ジャッコランタンはマッチョの夢を見る(加筆修正版)

馬 並子

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エピローグ

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空気の匂いは完全に秋なのに、時々思い出したように暑さがぶり返す、十月の初め。客待ちで停車していた橋爪のタクシーに、若い男が乗り込んできた。
年齢に不相応な高級スーツに、華やかにセットされた長めの髪の毛。ちらりと見えた鞄は誰もが知るハイブランドだが、型崩れも恐れず無造作に肘置きに使っている。どこからどう見ても売れているホストだ。
だが男は、身なりとは不釣り合いな青白い顔で「歌舞伎町まで」と呟くと、ぐったりとシートに沈む。
橋爪はサイドブレーキを下ろさず振り返り、「大丈夫ですか? よければ水でも買ってきますが」と心配げに声をかけた。

以前の橋爪であれば、身銭を切ってまで乗客に飲み物を与えようなどとは考えもしなかっただろう。特に、若くて美形で女にもてて大金を稼いでいるホストなど、気遣う気にもなれなかったに違いない。運んで、下ろして、はいさよなら、だ。どうせ二度と会うことはない。

だが、今は違う。
だって、タクシーは一期一会だと気づいてしまった。橋爪が運転する車に、乗客の人生の大切な一瞬が、そして命そのものが乗り込んでくるのだ。それはなんて、尊い出来事なのだろうか。
せっかくの出会いだ。誰かさんのように人生最高の日とまでは言わずとも、乗客には乗る前よりも少しでも幸せな気分になって欲しい。
橋爪はそんな風に考えるようになっていた。

損得勘定なしに案じた橋爪の想いが通じたのか、若い客は「大丈夫、ただの二日酔いだから。あんがとね」と言い、少し微笑んだ。
かと思うとひょいと眉を上げ、驚いたことに「あれ? 運転手さん、雰囲気変わったね」と言い出した。バックミラーに、弾けるような大きな笑みが広がる。
そりゃあ女はコロッといくだろうという華やかな笑顔に、中年男の橋爪でさえほんの少しドキリとした。それくらい印象的な美形なのに、全く覚えがない。
橋爪は内心首を傾げつつ、「以前ご利用頂いたんですか。気付かなくて……」と言外に詫びた。客の顔も覚えられないなんて、まだまだ修行が足りない。

だが若い男は、声を出して笑った。
「いや、そん時俺ゾンビコスしてたから、わかんなくって当然だって。覚えてないかなぁ、去年のハロウィン。確か、今日とは別のとこから歌舞伎まで乗っけてもらったの」
去年のハロウィンに乗せたゾンビコス、と聞いて思い当たる乗客など一人しかいない。カブの前に乗せた、あのホストだ。
東京は広く、人間は呆れるほど多いが、タクシーの中では時々こういう小さな奇跡に遭遇する。
これだから、この仕事は面白い。
橋爪は嬉しげに目を細め、その節はチップをありがとうございましたと丁寧に礼を述べる。すると、いいよいいよとバックミラーの中でひらひら手を振る男が、意外なことを言い出した。

「にしても、ほんと運転手さん雰囲気変わったね。前は超不幸そうだったのに、今はいきいきしてんじゃん。別人並みだから、最初気づかなかったわ」
聞けば、この乗客には不思議な特技があるらしい。なんでも、不幸な人間を一瞬で見分け、その顔を記憶できるのだそうだ。
「不幸な人に優しくしたら、いっぱい指名とれるんだよねぇ」と悪びれない男は、やはりというかなんというか、橋爪でも耳にしたことのある有名店、《マノン》のナンバーワンだという。
まさにホストは天職だと、ここまで来ると感心しかない。その彼が別人並みに変わったと言ってくれるのは、橋爪にとって大きな手ごたえとなった。

「私が変わったとしたら、もしかしたらお客さんに呪文をかけてもらったからかもしれません。はっぴーはろうぃーん、って」
中年男にはこそばゆい呪文だが、口にすると胸が温かくなる。ちらりと車内のデジタル時計を見遣れば、その横にぶら下がった二頭身のカブ人間のマスコットが、返事をするかのように揺れた。
探すのに苦労したレアなマスコットは、毎日定位置で橋爪を見張っている。
なになに、ハロウィンパーティーで彼女でもできたのー?とバックミラーの中でにやにやするホストに、そんなんじゃないんですと笑って誤魔化した。
カブのお化けと会ったのだと言っても、信じてもらえないだろう。


あのハロウィンの夜から一年近く過ぎたので、さすがにもう橋爪の心も落ち着いている。
だがあれからしばらくの間は、もう二度とカブに会えないのかと気落ちしていたのが正直なところだ。カブと過ごした時間の楽しさや、カブのいじらしさは橋爪の胸に深く食い込んで、喪失感に苦しめられた。

だが、時間だけが解決してくれたわけではない。
記憶の中で、不思議と加速度的にカブの印象がぼやけていってしまうことに焦り、思い出すよすがが欲しいと手当たり次第に検索した通信販売のサイトで、奇妙なカブ人間のマスコットを見つけたのだ。
ぽっかり空いた目と口の穴は茫洋としていて、決して可愛らしいと呼べる代物ではなかったが、あのカブ頭だって見た目は確かそんなものだった。
そこで、その奇妙なマスコットをカブの代わりに常に側に置くようにしたところ、喪失感は薄れ、どうにもヤツに見張られているような気持ちになってきたのだ。

マッチョ好きな誰かさんに見られていると思うと、だらけた生活はできない。カブがあんなに一緒にいたいと切望してくれた自分自身を、疎かにすることはできなくなった。しっかり鍛えると約束もしたことだし、筋トレにも気合いが入るというものだ。

実際のところ、カブが天国にいってしまったのか、透明になっただけなのかは、橋爪にはわからない。
とても、会いたいと思う。もう二度と会えないかもしれないと考える時には、やはりどうしても胃の辺りがきゅっとなる。
だが、橋爪は透明なカブの視線を意識することで、以前よりも毎日を丁寧に暮らせるようになっていったのだ。

そして、乗客との時間を大切に思えるようになったのも、やはりカブを想えばこその変化だった。
何にも興味がなく飄々としていたカブが、好きなものに目覚め、そして泣きじゃくるほど生に執着するようになった。
その全てが、このタクシーの中で起こったのだ。カブの話を聞き、望みを叶えようと橋爪が努力しなければ、あの鮮やかな変化を目にし、愛しいと感じる心が生まれることもなかった。
多少臭い言い方にはなってしまうが、乗客とまごころで接することの大切さを教えてくれたのは、間違いなくあのシュールなお化けなのだ。


「そういや、運転手さんって何かスポーツしてんの? 前会った時もマッチョだなと思ったんだけど、更にムキムキになった気がする」
体調不良はどこかにいってしまったらしい乗客が、素直な感嘆の視線を向けてくれて大層気分がいい。
橋爪は、ハンドルを掴んだままさり気なく腕に力を込めて筋肉を浮き出させた。
ぶら下がっているカブ人間のマスコットが、まるで「おぉぉぉ……」と興奮した声を漏らすかのようにかすかに揺れる。

橋爪はバックミラー越しに若い男と視線を合わせ、自信をもって答えた。
「今も昔も、特にスポーツはしていません。お客様のどんなご要望にも応えられるように体を鍛えるのは、タクシー運転手の嗜みですから」



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