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第二章「契約更新は慎重に」
27.ふたりと距離と結論
しおりを挟む翌日――。
放課後の学校で、僕らは待ち合わせをしていた。
赤褐色の煉瓦が積まれた校門に張りつくようにしている。生ぬるい夜風が肌にすいつくようだった。
今日は七月にしては涼しい。
あと半月もしないうちに、伊奈羽市にも熱中症患者が続出するような時期が訪れると思うと、毎年のことながら憂鬱でならない。
夏休みは歓迎だが、蒸し風呂に入るかのような外気温と、灼熱の日照りがアスファルトを焦がす街にいると、電車に乗ってどこかへ逃げ出したくなるのだ。
現実逃避をしたところで、夏の自習課題が片付くはずもないというのに。
蝉時雨が鼓膜をつんざくように打つ。
ジーッ、ジーッ。
と、木陰から絶え間なく降りそそぐ虫の音は、例年通りとはいえ耳障りでならない。
十五分以上ものあいだ節足動物の大合唱を聞きあぐねているので、さすがに飽きてくる。
部活動を終えて下校する生徒たちから時折、訝しげな視線を頂戴するが、スマートフォンの画面を一心にながめつづけて事なきを得ている。
立ちつくすこと、およそ三十分間。
――待ち人来たり。
彼は正門までまっすぐに歩いてきた。
四ノ宮彰緒。バレーボール部の部員で、僕にとっては気のいいクラスメイト。
昼休みに彼が図書室へおとずれた時に、待ち合わせの約束を交わしていた。僕から誘いをかけたら、放課後に会おうといったのだ。
――放課後は俺も所用があるし。伏見はカウンター当番が終わってからきてよ。
予告どおり、四ノ宮くんはすこし遅れて現れた。
「待たせたね。で、あらたまって話したいことがあるんだって? 俺、返却期限に遅れたことはないはずだけどな。それとも返却した本にシミでもついてた?」
四ノ宮くんは肩をすくめて冗談をいう。
昨日の段階でこうなることをある程度予想していたのだろう。
道化じみた反応には薄笑いを返して、本題にはいることにした。
「四ノ宮くん、君は、ずっと嘘をついてたの?」
問い詰めると、やはり彼はとぼけた顔をする。
「なに? こわい顔してどうしたの、伏見」
「……鞘崎先輩のこと、優しい先輩だって、憧れだって言ってたじゃないか」
図書室で尋ねたとき、彼はたしかにそう言っていた。
すでに、ふたりが良好な先輩後輩関係を築いているとは考えられない。試合後に、先輩相手になじるような言葉を浴びせつづけた四ノ宮くんは、同ポジションを担う上級生を尊敬しているようには見えなかった。
「嘘ではないんだけどね。でもまあ……交換条件をのんでくれたのにフェアじゃないよな。伏見には話すよ。口固そうだしさ」
口の固さは胸をたたいて保証できる。
歩きながら話そう、と誘われて、僕らは並んで下校をする。万鐘高校から駅までの道はゆるやかな下り坂になっており、途中にはコンビニや本屋、ハンバーガーショップが並んでいる。誘惑の多い帰り道なのだ。
部活終わりの下校ピークはとうに過ぎているため、周囲に学内の生徒は見あたらない。
カフェやファーストフード店に駆け込むとかえって誰かの耳に拾われる心配もあるだろうし、道すがら話すほうが安全だろう。懐事情がさもしい僕としてもありがたい。
四ノ宮くんが話しはじめたのは、ある事件の告発だった。
「あの人、中学時代は部のエースみたいな存在でさ。実際、プレーも上手かったし、司令塔としても優れたセッターだったんだよ。けれど裏では――いじめの主犯格だったんだ」
中学時代からバレー部に所属しており、当時から先輩後輩の関係にあった四ノ宮くんと鞘崎先輩。
中学での鞘崎は後輩に対して、指導と称した陰湿ないじめを繰り返していた。
いじめには彼の他にも複数人が加担していたが、立場が弱い後輩たちのなかでも、四ノ宮くんはとりわけ目立つ存在だったようだ。
正義感に従って、同級生をかばううちに標的にされた。機嫌の悪い鞘崎にボールをぶつけられ、密室で殴られ、時には倉庫に閉じ込められることもあったそうだ。
四ノ宮くんと鞘崎の関係は、彼の卒業まで続いたという。
「でも、先輩には感謝してるんだよ。俺はこいつを見返してやるために努力して、あいつの背を追いかけて、とうとうポジションも奪ってやった。すべて鞘崎先輩のご指導あっての結果だよ。だからこそ……」
「だから?」
「高校で再会したとき、失望したんだ」
四ノ宮くんは一時静止した。
正面には横断歩道がせまっており、信号は赤だ。一度、開いた口は簡単にはふさがらないようで、喉の奥からは堰を切ったように恨み言が溢れ出す。
「あの人も万鐘のバレー部に進んでた。セッターからリベロに転向して、部活仲間ともそれなりに仲良くやって、楽しそうにしてたな。一昨年までうちの実績は伸び悩んでたみたいで、県大会まで勝ち進めば上々程度の実力だった。
……鞘崎先輩は、彼なりに努力はしていたようだけど、ひとりの力で結果が変わるほど団体競技の世界は単純じゃない。
それでも、万鐘には粒ぞろいの選手が集まっていたし、教育体制も整ってたからね、俺も入部してすぐに気づいたよ。ああ、この人、所詮凡人だったんだなぁって」
信号が変わる。僕は無言のまま、歩を進める。
白線を踏むスニーカーを見つめたまま、肩を並べた同級生の過去に想いを馳せた。
おそらく、四ノ宮くんは後悔したのだろう。
――中学のあのころに知りたかった、と。
中学時代の四ノ宮くんは鞘崎に憧れていたからこそ、無抵抗で暴力に屈していたのではないだろうか。
鞘崎の卒業後、同じ高校に進学したのは、かつて背中を追った相手を憎みながら英雄視する気持ちもあったのかもしれない。
「俺はさ、対象を攻撃せずにはいられない人たちのこと、かわいそうだなぁって目で見てる。声が大きいから強者のように見えるけど、誰かを批判したり、何かを破壊しなければ自分の優位性を保てないなんて、自己保身に必死な弱者の発想だ。ただ、そういう弱さは俺にもある」
そして、高校二年に進級すると二人の立場は逆転した。
四ノ宮くんはあっさりと鞘崎のポジションを奪った。
そのころには心の裏側で鞘崎への一方的な憎しみを募らせたまま、表面上は部内の先輩後輩として良好な関係を築いていたという。
鞘崎は悔しがりこそすれ、四ノ宮くんのレギュラー昇格を褒めたたえた。ふたりが中学時代からのバレー仲間だと知る部員たちは、師弟関係のように囃し立てた。
「反吐がでるね。ライバルであるはずがない。麗しき師弟関係? 笑わせないでくれよ。心を入れ替えたあいつに失望して、バレーに打ち込むうちに忘れていた。……俺は鞘崎が憎かった」
「ついには復讐心に火がついてしまった、って帰結かな」
四ノ宮くんは、目を伏せる。
「……道連れにしてやりたかったんだ、地獄に。だって、あんまりじゃないか。あんなに輝いて見えたあのころのあの人のプレーも、痛みも、全部、俺だけ覚えてるなんてさ」
信号を渡り終えた先には、ガソリンスタンドが待ち受けていた。この角を右折してまっすぐに進むと、駅まではもう十分とかからない。
「これは興味本位だけど。具体的になにをしたのか聞いても?」
ここへきて、四ノ宮くんはようやく相好を崩した。
「傷害事件の時効って三年なんだって。過去に鞘崎が友人に撮影をさせて、部内で密かに回し見していた動画も残ってたから、それをダシに脅しておいた。顧問にも、監督にも、バレー部の皆に告発するって言ったら小羊みたいに怯えていたよ。あれはそれなりに傑作だったな」
三年生である鞘崎先輩にとっては、進学にも影響を及ぼしかねない一大事だったのだろう。
彼が九遠堂の戸を叩いた経緯に、いまさら理解が追いついた。
ポジションを奪われ、脅されて焦り、九遠堂に追いすがった。どれだけ追い詰められていたのだとしても、同情を寄せたくはないし、軽蔑する気持ちは変わらない。けれど。
「最後にひとつ、確認させて。先週の土曜、鞘崎先輩には靴を貸したの?」
「貸したよ」
四ノ宮くんは認めた。
鞘崎先輩の九遠堂での言動を思い出す。彼の願いは、レギュラーに返り咲くこと。あのとき、自分以外の名前は一度も口にしなかった。鞘崎の実力については、バレー部員の見解では全国レベルには至らない程度。
僕は確信する。
――四ノ宮くんの怪我には、〈怪奇なるもの〉は直接関与していない。
「それが最後なんだ? ほんとうに伏見はいいやつだね。……察しがよくて、口が堅くて、何が正しいことかよく知ってる。そういうやつだから、俺も話してみたかったのかも」
「四ノ宮くん、君は――」
僕の発言にかぶせるようにして、四ノ宮くんはまくしたてる。
彼はもうこちらを見ようともしていなかった。
「ねえ、俺からも質問させてよ。伏見はどう思う? あの人は裁かれるべきなのか。今こそ、犯した罪の代償を支払うべきなのか。俺はバレー部が好きだから、全国大会が終わるまでは誰にも言わないつもりだけどね」
少年は問いかける。
白いギプスが巻かれた腕をそろりと撫でる手で庇いながら。
僕は――駅前へたどり着くより先に返答を考え終えなければならない。
階段を降りて地下鉄の改札を抜けてしまえば、あとは手を振って別れるばかりだ。向かう先は反対方向だった。
ラッシュの時刻を過ぎているとはいえ、冷え切った車内では誰とも知れない群衆が、思い思いの体勢でひしめいていることだろう。
四ノ宮くんは黙りこんだまま歩きつづける。
昨日につづいてこれはどうにも――難問だ。
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