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参 呼びかける真名(なまえ)
《三》主命──今日から、よろしくね。【後】
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咲耶の視線に気づいたらしい犬貴が、あわてたように地にひざをつきかけ、すぐに隣の赤虎毛の甲斐犬に、無理やり頭を下げさせた。
「申し訳ございません、咲耶様。ご無礼を……」
「いいよ、犬貴。それより、誰? 犬貴のお友達?」
瞬間、赤虎毛の犬が、ブハッと、盛大に噴きだした。すかさず犬貴が、その後頭部を殴りつける。
「いえ、あの……。同郷の者で、フラフラしているくらいならハク様にお仕えしろと誘いはしたのですが、何しろこんな有様で……」
目に見えて動揺する犬貴が何やらおかしかったが、咲耶は笑わぬように気をつけて訊き返す。
「それって、犬貴みたいにハクの眷属になってくれるって、こと?」
「あー、そりゃダメだわ、ムリムリ」
答えたのは犬貴ではなく、赤虎毛の犬だった。暗がりで気づきにくかったが、左目には黒い革の眼帯をしている。咲耶の言葉に、おおげさに片方の前足を振ってみせた。
「言葉遣いに気をつけろ、痴れ者めッ! ……申し訳ございません、咲耶様」
「だーから、ムリだって言っただろ? コイツと同じようになんて、俺にはできねーな。
だろう? ハクの旦那」
「───先ほども言ったが、私の命はただひとつ。
咲耶を、何をさしおいても護り抜け。それ以外何も求めぬ。私をどう思おうがなんと呼ぼうが、お前たちの好きにするといい」
きっぱりとハクコが言うのを赤虎毛の犬の隻眼が面白そうにとらえ、咲耶に移った。無言で問われた気がして、咲耶もハクコに同意する。
「えーと。私も別に、どう呼んでくれても構わないかなぁ、なんて」
「しかし、それではけじめが……!」
「あ、でも私、犬貴にはいままで通り『咲耶様』って呼ばれたいけど……ダメ、かな? 犬貴にそう呼ばれるのは、好きだから」
今にも唸り声をあげそうな険しい顔つきでいた犬貴が、ピンと立った耳をわずかに伏せ、一瞬だけ固まった。直後、姿勢を正し、頭を下げる。
「……お望みとあらば、そのように致します、……咲耶様」
「柄にもなく照れてやがる。やだねぇ~」
隣の隻眼の犬が、からかうような声をあげた。今度こそ、犬貴が低く唸った。
「───貴様、表に出ろ。その腐った性根を叩き直してやる」
「おう、なんだ。やるってのか? いいぜ、ちょうど身体がなまってたからな、久々に……」
無意味な争いに発展しそうな虎毛犬たちに対し、あきれたようにハクコが息をつく。
咲耶にとっては見慣れたしぐさで何気ないものだったが、庭先にいた者たちには違った。瞬時に、場が凍りついたように、緊迫した雰囲気となる。
元の姿に戻っていたタヌキ耳の少年は、かしこまって座り直し、キジトラの猫は、びくっと身をすくめた。そして犬貴は我に返ったように姿勢を正し、赤虎毛の犬も罰悪そうに前に向き直った。
それを見届け、ハクコが口を開く。
「くだらぬ争いは、咲耶から『約定の名付け』を受けたあとにしろ。椿、筆と硯を」
冷たく言い放つと、廊下の端のほうに控えていた椿を振り返る。ハクコは、自らの懐から三枚の短冊を取り出し、咲耶に手渡した。
「これには呪が施してある。書いたら、私に寄越せ」
「……にぎやかになりますわね、姫さま」
咲耶の側に硯を置き筆を持たせながら、椿がくすっと笑ってみせる。咲耶は微笑みを返し、それからハクコに目を向けた。
「私が、名前をつけていいの?」
「そうだ。お前が名付けることによって、この者らのなかで、私よりお前の生命が優先される」
ハクコの言葉に、咲耶は気にかかっていたことを口にする。
「ちなみに、それは命令も?」
「そうだ」
ハクコからの肯定を受けて、咲耶は筆をすべらせた。
『人』に名をつけたことはないがこういった場合、直感的に決めたほうがいいだろうと、そのままを書く。
タヌキ耳の少年は、『たぬ吉』。
キジトラ白の猫は、『転々』。
赤虎毛の甲斐犬は、『犬朗』。
ハクコは咲耶から短冊を受け取ると、それぞれの名を呼び吹いて飛ばす。すると短冊は、その者の額にまで届いたとたん、吸い込まれるようにして消えてしまった。
不思議な光景に驚かなかったのはハクコと犬貴だけで、他の者は皆、息をのんだり自らの額を押さえたりと、落ち着きがなかった。やがてその興奮が鎮まり、咲耶は庭に集った眷属たちを見回す。
「ええと、じゃあ、改めて。
私は、松元咲耶。ハクと、あなた達の主です。さっき、ハクが言ったこと、少しだけ訂正させてね」
咲耶の言葉に、ハクコが反応する。それに気づかないふりをして、咲耶は先を続けた。
「ハクは、あなた達に何をさしおいても私を護れって、言っていたけど……正直、私は、そこまであなた達には望めない。
申し訳ないけど私には、今はそれほどの力もないし、気概もないから。あなた達の生命に、責任がもてない」
言って、咲耶は息をつく。自分の『小ささ』に、情けなくて涙がでそうだ。
「でも、これから先、あなた達に護ってもらえる価値のある存在には、なりたいと思ってる。だから」
顔を上げる。いまはまだ、頼りなくて神力も何もない存在だけど。
「あなた達のできる範囲で、私に力を貸して欲しい。そして、これから先の私を見て、あなた達が「何をさしおいても護り抜く価値がある」と思えた時は、そうしてくれると嬉しい」
もう一度、咲耶は、自分を見つめる眷属たちを見回した。
「今日から、よろしくね」
微笑む咲耶に、すべての眷属が頭を垂れる。
“主命”を受け入れるという、証として。
「申し訳ございません、咲耶様。ご無礼を……」
「いいよ、犬貴。それより、誰? 犬貴のお友達?」
瞬間、赤虎毛の犬が、ブハッと、盛大に噴きだした。すかさず犬貴が、その後頭部を殴りつける。
「いえ、あの……。同郷の者で、フラフラしているくらいならハク様にお仕えしろと誘いはしたのですが、何しろこんな有様で……」
目に見えて動揺する犬貴が何やらおかしかったが、咲耶は笑わぬように気をつけて訊き返す。
「それって、犬貴みたいにハクの眷属になってくれるって、こと?」
「あー、そりゃダメだわ、ムリムリ」
答えたのは犬貴ではなく、赤虎毛の犬だった。暗がりで気づきにくかったが、左目には黒い革の眼帯をしている。咲耶の言葉に、おおげさに片方の前足を振ってみせた。
「言葉遣いに気をつけろ、痴れ者めッ! ……申し訳ございません、咲耶様」
「だーから、ムリだって言っただろ? コイツと同じようになんて、俺にはできねーな。
だろう? ハクの旦那」
「───先ほども言ったが、私の命はただひとつ。
咲耶を、何をさしおいても護り抜け。それ以外何も求めぬ。私をどう思おうがなんと呼ぼうが、お前たちの好きにするといい」
きっぱりとハクコが言うのを赤虎毛の犬の隻眼が面白そうにとらえ、咲耶に移った。無言で問われた気がして、咲耶もハクコに同意する。
「えーと。私も別に、どう呼んでくれても構わないかなぁ、なんて」
「しかし、それではけじめが……!」
「あ、でも私、犬貴にはいままで通り『咲耶様』って呼ばれたいけど……ダメ、かな? 犬貴にそう呼ばれるのは、好きだから」
今にも唸り声をあげそうな険しい顔つきでいた犬貴が、ピンと立った耳をわずかに伏せ、一瞬だけ固まった。直後、姿勢を正し、頭を下げる。
「……お望みとあらば、そのように致します、……咲耶様」
「柄にもなく照れてやがる。やだねぇ~」
隣の隻眼の犬が、からかうような声をあげた。今度こそ、犬貴が低く唸った。
「───貴様、表に出ろ。その腐った性根を叩き直してやる」
「おう、なんだ。やるってのか? いいぜ、ちょうど身体がなまってたからな、久々に……」
無意味な争いに発展しそうな虎毛犬たちに対し、あきれたようにハクコが息をつく。
咲耶にとっては見慣れたしぐさで何気ないものだったが、庭先にいた者たちには違った。瞬時に、場が凍りついたように、緊迫した雰囲気となる。
元の姿に戻っていたタヌキ耳の少年は、かしこまって座り直し、キジトラの猫は、びくっと身をすくめた。そして犬貴は我に返ったように姿勢を正し、赤虎毛の犬も罰悪そうに前に向き直った。
それを見届け、ハクコが口を開く。
「くだらぬ争いは、咲耶から『約定の名付け』を受けたあとにしろ。椿、筆と硯を」
冷たく言い放つと、廊下の端のほうに控えていた椿を振り返る。ハクコは、自らの懐から三枚の短冊を取り出し、咲耶に手渡した。
「これには呪が施してある。書いたら、私に寄越せ」
「……にぎやかになりますわね、姫さま」
咲耶の側に硯を置き筆を持たせながら、椿がくすっと笑ってみせる。咲耶は微笑みを返し、それからハクコに目を向けた。
「私が、名前をつけていいの?」
「そうだ。お前が名付けることによって、この者らのなかで、私よりお前の生命が優先される」
ハクコの言葉に、咲耶は気にかかっていたことを口にする。
「ちなみに、それは命令も?」
「そうだ」
ハクコからの肯定を受けて、咲耶は筆をすべらせた。
『人』に名をつけたことはないがこういった場合、直感的に決めたほうがいいだろうと、そのままを書く。
タヌキ耳の少年は、『たぬ吉』。
キジトラ白の猫は、『転々』。
赤虎毛の甲斐犬は、『犬朗』。
ハクコは咲耶から短冊を受け取ると、それぞれの名を呼び吹いて飛ばす。すると短冊は、その者の額にまで届いたとたん、吸い込まれるようにして消えてしまった。
不思議な光景に驚かなかったのはハクコと犬貴だけで、他の者は皆、息をのんだり自らの額を押さえたりと、落ち着きがなかった。やがてその興奮が鎮まり、咲耶は庭に集った眷属たちを見回す。
「ええと、じゃあ、改めて。
私は、松元咲耶。ハクと、あなた達の主です。さっき、ハクが言ったこと、少しだけ訂正させてね」
咲耶の言葉に、ハクコが反応する。それに気づかないふりをして、咲耶は先を続けた。
「ハクは、あなた達に何をさしおいても私を護れって、言っていたけど……正直、私は、そこまであなた達には望めない。
申し訳ないけど私には、今はそれほどの力もないし、気概もないから。あなた達の生命に、責任がもてない」
言って、咲耶は息をつく。自分の『小ささ』に、情けなくて涙がでそうだ。
「でも、これから先、あなた達に護ってもらえる価値のある存在には、なりたいと思ってる。だから」
顔を上げる。いまはまだ、頼りなくて神力も何もない存在だけど。
「あなた達のできる範囲で、私に力を貸して欲しい。そして、これから先の私を見て、あなた達が「何をさしおいても護り抜く価値がある」と思えた時は、そうしてくれると嬉しい」
もう一度、咲耶は、自分を見つめる眷属たちを見回した。
「今日から、よろしくね」
微笑む咲耶に、すべての眷属が頭を垂れる。
“主命”を受け入れるという、証として。
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