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雨
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六月。今日は朝から雨が降り続いている。ここのところずっと降らなかったのに。
これから本格的に梅雨に入るが、そのことを幼い華子穂が知る由もない。
パーテーションに囲われたテーブルにじっと座ってなんかいられない。白く妙に明るい部屋の隅、窓に張り付いて夜のように暗く感じる部屋の外を眺める。
他の子どもたちはそれぞれに、たとえば華子穂と同じようにパーテーションに囲われたテーブルや幾つか寄せてある机など、決められた自分の場所で課題を行っている。ビー玉を缶に入れたり、絵を描いたり、数を数えたり。
さあーーー、と終わることなく「さあ」が伸び続ける雨音。新しく、そして、瞬時に終わりながら、幾重にも重なる音を聴いていると、自分も何度も新しく始まり瞬時に終わっていく。幾重にも重なりながら。
きっこはどうしているだろう。
びしょびしょに濡れてしまっているのだろうか。それとも、どこかで雨宿りができているだろうか。
今日は会えるのかな。
こんなに明確に「心配」という思いが表れたのは、華子穂にとって初めてのことなのだけれど、それを自ら認知することはまだできない。
発達。子どもは発達したがっている。
条件が整えば、発達していく。すべての子どもは。
つまり、障がいがあってもなくてもだ。
それぞれの特性に合わせた速さで発達するのだ。
発達は流れが決まっており、たとえば、頸の座っていない子どもは座位がとれない。
たとえば、四つ這いをせずに立って歩くことはない。
それぞれは次の流れへのリレーになっているから。
たくさん手足をばたつかせて遊ばないと、筋肉が育たず四つ這いなんて到底できない。
四つ這いなしでどうやって立位をとるほどの筋肉が育つだろう。無理だ。
保育の根幹の要素として「言葉」「人間関係」「健康」「表現」「環境」というものがある。それぞれにその子の月齢や年齢に対してこれくらい育っていることが「望まれる」という指標が設定されており、保育者はその「望まれる姿」に子どもが育つよう「ねらい」、一人ひとりに働きかける。
そして、「五領域」と呼ばれる五つの要素は、決して一つひとつが個別に育つものではなくダイナミック(総合的)にそれぞれが干渉しあって育つものなのだ。
たとえば、よく言われるのが「鬼ごっこ」。体を動かす遊びだから「健康」の領域の要素の発達にのみ関係すると思われるだろうが、「鬼ごっこ」はひとりではできない。
他者と関わるのだから、「人間関係」の領域の発達、「言葉」での「表現」、行う「環境」を理解した走り方や逃げ方(または追いかけ方)を知っている必要がある。つまり、すべての領域である一定の発達があって始めて「鬼ごっこ」が可能になるのだ。
それは大人になっても変わらない。「鬼ごっこ」を「海外旅行」に置き換えれば、大人にも発達を「望まれる」領域がある。
同じく、「社会人サッカーチームで活躍する」ことや「起業する」なんてことも、すべて五領域の発達に左右されている。
そして、「発達には流れがある」のだから、「ねらい」なく高校を卒業して、いきなり起業などできないし、サッカーどころかスポーツをしてこなかったひとがチームでの駆け引きを求められて出来るはずがない。
じゃあ、最初で躓いたら?
人間の発達の最初は、発達心理学者のエリクソンが言うには「基本的信頼感」の構築だ。
「愛されている」と感じること。「産まれてきて良かった」と感じること。
それが「基本的信頼感」。
お腹が減ったと、オムツが濡れたと、眠い、寒い、熱いと泣くたびに、優しく「どうしたの?」と語りかけ、その不快を取り除いてくれるくれるひとがいる。
そのことを知って、乳児は「世界に祝福されている」ことを感じる。
「母なるもの」に愛され「世界に祝福されていること」を感じることで、生涯にわたる「安心」と「安全」の基礎を培う。
「愛情」。これを感じることが人間の発達の最初なのだ。
悲しいことに、本来何の障がいもなくても、「受けるべき」愛情を剥奪された人間……、つまり被虐待児は、二次的に発達に障がいを来たす。
なぜなら、「流れ」の最初に躓いているのだから。
事実として、親が虐待などをして、養護施設に預けられた子どもたちの多くは、そういった二次的な障がいがある。
「安心」と「安全」。友佳はこれが「愛情」の正体だと考えている。
子どもが「安心」と「安全」に包まれた環境こそ、「発達」の地盤なのだ。
かこちゃん。あの子は先天的な障がい者ではない。
友佳はほとんど確信している。
あの子は虐待を受けている。
何も世にいう「身体的」とか「心理的」とか「性的」とか「ネグレクト」とかだけが虐待という訳ではない。
「与えられるべき愛情を与えない」。そう、「愛情のない子育て」自体が残酷な虐待なのだ。
かこちゃんのお母さん、彼女は育児には熱心だけれど、「母」と感じるには冷たい。
母のない子どもは、空のない花と同じだ。
太陽も雨もない。もし芽吹いたとしても、それまで。
空のない花。
友佳はしとしとと降り続く雨との境界になっている窓硝子に張り付く華子穂を見詰める。
しかし、最近のかこちゃんはどうも腑に落ちない。
少し前にかこちゃんのお母さんから、来年からかこちゃんを幼稚園に通わせたい旨を突然聞かされ、支援センターを休んで、かこちゃんとふたりで見学に行ったようだ。
ところが、このことはあまり関係がない。
それよりも前からかこちゃんは落ち着きが出てきた。
以前なら、少し気に入らないことがあれば泣き喚いて暴れた。
まるで目の前の嫌なことがこの世界のすべてであるように、絶望に藻掻いて苦しんでいた。
それが、いま目の前にいる少女の瞳のなんて静かなものだろう。
何かが変わった。
発達と呼べる大きな変化があったのだ。
しかし、何故?
お母さんに変化があったようには見えない。家庭の環境が変わった場合には、お母さんから(一応)報告があるはずだ。
それ以前に、お母さんはこの変化に気づいているだろうか?
もしかしたら、あのお母さんなら気づかないかもしれない。
(いや、きっとあの母親には気づけない。
でも、私は気づいた)
いつも無愛想で冷たい視線を自分に向ける女を思い浮かべ、友佳はこころの内で笑う。
(あんたなんかに子どもの気持ちが分かってたまるか)
友佳は椅子から立つと、窓硝子に張り付く華子穂の隣へ向かう。
初めは華子穂のお母さんの情熱に胸を打たれたものだった。だが、それに応えられない状態が長く続くうちに、関係は気まづいものになった。
自信もなくしてしまった。
だけれど、これはチャンスだ。かこちゃんの変化が何によって起こったのか「私」が先に知ることができれば、自信も蘇る。
自信とともに、友佳は美咲に意見する権威を持つ。
これはチャンスだ。
「何か見えるの?」
友佳は柔らかく華子穂に訊ねる。反応はない。
いいのだ。かこちゃんが自分に興味を持ったことなど一度もないのだから。友佳は続けて話しかける。
「友佳先生ね、かこちゃんお姉ちゃんになったなぁ、って思うの。ねぇ、おうちで何か変わったことあった?」
青竹にでも話しかけているようだ。
「幼稚園に行ったよね。楽しかった?」
でなければ、窓に張り付く蛙。
「お友だちできそう?」
思わず華子穂が目を見開いて友佳を見る。いや、まるで魚釣りだ。しかし、突然食いついたので、手元が狂う。
「え?あ、「お友だち」?」
じっと友佳を見詰める華子穂。その眼は、例えじゃなしに、別の動物のものだった。
「「幼稚園」?」
友佳は続けて言葉を放つ。
「保育園?」
しかし、それは華子穂の興味の範疇ではなく、一瞬開いた華子穂の瞳の光は閉じていく。当てずっぽうだと気づかれてしまった。
かこちゃんを惹き付けるもの。母よりも大きくこころに育つもの。
部屋の外の雨へ移ろうとしている華子穂の顔を見ていて、ふと言葉が漏れる。
「人間じゃないのね」
かこちゃんの瞳の消えたように見えた光がまた輝く。
そして、友佳は身の毛もよだつ経験をする。
かこちゃんが喋ったのだ。
「おかしなものです。あなたはヒトだというのに、なぜキッコのことを知っているというのでしょうか」
はっきりと紛れもなくそう言った。単調な声色、落ち着いた速さで。
友佳は立ち尽くし、声が出ない。
色黒の肌、真っ黒な髪、黒目がちな瞳。見慣れた顔。
しかし、友佳がいま華子穂に対して持っているのは、恐怖。
言葉も数も理解しているはずなのだ? 馬鹿みたいな話だ。私はこの子の内面を完全に読み違えていた。
別の世界へ投げ込まれたようだ。
ところが、オセロのように、恐怖は裏返っていく。一つ返れば、一斉に。興味へと。
だから、と友佳は思う。
だから障がい児の支援は面白いのだ。
健常の子が私にこんな「Wonder」を感じさせてはくれない。
「かこちゃん、おしゃべり上手なのね」
友佳の言葉が聞こえていないかのように、華子穂は友佳を見詰める。
これじゃない。友佳は先ほどの華子穂の言葉を思い出し、一個ずつ抽出する。
「えーとね。先生、何かおかしなこと言ったかしら」
「おかしいのは言ったことではないのです」
インテリジェンスを感じさせる言葉回しに、友佳はうっとりしてしまう。もっと聞きたい。
だけれど、「おかしなものです」の後、華子穂がなんて言ったのか曖昧だった。
確か、「何か」をどうして知ってるの?みたいなことだった。その前に自分で口にしたのが「人間じゃない友だちがいるのね」というようなこと。
「お友だちの名前は何ていうの?」
「その前に答えてもらいたいです」
大人びた真剣さで華子穂が訊ねる。
「どうして、かこの友だちのことが分かったのですか?」
「だってね、かこちゃん、最近嬉しそうなんだもの。だから、友だちでもできたのかなー、って先生思ったんだ」
「なるほど。つまり、かこの雰囲気に友だちを感じたのですね。それだけですね」華子穂は自分を納得させるようにそう言うと華子穂は窓に向き直ってしまった。
その後は友佳が何を問いかけても無駄だった。唐突に会話は終わってしまった。
しかし、友佳の言葉を「無視する」その様子には、どこか強固な感情を感じた。
いままでのように友佳の言葉に関心がないのではない。答えまいと口を閉ざしている。
隠そうとしているのかしら。
友佳は考える。「幼稚園」や「支援センター」ではないところでの「人間ではない」友だちのことを。
お母さんは知っているのだろうか。
そう思うとともに、この話をお母さんにするべきか悩んだ。
だって、かこちゃんは隠したがっているのだから。
友佳はその日、華子穂にそれ以上の追求はしなきった。もっと掘り下げるには、信頼関係の方を深めなくてはいけない。
しかし、いまや華子穂は友佳に(それが防衛のためだとしても)強い興味を持っている。そんな華子穂のこころを開くのは(それまでと比べたら)難しくないものと思えたし、実際そうだった。
これから本格的に梅雨に入るが、そのことを幼い華子穂が知る由もない。
パーテーションに囲われたテーブルにじっと座ってなんかいられない。白く妙に明るい部屋の隅、窓に張り付いて夜のように暗く感じる部屋の外を眺める。
他の子どもたちはそれぞれに、たとえば華子穂と同じようにパーテーションに囲われたテーブルや幾つか寄せてある机など、決められた自分の場所で課題を行っている。ビー玉を缶に入れたり、絵を描いたり、数を数えたり。
さあーーー、と終わることなく「さあ」が伸び続ける雨音。新しく、そして、瞬時に終わりながら、幾重にも重なる音を聴いていると、自分も何度も新しく始まり瞬時に終わっていく。幾重にも重なりながら。
きっこはどうしているだろう。
びしょびしょに濡れてしまっているのだろうか。それとも、どこかで雨宿りができているだろうか。
今日は会えるのかな。
こんなに明確に「心配」という思いが表れたのは、華子穂にとって初めてのことなのだけれど、それを自ら認知することはまだできない。
発達。子どもは発達したがっている。
条件が整えば、発達していく。すべての子どもは。
つまり、障がいがあってもなくてもだ。
それぞれの特性に合わせた速さで発達するのだ。
発達は流れが決まっており、たとえば、頸の座っていない子どもは座位がとれない。
たとえば、四つ這いをせずに立って歩くことはない。
それぞれは次の流れへのリレーになっているから。
たくさん手足をばたつかせて遊ばないと、筋肉が育たず四つ這いなんて到底できない。
四つ這いなしでどうやって立位をとるほどの筋肉が育つだろう。無理だ。
保育の根幹の要素として「言葉」「人間関係」「健康」「表現」「環境」というものがある。それぞれにその子の月齢や年齢に対してこれくらい育っていることが「望まれる」という指標が設定されており、保育者はその「望まれる姿」に子どもが育つよう「ねらい」、一人ひとりに働きかける。
そして、「五領域」と呼ばれる五つの要素は、決して一つひとつが個別に育つものではなくダイナミック(総合的)にそれぞれが干渉しあって育つものなのだ。
たとえば、よく言われるのが「鬼ごっこ」。体を動かす遊びだから「健康」の領域の要素の発達にのみ関係すると思われるだろうが、「鬼ごっこ」はひとりではできない。
他者と関わるのだから、「人間関係」の領域の発達、「言葉」での「表現」、行う「環境」を理解した走り方や逃げ方(または追いかけ方)を知っている必要がある。つまり、すべての領域である一定の発達があって始めて「鬼ごっこ」が可能になるのだ。
それは大人になっても変わらない。「鬼ごっこ」を「海外旅行」に置き換えれば、大人にも発達を「望まれる」領域がある。
同じく、「社会人サッカーチームで活躍する」ことや「起業する」なんてことも、すべて五領域の発達に左右されている。
そして、「発達には流れがある」のだから、「ねらい」なく高校を卒業して、いきなり起業などできないし、サッカーどころかスポーツをしてこなかったひとがチームでの駆け引きを求められて出来るはずがない。
じゃあ、最初で躓いたら?
人間の発達の最初は、発達心理学者のエリクソンが言うには「基本的信頼感」の構築だ。
「愛されている」と感じること。「産まれてきて良かった」と感じること。
それが「基本的信頼感」。
お腹が減ったと、オムツが濡れたと、眠い、寒い、熱いと泣くたびに、優しく「どうしたの?」と語りかけ、その不快を取り除いてくれるくれるひとがいる。
そのことを知って、乳児は「世界に祝福されている」ことを感じる。
「母なるもの」に愛され「世界に祝福されていること」を感じることで、生涯にわたる「安心」と「安全」の基礎を培う。
「愛情」。これを感じることが人間の発達の最初なのだ。
悲しいことに、本来何の障がいもなくても、「受けるべき」愛情を剥奪された人間……、つまり被虐待児は、二次的に発達に障がいを来たす。
なぜなら、「流れ」の最初に躓いているのだから。
事実として、親が虐待などをして、養護施設に預けられた子どもたちの多くは、そういった二次的な障がいがある。
「安心」と「安全」。友佳はこれが「愛情」の正体だと考えている。
子どもが「安心」と「安全」に包まれた環境こそ、「発達」の地盤なのだ。
かこちゃん。あの子は先天的な障がい者ではない。
友佳はほとんど確信している。
あの子は虐待を受けている。
何も世にいう「身体的」とか「心理的」とか「性的」とか「ネグレクト」とかだけが虐待という訳ではない。
「与えられるべき愛情を与えない」。そう、「愛情のない子育て」自体が残酷な虐待なのだ。
かこちゃんのお母さん、彼女は育児には熱心だけれど、「母」と感じるには冷たい。
母のない子どもは、空のない花と同じだ。
太陽も雨もない。もし芽吹いたとしても、それまで。
空のない花。
友佳はしとしとと降り続く雨との境界になっている窓硝子に張り付く華子穂を見詰める。
しかし、最近のかこちゃんはどうも腑に落ちない。
少し前にかこちゃんのお母さんから、来年からかこちゃんを幼稚園に通わせたい旨を突然聞かされ、支援センターを休んで、かこちゃんとふたりで見学に行ったようだ。
ところが、このことはあまり関係がない。
それよりも前からかこちゃんは落ち着きが出てきた。
以前なら、少し気に入らないことがあれば泣き喚いて暴れた。
まるで目の前の嫌なことがこの世界のすべてであるように、絶望に藻掻いて苦しんでいた。
それが、いま目の前にいる少女の瞳のなんて静かなものだろう。
何かが変わった。
発達と呼べる大きな変化があったのだ。
しかし、何故?
お母さんに変化があったようには見えない。家庭の環境が変わった場合には、お母さんから(一応)報告があるはずだ。
それ以前に、お母さんはこの変化に気づいているだろうか?
もしかしたら、あのお母さんなら気づかないかもしれない。
(いや、きっとあの母親には気づけない。
でも、私は気づいた)
いつも無愛想で冷たい視線を自分に向ける女を思い浮かべ、友佳はこころの内で笑う。
(あんたなんかに子どもの気持ちが分かってたまるか)
友佳は椅子から立つと、窓硝子に張り付く華子穂の隣へ向かう。
初めは華子穂のお母さんの情熱に胸を打たれたものだった。だが、それに応えられない状態が長く続くうちに、関係は気まづいものになった。
自信もなくしてしまった。
だけれど、これはチャンスだ。かこちゃんの変化が何によって起こったのか「私」が先に知ることができれば、自信も蘇る。
自信とともに、友佳は美咲に意見する権威を持つ。
これはチャンスだ。
「何か見えるの?」
友佳は柔らかく華子穂に訊ねる。反応はない。
いいのだ。かこちゃんが自分に興味を持ったことなど一度もないのだから。友佳は続けて話しかける。
「友佳先生ね、かこちゃんお姉ちゃんになったなぁ、って思うの。ねぇ、おうちで何か変わったことあった?」
青竹にでも話しかけているようだ。
「幼稚園に行ったよね。楽しかった?」
でなければ、窓に張り付く蛙。
「お友だちできそう?」
思わず華子穂が目を見開いて友佳を見る。いや、まるで魚釣りだ。しかし、突然食いついたので、手元が狂う。
「え?あ、「お友だち」?」
じっと友佳を見詰める華子穂。その眼は、例えじゃなしに、別の動物のものだった。
「「幼稚園」?」
友佳は続けて言葉を放つ。
「保育園?」
しかし、それは華子穂の興味の範疇ではなく、一瞬開いた華子穂の瞳の光は閉じていく。当てずっぽうだと気づかれてしまった。
かこちゃんを惹き付けるもの。母よりも大きくこころに育つもの。
部屋の外の雨へ移ろうとしている華子穂の顔を見ていて、ふと言葉が漏れる。
「人間じゃないのね」
かこちゃんの瞳の消えたように見えた光がまた輝く。
そして、友佳は身の毛もよだつ経験をする。
かこちゃんが喋ったのだ。
「おかしなものです。あなたはヒトだというのに、なぜキッコのことを知っているというのでしょうか」
はっきりと紛れもなくそう言った。単調な声色、落ち着いた速さで。
友佳は立ち尽くし、声が出ない。
色黒の肌、真っ黒な髪、黒目がちな瞳。見慣れた顔。
しかし、友佳がいま華子穂に対して持っているのは、恐怖。
言葉も数も理解しているはずなのだ? 馬鹿みたいな話だ。私はこの子の内面を完全に読み違えていた。
別の世界へ投げ込まれたようだ。
ところが、オセロのように、恐怖は裏返っていく。一つ返れば、一斉に。興味へと。
だから、と友佳は思う。
だから障がい児の支援は面白いのだ。
健常の子が私にこんな「Wonder」を感じさせてはくれない。
「かこちゃん、おしゃべり上手なのね」
友佳の言葉が聞こえていないかのように、華子穂は友佳を見詰める。
これじゃない。友佳は先ほどの華子穂の言葉を思い出し、一個ずつ抽出する。
「えーとね。先生、何かおかしなこと言ったかしら」
「おかしいのは言ったことではないのです」
インテリジェンスを感じさせる言葉回しに、友佳はうっとりしてしまう。もっと聞きたい。
だけれど、「おかしなものです」の後、華子穂がなんて言ったのか曖昧だった。
確か、「何か」をどうして知ってるの?みたいなことだった。その前に自分で口にしたのが「人間じゃない友だちがいるのね」というようなこと。
「お友だちの名前は何ていうの?」
「その前に答えてもらいたいです」
大人びた真剣さで華子穂が訊ねる。
「どうして、かこの友だちのことが分かったのですか?」
「だってね、かこちゃん、最近嬉しそうなんだもの。だから、友だちでもできたのかなー、って先生思ったんだ」
「なるほど。つまり、かこの雰囲気に友だちを感じたのですね。それだけですね」華子穂は自分を納得させるようにそう言うと華子穂は窓に向き直ってしまった。
その後は友佳が何を問いかけても無駄だった。唐突に会話は終わってしまった。
しかし、友佳の言葉を「無視する」その様子には、どこか強固な感情を感じた。
いままでのように友佳の言葉に関心がないのではない。答えまいと口を閉ざしている。
隠そうとしているのかしら。
友佳は考える。「幼稚園」や「支援センター」ではないところでの「人間ではない」友だちのことを。
お母さんは知っているのだろうか。
そう思うとともに、この話をお母さんにするべきか悩んだ。
だって、かこちゃんは隠したがっているのだから。
友佳はその日、華子穂にそれ以上の追求はしなきった。もっと掘り下げるには、信頼関係の方を深めなくてはいけない。
しかし、いまや華子穂は友佳に(それが防衛のためだとしても)強い興味を持っている。そんな華子穂のこころを開くのは(それまでと比べたら)難しくないものと思えたし、実際そうだった。
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