海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

文字の大きさ
57 / 67
第四章 海底の真相

52.ゴーギャン

しおりを挟む


 螺科未鳴にしなみめいの作風を知っている。

 作品制作に向かう姿勢を知っている。
 美学に裏打ちされたを芸術を。難解で複雑と評される美しいものを。
 このひとがどれだけ信じて、描いてきたか。発表された作品はすべて見てきた。
 だからこそ確信をもって言える。

「罪も罰も私は問わない。あなたが鯨坂の学生たちから奪い去ったものがあるとすれば、それは時間だけ。けれどさ、私たちみたいな退屈を持て余してる子供たちからしたら――そんなのせいぜい、退屈しのぎの娯楽だから」

 楽しいコトが教室の花形だってことくらい、優等生も劣等生もひとしく実感してる。
 休み時間になにげなく新発売のお菓子を分けあったり。

 机の下でこっそりゲームアプリに夢中になったり。
 それとまったく変わらない。
 出発点がいきどおりだったとして、心が躍らなかったはずがない。

 なぜならきっと――あきらがいたのは最前線だ。
 螺科未鳴が生んだ謎に熱中していたなんて、これではジェスター様と同罪だ。

「予告したね、こっちの要求を飲んで欲しいって。私のリクエストはひとつだけ。あなたの真実を知るために、ここへきた」
「……それならもう、君の目にはうつってる」

 顔をあげて、部屋のなかをぐるりと見渡す。

 八畳間の一室に足を踏み入れてから、目前の光景に圧倒されるばかりだった。

 まるでギャラリーの倉庫のようなのだ。

 大小さまざまな絵画がいくつも額縁に飾られ、床上に散らばっている。

 そして、窓辺には巨大なカンバスが立てかけられていた。
 横幅は三メートルはあるだろうか。縦幅もあきらの身長よりも高い。迫力ある絵画作品。
 未完成であろうその絵の画面上には滑らかに墨色の線が走り、カンバス全体には霞のような筆使いで、淡く絵具が着地している。
 瞳に飛びこんでくるのは、鮮やかな色。

 花緑青はなろくしょう。――パリ・グリーン。

 網膜が焼けてじんと痛む。目頭が熱くなった。
 世界には死に絶えた色がある。時の流れのなかで、淘汰された色彩。

 パリ・グリーンには毒性があるためだ。
 人体に及ぼす影響から、現代では絵具として流通することはない。

 その色と出会う幸福は、絵画という窓を覗きこむ瞬間にだけ許される。
 恐ろしく美しい毒が、ヒトを幻惑することを。ヒトが作品に魅入ることを……。画家たちはきっと知っていた。花の都の名前を冠する緑青は、ポール・ゴーギャンがとりわけ愛用した色だ。

 これから描くすべてを見透かすように――。

 螺科未鳴にしなみめいは、電灯の消えた薄暗い部屋でカンバスの奥を眺めていた。

「だれかに夢を魅せるってのは非道だよ。きれいなものだけ教えるんだ。そして美しいものはひとを狂わす。君はさ……こんなものが観たくてここまで来たんだ? 侮辱してやるよ、俗物め」
「うん……ありがとう。自分の目でみて確かめないと、わからなかったから」

 憧れている画家の新作だ。
 この部屋のなかに、螺科未鳴にしなみめいの作品はひとつしかない。

 未鳴が自作に頓着しないのもあり、その作品の多くはコレクターたちの手に渡っている。

 ならば、四方を埋める無数の絵画はだれが描いたものだろう。
 提出済みの答案にバツがつくのを悟る。

 ……まちがいだった。漫画研究会の部誌に載っていたペン画は、未鳴の絵ではない。

 学生時代の螺科未鳴にしなみめいと――彼女は、同学年だったはずだ。

「あなたと祐城叶鳴ゆうきかなるさんとのあいだにはなにがあったの」

 去年の二月に遺体が発見された女性の名前だ。
 目前の未鳴がはじめて表情を崩す。
 冷笑がふっと消えて、真剣みを帯びたまなざしを向けられる。

「それを知ったらきみはおそらく失望する」

 忠告のつもりらしい。考えても考えても、最後にたどりつく解はひとつだった。

「いいよ、それでも。螺科未鳴にしなみめいなら好きになれる」
「……強情だな。自宅に直撃かますほどの熱狂なんて、なかなかどうして病んでるぜ」
「構わない」
「粘着質は嫌いだな」
螺科未鳴にしなみめいって、そうやってなんでも煙に巻こうとするひとなんだ。……かっこわるい」

 侮蔑の念を込めて吐き捨てる。
 たて突くにはあまりに勇気を要する相手だ。

 途中で引き返せるならそうしている。
 衝突を避けて、暴虐を看過して、諦めてしまえたらどんなに楽だろうと、何度も思案しては立ちどまった。自分は正義漢ぶるのが得意な愚か者で、処罰感情に踊らされているだけなのかもしれない。

 浅はかな情動に、身を任せたいわけではないのに。

 口を噤めない出来事に出会うたび、どこまでが独善なのかと疑う。
 立候補したつもりも、自信家の目立ちたがりでもなく、あきらがここにいるのはただの運だ。

 そもそもこんなことに向いているだなんて、気づきたくもなかった。

 けれど無言のまま見過ごすことで〈テラリウム〉の海底うなぞこに沈む悲しみが、ひとつでも産まれ落ちるなら。


 ――私はそれを看過できない。


「………………いいぜ、後悔しなよ」

 未鳴が振り向く。
 黒衣にこびりついた絵具は、鱗に浮かぶ、まだら模様。曖昧になった輪郭が巨大な絵画に飲み込まれて、それこそ海底に眠る古代魚がめざめたようだと錯覚する。
 その瞳はとうに、憂愁がこぼれそうなほど青く冷めている。

「……十年前、鯨坂高校、あの場所で過ごした日々のこと。僕はね、ずっと覚えてた。教室でのこと。美術室でのこと。僕が見てきた彼女や彼のこと。いつも傍観者だったから」

 そうして彼女が落とした言葉を、鼓膜は忠実にひろっていた。




「……好きな子がいたんだ」



 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。

処理中です...