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第四章 海底の真相
52.ゴーギャン
しおりを挟む螺科未鳴の作風を知っている。
作品制作に向かう姿勢を知っている。
美学に裏打ちされたを芸術を。難解で複雑と評される美しいものを。
このひとがどれだけ信じて、描いてきたか。発表された作品はすべて見てきた。
だからこそ確信をもって言える。
「罪も罰も私は問わない。あなたが鯨坂の学生たちから奪い去ったものがあるとすれば、それは時間だけ。けれどさ、私たちみたいな退屈を持て余してる子供たちからしたら――そんなのせいぜい、退屈しのぎの娯楽だから」
楽しいコトが教室の花形だってことくらい、優等生も劣等生もひとしく実感してる。
休み時間になにげなく新発売のお菓子を分けあったり。
机の下でこっそりゲームアプリに夢中になったり。
それとまったく変わらない。
出発点がいきどおりだったとして、心が躍らなかったはずがない。
なぜならきっと――あきらがいたのは最前線だ。
螺科未鳴が生んだ謎に熱中していたなんて、これではジェスター様と同罪だ。
「予告したね、こっちの要求を飲んで欲しいって。私のリクエストはひとつだけ。あなたの真実を知るために、ここへきた」
「……それならもう、君の目にはうつってる」
顔をあげて、部屋のなかをぐるりと見渡す。
八畳間の一室に足を踏み入れてから、目前の光景に圧倒されるばかりだった。
まるでギャラリーの倉庫のようなのだ。
大小さまざまな絵画がいくつも額縁に飾られ、床上に散らばっている。
そして、窓辺には巨大なカンバスが立てかけられていた。
横幅は三メートルはあるだろうか。縦幅もあきらの身長よりも高い。迫力ある絵画作品。
未完成であろうその絵の画面上には滑らかに墨色の線が走り、カンバス全体には霞のような筆使いで、淡く絵具が着地している。
瞳に飛びこんでくるのは、鮮やかな色。
花緑青。――パリ・グリーン。
網膜が焼けてじんと痛む。目頭が熱くなった。
世界には死に絶えた色がある。時の流れのなかで、淘汰された色彩。
パリ・グリーンには毒性があるためだ。
人体に及ぼす影響から、現代では絵具として流通することはない。
その色と出会う幸福は、絵画という窓を覗きこむ瞬間にだけ許される。
恐ろしく美しい毒が、ヒトを幻惑することを。ヒトが作品に魅入ることを……。画家たちはきっと知っていた。花の都の名前を冠する緑青は、ポール・ゴーギャンがとりわけ愛用した色だ。
これから描くすべてを見透かすように――。
螺科未鳴は、電灯の消えた薄暗い部屋でカンバスの奥を眺めていた。
「だれかに夢を魅せるってのは非道だよ。きれいなものだけ教えるんだ。そして美しいものはひとを狂わす。君はさ……こんなものが観たくてここまで来たんだ? 侮辱してやるよ、俗物め」
「うん……ありがとう。自分の目でみて確かめないと、わからなかったから」
憧れている画家の新作だ。
この部屋のなかに、螺科未鳴の作品はひとつしかない。
未鳴が自作に頓着しないのもあり、その作品の多くはコレクターたちの手に渡っている。
ならば、四方を埋める無数の絵画はだれが描いたものだろう。
提出済みの答案にバツがつくのを悟る。
……まちがいだった。漫画研究会の部誌に載っていたペン画は、未鳴の絵ではない。
学生時代の螺科未鳴と――彼女は、同学年だったはずだ。
「あなたと祐城叶鳴さんとのあいだにはなにがあったの」
去年の二月に遺体が発見された女性の名前だ。
目前の未鳴がはじめて表情を崩す。
冷笑がふっと消えて、真剣みを帯びたまなざしを向けられる。
「それを知ったらきみはおそらく失望する」
忠告のつもりらしい。考えても考えても、最後にたどりつく解はひとつだった。
「いいよ、それでも。螺科未鳴なら好きになれる」
「……強情だな。自宅に直撃かますほどの熱狂なんて、なかなかどうして病んでるぜ」
「構わない」
「粘着質は嫌いだな」
「螺科未鳴って、そうやってなんでも煙に巻こうとするひとなんだ。……かっこわるい」
侮蔑の念を込めて吐き捨てる。
たて突くにはあまりに勇気を要する相手だ。
途中で引き返せるならそうしている。
衝突を避けて、暴虐を看過して、諦めてしまえたらどんなに楽だろうと、何度も思案しては立ちどまった。自分は正義漢ぶるのが得意な愚か者で、処罰感情に踊らされているだけなのかもしれない。
浅はかな情動に、身を任せたいわけではないのに。
口を噤めない出来事に出会うたび、どこまでが独善なのかと疑う。
立候補したつもりも、自信家の目立ちたがりでもなく、あきらがここにいるのはただの運だ。
そもそもこんなことに向いているだなんて、気づきたくもなかった。
けれど無言のまま見過ごすことで〈テラリウム〉の海底に沈む悲しみが、ひとつでも産まれ落ちるなら。
――私はそれを看過できない。
「………………いいぜ、後悔しなよ」
未鳴が振り向く。
黒衣にこびりついた絵具は、鱗に浮かぶ、まだら模様。曖昧になった輪郭が巨大な絵画に飲み込まれて、それこそ海底に眠る古代魚がめざめたようだと錯覚する。
その瞳はとうに、憂愁がこぼれそうなほど青く冷めている。
「……十年前、鯨坂高校、あの場所で過ごした日々のこと。僕はね、ずっと覚えてた。教室でのこと。美術室でのこと。僕が見てきた彼女や彼のこと。いつも傍観者だったから」
そうして彼女が落とした言葉を、鼓膜は忠実にひろっていた。
「……好きな子がいたんだ」
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