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萌芽 5.
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一つ目の城門をくぐると瀟洒な馬車が停めてあって、オルギールは私を抱きかかえたまま乗り込み、当然のごとくそのまま膝に乗せた。
どのように合図したのか、私達の着座を見ていたかのように、やがて馬車は走り出す。
「あの、オルギール」
私は首を捩じって至近距離のオルギールを見上げて言った。
オルギールは宝石のような紫の瞳で私を一瞥してから、黙ったまま額にそっと唇を寄せた。
──よかった。そんなに機嫌は悪くない。
彼の柔らかな唇の感触を感じながら、私は内心安堵する。
二人きりになったら、もっと叱られることを覚悟していたから。
何の報せもせずにこれだけ帰城が遅れたのは本当にまずかった。過保護な夫たちは全員そろって猛烈に心配症だし、心配が高じて立腹することもしばしばだ(そして、ヤらしいお仕置きをされる)。
アルフとともに馬首を並べて帰ってきたところをしっかり目撃されたのはさらにまずかった。
特に、オルギールには。その次に見られてまずいのは、レオン様かな。今日はご不在だけれど。
ちなみに、シグルド様とユリアスは、アルフに対して隔意のある振る舞いはしない。
どちらかといえば、気さくに接している。特に、シグルド様はそんな感じ。やはり、ウルブスフェルで共に戦ったせいだろう。ユリアスは生真面目でかつ理性的な人だから、アルフの為人を私的な感情を排除して評価しているように見える。
けれど、オルギールとレオン様ときたら、アルフに対する態度はそばで見ていて居心地が悪くなるレベル。
まあ、レオン様はオルギールに比べれば、それほどではないかもしれないけれど。
淡々としているというか、冷然としているというか、いいところ、「私の側近に対して冷たいなあ」と感じる程度。
そして、オルギール。
なぜだかアルフのやることなすことに目くじらをたてるのだ。
彼は「万能のひと」だし、三公爵に比肩しうる身分と財力、権力を持つ者だから、アルフのことなど歯牙にもかけない、というならわかるが、いや、実際、場面によってはまったくその通りなのだけれど、事あるごとにアルフを攻撃する。攻撃しているように見える。
「どうしてそんなにとくべつ彼に厳しいの?」と、何度か尋ねたことがあるが、「‘とくべつ’なんかじゃありません」とうそぶき、「私はリア以外の誰に対しても同じですよ」とのたまい、「リアこそ彼をかばうのですか?」と逆に詰め寄られ、「こんなに私が愛しているのにあんな男を気にするなんてあんまりです」といつのまにか私が悪者になり、攻守逆転となり、場所と時間が許す限りエロエロな行為に及ばれること複数回。私はオルギールのアルフに対する言動について物申すことをあきらめた。
「──報せをしなかったのは悪かったわ。でもね、今日はちょっと気になる話を聞いたの」
「気になる話?」
額に唇を触れさせたまま、オルギールは言った。
吐息がかかるし、うつむき加減のオルギールの純銀色の髪が私の頬をかすめるのがくすぐったい。
甘々で幸せで心地よくて、ついつい目を閉じてしまいたくなるけれど、ここはまだ馬車の中。目を閉じてうっとり顔なんか見せようものなら、淫魔の王が降臨しかねない。私の四人の夫たちは全員えっちで絶倫だが、中でもオルギールは氷の無表情とはうらはら、そっちの方面で一番スイッチが入りやすい。
隙を見せてはならないのだ。
……しばしば、いや、ほとんどの場合、徒労に終わるとはいえ。
「ね、オルギール」
私はなんとか平静な声を出してみた。
目を開けていても、近すぎてオルギールの顔の全容は見えない。
私の額にのっかったままの、芸術品みたいに形のよい下側の唇と、それに続く顎のライン。それらで視界は塞がれている。
真面目な話をするのには不向きな体勢と言えよう。
「ちょっと顔を上げてほしいのだけれど」
「どうして?ちゃんと聞いていますよ」
綺麗なテノール。
囁くような小さな声だけれど、狭い空間の中、私とオルギールの二人きりだから十分よく聞こえる。
「聞いていますし、聞こえます。話の邪魔をしないように口づけは我慢しますから続けて下さい、リア」
最後に、ちいさなリップ音をたててちゅっとされた。
砂糖を吐くほど極甘な仕草だけれど、私の言うとおりにしてくれる気はなさそうだ。
──しかたがない。
しぐさの糖度のわりには微妙に声が硬いような気がするから、私は諦めて嘆息した。
「……お茶会の参加者の一人の話。いつもはきはきした令嬢と二人一緒にくっついている気弱そうなコがいるのだけれど、今日は欠席だったの。体調不良、という話ではあったらしいけれど、私が主賓のお茶会を欠席するのは、まあ、珍しいわよね」
「でしょうね」
公爵夫人が主賓の茶会を欠席するなど、無礼ですからね。
オルギールはひとりごとのように言って、私の額をそっと舐めた。
彼は私の顔を舐め回すのが好きだから、気にせず続けることにする。
「それがね。はきはきした令嬢、カサンドラというのだけれど、彼女が言うには、欠席したコリンヌ嬢は、しばらく前から度々アサド議長の娘に、半強制的に招かれているのだとか」
「……」
「断わっても断っても、結局は親の権力をちらつかせて無理に招き、山のような土産を持たせて以降の付き合いを拒否できなくする。それをコリンヌだけでなくあちこちの令嬢にも同じように」
「……」
あいづちがなくなった。
心なしか、甘ったるかった馬車の中の空気がぴりりとしたような。そんな風に感じる。
額に触れる柔らかな唇の感触は、相変わらずだけれど。
「レオン様に執着していた女が、また性懲りもなく派閥を作ろうとしている。子供じゃあるまいし、お仲間を作るだけが目的とは思えないでしょう?アサド家ほどの名家の娘のやることだから影響はそれなりだもの」
「……」
オルギールは沈黙したままだ。
彼は色々すっとんだ人だけれど、聞くとなると本当にしっかりと話を聞いてくれる。
この沈黙も、全身を耳にして、私の言葉だけでなくまるで言外の気配ごと掬い上げようとするような、そんな緊張感が伝わってくるようだ。
「アサド家の娘に声をかけられてるらしい令嬢たちの名、わかる限りで聞いてきたわ。一度、ちゃんと調べさせたほうがいいかも」
夫の膝の上で抱っこ状態であることも忘れ、私は完全に仕事モードできびきびと言った。
言いながら、頭の中を整理する。
お金と権力があって、若いから行動力もあるストーカー女は要注意だ。
そして、そんな娘の行為を黙認するアサド議長も。
「いくつか聞いた家名からすると、三公爵家からは多少距離を取っている家の者が多いような気がして。烏合の衆でも数を恃んで結束されては面倒くさいわ」
「リア」
ふふ、とオルギールはわずかに笑んだらしい。
彼の唇の触れていたところに温かな吐息がかかってくすぐったい。
それをきっかけにして、彼の顔が遠ざかる気配があった。
それをなんとなく寂しく感じながら、頑張って背を反らせて真上に目を向けると、冴え冴えと輝く一対の紫水晶の瞳が私を見下ろしている。
黒髪、黒目の私からすれば、何度見ても宝石のようだと感動すら覚えるオルギールの瞳がわずかに細められて、同時に彼の大きな手が私の両頬を包み込んだ。
少しひんやりとした、けれどすべすべの大きな、頼もしい手。
親指の腹で私の左右の目尻をそっと撫でている。
「──仰せのとおりに、リア。調べさせてみましょうか。‘姫将軍’の人気も相まって三公爵の権威は盤石ではありますが、‘議会’と、代々その‘議長’を務めるアサド家がろくでもないことを考え始めたら厄介ですから」
「ぜひ、そうして」
互いに口にはしないけれど、‘影’たちに命じることになるのだろう。
「レオン様の一件以降、アサド家の娘は監視対象ではあったのですが、謹慎が解けてからは対象からも外れていたはず。……なるほど、監視体制は元に戻すべきでしょうね。事はあなたの安否にもつながる」
「!?、オルギール」
撫でた目尻に、また唇が降りてくる。
けれども、幸いまだ今は私の思考はお仕事モードのままだ。
目を閉じることなく彼の唇を受け止めつつ、
「あと、オルギール。奇妙な話があってね」
奇妙、というか、馬鹿馬鹿しいというか。でも、なんとなくひっかかることがあって、と私は続けた。
「アサド家の娘、仮装をしてるんですって。お茶会のたびに。黒と金、または白と金の軍服を着て客をもてなすのだとか」
「……それはさぞかし滑稽なものでしょう」
淡々とした口調ながらあからさまな嘲弄をこめて、オルギールは言った。
「グラディウスの至宝、‘姫将軍’の華麗な姿は唯一無二のもの。同じ軍服を身に着けたところで、私のリアとは似ても似つかぬ、お笑いぐさでしかないのに」
「……まあ、似合うとは思えないけれど」
私に対するこっぱずかしくなるほどの大絶賛は軽く受け流した。
別に、一緒になって「何を馬鹿なことやってるのかしらね」と笑いあっこしたいわけではない。
「真意を、知りたいわ、オルギール。レオン様に病的に執着している女が、その妻である私のかっこうを真似る。愛しい男の好みにあわせるかのように。愚かしくも可愛い女ごころと言う人もいるのかもしれないけれど」
「私はそう思いませんよ」
オルギールは優しく、けれどきっぱりと断言した。
「あの女のレオン様への執着は異常ですから。何か企んでいると思ったほうがよいでしょうね、いきなり男装趣味に目覚めた、というわけでもないでしょうから」
「でしょう?アルフも同じことを言ってたわ。絶対あの女、何か企んでるって」
「──親衛隊長が」
急に、声音が冷えた。
しまった、アルフの名前なんか持ち出してしまった、と思ったときには後の祭りである。
目尻に寄せられていたオルギールの口元は遠ざかり、私の両頬を包んでいた両手は私の背中に回ってしっかりと拘束具のように組み合わされ、ぐいと引き寄せられた。
オルギールの硬い胸板にぴったりと身を添わされ、抱きこめられる。
二人の体温で馬車の車室内はけっして寒くはない筈なのに、また無意識に身震いをしてしまう。
「そういえば、リア。親衛隊長と何を話していたのですか?アサドの話以外に。私が迎えに出た時、とても楽しそうでした。リアの隣に馬を並べて。隊長の分際で公爵夫人の真隣に並ぶなど、不遜と言うべきでは?」
ちょっと痛いくらい、あと一歩で羽交い絞め、という力で私を抱くオルギールは淡々と畳み掛ける。
表情を消し去った顔と声がうそ寒い。
車室内の空気は急速冷却中だ。
まずった、せっかくアルフから話が遠ざかっていたのに!
「あの、ね、オルギール、ちょっと内緒話をするために、私が隣に来るよう命じたので……」
「内緒話?」
ずい、とオルギールがさらにその凄絶な美貌を私に近づける。
「いえ、その、アサド家の話はね。まだ曖昧模糊としているから他の団員に聞かせるのもどうかと思って。そういう意味での内緒、ってこと」
オルギールに内緒とかじゃないの、と、早口に、かつ明確に、私は断言した。
あなたや他の夫たちに内緒で、親衛隊長と話なんかしません、とさらに言葉を重ねたが、オルギールの表情は氷壁みたいな無表情だ。
「じゃあリア、どこへ行く話をしていたのです?」
「じゃあって、オルギール……」
私は脱力した。
彼はブレがない。ちょっとした一言もしっかり覚えている。
けれども、アサド家の娘の話は深刻なものだったから、私がうっかりとアルフの名前を口にしたりしなかったら、「どこへ行きたいのです?私がお連れします」というあの話題に戻ることはもう少しあとになったのかもしれないが。
内緒話なんかしない、と言った口で言うのも気がとがめるけれど、できれば、街中の茶店はアルフに教えてもらったところに行ってみたい。
もちろん、愛する夫たちと街中デートをするのはそれはそれは幸せだが、アルフの昔なじみの女将のいる店、その女将が始めるアフタヌーンティ、なんて、彼に連れてってもらうしかないではないか。
ここは、適当に切り抜けなくては。
茶店、はかまわない。
アルフの馴染みの女将、という点は言わないことにしておこう。
「あのね、茶会の帰りだったでしょ?それで話題が、街中でも茶会が流行している、それを売りにする店も出てきた、って話になってね」
「……」
「ある店は菓子の種類を売りにして、またとある店は提供する茶器に凝ったり、とあちこちの店に特色があるんですって。で、総じてどの店も茶葉には当然の如く相当気合が入っているとかで。彼は下情に通じているからそんな話を聞かせてくれて、思わず、行ってみたいな、って」
「あの男と、ではないでしょうね」
間髪を入れず、オルギールは言った。
「絶対いやです」
「わかってるわ、オルギール」
私は大きく頷いた。
‘だめです’じゃなくて、‘いやです’と言う言葉。
その違いは大きい。
きっと無意識とは思うけれど、氷の騎士と呼ばれるオルギールの‘あざとさ’だ。
‘いやです’なんて彼に言われたら、とりあえず今は首肯するしかない。
「茶店に、町歩きに、行ってみたいなあって言っていたの。私がお茶会流行の発信源なんて言われているなら、なおさら行きたいなあ、って思って」
「……」
このくだりは、けっして嘘ではない。
まごうことなき本心であるから、私は熱心に言葉を重ねた。
じいぃ、っと無言でオルギールはそんな私を見つめている。
紫水晶のウソ発見器にかけられているような気がした。
「──私が、お連れしますから」
しばらくの沈黙の後、オルギールは言った。
車室内の空気は、氷点下から一応ゼロ度以上にはなったように感じるものの、彼の腕による拘束は緩む気配がない。
ちょっと苦しいけれど、でも彼の束縛と嫉妬深さは今に始まったことではないし、裏を返せば私に対する重量級の愛情だと思うから、嬉しいと感じてしまうのも事実なのだ。
「流行りの店は、調べておきます。だからリア、私と一緒に」
「ありがとう、オルギール」
万能のひと、氷の無表情、ヘデラ侯。
そんなオルギールが、たかが茶店に自分が連れて行くだの流行りを調べるだの言い張るのは可愛いとしか言いようがない。
私は伸びあがってオルギールの頬にちゅっとした。
「リア」
オルギールはようやく拘束を解いてくれて、そしてもう一度私をしっかりと抱きしめ直した。
今度は苦しくはない。
幸せだなあと感じながら、私も彼の背中に手を回してみる。
リア、と今度ははっきりと嬉しそうな声がして、オルギールはまたまた私の顔じゅうに口づけの雨を降らせながら、やがて耳元へ唇を移動させた。
「湯の仕度をさせてありますから。リア、城に戻ったらすぐ温まりましょう」
「うん。……え、でも」
お風呂は好きだ。夕食前にさっぱりするのは異存はない。でも。
「温まりましょう」?
一言に引っかかりを覚えてわずかに首を傾げたのを察知したらしく、
「私がお世話致します」
はむ、と私の耳朶を食みながら、オルギールは言った。
ついでにふうっと私の耳孔に息を吹きかけることも忘れない。
「オルギール!」
ぞくぞくして、それを隠すためにも大きな声を出してみたのだけれど。
びちゃり、と耳元で湿った音がした。
体に、電流が走る。
それを助長するかのように、私の背に回された手が、ゆっくりと、けれど情欲を匂わせる、絶妙な緩急をつけて上下に撫で擦られる。
びちゃびちゃと音を立てて、耳朶をしゃぶられた。
耳殻も舐められ、食まれ、まるで私の耳を使って口淫に耽っているよう。
「や、やあ、オルギール、みみ、」
「リア、湯に入って、温まって。……それから、私も温めて下さい」
あなたの中で、温めて。
オルギールの淫靡な囁きと吐息、這い回る舌の感触に、耳だけで達しそうになった、その時。
「──御方様、ヘデラ侯閣下。着きましてございます」
馬車の外、近習からたいへん爽やかに声をかけられた。
いつのまにか、城へ到着していたらしい。
どのように合図したのか、私達の着座を見ていたかのように、やがて馬車は走り出す。
「あの、オルギール」
私は首を捩じって至近距離のオルギールを見上げて言った。
オルギールは宝石のような紫の瞳で私を一瞥してから、黙ったまま額にそっと唇を寄せた。
──よかった。そんなに機嫌は悪くない。
彼の柔らかな唇の感触を感じながら、私は内心安堵する。
二人きりになったら、もっと叱られることを覚悟していたから。
何の報せもせずにこれだけ帰城が遅れたのは本当にまずかった。過保護な夫たちは全員そろって猛烈に心配症だし、心配が高じて立腹することもしばしばだ(そして、ヤらしいお仕置きをされる)。
アルフとともに馬首を並べて帰ってきたところをしっかり目撃されたのはさらにまずかった。
特に、オルギールには。その次に見られてまずいのは、レオン様かな。今日はご不在だけれど。
ちなみに、シグルド様とユリアスは、アルフに対して隔意のある振る舞いはしない。
どちらかといえば、気さくに接している。特に、シグルド様はそんな感じ。やはり、ウルブスフェルで共に戦ったせいだろう。ユリアスは生真面目でかつ理性的な人だから、アルフの為人を私的な感情を排除して評価しているように見える。
けれど、オルギールとレオン様ときたら、アルフに対する態度はそばで見ていて居心地が悪くなるレベル。
まあ、レオン様はオルギールに比べれば、それほどではないかもしれないけれど。
淡々としているというか、冷然としているというか、いいところ、「私の側近に対して冷たいなあ」と感じる程度。
そして、オルギール。
なぜだかアルフのやることなすことに目くじらをたてるのだ。
彼は「万能のひと」だし、三公爵に比肩しうる身分と財力、権力を持つ者だから、アルフのことなど歯牙にもかけない、というならわかるが、いや、実際、場面によってはまったくその通りなのだけれど、事あるごとにアルフを攻撃する。攻撃しているように見える。
「どうしてそんなにとくべつ彼に厳しいの?」と、何度か尋ねたことがあるが、「‘とくべつ’なんかじゃありません」とうそぶき、「私はリア以外の誰に対しても同じですよ」とのたまい、「リアこそ彼をかばうのですか?」と逆に詰め寄られ、「こんなに私が愛しているのにあんな男を気にするなんてあんまりです」といつのまにか私が悪者になり、攻守逆転となり、場所と時間が許す限りエロエロな行為に及ばれること複数回。私はオルギールのアルフに対する言動について物申すことをあきらめた。
「──報せをしなかったのは悪かったわ。でもね、今日はちょっと気になる話を聞いたの」
「気になる話?」
額に唇を触れさせたまま、オルギールは言った。
吐息がかかるし、うつむき加減のオルギールの純銀色の髪が私の頬をかすめるのがくすぐったい。
甘々で幸せで心地よくて、ついつい目を閉じてしまいたくなるけれど、ここはまだ馬車の中。目を閉じてうっとり顔なんか見せようものなら、淫魔の王が降臨しかねない。私の四人の夫たちは全員えっちで絶倫だが、中でもオルギールは氷の無表情とはうらはら、そっちの方面で一番スイッチが入りやすい。
隙を見せてはならないのだ。
……しばしば、いや、ほとんどの場合、徒労に終わるとはいえ。
「ね、オルギール」
私はなんとか平静な声を出してみた。
目を開けていても、近すぎてオルギールの顔の全容は見えない。
私の額にのっかったままの、芸術品みたいに形のよい下側の唇と、それに続く顎のライン。それらで視界は塞がれている。
真面目な話をするのには不向きな体勢と言えよう。
「ちょっと顔を上げてほしいのだけれど」
「どうして?ちゃんと聞いていますよ」
綺麗なテノール。
囁くような小さな声だけれど、狭い空間の中、私とオルギールの二人きりだから十分よく聞こえる。
「聞いていますし、聞こえます。話の邪魔をしないように口づけは我慢しますから続けて下さい、リア」
最後に、ちいさなリップ音をたててちゅっとされた。
砂糖を吐くほど極甘な仕草だけれど、私の言うとおりにしてくれる気はなさそうだ。
──しかたがない。
しぐさの糖度のわりには微妙に声が硬いような気がするから、私は諦めて嘆息した。
「……お茶会の参加者の一人の話。いつもはきはきした令嬢と二人一緒にくっついている気弱そうなコがいるのだけれど、今日は欠席だったの。体調不良、という話ではあったらしいけれど、私が主賓のお茶会を欠席するのは、まあ、珍しいわよね」
「でしょうね」
公爵夫人が主賓の茶会を欠席するなど、無礼ですからね。
オルギールはひとりごとのように言って、私の額をそっと舐めた。
彼は私の顔を舐め回すのが好きだから、気にせず続けることにする。
「それがね。はきはきした令嬢、カサンドラというのだけれど、彼女が言うには、欠席したコリンヌ嬢は、しばらく前から度々アサド議長の娘に、半強制的に招かれているのだとか」
「……」
「断わっても断っても、結局は親の権力をちらつかせて無理に招き、山のような土産を持たせて以降の付き合いを拒否できなくする。それをコリンヌだけでなくあちこちの令嬢にも同じように」
「……」
あいづちがなくなった。
心なしか、甘ったるかった馬車の中の空気がぴりりとしたような。そんな風に感じる。
額に触れる柔らかな唇の感触は、相変わらずだけれど。
「レオン様に執着していた女が、また性懲りもなく派閥を作ろうとしている。子供じゃあるまいし、お仲間を作るだけが目的とは思えないでしょう?アサド家ほどの名家の娘のやることだから影響はそれなりだもの」
「……」
オルギールは沈黙したままだ。
彼は色々すっとんだ人だけれど、聞くとなると本当にしっかりと話を聞いてくれる。
この沈黙も、全身を耳にして、私の言葉だけでなくまるで言外の気配ごと掬い上げようとするような、そんな緊張感が伝わってくるようだ。
「アサド家の娘に声をかけられてるらしい令嬢たちの名、わかる限りで聞いてきたわ。一度、ちゃんと調べさせたほうがいいかも」
夫の膝の上で抱っこ状態であることも忘れ、私は完全に仕事モードできびきびと言った。
言いながら、頭の中を整理する。
お金と権力があって、若いから行動力もあるストーカー女は要注意だ。
そして、そんな娘の行為を黙認するアサド議長も。
「いくつか聞いた家名からすると、三公爵家からは多少距離を取っている家の者が多いような気がして。烏合の衆でも数を恃んで結束されては面倒くさいわ」
「リア」
ふふ、とオルギールはわずかに笑んだらしい。
彼の唇の触れていたところに温かな吐息がかかってくすぐったい。
それをきっかけにして、彼の顔が遠ざかる気配があった。
それをなんとなく寂しく感じながら、頑張って背を反らせて真上に目を向けると、冴え冴えと輝く一対の紫水晶の瞳が私を見下ろしている。
黒髪、黒目の私からすれば、何度見ても宝石のようだと感動すら覚えるオルギールの瞳がわずかに細められて、同時に彼の大きな手が私の両頬を包み込んだ。
少しひんやりとした、けれどすべすべの大きな、頼もしい手。
親指の腹で私の左右の目尻をそっと撫でている。
「──仰せのとおりに、リア。調べさせてみましょうか。‘姫将軍’の人気も相まって三公爵の権威は盤石ではありますが、‘議会’と、代々その‘議長’を務めるアサド家がろくでもないことを考え始めたら厄介ですから」
「ぜひ、そうして」
互いに口にはしないけれど、‘影’たちに命じることになるのだろう。
「レオン様の一件以降、アサド家の娘は監視対象ではあったのですが、謹慎が解けてからは対象からも外れていたはず。……なるほど、監視体制は元に戻すべきでしょうね。事はあなたの安否にもつながる」
「!?、オルギール」
撫でた目尻に、また唇が降りてくる。
けれども、幸いまだ今は私の思考はお仕事モードのままだ。
目を閉じることなく彼の唇を受け止めつつ、
「あと、オルギール。奇妙な話があってね」
奇妙、というか、馬鹿馬鹿しいというか。でも、なんとなくひっかかることがあって、と私は続けた。
「アサド家の娘、仮装をしてるんですって。お茶会のたびに。黒と金、または白と金の軍服を着て客をもてなすのだとか」
「……それはさぞかし滑稽なものでしょう」
淡々とした口調ながらあからさまな嘲弄をこめて、オルギールは言った。
「グラディウスの至宝、‘姫将軍’の華麗な姿は唯一無二のもの。同じ軍服を身に着けたところで、私のリアとは似ても似つかぬ、お笑いぐさでしかないのに」
「……まあ、似合うとは思えないけれど」
私に対するこっぱずかしくなるほどの大絶賛は軽く受け流した。
別に、一緒になって「何を馬鹿なことやってるのかしらね」と笑いあっこしたいわけではない。
「真意を、知りたいわ、オルギール。レオン様に病的に執着している女が、その妻である私のかっこうを真似る。愛しい男の好みにあわせるかのように。愚かしくも可愛い女ごころと言う人もいるのかもしれないけれど」
「私はそう思いませんよ」
オルギールは優しく、けれどきっぱりと断言した。
「あの女のレオン様への執着は異常ですから。何か企んでいると思ったほうがよいでしょうね、いきなり男装趣味に目覚めた、というわけでもないでしょうから」
「でしょう?アルフも同じことを言ってたわ。絶対あの女、何か企んでるって」
「──親衛隊長が」
急に、声音が冷えた。
しまった、アルフの名前なんか持ち出してしまった、と思ったときには後の祭りである。
目尻に寄せられていたオルギールの口元は遠ざかり、私の両頬を包んでいた両手は私の背中に回ってしっかりと拘束具のように組み合わされ、ぐいと引き寄せられた。
オルギールの硬い胸板にぴったりと身を添わされ、抱きこめられる。
二人の体温で馬車の車室内はけっして寒くはない筈なのに、また無意識に身震いをしてしまう。
「そういえば、リア。親衛隊長と何を話していたのですか?アサドの話以外に。私が迎えに出た時、とても楽しそうでした。リアの隣に馬を並べて。隊長の分際で公爵夫人の真隣に並ぶなど、不遜と言うべきでは?」
ちょっと痛いくらい、あと一歩で羽交い絞め、という力で私を抱くオルギールは淡々と畳み掛ける。
表情を消し去った顔と声がうそ寒い。
車室内の空気は急速冷却中だ。
まずった、せっかくアルフから話が遠ざかっていたのに!
「あの、ね、オルギール、ちょっと内緒話をするために、私が隣に来るよう命じたので……」
「内緒話?」
ずい、とオルギールがさらにその凄絶な美貌を私に近づける。
「いえ、その、アサド家の話はね。まだ曖昧模糊としているから他の団員に聞かせるのもどうかと思って。そういう意味での内緒、ってこと」
オルギールに内緒とかじゃないの、と、早口に、かつ明確に、私は断言した。
あなたや他の夫たちに内緒で、親衛隊長と話なんかしません、とさらに言葉を重ねたが、オルギールの表情は氷壁みたいな無表情だ。
「じゃあリア、どこへ行く話をしていたのです?」
「じゃあって、オルギール……」
私は脱力した。
彼はブレがない。ちょっとした一言もしっかり覚えている。
けれども、アサド家の娘の話は深刻なものだったから、私がうっかりとアルフの名前を口にしたりしなかったら、「どこへ行きたいのです?私がお連れします」というあの話題に戻ることはもう少しあとになったのかもしれないが。
内緒話なんかしない、と言った口で言うのも気がとがめるけれど、できれば、街中の茶店はアルフに教えてもらったところに行ってみたい。
もちろん、愛する夫たちと街中デートをするのはそれはそれは幸せだが、アルフの昔なじみの女将のいる店、その女将が始めるアフタヌーンティ、なんて、彼に連れてってもらうしかないではないか。
ここは、適当に切り抜けなくては。
茶店、はかまわない。
アルフの馴染みの女将、という点は言わないことにしておこう。
「あのね、茶会の帰りだったでしょ?それで話題が、街中でも茶会が流行している、それを売りにする店も出てきた、って話になってね」
「……」
「ある店は菓子の種類を売りにして、またとある店は提供する茶器に凝ったり、とあちこちの店に特色があるんですって。で、総じてどの店も茶葉には当然の如く相当気合が入っているとかで。彼は下情に通じているからそんな話を聞かせてくれて、思わず、行ってみたいな、って」
「あの男と、ではないでしょうね」
間髪を入れず、オルギールは言った。
「絶対いやです」
「わかってるわ、オルギール」
私は大きく頷いた。
‘だめです’じゃなくて、‘いやです’と言う言葉。
その違いは大きい。
きっと無意識とは思うけれど、氷の騎士と呼ばれるオルギールの‘あざとさ’だ。
‘いやです’なんて彼に言われたら、とりあえず今は首肯するしかない。
「茶店に、町歩きに、行ってみたいなあって言っていたの。私がお茶会流行の発信源なんて言われているなら、なおさら行きたいなあ、って思って」
「……」
このくだりは、けっして嘘ではない。
まごうことなき本心であるから、私は熱心に言葉を重ねた。
じいぃ、っと無言でオルギールはそんな私を見つめている。
紫水晶のウソ発見器にかけられているような気がした。
「──私が、お連れしますから」
しばらくの沈黙の後、オルギールは言った。
車室内の空気は、氷点下から一応ゼロ度以上にはなったように感じるものの、彼の腕による拘束は緩む気配がない。
ちょっと苦しいけれど、でも彼の束縛と嫉妬深さは今に始まったことではないし、裏を返せば私に対する重量級の愛情だと思うから、嬉しいと感じてしまうのも事実なのだ。
「流行りの店は、調べておきます。だからリア、私と一緒に」
「ありがとう、オルギール」
万能のひと、氷の無表情、ヘデラ侯。
そんなオルギールが、たかが茶店に自分が連れて行くだの流行りを調べるだの言い張るのは可愛いとしか言いようがない。
私は伸びあがってオルギールの頬にちゅっとした。
「リア」
オルギールはようやく拘束を解いてくれて、そしてもう一度私をしっかりと抱きしめ直した。
今度は苦しくはない。
幸せだなあと感じながら、私も彼の背中に手を回してみる。
リア、と今度ははっきりと嬉しそうな声がして、オルギールはまたまた私の顔じゅうに口づけの雨を降らせながら、やがて耳元へ唇を移動させた。
「湯の仕度をさせてありますから。リア、城に戻ったらすぐ温まりましょう」
「うん。……え、でも」
お風呂は好きだ。夕食前にさっぱりするのは異存はない。でも。
「温まりましょう」?
一言に引っかかりを覚えてわずかに首を傾げたのを察知したらしく、
「私がお世話致します」
はむ、と私の耳朶を食みながら、オルギールは言った。
ついでにふうっと私の耳孔に息を吹きかけることも忘れない。
「オルギール!」
ぞくぞくして、それを隠すためにも大きな声を出してみたのだけれど。
びちゃり、と耳元で湿った音がした。
体に、電流が走る。
それを助長するかのように、私の背に回された手が、ゆっくりと、けれど情欲を匂わせる、絶妙な緩急をつけて上下に撫で擦られる。
びちゃびちゃと音を立てて、耳朶をしゃぶられた。
耳殻も舐められ、食まれ、まるで私の耳を使って口淫に耽っているよう。
「や、やあ、オルギール、みみ、」
「リア、湯に入って、温まって。……それから、私も温めて下さい」
あなたの中で、温めて。
オルギールの淫靡な囁きと吐息、這い回る舌の感触に、耳だけで達しそうになった、その時。
「──御方様、ヘデラ侯閣下。着きましてございます」
馬車の外、近習からたいへん爽やかに声をかけられた。
いつのまにか、城へ到着していたらしい。
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