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暗雲(3)
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(シクル村……)
竜の姿になったレフィーが、シクル湖のほとりへと降りる。その背に乗っていた私が降りると、彼は人の姿に変わった。
シクル湖の水面は、これまで見たことがないほどに近くなっていた。旱魃で少なくなっていなければ、溢れ出していたかもしれない。
まだ、雨は止んでいない。あの後、エレベーターで私はレフィーに雨を止めて欲しいとお願いした。でも、彼はそれを頑として聞き入れてはくれなかった。
それでも数時間粘り、村を訪れることだけは何とか了承させた。大分、渋々といった感じではあったが。
シクル湖に面した広場に、置きっ放しの楽器が見えた。広場の中央に立つ大樹の前に敷かれた、儀式参列者用の絨毯もあの日のままだ。
あの日と同じく、激しい雨が降っている。
あの日と同じく、私とレフィーだけが景色から切り取られたように濡れずにいた。
竜に変わるため、レフィーはもう普段の服に戻っていて。事務服のままでいる私とのちぐはぐな感じが、今の彼との距離感に思えた。
ぬかるんでいる土の道を歩けば、パンプスの踵が沈む感触がする。けれどそれだけで、泥が靴を汚すことはなかった。
「誰もいないの……?」
家が並ぶ道に入ってしばらく、まったく感じない人の気配に、私は歩く速度を速めた。
「誰か、いませんか?」
家の中に籠もっているのかもしれない。私は手近の家の玄関まで行き、扉を叩いた。
行儀が悪いと思いながらも、扉に耳を当てて中の様子を窺う。
反応が無ければ、次の家へ。また無ければ、その次の家へ――
「……おそらく、いませんよ。ミア」
どんどんと早くなる私の足を、ずっと後ろを付いてきていたレフィーの一言が止めた。
「先日、王都へ服を受け取りに行った際に、ここは廃村が決まったことを耳にしました。異常事態の末の廃村でしたので、こんな小さな村でも噂に上っていたんです」
「廃村……?」
一段高くなった玄関の敷石から、レフィーを振り返る。彼は玄関アプローチの中頃に立ち、私を見ていた。
「旱魃に次いで長雨に見舞われたことで人口の流出が止まらず、そうなったようです。ここは既にシクル村ではなく、この辺り一帯は国が管理する平野扱いになっています」
「皆、引っ越した……ってこと?」
「そうでしょうね。もともと旱魃のときに、備えていた人間が多くいたのでしょう。だから行動が早かった。大人しくこの地で死ねばいいものを……忌々しい」
レフィーが根腐れした花壇の花を見下ろしながら、吐き捨てる。
(レフィー?)
シクル村の人々に対し、殺されればいいと言い、今もこの地で死ねばよかったのにと口にしたレフィー。額面通りに受け取れば、冷酷な言葉に聞こえる。けれどそこに何か、違和感を覚えた。
レフィーはいつも、飄々として見える。それは思い付いたら即実行、他人の評価など気にしない生き方をしているからだと思っている。そんな彼だから、普段は愚痴なんて出てこない。
たまには自分でもお菓子を食べようとして無いという状況でも、誰が多く食べたのかなんて彼は一切気にしない。何故そうなるまで自分は気付かなかったのかという、謎解きが始まるだけだ。
そんな彼がやはり愚痴めいたことを言ったのは、今日の魔王城の中庭でのこと。私が休日を取っていないと不機嫌になった彼の台詞からして、七日目から思っていたのに三日間言い出せなかったのだと思う。
他人を気にしないレフィーが、私に気を遣ってそうした。どうすれば自分の気が晴れるのかをわかっていて、強行するのを我慢した。
(だったら、この雨も本意ではない?)
そう思い至って空を見上げて、暗雲の狭間を走る雷にハッとする。
私は、あくまで雨を止ませないという態度こそが、レフィーの強い怒りを表していると思っていた。でも、それは少し違っていたのかもしれない。
雨を止ませないというのが、レフィーの極限の譲歩だったのかもしれない。彼はきっと、私が着ていた生け贄の装束をそうしたように、この村を灰にすることだってできたのだから。
竜の姿になったレフィーが、シクル湖のほとりへと降りる。その背に乗っていた私が降りると、彼は人の姿に変わった。
シクル湖の水面は、これまで見たことがないほどに近くなっていた。旱魃で少なくなっていなければ、溢れ出していたかもしれない。
まだ、雨は止んでいない。あの後、エレベーターで私はレフィーに雨を止めて欲しいとお願いした。でも、彼はそれを頑として聞き入れてはくれなかった。
それでも数時間粘り、村を訪れることだけは何とか了承させた。大分、渋々といった感じではあったが。
シクル湖に面した広場に、置きっ放しの楽器が見えた。広場の中央に立つ大樹の前に敷かれた、儀式参列者用の絨毯もあの日のままだ。
あの日と同じく、激しい雨が降っている。
あの日と同じく、私とレフィーだけが景色から切り取られたように濡れずにいた。
竜に変わるため、レフィーはもう普段の服に戻っていて。事務服のままでいる私とのちぐはぐな感じが、今の彼との距離感に思えた。
ぬかるんでいる土の道を歩けば、パンプスの踵が沈む感触がする。けれどそれだけで、泥が靴を汚すことはなかった。
「誰もいないの……?」
家が並ぶ道に入ってしばらく、まったく感じない人の気配に、私は歩く速度を速めた。
「誰か、いませんか?」
家の中に籠もっているのかもしれない。私は手近の家の玄関まで行き、扉を叩いた。
行儀が悪いと思いながらも、扉に耳を当てて中の様子を窺う。
反応が無ければ、次の家へ。また無ければ、その次の家へ――
「……おそらく、いませんよ。ミア」
どんどんと早くなる私の足を、ずっと後ろを付いてきていたレフィーの一言が止めた。
「先日、王都へ服を受け取りに行った際に、ここは廃村が決まったことを耳にしました。異常事態の末の廃村でしたので、こんな小さな村でも噂に上っていたんです」
「廃村……?」
一段高くなった玄関の敷石から、レフィーを振り返る。彼は玄関アプローチの中頃に立ち、私を見ていた。
「旱魃に次いで長雨に見舞われたことで人口の流出が止まらず、そうなったようです。ここは既にシクル村ではなく、この辺り一帯は国が管理する平野扱いになっています」
「皆、引っ越した……ってこと?」
「そうでしょうね。もともと旱魃のときに、備えていた人間が多くいたのでしょう。だから行動が早かった。大人しくこの地で死ねばいいものを……忌々しい」
レフィーが根腐れした花壇の花を見下ろしながら、吐き捨てる。
(レフィー?)
シクル村の人々に対し、殺されればいいと言い、今もこの地で死ねばよかったのにと口にしたレフィー。額面通りに受け取れば、冷酷な言葉に聞こえる。けれどそこに何か、違和感を覚えた。
レフィーはいつも、飄々として見える。それは思い付いたら即実行、他人の評価など気にしない生き方をしているからだと思っている。そんな彼だから、普段は愚痴なんて出てこない。
たまには自分でもお菓子を食べようとして無いという状況でも、誰が多く食べたのかなんて彼は一切気にしない。何故そうなるまで自分は気付かなかったのかという、謎解きが始まるだけだ。
そんな彼がやはり愚痴めいたことを言ったのは、今日の魔王城の中庭でのこと。私が休日を取っていないと不機嫌になった彼の台詞からして、七日目から思っていたのに三日間言い出せなかったのだと思う。
他人を気にしないレフィーが、私に気を遣ってそうした。どうすれば自分の気が晴れるのかをわかっていて、強行するのを我慢した。
(だったら、この雨も本意ではない?)
そう思い至って空を見上げて、暗雲の狭間を走る雷にハッとする。
私は、あくまで雨を止ませないという態度こそが、レフィーの強い怒りを表していると思っていた。でも、それは少し違っていたのかもしれない。
雨を止ませないというのが、レフィーの極限の譲歩だったのかもしれない。彼はきっと、私が着ていた生け贄の装束をそうしたように、この村を灰にすることだってできたのだから。
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