一夜の恋は千夜を超える 〜敏腕社長は逃げてばかりなカフェ店員を離さない〜

夜見星来

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第一章

03.ゆきずりの恋未遂

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「……なるほど、それは向こうが悪いと思います。まず、浮気する時点でどうかと思いますが」
「でずよ゛ね゛!」

 ずずっと鼻を啜りながら、目元をハンカチで押さえる。
 とっくの昔に彼から手渡されたハンカチは涙を吸って本来の役割を終えていた。それだけ泣いたというのに、御堂さんは私の傍でいまも相槌を打ってくれている。
 彼とは初対面ではないけれど、決して深い仲ではない。普通、ここまで泣かれたら迷惑に思うはずなのに、それでも御堂さんは嫌な顔ひとつしなかった。

「私だって、わかってたんですよ! 浮気されてる、って……。でも認めたくない気持ちもあって、それで……」

 ダメだ、また泣きスイッチが入る。
 ひくっ、と喉を引き攣らせて涙を呑んだら、御堂さんがどうぞと言って目の前にグラスを差し出してくれた。

「ん……おいしいです……。でも、できればお水じゃなくて、お酒がいいです……」
「お酒はやめておきましょう。これ以上は立てなくなりますから」
「うぅ……」

 否定されたことすら悲しくて、冷たい水で喉を潤しながらぽろぽろと涙を流す。
 御堂さんは困ったように私の顔を見つめると、「失礼します」と断ってから私の目尻に手を伸ばした。

「っ……!?」
「すみません。泣きやまないから、つい」

 驚きすぎて、一瞬涙が止まってしまった。だけどすぐに彼の優しさが目に染みる。
 壊れた蛇口みたいに流れ続ける涙に、御堂さんはまたしても指で涙をはらってくれた。

「俺だったら……こんなふうにあなたを悲しませたりはしないのに」

 涙を拭っていた指が意思を持って頬の上を滑る。

 無遠慮に頬を撫でられているにもかかわらず、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ安心感すらある。

 だからこそ見返りのない優しさが怖かった。どうしてここまで優しくしてくれるのだろうか、という疑問が拭えない。

「どうして……。どうして御堂さんは、そんなに優しくしてくれるんですか……」

 ただの店員と客なのだ。ここまで親切にしてもらう義理はない。
 だというのに、御堂さんは私の頬から手を離さなかった。

「俺にとっては、あなたとカフェで話す時間が何よりの癒やしになっているんです。あなたと話しているときだけは、仕事の重圧も立場も、何もかもを忘れて一息つけた。そんなあなたが目の前で泣いていたら放っておけません」
「…………」
「言っておきますけど、花守さんが思っている以上に癒しになっていますからね。あなたの描くイラストにも癒やされていた……って言ったら、笑われるかもしれないですが」

 珍しく御堂さんが照れた様子で目元を和らげる。

 即興で描いたイラストやメッセージを、ここまで楽しみにしてくれているとは思わなかった。
 飲み終えたら捨ててしまうカップだ。一瞬でも誰かの記憶に残ればいいと思って描いていたけれど、ここまで想われていたなんて。
 御堂さんから、私の絵を見るたびに頑張れた、と言ってもらえて嬉しくなった。

「あはは……。そこまで褒められると、ちょっと恥ずかしい……かもです」

 さんざん泣き顔を晒した後だというのに、彼に褒められるとまた違ったベクトルで気恥ずかしい。
 急に頬が熱くなって俯いたら、可愛い、と御堂さんに頬を撫でられた。

「か、かわ……!? 変なこと言わないでください……!」
「変なこと? 可愛いと言ったのは、本当のことですが」
「え、」

 驚きすぎて、間抜けな声が出る。
 御堂さんは私の顔をじっと見つめると、今度は「綺麗だと思います」と口にした。

「綺麗は……さすがに言い過ぎだと思いますけど…………」
「そうですか? だとするなら、俺が花守さんのことを気になっているからですかね」

 さらりと吐き出された言葉に、心臓が大きく脈打つ。

 もしかしなくても、これって――

「あの……いま、私、御堂さんに口説かれてます……?」

 ――なーんて、違いますよね。

 さすがに誇大妄想がすぎる。
 あはは、と笑い飛ばしたら、御堂さんにぎゅっと手を握られた。

「そうですね。口説いてますよ」
「えっ」
「俺は花守さんが好きです」

 元々肩が触れ合うほど近い距離にいたのに、さらに距離を縮められて背中がしなる。

 改めて御堂さんの表情を見たら、嘘をついているようには見えなかった。
 店でタブレットを見つめるときと同じ真剣な目だ。仕事中の御堂さんは、ときどき鋭い目をしている。

 いつの間にか両手まで握り込まれていることに気付き、慌てて手を振り払った。

「わ、私、もう、帰ります……!」
「花守さん、急に立ったら……」
「わっ!」

 ふらっと意識が遠のいて足がもつれる。
 壁にぶつかる! と身構えたけれど、倒れる前に彼の逞しい腕で抱きかかえられていた。

「送っていきますよ」
「いえ、大丈夫……なので」
「タクシー呼びますから」

 一度、スツールに座らせられ、酔い冷ましだと言わんばかりに水を飲まされる。
 その間、彼はスマホを操作すると、タクシーを呼び、バーの支払いまで済ませてくれていた。

「本当に、何から何まですみません……」
「いえ、お気になさらず。立てますか?」
「はい……」

 立ち上がるまで自覚していなかったけれど、かなり頭がぐらぐらする。
 タクシーを呼んでもらっている間、そこそこ酔いがさめたと思っていたけれど、むしろ悪化していた。

「足元、気を付けて」
「ありがとうございます」

 彼に支えられながらなんとかタクシーに乗り込み、冷たい窓に頬をぺたりとくっつける。
 実際はシートに転がり込んだと言ったほうが正しく、姿勢を保っていられなかった。

「花守さん、家は何処ですか?」
「んー……家は………」

 脳内の記憶を探って、なんとか住所を告げる。

 そのままゆっくりとタクシーが動き出したのも束の間、車内の揺れに耐えきれず、一度タクシーを停めてもらった。

「う゛ぅ……」
「大丈夫ですか?」
「ん、う゛……」

 気持ち悪い。吐きそうだ。
 だけど、これ以上、彼を巻き込むのはよくない。
 ハザードをつけたままタクシーを路駐させるのもよくないと判断した私は、背中を撫でてくれる彼の体を引き離した。

「も、もう、大丈夫です……。少し、ここで休みます……」
「そうは言っても、こんなところにあなたを置いて帰れません。もう少しだけ、頑張れますか?」
「……たぶん、……なんとか」

 こくこくと首を振り、差し出された彼の腕に捕まる。
 そうして再びタクシーに乗るも、五分もしないうちにタクシーを降ろされた。

「花守さん、俺に寄りかかって。体、預けていいので」
「はい……。すみません……」

 彼に腰を支えられながら、見知らぬエントランスをくぐっていく。

 建物中はシンプルな作りをしていた。大きなタッチパネルとカーテンで仕切られた小さな受付がある。

 ――御堂さんのマンション……かな?

 それにしては、あまり馴染みのない作りだ。いろいろ探索してみたいけれど、背骨を抜かれたみたいに体がぐにゃぐにゃで力が入らない。
 私に寄りかかられて重いだろうに、御堂さんは文句も言わずに私の体を支えてくれた。

「エレベーター、乗れますか?」
「たぶん……」

 なにやら受付を済ませたのか、彼に促されるままエレベーターに乗り、長い廊下を歩いていく。

 廊下にはいくつもの扉が並んでいた。
 そのうちのひとつで止まり、御堂さんがドアノブにカードキーをかざす。ピッと電子音が鳴って、扉が開いた。

 ――ここが御堂さんの家……?

 彼の家にしては必要な家具があまり揃っていない。案外、シンプルな生活を好む人なのかも、なんて思いながら、私は部屋に入るなりパンプスを脱ぎ捨てた。

「花守さん。コートが皺になってしまうので預かります」
「はい……」

 彼にされるがまま、コートの袖から腕を抜く。
 とっくの昔に鞄は彼が預かってくれていたようで、私はふらふらとベッドに近づくと、そのまま上に転がった。

「ふふ、気持ちー……」

 自分の家にあるベッドよりもマットレスがふかふかしていて気持ちいい。
 近くにあった大きな枕を引き寄せると、首の後ろに敷いた。

「服のままだと、寝づらくないですか?」
「たしかに、ちょっと寝づらい……かも…………」

 パジャマになれるなら、そのほうがいい。
 破けてしまったストッキングを足から引き抜くと、プチプチとブラウスのボタンを外した。

「ちょ、待ってください! 花守さん!」
「んー……」

 ブラウスを脱ぎ捨て、スカートもベッドの下に放り投げる。

 これで肌に纏わりつくものがなくてスッキリした。だけど、唯一残っているブラジャーが邪魔でもある。
 ごろん、とうつ伏せになって背中側にあるホックに手を回したら、花守さん! と焦った様子の彼が飛んできた。

「これ以上は、ダメです」
「はぁ……」

 御堂さんに肩を掴まれ、ころんと仰向けに転がされる。なぜか必死な様子の彼に、私は手を伸ばした。

「御堂さんも、はやく寝たほうがいいですよ……」
「花守さん……」
「おやすみなさい……」

 彼が何かを言っているけれど、フッと意識が遠のいていく。

 私は温かくて、ちょっとだけお喋りな抱き枕を引き寄せると、ぎゅうっと抱き締めて眠った。


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