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第五章 拒絶の向こう側
あたたかくて優しい慰め【1】
しおりを挟む残業が長引いたという父さんの帰りは、午前0時をまわっていた。
ネクタイをゆるめながら、玄関先で迎えた私を見上げる。
「……大地くんの様子は?」
期待半分の問いかけに、軽く首を振ってみせる。
父さんは、そうか、と肩を落とした。
「クリニックを変えた方が良いのかな。父さんの知り合いに、少しあたってみるか……」
「まだ二回目じゃない。こういうのって、信頼関係が大事だと思うし。もうちょっと、今の先生に預けてみた方が良いよ」
「そうか……そうだな。大地くんと長く一緒にいるお前が言うんだから、その方が良いんだろうな」
私の言葉にうなずく父さんの表情は、いつになく淋しげだった。
大地は父さんを避けるように、朝は遅くに起き、夜は早くに自室に戻るという生活を送っていた。
以前とは正反対の大地の態度に、父さんが気落ちするのも無理はなかった。
……実の娘より自分を気遣ってくれる『息子』ができたって、喜んでたのに。
「……どうしてもって時は、父さんに任せるから。だから、大地のこと、もう少し待っていてあげて。
ほら、今日は父さんの好きなサバの味噌煮にしたんだよ? 遅い時間だけど、食べてよね」
可哀想なくらい元気をなくした父さんの背を押し、ダイニングへと向かわせながら、大地の部屋のほうを振り返る。
……大地が出てくる気配は、なかった。
*****
「……そうですか。『彼』が表に……舞美さんの前に、姿を現したのですね」
翌翌日の仕事帰り。
休憩中に榊原医師にアポをとっていた私は、クリニックに立ち寄った。
クリニックから帰ったあとの大地の様子や変化を告げると、彼女はホッとしたように微笑んだ。
いぶかしく思う私を察したのか言葉を重ねる。
「前回の診療時、わずかな間でしたけど、一番目の大地くん……舞美さんを大切に思ってる『彼』と、話をする機会がありました。
けれども『彼』は、舞美さんに会わせる顔がないからと、表面に留まるのを拒んでしまって。
結局、三番目の……クリニックにやってきた大地くんに、意識を明け渡してしまったのですけど」
私に嫌われるのが怖かった、と告げた、大地の言葉が思い返された。
あいつめ、ストーカー並みにしつこいわりに、変なとこで臆病なんだから……!
「あなたが『彼』に会いたいと願う気持ちが、『彼』の意識を表へ引き寄せたのでしょうね。良い兆候だと思いますよ」
安心させるような微笑みに力を得て、私は、トオルくんがしてくれた提案を口にした。
どちらかを選ぶことなどできない。
二つの人格を一緒にさせる、という方法が可能なら、そうして欲しいと───。
心の中にある複雑な感情を、第三者に伝えるなんて、滅多にないことだった。
たどたどしい表現で話す私を、榊原医師は真剣に何度もうなずきながら聞いてくれていた。
私が話し終えると、おもむろに口を開く。
「……結論から申し上げれば、可能です」
きっぱりとした物言いに、私の心は浮き立ったけど、肝心の榊原医師の表情は硬かった。
「複数の人格を一つに融合させる……解離性人格障害───俗にいう、多重人格者の治療として、もっとも理想的な方法だと、わたくしは考えております。
ただ、この方法をとるには、複数の人格の了承を得ないと───今回の場合、二人の大地くんが、共に人格の融合を望んでいることが条件となりますが」
いったん言葉を切って、榊原医師は苦笑いを浮かべた。
「一番目の大地くんは、三番目の大地くんを『赦せない』と言っていた。
三番目の大地くんは、一番目の大地くんがどうこうというより……人間そのものを毛嫌いしている。
そういった状況を考えると、この治療法をとるには、現実的に難しいと言わざるを得ませんね」
「───つまり、二人の大地の合意が、最低限必要だってことですね?」
「えぇ。
その上で……これは当人にも了承してもらいますが、人格の融合という治療法は、大地くんの場合、三つの結果をもたらす可能性があるということです。
第一に」
榊原医師は指を上げ、私の意思を確認するかのように、私の瞳をのぞきこんできた。
「一番目の大地くんの人格を主体として、三番目の大地くんの人格が溶けこむ可能性。
第二に、三番目の大地くんの人格を主体として、一番目の大地くんの人格が溶けこむ可能性。
最後に、一番目とも三番目とも違う……新たな大地くん───四番目の大地くんが、生まれる可能性……。
この三つのうち、どの大地くんになるかは、実際に治療を行ってみないことには解らないというのが正直な見解です」
私は榊原医師の言葉を心の内で反芻した。
……三つの可能性……。
どんな大地になるのか、想像もつかないって、ことなんだ───。
思わず、息をつめた。
また、大地を失うことになるのかもしれない。
ううん、それどころか、もう二度と私の好きな『大地』は、帰って来ないかもしれないんだ……。
「難しい、選択です」
私の胸中を代弁するかのように、榊原医師が言った。
「舞美さんが不安になるのも無理はありませんわ。慎重にならざるを得ないでしょう。
どうか、もう一度よく考えて、ご意見を聞かせてください」
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