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第三章 瑞凪少女誘拐事件
39.フェイク
しおりを挟む約束どおり、スターバックスだった。
午後三時を過ぎて、百貨店一階の路面店にはすでに長蛇の列ができていた。期間限定の新メニューは売り切れらしい。道路向かいのヨネダ珈琲店でも、と譲歩したのに断固として拒否された。
「どうして教えてくれなかったんだろう……」
ソファに腰を下ろして、美波あきらは途方に暮れていた。
正面を見据えると、肘掛け椅子にゆったりと腰を沈めたネモが肩をすくめている。
スタバ愛好家らしい麗人は、食事はとらず、「ビバレッジはダークモカチップフラペチーノグランデサイズミルクは無脂肪乳に変更エスプエレッソショット・ツー・シトラス果実追加で」という注文の長い奇天烈なドリンクを飲んでいた。
「君がそれほどまでに限定ラテにご執心だったとは」
「ちがう。真木のこと」
飲みかけの抹茶ラテに口をつける。
テーブルの上では空き皿が存在を主張していたが、スコーンをたいらげてもまだ釈然としないままだった。
「友達だからって、なにもかも親切に教えてくれるわけじゃないさ。表面に現れるものは氷山の一角で、海中にはきっと、そのとき選択しなかった言葉だって沈んでいる」
「それって、嘘ってことじゃないか」
「……ああ、嘘だよ」
二重まぶたが、わずかにとざされる。
「虚言妄言つくりばなし。一時的建前にオブラートぐるみの甘い言葉。嘘こそ抽象表現である記号的言語をあやつる人類の発明だ。相手を傷つけないためにつく嘘も、自分を傷つけないためにつく嘘もある」
「誤解させて混乱させるくらいなら、嘘なんてなければいい」
「そうかな。仮にこの世に嘘がなければ……ヒトをヒトとも思わず、心へ配る思慮をおろそかにする、バケモノばかりの末世になるぜ」
ネモはそう言うが、あきらには納得しがたい。
「嘘があるから、心がわからない。どこまでが真実なのか、言葉だけでも、声や表情があっても……不十分だ」
真木百合枝は、嘘の多い少女なのだろう。
隠し事ばかりするから、知ろうとすればするほど彼女の実像をつかみかねる。そうやって、本質を探るうちに惑わされて――迷宮に迷い込む。
「――だから、絵がいい?」
身を乗りだして、ネモが尋ねてくる。
心臓がどきりと跳ねる質問だった。
「画家が作為をもって歪めた絵画なら、裏表を疑わなくてもいいよな。そもそもが嘘であり、美なのだから。そうだな……肖像画の役割について講義してみようか」
「……こんなところでも授業してくれるんだ」
「こっちのほうが気が紛れるだろう。ほら僕、美声だし」
おどけた顔がそらぞらしい。
でも、あきらのことをよく理解している。複雑に絡まった問題を解きほぐす過程で手を留めたときは、暗記科目の参考書にたちかえる。歴史や化学をただ覚えるだけのほうが、ずいぶんと気楽なときもある。
指導者気どりのネモは、こんどは声に豊かな抑揚をのせて謳った。
「古来より、ヒトはヒトの造形を、興味と関心をもって見つめてきた。たとえば宗教的図像表現……神話上の女神や軍神だってどれもヒトの似姿で描かれるね」
そういえば、宗教が斡旋していた時代の絵画はどれも物語を題材にしている。
絵画は、経典に記された内容を伝えるために使われてきたのだ、とネモは告げる。
「現実の人物を描く肖像画となると、十五世紀以降――近世になり発展にする。パトロンたる王侯貴族からのご注文は、高貴なる我が一族ってとこさ。だからこそ優れた画家がことさら重宝されたわけだ。いわゆる、プロパガンダだな」
写真機が発明される以前は、絵画がヒトやモノを写しとる役割を担っていたという。
また、王族や貴族ともなると、お抱えの画家が何人もいたのだそうだ。
頭のなかで連結する記憶と単語に、ついていけている、とおもう。
「そして画家たちは嘘をついた。発注主に求められるがまま顎を強調し、乳房を整え、地上のヒトを神の似姿に寄せて描いた。美術教育において重視されるのは、対象を精確にとらえる観察だろうが、ヒトが絵画芸術の傑作に求める究極は〈巧い嘘〉だ」
〈巧い嘘〉。たしかに絵は巧拙が一目でわかる。
対象の形、影のとり方、輪郭や稜線の正確さ。
写実に寄せるか。想像で埋めるか。そのどちらをとるにしても、絵画として描きだされたものは、現実そのものではない。
まぼろしだ。ときにそれは、人の心を捕えてはなさない。
「さて。巧い絵で魅せた彼らは、不誠実な痴れ者か」
「今でいうと、虚偽申請……になるのかな」
「証書ならね。絵の中で溶け合う想像と写実は、人々の理性と本能をも凌駕する」
「……描かれた作品に罪はないはず、か」
「そう。暴論だけど――貴族様たちだってきっと、現実よりも絵の中の人物を見初めていたんじゃないか。西洋貴族は額縁の貴公子に、想像という窓越しにほほえむ令嬢に、一目で恋をしていた」
ネモから示し合わせるように渡される、一瞬のまばたきに、言外のサインを悟る。
講義を通して伝えようとしているのはきっと、真木のことだ。
「……もってまわった言い方するよね」
「そこは僕の悪癖だ。結論に入ろうか、絵の中の人物ってただの記号かな。笑わないピグマリオンのなり損ない、虚ろなフランケン・シュタインの産物だって言えるかい?」
「私には、わからないけど……でも――」
「でも?」
「そう思わないヒトもいる」
はじめて理解が及ぶ。
球体デッサンにも静物画にも気乗りしない真木が描きたかったのは、言ってしまえば人物画だ。クロッキー帳を埋めていた手の模写なんて典型的。関節が複雑に組み合わさった難しいパーツを、何度も練習していた。
まちがいない。ヒトを描くことに、彼女は目的をもっていた。
「だからこそ人物画は奥深いんだ。ほら自画像とか、君も描いたことあるんじゃないかい」
「……人物画は苦手なんだ。特に女性像は、去年一回、おおきいのを失敗してる」
ようやく見えてきた。それでもまだ足りない。
騙し絵のように入り組んでいて、ひとりでは絵解きができない。もう一歩踏み込むために二つ以上の目が必要だ。試行錯誤を超えて、結論を見つけだすために。
顔をあげると、もったいぶってばかりのアーモンド・アイが待ち受けていた。
「なら近道を。――その目で鏡を覗きこむこと。君自身の顔も、君がみつめる友達の顔も、とびきり魅力的なんだからさ」
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