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弐 人ならざる半獣(もの)
《三》犬貴と、お呼びください。【後】
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咎めるような犬貴の制止に、咲耶はその先の言葉をのみこんだ。
子供が、そんな咲耶をいぶかしげに見上げる。次の瞬間、おおい、と、野太い男の声がした。
「父ちゃん……? ──父ちゃん! おいら、ここだよぉ!」
子供の張り上げた声を聞きつけたのか、野良仕事風の男が、子供が出てきた所から現れた。ホッとしたように、子供に近寄る。
「よかった、お父さんがいてくれて」
正直、迷子を送り届けられるような余裕は、いまの咲耶は持ち合わせてはいない。だから思わず本音がでたのだが、男親は、ぎょっとしたように咲耶を見た。
「あんたは、まさか……!」
言った男の目が咲耶の全身を注視する。視線が、胸もとを押さえた右手で止まった。
「やっぱりな……。あんた、白い虎の供物だろ? 気の毒に。
まぁ、俺らには関係ねぇことだけど供物に食い物をやってる身から言わしてもらうとだな。いいかげん、役に立たねぇ神様はいらねぇってこった。
でかい獣を肥らせるだけで、こちとら一向に恩恵にあずかれねぇ。できそこないの神獣を、いつまでも飼ってるお公家サマの考えることは分からねぇが……いい迷惑だ!」
ぺっ、と、地面につばを吐き、子供の父親が咲耶をにらむ。ぞくぞくとする感覚が、いっそう咲耶のなかで強くなる。
直後、だった。頭のてっぺんが、ぐいと上に引っ張られるような気分にとらわれた───勝手に、口がひらく。
「只人の分際で、よう申した」
底冷えを誘うような声音が、自分の口をついてでた。突風が、子供と男親のあいだを、裂く。
「妾を『供物』と蔑むとはの。今はこの身にあらぬ神力も、じきにいかようにも遣いこなせるはずじゃ。その時に後悔しても、知らぬぞえ?
───目障りじゃ、去ね!」
一喝と共に意に反して動く咲耶の右手。立ち去れと、親子を追い払うようなしぐさをして見せる。
咲耶の豹変に震えあがった父親は、子供を抱きかかえ、抜け出てきた茂みへともぐり、逃げて行く。と、同時に、咲耶の身体から力が抜けた。
地面に倒れこみそうになる刹那、犬貴の腕が咲耶を支えた。
「───申し訳ございません、咲耶様」
本当に申し訳なさが表れた声。咲耶は、言ってやろうとしていたことの半分も、言えない自分を感じた。
「……だね? いまのは、ちょっと……やりすぎだと思うよ……?」
傍観者のような立場からすると、犬貴は、道に迷った親子を怖がらせただけのようにも見える。
一方で、神獣として崇められていると思っていたハクコ達が、実は権力者の愛玩動物扱いされているのだという認識が、咲耶のなかに加わった。だからこそ、忠実で律儀そうな犬貴が怒ったのだろう。
咲耶は深呼吸した。……情報量が少なすぎて、ずっと自分の立ち位置がつかめずにいた。判断できないことを、先延ばししてきてしまった。
(でも、それじゃ、いけなかったのかもしれない)
椿に「姫さま」と呼ばれ、犬貴に「咲耶様」と敬われ、いい気になっていた。まるで『裸の王様』だ。
犬貴は眷属である自らのことを、ハクコと咲耶の『盾』であり『剣』であると、初めに言っていた。
そしてハクコは、
「お前が、私の主であるという、証《あかし》だ」
と言い、咲耶に『白い痕《あと》』をつけた。
つまり──扱うべきなのは、咲耶のほうなのだ。
(私に何ができるかは分からないけど)
椿も犬貴も、そして、ハクコも。こんな自分を頼りにしてくれている。それが盲目的な根拠のない信頼だとしても、咲耶は彼らの一途な眼差しに、応えたいと思ってしまった。
「犬貴」
呼びかけに賢い眷属は気づいたのだろう───『仮の主』が主たる己を主張しようとしていることを。ゆっくりと咲耶から離れ、片ひざをつき、頭を垂れた。
「私は、この世界のこともハクコのことも、まだよく解っていない。だから犬貴が、そんな頼りない私の矜持を護るためにしたことも、理解は、できる。
でも」
そっと、犬貴の頭に手を置く。……扱うべきは、自分。
「これからは、私の意思を無視するようなことは、しないで。これは、主命」
「───はい」
厳しい口調で言いつける咲耶に、犬貴が低くうなずく。それを見届け、咲耶は犬貴と目線を合わせた。
「でも、さっき犬貴が、私を護ってくれようとしたのは、嬉しい。……頼りない主で、ごめんね。ちゃんと犬貴に釣り合う主になるように、いろいろ学ぶから。
だから、これからもよろしくね」
わずかに見開かれた犬貴の眼が、おもむろに伏せられる。
「……仰せのままに」
それは、微笑みに、似て。
咲耶は口角をあげてうなずくと、犬貴に赤虎の屋敷への案内をするよううながした───主としての自分に足りないものを、少しでも補うために。
子供が、そんな咲耶をいぶかしげに見上げる。次の瞬間、おおい、と、野太い男の声がした。
「父ちゃん……? ──父ちゃん! おいら、ここだよぉ!」
子供の張り上げた声を聞きつけたのか、野良仕事風の男が、子供が出てきた所から現れた。ホッとしたように、子供に近寄る。
「よかった、お父さんがいてくれて」
正直、迷子を送り届けられるような余裕は、いまの咲耶は持ち合わせてはいない。だから思わず本音がでたのだが、男親は、ぎょっとしたように咲耶を見た。
「あんたは、まさか……!」
言った男の目が咲耶の全身を注視する。視線が、胸もとを押さえた右手で止まった。
「やっぱりな……。あんた、白い虎の供物だろ? 気の毒に。
まぁ、俺らには関係ねぇことだけど供物に食い物をやってる身から言わしてもらうとだな。いいかげん、役に立たねぇ神様はいらねぇってこった。
でかい獣を肥らせるだけで、こちとら一向に恩恵にあずかれねぇ。できそこないの神獣を、いつまでも飼ってるお公家サマの考えることは分からねぇが……いい迷惑だ!」
ぺっ、と、地面につばを吐き、子供の父親が咲耶をにらむ。ぞくぞくとする感覚が、いっそう咲耶のなかで強くなる。
直後、だった。頭のてっぺんが、ぐいと上に引っ張られるような気分にとらわれた───勝手に、口がひらく。
「只人の分際で、よう申した」
底冷えを誘うような声音が、自分の口をついてでた。突風が、子供と男親のあいだを、裂く。
「妾を『供物』と蔑むとはの。今はこの身にあらぬ神力も、じきにいかようにも遣いこなせるはずじゃ。その時に後悔しても、知らぬぞえ?
───目障りじゃ、去ね!」
一喝と共に意に反して動く咲耶の右手。立ち去れと、親子を追い払うようなしぐさをして見せる。
咲耶の豹変に震えあがった父親は、子供を抱きかかえ、抜け出てきた茂みへともぐり、逃げて行く。と、同時に、咲耶の身体から力が抜けた。
地面に倒れこみそうになる刹那、犬貴の腕が咲耶を支えた。
「───申し訳ございません、咲耶様」
本当に申し訳なさが表れた声。咲耶は、言ってやろうとしていたことの半分も、言えない自分を感じた。
「……だね? いまのは、ちょっと……やりすぎだと思うよ……?」
傍観者のような立場からすると、犬貴は、道に迷った親子を怖がらせただけのようにも見える。
一方で、神獣として崇められていると思っていたハクコ達が、実は権力者の愛玩動物扱いされているのだという認識が、咲耶のなかに加わった。だからこそ、忠実で律儀そうな犬貴が怒ったのだろう。
咲耶は深呼吸した。……情報量が少なすぎて、ずっと自分の立ち位置がつかめずにいた。判断できないことを、先延ばししてきてしまった。
(でも、それじゃ、いけなかったのかもしれない)
椿に「姫さま」と呼ばれ、犬貴に「咲耶様」と敬われ、いい気になっていた。まるで『裸の王様』だ。
犬貴は眷属である自らのことを、ハクコと咲耶の『盾』であり『剣』であると、初めに言っていた。
そしてハクコは、
「お前が、私の主であるという、証《あかし》だ」
と言い、咲耶に『白い痕《あと》』をつけた。
つまり──扱うべきなのは、咲耶のほうなのだ。
(私に何ができるかは分からないけど)
椿も犬貴も、そして、ハクコも。こんな自分を頼りにしてくれている。それが盲目的な根拠のない信頼だとしても、咲耶は彼らの一途な眼差しに、応えたいと思ってしまった。
「犬貴」
呼びかけに賢い眷属は気づいたのだろう───『仮の主』が主たる己を主張しようとしていることを。ゆっくりと咲耶から離れ、片ひざをつき、頭を垂れた。
「私は、この世界のこともハクコのことも、まだよく解っていない。だから犬貴が、そんな頼りない私の矜持を護るためにしたことも、理解は、できる。
でも」
そっと、犬貴の頭に手を置く。……扱うべきは、自分。
「これからは、私の意思を無視するようなことは、しないで。これは、主命」
「───はい」
厳しい口調で言いつける咲耶に、犬貴が低くうなずく。それを見届け、咲耶は犬貴と目線を合わせた。
「でも、さっき犬貴が、私を護ってくれようとしたのは、嬉しい。……頼りない主で、ごめんね。ちゃんと犬貴に釣り合う主になるように、いろいろ学ぶから。
だから、これからもよろしくね」
わずかに見開かれた犬貴の眼が、おもむろに伏せられる。
「……仰せのままに」
それは、微笑みに、似て。
咲耶は口角をあげてうなずくと、犬貴に赤虎の屋敷への案内をするよううながした───主としての自分に足りないものを、少しでも補うために。
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