だ…。とはいえ、年齢が判明したので、アルちゃんが少しだけ身近な存在になった気がした。吉野の口角が上がる。
 西門を出てしばらく歩いた場所の時間貸し駐車場にピカピカのロードスターが停まっていた。ぼったくり並に高い駐車料金が有名でいつもガラガラなのに、まさか停める人間がこの世に存在するとは思わなかった。吉野は記憶のノートに「アルちゃんはたぶん、金持ち」と追記する。

「じゃあ、俺は駅に…」

「何言ってる、送ると言っただろう」

「えっ、まさかコレで?!」

「不服か?狭いが悪くないぞ」

 吉野が駐車場の前で慌てている間に、アルちゃんはとっとと清算を済ませて運転席に乗り込んでしまった。仕方なく、吉野もそれを追いかけ助手席に滑り込む。家族以外が運転する車に乗るのは何年ぶりだろう。
 ツーシートの車内は確かにコンパクトだが、実家で慣れ親しんだセダンにはない男の夢があった。シートに沈むような乗り心地は初めて経験するものだ。

「めっちゃいいですね、快適」  

「そうだろう」

「…あの、こういうのって女の子乗せるんですよね?普通。男は乗せないっていうか…俺が乗っていいの?」

 するすると空に描いたのはナイスバディな女の子のシルエット。イメージソースは百合である。吉野の子供っぽい問いかけにアルちゃんは嬉しそうだ。

「女は乗せないよ。色々面倒だからな」

「色々って?」

「童貞に説明したところで難しい話題になる」

 吉野は絶句した。

「な、な、」

「バイト先の住所は?どの駅に近い?」

「童貞じゃないっ」

「違うのか?」

「いやっ、童貞……だけど!」

「ハハ」

 アルちゃんが初めて声に出して笑ったので、吉野はまたもや絶句することになった。
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