前世の真実、それは今世の偽の記憶、春は去り

日室千種・ちぐ

文字の大きさ
1 / 10

フォルセの記憶

しおりを挟む
「僕たちは生まれの魔術的巡り合わせがよいから婚約をしたけれど、僕は君を心から好きだよ」

 そう言ってフォルセの手を取ったのは、魔術師の証明のような黒髪黒目の少年だ。
 見つめ合う二人の背丈はあまり変わらない。
 星を宿すように煌めく深い瞳が、じっと真正面からフォルセを見つめている。フォルセの淡い色の髪がぼんやりと目の中に見えそうなほどに。
 いつもは自信に満ちあふれた彼が、少し眉を下げてうかがうような表情をするのは、フォルセの前だけだと知っている。
 フォルセは、春色の目を伏せた。

「ありがとう、メギナル。私も、あなたのことが好きよ」
「「二人の魂が、いつまでも共に在りますように」」

 声を重ねて、恋の成就を疑わずに祈った。
 あたたかな風のそよぐ庭。
 幸せで、遠い、過去の記憶だ。


***


 フォルセは12の年に孤児院から職業訓練に送り込まれた組紐工房の作業によく馴染み、そのまま工房の押しかけ弟子となった。5年間、割ける時間のすべてを投じて技を磨いて、19才の今はいっぱしの職人となったつもりだ。
 いずれは工房の女親方のように、自分の工房と弟子を持って切り盛りしたいという夢をぼんやりとながら持っていた。
 だから、朝から晩まで腰を痛めるほど編み続けることも、新たな編み方をあれこれ考えることも、糸染め担当との喧嘩のような切磋琢磨も、命を削りそうに緊張する顧客との打ち合わせも、どれも苦ではなかったし、このまま一生好きな仕事に打ち込んでいけると、そう思っていたのだが。

 ある日、少し難しい注文主として商談に現れた男性を見て、フォルセの人生は、糸を繋ぎ変えたように急激にその色を変えた。

 顧客の名は、メギナル。
 黒にも見える濃紺の髪と目、人形のように整った面立ちに穏やかな表情、謎めいた魅力を漂わせる男は、この国にはたった三人しかいない魔術師だった。

 この世には、時に魔術師として生を受ける者がいる。生まれ落ちたときから魔術師であるから、乳を必要としなくなればすぐに血縁や家のしがらみから逃れ、魔術師たちが集う塔で育てられる。
 長じれば、生まれ落ちた国に戻って、まさにその身その魔術のみで人々の敬意と畏怖を集める、稀なる高貴な存在となる。何しろ、魔術師たちの力は圧倒的なのだ。不可能は人の死を覆すことだけだとも言われるほどに。

 フォルセは弟子の一人として脇に控えていただけだ。名乗ることも挨拶をすることもない。ただ、これが魔術師というものかと、失礼のない程度に顔を確認した。
 その時は、おや、と訝しく思った程度だった。
 どこかで、よく見知った人のように感じたのだ。懐かしいような。既視感のような。
 それが、翌朝起きた時には、叫び出したいほどの激情が身の内に育っていた。
 
 夢を見たかのように、鮮やかに思い出したのだ。
 彼は、メギナル。
 フォルセが孤児院に入る前、裕福な商家の娘として生活をしていた幼い頃に、魔術的な巡り合わせを尊ぶ魔術師の塔による仲介を受けて、婚約を結び、そして互いに好き合っていた、フォルセのかつての婚約者だ。

 その後、子供のフォルセの知らぬところで生家は没落し、家族も親類も、使用人たちもいつの間にかいなくなった。フォルセは孤児院に引き取られたが、直後高熱で数日魘され、記憶も朧になっていたのだった。
 もはや、親の顔すらあやふやだ。かろうじて家名は覚えていたが、家の場所も、いや、そもそも家がこの街にあったのかどうかも、わからない。家族はどうしたのだろうか。心細さがにわかに募ったが、親の消息よりも、大好きだったメギナルとの婚約がいつの間にか取り消されてしまったことの方が気になった。
 つい昨夜まで、何も覚えていなかったのに。
 思い出してしまえば、失ったものが大きすぎて、フォルセの胸は痛むところもないほどに空っぽになった。
 残ったのは、かつて婚約者だったメギナルの思い出だけ。

「二人の魂が、いつまでも共に在りますように」

 そう言って、濃紺の髪と目をフォルセに真っ直ぐに向けて、自信に満ちて綺麗に微笑む、お人形のような少年の姿を、フォルセは朝食も取らずに何度も反芻した。

 その少年の微笑みが、昨日間近で見た魔術師メギナルの見たこともないはずの笑顔に重なっていくのに、時間はいらず。
 それから、フォルセは日々、メギナルにまた出会えないかと、そればかりを待ち望むようになった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

冬薔薇の謀りごと

ono
恋愛
シャルロッテは婚約者である王太子サイモンから謝罪を受ける。 サイモンは平民のパン職人の娘ミーテと恋に落ち、シャルロッテとの婚約破棄を望んだのだった。 そしてシャルロッテは彼の話を聞いて「誰も傷つかない完璧な婚約破棄」を実現するために協力を申し出る。 冷徹で有能なジェレミア公爵やミーテも巻き込み、それぞれが幸せを掴むまで。 ざまぁ・断罪はありません。すっきりハッピーエンドです。

マリアンヌ皇女の策略

宵森みなと
恋愛
異国の地シンホニア国に、帝国から輿入れした若き王妃セリーヌの死。 王妃としての務めを果たし、民との交流に心を尽くしてきた、優しき王妃の裏の顔は誰も知らなかった。セリーヌ王妃の死は、なぜ起こったのか。なぜ、シンホニア国は帝国の手に落ちたのか、そこには一人の少女の静かなる策略があった。

魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。 魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。 ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。 誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

引きこもり聖女は祈らない

鷹 綾
恋愛
内容紹介 聖女ポーラ・スターは、引きこもっていた。 人と話すことができず、部屋から出ることもできず、 彼女の意思表示は、扉に貼られる小さなメモだけだった。 「西の街道でがけ崩れが起きます」 「今日は、クラムチャウダーが食べたいです」 祈らず、姿も見せず、奇跡を誇示することもない聖女。 その存在は次第に「役立たず」と見なされ、 王太子リチャードから一方的に婚約を破棄され、聖女の地位も解かれる。 ──だが、その日を境に、王国は壊れ始めた。 天候不順、嵐、洪水、冷害。 新たに任命された聖女は奇跡を演じるが、世界は救われない。 誰もが気づかぬまま、 「何もしない聖女」が、実はすべてを支えていた事実だけが残されていた。 扉の向こうで静かに生きる少女と、 毎日声をかけ続ける精神科医フォージャー。 失われていく王国と、取り戻されていく一人の人生。 これは、 祈らない聖女が選んだ、 誰にも支配されない静かな結末の物語。 『引きこもり聖女は祈らない』 ざまぁは声高でなく、 救いは奇跡ではなく、 その扉の向こうに、確かにあった。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

溺愛のカタチ

日室千種・ちぐ
恋愛
「ティエド、私たちの結婚の約束、なかったことにしてほしいの」  イハナは、幼い時から慈しんでくれた婚約者に、別れを告げた。 「君がそれを望むなら、僕は応じよう」  どこか安堵したような穏やかな顔をするティエドの心は、イハナにはわからない。  ただ、彼が幸せになりますように、と心から祈っていた。  ——これが溺愛だと、僕だけが知ればいい。

処理中です...