一夜の恋は千夜を超える 〜敏腕社長は逃げてばかりなカフェ店員を離さない〜

夜見星来

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第三章

15.唐突な終わり

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 黒いスーツに身を包んだ妙齢の男性に声をかけられるも、驚きすぎて逆に悲鳴は出なかった。ほんの僅かに空気を呑んだだけで、それよりも目の前に立つ男性の方に視線が釘付けになってしまう。
 白髪交じりの髪はきっちりとワックスで固められていた。所作に無駄な動きがなく、隙がない。上背は明さんと同じくらいだろうか。年齢にしては肉付きも控えめで、黒々とした瞳にはどこか冷たい印象を受ける。
 目の前の男性は私を見定めるように視線を上下に動かすと、もう一度「君は誰だ」と呟いた。

「えっと、花守と申します……」

 普通に考えて不法侵入しているのは男性の方だ。むしろ私が男性に対して誰なのかを問うべきところだろう。
 圧に負けて素直に名前を答えてしまったけれど、本来目の前にいる人は此処にいてはいけない人だ。
 私は姿勢をピンと伸ばすと、今度は「あなたこそどちら様ですか?」と尋ねた。

「私は、御堂歩みどうあゆむです」
「み、どう……」
「御堂明の父です」

 そう言われて、ひゅっと息を呑む。

 ――この人が明さんのお義父様……?

 確かに、よく見るとどことなく彼と雰囲気が似ている。途端に、自分の行動を振り返っておろおろと視線を彷徨わせた。

「すみません……! そうとは知らず……。私、明さんとお付き合いさせていただいている花守楓奈と申します。明さんは、現在出張に行っていまして……」
「あぁ、それで居なかったのか。またフラフラと何処かへ行ったのかと思ったよ。相変わらず、連絡も一切つかないし……。だからマンションの管理人に身内だと証明して、無理を言って入れてもらったんだ」
「そう、でしたか……」

 立ち話もなんだから、とお義父様が私をリビングに入れてくれる。
 これではどちらが客人かわからない。すっかり、お義父様のペースだ。
 私はひとまずスーパーで買ったものを冷蔵庫に詰めると、ソファーに腰掛けたお義父様に、今日職場で買ったばかりの豆を使ってコーヒーを淹れた。

「どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう」

 私はというとソファーには座らず、またコーヒーを飲むこともせず、ただお義父様の様子を窺う。
 こんなところで、しかも明さん不在の状態で身内に顔を合わせることになるとは思わなかったから、緊張と困惑で早くも頭がどうにかなりそうだった。

「ソファーに座ってください。このままだと、私があなたを床に座らせている気分になるので」
「すみません……! では、失礼します……」

 かなり距離を空けてソファーの端っこに座る。
 お義父様はコーヒーカップをテーブルに戻すと、私に体を向けた。

「まずは急に来てすまなかったね」
「とんでもないです。明さんのお義父様とは知らず……。こちらこそ無礼な態度をとってしまい、申し訳ございませんでした」

 丁寧な言葉遣いと正しい姿勢を意識しながら深々と頭を下げる。
 お義父様からどうか頭を上げてと言われ、私はそっと顔を上げた。

「それで、楓奈さん……と言ったかな? さっき明と交際していると言っていたけれど……本当なのだろうか」
「はい、本当です……」
「……そうか。なるほど」

 神妙に頷いたお義父様の眼から光が消える。急に空気がピリついた。顔を合わせたときから柔和な雰囲気ではなかったけれど、さすがにここまでではなかったのに。
 今は敵対心をあらわにしたかのような、鋭い視線を向けられている。何かのジャッジをされている、はたまた値踏みされている、と表現すればいいだろうか。とにかく、お義父様の中ある物差しで私という存在を推し量った末に、何らかの強い拒絶を示すような視線を向けられた。

「明は御堂グループの末息子でね。今はひとりで会社を立ち上げて好き勝手やっているようだが……いずれは家業を継ぐ未来が決まっている。さらに言えば、将来の伴侶ももう決まっているんだ」
「…………っ」
「そのことは、ちゃんと聞かされているだろうか?」

 背筋が凍るほどの威圧感に、私は言葉をなくす。ちゃんと答えたいのに喉が震えて、無意味に口をパクパクと開いただけだった。

「もし、聞いているのだとしたら、なぜ君はまだ此処にいる?」
「……」

 そんなふうに言われてしまっては、私の存在を認めないと言っているようなものだ。
 お義父様はなおも私から目を離さなかった。鋭い眼圧で責め立てるように私を見つめた。

「……いま知ったのであっても、君がとるべき行動はひとつだ。その意味が、わかるかね?」
「は、い……」

 頷きたくなかった。頷くということは、彼を諦めるのと同義だからだ。

 いつまでも彼の傍にいたかった。だけど、雪凪さんと出会った瞬間からこうなる未来も想像できていた。たとえ彼が私を選んだとしても、彼の周りは私を許さないだろうと。

「すぐに部屋から出ていく準備をしますので……」
「今夜とは言わないよ。まぁ、わかってくれたらいいんだ。君のその、明のことを考えてくれた選択に感謝するよ。……それじゃあ、私はそろそろお暇する。明もいないことだし」

 最後にコーヒーをすべて飲み干し、お義父様がソファーから立ち上がる。
 私は玄関まで見送ると、扉が閉まるまで深々と頭を下げた。ぱたんと扉がしまって、耳が痛くなるほどの静寂が落ちる。

「……うっ、く……」

 頭を下げたまま、なかなか顔を上げられなかった。ぽたぽたと涙が落ちて、足元を濡らす。

 こんな形で彼と終わりにしたくなかった。何があっても傍にいたかった。
 どんなことがあっても彼の傍にいると、言い切りたかった。

「ごめんなさい、明さん……」

 彼と向き合ったら、余計に離れがたくなる。みっともなく縋ってしまう。彼に縋ったところで、どうにもならないのに。罪悪感しか植え付けないのに。

 情けなく気持ちを晒すぐらいなら、彼には何も知らせないまま身を引いたほうがいい。このまま、逃げてしまったほうが――。



 私は乱暴に手の甲で涙を拭うと、リビングに戻って自分の私物を急いでまとめた。
 元々、自分の物はこの部屋にほとんど持ち込んでいない。最低限、生活に必要なものだけしか持ってきていなかったから、荷物もそれほど多くはならなかった。

 だから、今夜なんとかこの荷物を自分のアパートまで持ち帰り、彼から渡されているカードキーを返せば終わりだ。

 あとは、今の部屋を引き払って、仕事も変えて……。

 そこまでを彼が戻ってくる一週間でできるとは思えないけれど、仕事は裏方の業務に入り続ければ、なんとか彼を回避できるだろう。朝のシフトに入り続ければ帰宅時間も重ならないし、顔も合わせずに済む。
 彼には自宅の場所も知られているけれど、それだって暫く家に戻らなければいい話。友だちはそんなに多くはないけれど、うまく事情を離せば少しの間なら置いてくれるだろう。
 あとは次の職場と引っ越し先が決まるまでホテルやネカフェを転々とすればなんとかやり過ごせる。
 幸いにして、お金の問題もクリアしていた。彼の部屋で暮らすようになって、生活費のほとんどを彼が負担してくれていたから。

 いつもはなんでもかんでも面倒に思ってしまうくせに、こんなときだけは頭が回った。
 冷静になっている自分がいた。

 財布の中から薄っぺらいカードキーを取り出し、ダイニングテーブルの端におく。
 メッセージも残さず、ただカードキーだけを置いた。手紙を綴っていたら、それこそ決心が鈍りそうだから。きっと、離れたくない気持ちが溢れてしまうだろうから。

 此処に自分がいたのだという痕跡をすべて消して、彼の部屋を出る。
 私は一度も振り返ることなく、真っ暗な夜道をひとりで歩いた。


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