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第二章 紗栄子・高1
05 野球部の工藤くん
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「じゃあ、お疲れ様。」
「お疲れ様でした。ありがとうございました。」
紗栄子を相手にした居残り指導など物ともせず、礼子は颯爽と帰っていった。
一方の紗栄子はというと、今まで以上にぐったりしている。
練習開始直前の自分の申し出を後悔する気持ちが、1%もないと言ったら嘘になる。
はやまったか…とくじけそうになった時、紗栄子の脳裏には百合花の顔が浮かんだ。
『それにしても、紗栄子ちゃんがマネージャーになるなんてホントに意外~。中学のころから、そんなに水泳が好きそうでもなかったのに。』
紗栄子はブンブンと首を振った。
―――少なくとも今日はめそめそと泣いたりはしなかったわ。
急いでジャージを脱いで制服に着替える。紺のブレザーに赤いネクタイ、グレーのプリーツスカート。
公立高校らしく、華美に過ぎることのないデザインを、紗栄子は気に入っている。クラスメートにはもっと可愛い制服がいいとぶうぶうと文句を言う子もいるけれど。
そもそも、県内屈指の進学校のこの制服を、着たくても着られない子が多いだろうに―――などと思いつつ、口に出しては言わない紗栄子である。
「あれ、川原?」
マネージャーの更衣室を出ると、明らかに野球部とおぼしき短髪頭の男の子に声をかけられた。
逆光になっているので相手の顔が見えない。紗栄子は自分の視野を確保するために手をかざした。
「水泳部、今日は遅いんだな。」
「ああ、工藤くんか。」
「って、俺に気づくのも遅いのかよ。」
ケラケラ笑う彼の様子を見ながら、紗栄子は急いで頭を回転させた。
確か、下の名前は‘大志———たいし’と言ったはずだ。工藤大志。同じ1年4組に在籍している同級生だ。
「野球部は今終わり?遅いね。」
「今終わりは今終わりだけど、今日なんかまだ早いほうだよ。」
「え!そうなんだ。じゃあ、いつも大変だね。」
「まあなんつうか、無駄に長いような気もするけど。…内緒な?」
人差し指を立てて肩をすくめる大志の様子がおかしくて、紗栄子は吹き出してしまった。
「笑った。良かった。」
「え?良かった?」
「教室で初めて話しかけた時、しらーっとした顔で俺のこと見てたじゃん。」
紗栄子は懸命に思い出してみた。
確かに、入学早々大志にあれこれ話しかけられ、軽い感じの男の子だと警戒した気がする。
「川原って真面目そうな感じだからさ。入学早々嫌われたかと思った。」
「どうやら世の中の人を見ていると、かなり真面目な部類に入るらしいとは思うけど、別に工藤くんを嫌いにはなってないわよ。」
紗栄子の言葉に、大志は顔を輝かせた。
「あ~、良かった。ところで川原って市内の子?」
「うん。」
「どこ中?」
「東中。」
「俺は西。何だよ、逆じゃん。むちゃくちゃ残念。」
「むちゃくちゃって、随分大袈裟ね。」
大志とこうして話していると、先ほどまで緊張感たっぷりの状態で礼子と向き合っていたことが嘘みたいだ。
「川原って、元々水泳部だったの?」
「うん。中学時代は普通に選手だったよ。」
「そっか。選手からマネージャーに転向するって偉いな。俺にはできねえな。」
「…そうか。男の子がマネージャーしたっていいんだもんね。」
紗栄子の一言に、大志は目を剥いた。
「ホント真面目だなあ。」
「え?」
「俺の友達にそういうこと言ったところでさあ、‘お前がマネージャー?気持ち悪い!’とか言われるのがせいぜいだぜえ。」
「類トモなんでしょ。」
「言うじゃん、川原。」
エヘヘと笑いながら、紗栄子は先ほどの大志の言葉を思い出していた。
‘選手からマネージャーに転向するって偉いな。’
我ながら単純だなと思う。どう考えても頑張っているのは選手達自身だ。でもやっぱり、誉められるのは嬉しい。
「…ありがとね。」
「え?なんだよ、急に。」
「いいの。部活終わりでちょっと疲れてたけど、工藤くんが元気をくれたの。だから、ありがとね。」
「…なんかよくわかんないけど、どういたしまして。」
「じゃあ、また明日教室でね。」
「ああ、じゃあな。」
紗栄子は軽やかに駐輪場へと駆け出した。
揺れるグレーのスカートを見つめながら、大志が心の底からという声音で呟いた。
「なんか、可愛いんだよな…。」
「お疲れ様でした。ありがとうございました。」
紗栄子を相手にした居残り指導など物ともせず、礼子は颯爽と帰っていった。
一方の紗栄子はというと、今まで以上にぐったりしている。
練習開始直前の自分の申し出を後悔する気持ちが、1%もないと言ったら嘘になる。
はやまったか…とくじけそうになった時、紗栄子の脳裏には百合花の顔が浮かんだ。
『それにしても、紗栄子ちゃんがマネージャーになるなんてホントに意外~。中学のころから、そんなに水泳が好きそうでもなかったのに。』
紗栄子はブンブンと首を振った。
―――少なくとも今日はめそめそと泣いたりはしなかったわ。
急いでジャージを脱いで制服に着替える。紺のブレザーに赤いネクタイ、グレーのプリーツスカート。
公立高校らしく、華美に過ぎることのないデザインを、紗栄子は気に入っている。クラスメートにはもっと可愛い制服がいいとぶうぶうと文句を言う子もいるけれど。
そもそも、県内屈指の進学校のこの制服を、着たくても着られない子が多いだろうに―――などと思いつつ、口に出しては言わない紗栄子である。
「あれ、川原?」
マネージャーの更衣室を出ると、明らかに野球部とおぼしき短髪頭の男の子に声をかけられた。
逆光になっているので相手の顔が見えない。紗栄子は自分の視野を確保するために手をかざした。
「水泳部、今日は遅いんだな。」
「ああ、工藤くんか。」
「って、俺に気づくのも遅いのかよ。」
ケラケラ笑う彼の様子を見ながら、紗栄子は急いで頭を回転させた。
確か、下の名前は‘大志———たいし’と言ったはずだ。工藤大志。同じ1年4組に在籍している同級生だ。
「野球部は今終わり?遅いね。」
「今終わりは今終わりだけど、今日なんかまだ早いほうだよ。」
「え!そうなんだ。じゃあ、いつも大変だね。」
「まあなんつうか、無駄に長いような気もするけど。…内緒な?」
人差し指を立てて肩をすくめる大志の様子がおかしくて、紗栄子は吹き出してしまった。
「笑った。良かった。」
「え?良かった?」
「教室で初めて話しかけた時、しらーっとした顔で俺のこと見てたじゃん。」
紗栄子は懸命に思い出してみた。
確かに、入学早々大志にあれこれ話しかけられ、軽い感じの男の子だと警戒した気がする。
「川原って真面目そうな感じだからさ。入学早々嫌われたかと思った。」
「どうやら世の中の人を見ていると、かなり真面目な部類に入るらしいとは思うけど、別に工藤くんを嫌いにはなってないわよ。」
紗栄子の言葉に、大志は顔を輝かせた。
「あ~、良かった。ところで川原って市内の子?」
「うん。」
「どこ中?」
「東中。」
「俺は西。何だよ、逆じゃん。むちゃくちゃ残念。」
「むちゃくちゃって、随分大袈裟ね。」
大志とこうして話していると、先ほどまで緊張感たっぷりの状態で礼子と向き合っていたことが嘘みたいだ。
「川原って、元々水泳部だったの?」
「うん。中学時代は普通に選手だったよ。」
「そっか。選手からマネージャーに転向するって偉いな。俺にはできねえな。」
「…そうか。男の子がマネージャーしたっていいんだもんね。」
紗栄子の一言に、大志は目を剥いた。
「ホント真面目だなあ。」
「え?」
「俺の友達にそういうこと言ったところでさあ、‘お前がマネージャー?気持ち悪い!’とか言われるのがせいぜいだぜえ。」
「類トモなんでしょ。」
「言うじゃん、川原。」
エヘヘと笑いながら、紗栄子は先ほどの大志の言葉を思い出していた。
‘選手からマネージャーに転向するって偉いな。’
我ながら単純だなと思う。どう考えても頑張っているのは選手達自身だ。でもやっぱり、誉められるのは嬉しい。
「…ありがとね。」
「え?なんだよ、急に。」
「いいの。部活終わりでちょっと疲れてたけど、工藤くんが元気をくれたの。だから、ありがとね。」
「…なんかよくわかんないけど、どういたしまして。」
「じゃあ、また明日教室でね。」
「ああ、じゃあな。」
紗栄子は軽やかに駐輪場へと駆け出した。
揺れるグレーのスカートを見つめながら、大志が心の底からという声音で呟いた。
「なんか、可愛いんだよな…。」
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