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第二章「契約更新は慎重に」
26.突撃お宅訪問 第2弾 どきどきクラスメイト編
しおりを挟む家に帰りつく前に調べておきたいことがある。
校門付近の木陰に隠れて、バレー部員たちが帰途につくのを見守っていた。
部活が終わり、鞘崎先輩は仲間たちとの談笑に興じていたが、四ノ宮くんはひとりきりだった。
心配そうに声をかけてくるチームメイトたちを振りきるようにして彼は下校する。
四ノ宮くんの、あの態度。温和で優しい彼らしからぬ冷酷な物言い。
きっとなにか深い訳があるはずだ。
そう思って、背後から彼のようすをうかがっていた。
一定の距離を保ったまま後を追う。校門を抜けて、坂道をくだっていく途中で四ノ宮くんが振り向いた。
「……伏見。先に帰っていいって言ったのに」
「尾行じみたことしたのは謝るよ。四ノ宮くんのこと気がかりでさ」
「あんなところ見られたんじゃ仕方ないか。俺に聞きたいことでもあった?」
四ノ宮くんが問いかける。
僕は口にすべきだろうかと迷いながらも、尋ねずにはいられなかった。
「鞘崎先輩となにかあった?」
「ああ、そう。……そうだな、教えてもいいよ。ただし交換条件。……荷物もってもらっていい? 片腕使えないと重くてさ」
四ノ宮くんは空いた手でスポーツバッグを指さした。
彼のいうとおり、教科書やノートがつまったエナメル鞄は重そうだった。
雑用なら九遠堂で慣れている。そのくらいはお安いご用だ。
そのまま四ノ宮くんの自宅へ向かうことになった。
最寄り駅で地下鉄に乗り込み、三つほど停車場を通過してから下車をした。
駅から少し歩いた先のマンションの一室で家族と暮らしているらしい。両親は共働きで、ひとり息子である四ノ宮くんは留守を任されることも多いと聞いた。
マンションの一階にたどりつく。
エレベーターのボタンを押したが、反応がない。
階数表示を確認したらおかしな点に気づいた。停止階数がわからない。
どの階にもランプが点滅していないのだ。
「あ、ごめんね。このエレベーター先週から壊れてて。まだ直ってないんだった。階段で登ってもらうことになるけどいける?」
「何階まで?」
「十二階なんだ」
最上階だ。
げんなりしそうになるが、労を惜しむわけにはいかない。
荷物もちを請け負った以上はやり遂げなければ。がんばろう。がんばって登り切ろう。
四ノ宮くんの鞄は教材の重みでずっしりと肩口にのしかかってくる。
「伏見って体力ないんだなぁ。このくらいは軽いよ」
「四ノ宮くんが平均以上なんだよ……」
僕は階段を登りながら、息も絶え絶えになっていた。対する四ノ宮くんはすいすいと軽い調子で階段を登っていく。さすがは運動部。腕を怪我していても健脚だ。
「前から思ってたけど。伏見はさ、いいやつだよな」
「藪から棒になんなのさ。けなしたりほめたり忙しいね」
「普段はのらりくらりとしてるのに、意外と度胸があるし、機転がきくみたいだから。バレーやってたらフェイント上手い選手に育ちそう」
「か、買いかぶりすぎだよ」
「まあ、がたいと体力は落第だね」
ほどなく十二階にたどり着いた。
全身から汗がどっと吹き出している。
肩で呼吸をしながらストラップを握りしめ、息を整えるがしばらくは顔をあげられそうもない。
熱気で温まった階段を最上階まで登るのは、ひかえめに言っても拷問だった。
「登り切った……」
「サンキュ。かばん重かったろ? 麦茶いれるからあがっていきなよ」
ありがたい。お言葉に甘えることにする。
十二階のフロアには五部屋ほどがLを描くように並んでおり、そのうちの北の角部屋に案内された。表札には「四ノ宮」と出ている。
怪我をかばいながら左手で扉を開けるのを見守って、部屋の中へとお邪魔する。
玄関先にはたくさんの靴が並べられていた。どれも運動靴やサンダルだ。
靴箱におさまりきらないのは四ノ宮くんの靴のようで、同じサイズがそろっている。新品と見まちがうほど磨き抜かれた靴のほかにも、底のすりきれたスニーカーも置かれていた。
玄関先からリビングへとつづく廊下にも、荷物が点在している。
口の開いたダンボールの中には雑多な品がつめこまれおり、整理が行き届いているようには見えない。
「部屋の汚さには目をつむってくれよ。整理途中でさ。母さんに言われて、靴とか服とか、いらない漫画とかいろいろ。土曜に鞘崎先輩にきてもらって、ダンボールの運搬手伝ってもらったんだよね」
「……鞘崎先輩に?」
「そこが知りたくて着いてきたんだろ。伏見があの人と知り合いなのは、知らなかったな。うん、把握できていなかったのはやっぱり俺の落ち度だ。あの人から何か聞いてる?」
「いや……なにも聞いてないよ」
「けど、伏見は先輩を疑ってる。俺に怪我を負わせたのが、あの人なんじゃないかって」
四ノ宮くんが指摘する。
水飲み場での会話を聞いていたのだ。
僕は九遠堂のアルバイトとして鞘崎の動向を探っていたつもりだったが、四ノ宮くんからすれば不自然にかぎまわっているように見えたのだろう。
僕と鞘崎先輩のあいだに接点はなかった。彼が九遠堂の主人から、魔性の護符を譲り受けるまで名前を知りもしなかった。
四ノ宮くんがもし鞘崎をかばっているのなら、部外者の僕を怪しむのも無理もない。
「考えすぎだよ。四ノ宮くんが鞘崎先輩と喧嘩してるの見て、心配になったんだ」
「それだけ?」
……それだけじゃない。
僕には後ろ暗い事情がある。九遠堂のことだ。
椎堂さんが佳代さんに本当のことを話さない理由が身に染みてわかった。説明できるはずがないのだ。視座を共有できる相手でなければ、わかってもらえるはずがない。
これまで平和に過ごしてきた教室に、果たして僕と同じ経験をした学生がいるだろうか。
――いるはずがない。常識ではかれる範疇にあの店はないのだ。
「……ごめん、うまく話せない」
「いいよ。ていうか、べつにうまく話さなくていいんだよ。俺は伏見のこと、良い友達だと思ってるからいくらでも見過ごすよ。それはさ、たぶん伏見も同じだよね」
四ノ宮くんの声色は優しい。
玄関先で長話をするのもないよと彼は笑って、リビングに案内してくれた。
ベランダの向こうから西日が差し込んでくる。じきに日が暮れて夜がおとずれる。ソファに座って待っていると、四ノ宮くんが麦茶をいれたグラスをもってきてくれた。
冷たい麦茶が喉もとを通り過ぎていく。
冷房のききはじめた部屋でおとなしくしていると、頭の芯が冷えていくようだった。
僕の目前では、少年が怪我した腕をかばいながらグラスを傾けている。学校にいるとき彼はいつだって柔和で、気遣い上手で、物腰し爽やかだった。どこか大人びてみえるふるまいをする生徒だった。
そういうところを、尊敬していたのだ。
「……ねえ、四ノ宮くん。エレベーターが壊れたのって先週だよね」
「先週の金曜だったかな。対応遅いよな。ここの住民、みんな迷惑してるってさ」
「ところで荷物の整理って前からやってた?」
「いや、急に思いついてやりたくなったんだ。よくあることだろ?」
「うん……そうだね。…………四ノ宮くんの言うとおりだ」
ふたたび沈黙が降りてきて、僕らはグラスに残った麦茶を飲み干すことに集中した。
それ以上は会話にならなかった。
見送りはいいと断ったら、四ノ宮くんとは玄関先で別れることになった。
帰り際に彼はまっさらな瞳を向けて、僕に尋ねてきた。
「伏見さ。さっき階段を登るとき、歩きにくそうにしてたね。靴を貸そうか?」
なんとも反応に困るお誘いだった。
土間に並べられた運動靴と自分のスニーカーと見比べると、足もとが急に安っぽく見えた。
四ノ宮くんは運動好きなのもあって、使い心地にこだわりがあるのだろう。ぴかぴかと光る新品の靴にも、くたびれた靴にも有名なメーカーのロゴが刻まれていた。
歩きにくいと感じたことはないのだが……どうしたものかなぁ。
突然ふってきた提案の意図がのみこめず、しばらく考え込んでから、きっぱりと断りを入れることにした。
「いや、いいよ。また返しにくるのも手間だし遠慮するね」
「そう。やっぱり伏見は、いいやつだな」
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