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後日談『五番目の大地』
憎らしい吐息
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****
読んでいた文庫本から顔を上げ、壁時計の短針を見やって息をつく。
遅いなぁ……。
11時には終わるって、言ってたはずなのに。
約10分後には日付が変わるこの時間になっても、まいさんからの『今から帰る』という連絡はやって来ない。
と、その時、傍らのスマホに多香子さんからメッセージが入った。
『大地くーん。舞さん、泥酔。
迎えに来てあげたほうが、いいかも』
あわてて僕は、メッセージを返す。
『神紋ですよね?
すぐにタクシー呼んで向かいます』
上着を羽織る僕の耳に、ふたたびメッセージを知らせる通知音が届いた。
ベッドの上に置いたままのスマホに手を伸ばす。
『ううん、いまは二次会で駅前のカラオケボックス』
…………二次会って。
いつもは断ってるのに、なんでまた。
少しだけ不愉快になりつつも、明日も仕事で早いお父さんに事情を話したあと、僕はタクシーを呼んだ。
****
カラオケボックス付近の路上でタクシーを待たせ、足早に店へ向かう。
周囲の店は灯りが消えているだけに、やけにまぶしい店の入り口に、一組の男女の姿が見えた。
女性はセミロングの黒髪でストレートヘア───まいさんだ。
夜眼だとしても、僕がまいさんを見間違えるはずがない。
「───大丈夫ですか、佐木さん」
まいさんの腰に慣れ慣れしく回された手に、男の下心が見え、僕の胸に焼け付くような熱い痛みが走る。
大切な宝物を汚されたような、屈辱的な気分。
そして、その宝が本来納まるべき場所にあるように見えてしまった自分の卑屈さ。
それらが、僕の胸を焦がした。
「うー……ごめん、藤堂くん。せっかくの歓迎会なのにね……」
「いえ、俺は別に……───」
言いかけた男が僕の存在に気づいたようで、言葉を止める。
眼鏡の奥のつり上がりぎみの目が、意味ありげに細まった。
「君は、佐木さんの───」
「まいさん、帰ろう」
男の言葉をさえぎって、僕はまいさんを抱きしめるようにして、男から奪い返す。
にらむように見据えた視線の先、男が低く笑った。
「……ちゃんと捕まえとけよ、少年。この人、隙だらけだからな」
僕の耳にだけ届くように、告げてくる。
親切ごかしの言葉に隠された意味に、カッと頭に血がのぼった。
「あんたにそんなこと、言われる筋合いはない!」
ぴしゃりとはねつけると、僕の腕のなかで、まいさんが驚いたように顔を上向かせた。
「大地……?」
邪気のない瞳が丸くなって、僕を見ていた。
いたたまれずに、まいさんから視線をそらす。
「まいさん、歩けるの」
「う、うん……」
酔いが一気にさめたというような、とまどった返事が返ってきた。
……まいさんに向けた僕の口調は、よほど突き放したものだったらしい。
気づかぬ素振りでまいさんの手を引き、タクシーが待つ場所まで歩いて行く。
タクシーに乗り込んだ僕たちは無言だった。
空気の読めないドライバーが、
「仲の良い姉弟だねぇ。酔ったお姉さんをわざわざ迎えに行ってあげるだなんてさぁ」
などと、余計なことを言ってきて僕の神経を逆撫でしてくれた。
……乗車料金、踏み倒してやろうか。
半ば本気でそんなことを思って車窓をながめていると、ひざ上に置いた片手に、まいさんの手が伸びてきた。
けれども僕は、そのやわらかな手を振り払ってしまった。
心のなかの、ささくれだった思いが、そうさせていた。
───簡単に僕以外の男に身体を預けていたまいさんが、赦せなくて。
そして、そんな些細なことに、子供のように癇癪を起こしている自分が、情けなかった。
僕の隣で、まいさんが小さく息をつく。
その吐息でさえ、なんだか憎らしくて、恨めしくて。
それ以上に、愛しくて仕方がないのに、素直になれない自分がいた。
窓の外をながめていた目をぎゅっと閉じ、同時に心のなかにある暗いよどんだものにも、蓋をする───。
読んでいた文庫本から顔を上げ、壁時計の短針を見やって息をつく。
遅いなぁ……。
11時には終わるって、言ってたはずなのに。
約10分後には日付が変わるこの時間になっても、まいさんからの『今から帰る』という連絡はやって来ない。
と、その時、傍らのスマホに多香子さんからメッセージが入った。
『大地くーん。舞さん、泥酔。
迎えに来てあげたほうが、いいかも』
あわてて僕は、メッセージを返す。
『神紋ですよね?
すぐにタクシー呼んで向かいます』
上着を羽織る僕の耳に、ふたたびメッセージを知らせる通知音が届いた。
ベッドの上に置いたままのスマホに手を伸ばす。
『ううん、いまは二次会で駅前のカラオケボックス』
…………二次会って。
いつもは断ってるのに、なんでまた。
少しだけ不愉快になりつつも、明日も仕事で早いお父さんに事情を話したあと、僕はタクシーを呼んだ。
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カラオケボックス付近の路上でタクシーを待たせ、足早に店へ向かう。
周囲の店は灯りが消えているだけに、やけにまぶしい店の入り口に、一組の男女の姿が見えた。
女性はセミロングの黒髪でストレートヘア───まいさんだ。
夜眼だとしても、僕がまいさんを見間違えるはずがない。
「───大丈夫ですか、佐木さん」
まいさんの腰に慣れ慣れしく回された手に、男の下心が見え、僕の胸に焼け付くような熱い痛みが走る。
大切な宝物を汚されたような、屈辱的な気分。
そして、その宝が本来納まるべき場所にあるように見えてしまった自分の卑屈さ。
それらが、僕の胸を焦がした。
「うー……ごめん、藤堂くん。せっかくの歓迎会なのにね……」
「いえ、俺は別に……───」
言いかけた男が僕の存在に気づいたようで、言葉を止める。
眼鏡の奥のつり上がりぎみの目が、意味ありげに細まった。
「君は、佐木さんの───」
「まいさん、帰ろう」
男の言葉をさえぎって、僕はまいさんを抱きしめるようにして、男から奪い返す。
にらむように見据えた視線の先、男が低く笑った。
「……ちゃんと捕まえとけよ、少年。この人、隙だらけだからな」
僕の耳にだけ届くように、告げてくる。
親切ごかしの言葉に隠された意味に、カッと頭に血がのぼった。
「あんたにそんなこと、言われる筋合いはない!」
ぴしゃりとはねつけると、僕の腕のなかで、まいさんが驚いたように顔を上向かせた。
「大地……?」
邪気のない瞳が丸くなって、僕を見ていた。
いたたまれずに、まいさんから視線をそらす。
「まいさん、歩けるの」
「う、うん……」
酔いが一気にさめたというような、とまどった返事が返ってきた。
……まいさんに向けた僕の口調は、よほど突き放したものだったらしい。
気づかぬ素振りでまいさんの手を引き、タクシーが待つ場所まで歩いて行く。
タクシーに乗り込んだ僕たちは無言だった。
空気の読めないドライバーが、
「仲の良い姉弟だねぇ。酔ったお姉さんをわざわざ迎えに行ってあげるだなんてさぁ」
などと、余計なことを言ってきて僕の神経を逆撫でしてくれた。
……乗車料金、踏み倒してやろうか。
半ば本気でそんなことを思って車窓をながめていると、ひざ上に置いた片手に、まいさんの手が伸びてきた。
けれども僕は、そのやわらかな手を振り払ってしまった。
心のなかの、ささくれだった思いが、そうさせていた。
───簡単に僕以外の男に身体を預けていたまいさんが、赦せなくて。
そして、そんな些細なことに、子供のように癇癪を起こしている自分が、情けなかった。
僕の隣で、まいさんが小さく息をつく。
その吐息でさえ、なんだか憎らしくて、恨めしくて。
それ以上に、愛しくて仕方がないのに、素直になれない自分がいた。
窓の外をながめていた目をぎゅっと閉じ、同時に心のなかにある暗いよどんだものにも、蓋をする───。
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