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1巻
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けれどそんなレティシアが新たに生み出した魔法にも、もともとこの世界にある魔法にも、しっかりした制約があるのだった。生み出した本人が設けたわけでもないのに、どの魔法にも制約が存在する。それはもうこの世界の神の采配なのかもしれない。
ということで転移魔法にも制約がある。その制約とは、『行ったことのない場所へは転移できない』というもの。
レティシアとしては、それは制約というより転移先のイメージが鮮明に描けないからなのでは、という気がしているのだが、検証していないのでわからない。もしかすると魔道具で撮影した場所の映像を見るだけで転移することもできるかもしれないが、今のところ撮影ができる魔道具などレティシアしか持っていないので、実際に試すことは難しい。
転移先の地を本人が踏むことが転移魔法の条件だったとしたら、やはり無理だろう。
というわけでいきなり隣国へ……とはいかないため、レティシアはまず、王都から馬車で半日ほどの街近くにある森へ転移した。
ここは、幼い頃に家族で旅行に来た場所であった。
初めて転移魔法を試そうとした時、ふと思い出したのがこの森だった。記憶をもとに転移を試み、無事に成功することができた。以来、転移魔法を大いに活用するようになったのである。
魔道具の取引をするのにも王都では目立つかもしれないと思い、この森近くの街を主に利用している。
森に到着したレティシアは、右手に隠蔽魔法、左手にはインベントリの魔法を込めた魔法石を握った。両手に魔法石状態である。
隠蔽魔法で見た目をヨボヨボの老婆に変化させ、インベントリから取り出した真っ黒なローブに着替える。
変装はもう何度もしているが、この姿になるのはいまだに違和感が拭えない。まるで御伽噺に出てくる意地悪な魔女のような姿だ。
レティシアは正体を隠すためと、若い女では取引相手に舐められるだろうと考えたため、外ではこの邪悪な魔女の姿で活動をしている。この姿は凄腕の魔道具師として違和感がないらしく、ちょっと変わった魔道具を売る時も、商会の人間は「この方ならそういうものも作れるのだろう」と思ってくれるらしく、詮索されることなくスムーズに取引ができていた。
(これまで疑われたことはないけど、私が知らないだけで隠蔽魔法を看破する魔法もあったりするのかしら? 念には念を入れたほうがいいわよね)
顔が見えないように、レティシアはフードを深くかぶった。
隣国、ステーフマンス王国へ行くのは国境近くの街まで馬車を乗り継いでいく計画だ。人目に触れることは避けられないが、なるべく顔を見られることのないようにしたほうがいいだろう。
迷いのない足取りで、レティシアは街の方角へ足を進めた。
歩きはじめて五分もしないうちに、前方からものすごい勢いで誰かが駆けてくるのが見えた。
「ばあばぁぁーーーー!!」
叫びながら全速力で走ってきた彼は、勢いに任せてレティシアに飛びついた。
レティシアは倒れないよう足に力を入れて、飛び込んできた小柄な体をしっかりと受け止める。
「レナトかい……」
この世界では珍しいらしい黒髪を優しい手つきで撫でながら、子供の名を呟いた。
彼はレティシアが屋敷を抜け出し魔道具の取引をしはじめた頃、なりゆきで助けた少年だった。それ以来レティシアを『ばぁば』と呼んで慕ってくれている。
(ばぁばと呼べと言ったのは私だし、今の姿は間違いなくお婆ちゃんだけどさぁ……女性としてなんだか複雑な気持ちになるのよね……)
そんな胸中も知らず、もう二度と離さないとばかりに強い力でレティシアにしがみつく幼い子供。
(小さくて細い指だけど、食い込むくらい強く握られると地味に痛いぞ……)
レティシアの胸にぐりぐりと頭を擦りつけ「ばぁば、ばぁば、ばぁば……」とグスグス鼻を鳴らしている。
「どうしたんだい?」
レティシアは優しく声をかけ、その小さな背を宥めるようにそっと撫でた。
「ぼ、ぼくも……つ、連れてって!! ぼく、ばぁばと一緒にいたい!! ずっとずっと一緒にいたい!! 一人にしないで……っ」
小さな肩を激しく震わせながら、つっかえつっかえに話すレナト。
その姿に、胸が痛くなる。
(――連れてって、と言われてもねぇ……)
いつ帰ってこられるかわからない隣国逃亡なのである。
年単位の話になってもおかしくないのだ。帰るつもりはあるが、状況次第ではそれが叶わない可能性もある。王家を相手にした逃走劇だ。もしもレティシアの行動が悪質と見なされて国外追放にでもされれば、二度と戻ることはできない。
その覚悟を決めて準備をしている頃に出会ったのがレナトだった。一度手を差し伸べてしまったとはいえ、いずれこの国を出る身。
いつまでも世話をすることはできないと、独りぼっちの彼を引き取ってくれる孤児院を探し、連れていった。
隣国へ連れていくつもりはなかったのだ。
それなのに、離すもんかとしがみつかれ、レティシアは情けない表情でレナトを見下ろした。
この世の終わりだとでも言うような悲しみに満ちた啜り泣きが、静かな森に響いている。
(この子が巣立っていくまで、しっかり面倒を見るべきなのかな……)
幸いレティシアには魔道具での稼ぎがある。子供一人面倒を見るのに金銭面での問題はない。
(でも……王家が失踪した私を捜し出そうとする可能性は、まだ否定できない。大丈夫だと確信できるまでは、一つの場所にずっといることはできないし……)
行くあてもなく、いつまで続くかもわからない放浪生活。
(一人だけでずっと旅をしていくつもりだった。でも……)
迷いは一瞬だった。
(この子を一緒に連れていく。うん、そうしよう)
この国では、黒髪は忌み子とされている。
だが隣国では数こそ多くないが、この国のように忌み子という認識はないという。連れていったとしても、迫害を受けることはないだろう。
国が違えば環境も文化も違うものだ。
この国で黒髪が忌み子と呼ばれ嫌われる理由は、あまりにもくだらない。
過去に黒髪の子が膨大な魔力を暴走させ、人々を恐怖に陥れた。大きな村がいくつか滅び、何人もの死者が出たとか疫病が蔓延して人間の住めない魔の地が生まれたとか。
真偽のほどはわからないが、そんなあやふやな伝説のせいで、ただ髪が黒いというだけの人間が迫害されているのだ。
忌み子は人間ではない。魔に魅入られた得体の知れない生き物。
そうやってずっと黒髪は禁忌の存在として扱われている。
(この国から出ていくのは、この子にとってもいいことなのかもしれないわ。忌み子として扱われるような国に置いていくより、隣国で健やかに暮らして、やがて一人で立派に生きていけるように、私がその日までそばにいよう)
「連れてってあげるかねぇ。ここまで来てしまったものは仕方がない」
レナトが涙でぐちゃぐちゃの顔でレティシアを見上げる。
「いいの……?」
そのまま消えてしまいそうな、小さな声だった。
「駄目だと言っても、ついてくる気だったんじゃないのかい?」
「うん。絶対離れない離れたくないって思って……」
「なら連れてくしかないね。行先はステーフマンス王国だよ。ここからうんと離れた場所だ。それでもいいかい?」
「ばぁばとならどこだっていいよ!」
「じゃあ決まりだ」
「っ!! やったーーーー!!」
溢れる喜びを爆発させて、小さな男の子がレティシアの周囲をぴょんぴょん跳ね回る。
その無邪気な様子に、レティシアは思わず笑顔になった。
(すごく可愛いのだけれど、十五で子持ちか……いや孫持ち?)
と、内心では乙女心としては複雑な気持ちなのだった。
◇◆◇
レナトと出会ったのは、本当に偶然だった。
その日もレティシアは老婆の姿で商会の取引相手と会っていた。なかなかの売上金額を受け取り、気分は上々。
早々に取引が終わったので、時間に余裕があった。だから、いつもなら思いつかなかった行動に出ることにした。露店商でもしてみようかと。
いつもは商会にしか卸していない魔道具を誰でも目にすることができる場で売り出したらどうなるんだろうと、好奇心が湧いたのだ。
幸いにして商会とは専売の契約を結んでるわけではないので、誰に文句を言われる筋合いもない。
ほかにもちらほらと露店商がいる場所の一角に座り、敷物の上に魔道具をいくつか並べる。
この場所は特に届け出などなくとも商売ができる区画で、違法なものでさえなければ誰がなにを売り出すのも自由だ。
その代わり、この区画以外で許可を得ず商売をするのは禁止されている。
レティシアが商会に卸している魔道具は、平民でも手に入れやすい価格設定にしてもらっているため、売り出すそばから即完売だったりするらしい。
おまけにレティシアの魔道具は少ない魔力で起動させることができる。平民は貴族に比べて魔力量の多い人が少ないので、魔力をあまり必要としない魔道具は非常に需要が高く、レティシアが卸した商品はいまや平民たちに大人気なのだという。
「これ、あの品薄で手に入りづらい有名な魔道具じゃない!?」
並んだ魔道具を見た女性が、大きな声を上げる。
その途端、すごい勢いで人が集まってきた。
「もうないの!? いつまたお店を出すの!?」
「またいいものができたら売りに来るからねえ」
あっという間に完売してしまった店先で買い逃した人たちに詰め寄られつつ、レティシアはのらりくらりとお婆ちゃん口調で返しながら商売を終えた。
商会から支払われた売り上げと露店商で得た分は、かなりの金額になった。
目標額にはまだ遠いが、想定していたよりもだいぶ余裕があるので今日はほかの店を物色するのもいいなと思いながら、レティシアはぶらぶらと歩く。
ひとまずこの区画は出て商店街のほうへ移動しようと歩き出して、しばらく経った時だった。
老婆にしては軽い足取りで大通りを闊歩する。その大通りを一本外れた細い路地の前で、レティシアは足を止めた。
路地の先には朽ちかけた建物が見え、いかにも立ち入ってはいけない雰囲気だった。
そこから、呻き声のような声が聞こえた気がしたのだ。
(治安の悪そうな裏路地で呻き声……、トラブルの予感しかないわ)
昼すぎだというのに真っ暗な路地は、入っていくのに大変な勇気が必要である。そんな場所から聴こえた呻き声――
(人を呼ぶ? でも、こんな見るからに危なそうな雰囲気で助けてくれるだろうか……)
貴族の世界はいわゆるノブレス・オブリージュの精神で見返りなく人を助けることが美徳とされているけれど、この街に住むのはほとんどが平民だ。その暮らしは誰かに情けをかけられるほど余裕があるとは言えない。
人は余裕があるから誰かを思いやれるのだ。一人ひとりは善良でも、自分の生活を支えるだけで精一杯ではほかに目を向ける余裕などない。
今、レティシアはこの国を出ようと決意してその準備をしている最中。
面倒事に首を突っ込んでいる場合ではないはずだ。
必ず隣国に逃げて、自分の人生を取り戻す。
だから、今苦しんでいるどこかの誰かには悪いが、レティシアに人助けをする余裕はない。
そう非情な決断を下し、その場を立ち去る。
そう。立ち去ったはずだった。
けれど、気づけばレティシアの足は裏路地へ向かっていた。
(――見るだけよ。こっそり見るだけ!!)
ただ様子を見るだけ。もしも命に関わるような大怪我をしていて、そのまま助からなかったとしたら……と思うと、気づいてしまった以上、寝覚めが悪い。
結局のところ、レティシアは骨の髄までお人好しなのである。
特に前世の記憶が戻ってからはその傾向が加速していた。そんなお節介気質のせいで前世でもトラブルに巻き込まれたことが多々あったというのに、まったく懲りていない。
(やらぬ後悔よりもやる後悔、なんて言うものだし……これはあくまで、自分の心を守るための行動。自衛みたいなものなのよ)
断続的に聞こえる呻き声を目印に、ずんずんと歩を進める。
陽の光の届かぬ薄暗い路地の突き当たりに、呻き声の主はいた。
行き止まりになった壁を背に、汚く黒ずんだ地面にぐったりと力なく伏せていた。
うずくまる体はとても小さい。
痩せ細った手足に小さな頭――年端も行かぬ子供だった。
見たところ六歳くらいか。前世の世界なら幼稚園か小学校に入学したてくらいの幼さだ。
「だ、だいじょうぶ……!?」
レティシアは慌てて子供のそばへ駆け寄った。
ただ見るだけ、確認するだけという考えは相手が子供だと認識した途端に頭から消えていた。
駆け寄ってすぐに気づいた。子供の全身が血だらけだと。
(この黒ずんだ地面の汚れは、この子の血の……? なんてこと……!!)
レティシアの思考は真っ白になった。
呼吸がハッハッと浅くなり、その音で自分がパニックに陥っていると気づいた。
(今、こんな時に動揺している場合じゃないのに!!)
この瞬間にも、目の前で命が消えようとしているのだ!!
(私は落ち着いてるし、冷静に対処できる。私はできる子、できる子!)
念仏のように自分に言い聞かせ、まずはインベントリからライトの魔法石を取り出して、子供の状態がよく見えるように照らす。光の魔法で周囲を明るく照らすことのできる魔法が込められた魔法石だ。
ライトの角度を変えながら、うずくまった姿を確認していく。
(うう……背中だけでもすごい状態……)
冷静になれ冷静になれと思いながら、次に空っぽの魔法石を取り出した。
混乱して乱れがちになる魔力を、深呼吸して整える。
手に持った石に、頭の中で描いたイメージを損なわないよう慎重に魔力を流していく。
イメージするのは治癒魔法。それも、体の怪我も不調もなにもかも全回復できるような強力なものを強く想像する。
手に握り締めた魔法石が次第に熱を持ち、淡い光を放った。これで治癒魔法を込めた魔法石のできあがりだ。
魔法石を握り締めたまま、小さな背にそっと触れる。
すると真っ白な光がレティシアの手から指先から溢れて、子供の体の中へ入っていく。
やがて子供の体全体を白い光が包み込み、みるみるうちに傷が塞がっていった。
(――治癒魔法。使うのは二度目だけど、何度見てもすごい……)
目の前の生々しい傷口が、映像を巻き戻すかのように綺麗に塞がっていく。
それは、神の御業にすら感じる。
魔法を使った治療行為を、平民が目にすることはほぼない。その恩恵を得られるのは、王族や貴族たちのような、豊かな財力や権力を持つ特権階級に限られていた。
レティシアが魔法で人を癒やしたのも、その魔法の効果を目の当たりにしたのもこれまでにただ一度だけだった。
「娘の命を助けてくれ」と商会の取引相手に必死に頼み込まれ、悩んだ末に請け負った。
治癒魔法を込めた魔法石を作り、効果を見届けるために老婆の姿で治療に同席した。
神の御業をそこで見た。
娘に使用された治癒魔法の効果は、まさしく規格外だった。
馬車の事故に巻き込まれ、足を失い命の灯火すらも消えかけたその娘は、レティシアの治癒魔法が込められた魔法石によって、文字通り五体満足の体にまで全快したのだ。
この世界で治療に使われるのは、『回復魔法』と呼ばれる魔法だ。回復魔法を魔法石に込められる人間は少なく、魔法石の個数がとても少ない。貴族でさえもおいそれとは使えず大切に保管しているため、出回ること自体がほとんどないのだ。
そんな回復魔法ですら、すべての傷が完璧に治るとは限らない。傷の程度によっては傷跡が残ることもあるし、完全に切断されていれば、繋げることも新たに生やすこともできないのだ。それが回復魔法という魔法の制約だった。
これまで回復魔法を目にしたことのなかったレティシア自身は自分の魔法の異常性に気づいていなかったが、取引相手の家族はすぐにそのことに気づき、レティシアとの縁を守るために厳重に口を閉ざした。
レティシアの『治癒魔法』はこの世界で使用される『回復魔法』とはまったく異なる新しい魔法、まさしく別次元のものなのだ。
「う、うぅ……っ」
目の前の幼子の苦しそうな声が耳に届き、意識をそちらに集中する。
服はボロボロで、背中が剥き出しになっている。小さな擦り傷や大きな切り傷、火傷を負ったのか、引き攣れて溶けたように変色した皮膚。蛇が這ったような太く腫れた痕……そんな痛々しい傷のすべてが、綺麗になくなっていく。
レティシアの魔法により、悲惨な状態だった子供の体はすべて滑らかな肌になっていた。
治癒魔法によって痛みから解放されたためか、断続的に漏れていた子供の呻き声が止まった。
意識ないのは心配だが、安心して眠ったのだろう。
(困ったな……)
傷が癒えたとしても、こんな物騒な場所に意識のない子供を放置して立ち去ることもできず、レティシアは途方に暮れた。
仕方がなく、すやすやと眠る幼子の全身を見下ろすと、レティシアは恐ろしい事実に気がついた。
(……っ! 誰がこんなひどいことを!?)
細い首に、赤い色の首輪が巻きついていた。
愕然としながらも、うずくまる小さな体をそっと仰向けにさせる。
子供の両手首には手枷、両足首に足枷が装着されていた。枷には千切れた鎖が垂れ下がっている。
恐怖と怒りが込み上げた。
捨てられたのか、どうにか逃げ出したのかわからないが、どこかで身動きもとれないように拘束され、監禁されていたのだろう。
(この幼い子が、どうしてこんな酷い目に……)
周囲を見回して、子供の身元がわかるものがあるか探したが、あるわけもなかった。
身元不明のこの子を屋敷に連れて帰るわけにはいかない。そもそもこうして屋敷を抜け出して街で魔道具の取引をしていること自体、誰にも秘密なのだ。今、目立つのはなにより避けたいこと。
(これは本気で困ったなぁ……)
幼い子供に首輪や枷をつけて監禁するような異常者から逃げ出してここにいるのだとしたら、こんな物騒なところには絶対置いていけない。
(目覚めたら、お金を渡して立ち去る……っていうだけじゃ、やっぱり無責任だよね。それなら孤児院とかに連れていくとか……?)
監禁した犯人がこの子を探し回って見つけ出さないとも限らない。
孤児院に預けたとして、この子を絶対に相手に差し出さないとも言い切れない。
(こんなひどいことをしたのが、実の親っていう可能性もあるわよね……)
孤児院は親を亡くした子供が保護される場所だ。親がいるとわかれば、どんなに問題を抱えていたとしても孤児院は子供を親に返してしまう。
「乗りかかった船だけど、八方塞がりだわ……」
レティシアは暗澹たる気分で独りごちた。
いつ目覚めるのかもわからないが、ずっとこの場に留まり続けるわけにもいかない。
とりあえず、もともといろいろ買い出しに行く予定だったのだから、ついでにこの子の保護に必要な道具を買おうと決めた。ほかに頼れる人がいない以上、一時でも安全に過ごせる場所を作ってあげたい。
けれど意識のない子供を置いて離れるには、この場所は物騒すぎる。なにか使える魔法がないかとレティシアは考える。
(身を守るなら……やっぱり結界魔法かしら)
空の魔法石を手に持ち、どんな危険からでも守ってくれそうな結界魔法をイメージする。
(強い結界にするなら、どんなものがいいだろう。安定した形……三角形がいいかな? そうしたら、強力なレーザーが三角のピラミッド型に照射してる感じで……)
魔法石は、魔力を流すことで発動する。基本的には発動させる時に流した魔力の純度や量で効果の持続時間が決まるし、ものによっては一度きりしか発動できないものもある。
結界魔法にもいくつか種類があるが、一定のダメージを受けると壊されてしまうものがほとんどだ。結界魔法で守るにしても、あまり長い間離れるのは不安だ。
攻撃されるたびに修復されるような結界は作れないだろうか。
それならばかなりの時間を守護してくれる結界魔法になりそうだ。
(常時修復される結界ということは、常に魔力を流し込む必要があるわよね……。その場に私がいなくても魔力の補充ができるような、魔道具を作れないかしら)
ローブの内ポケットの一つから魔水晶を取り出す。
(魔力を貯めておけるものといえば……)
前世で使われていたエネルギーは電力。こちらではその代わりに魔力が使われている。
けれど、役割としては同じだ。力を貯めておける道具……
レティシアの手の中で魔水晶が熱くなり、形が変化していく。
「できた!」
そっと手を開き、できあがった魔道具を見た。
できあがったのは、小さく細長い六角形の石のようなもの。金色で、ラメが混じっているようにキラキラ輝いている。
これは、前世で言うところの電池だ。
(んー……、電力と魔力の違いなのかイメージした電池とは少し見た目が違うけど、まぁいいよね! この魔道具は魔電池と名づけよう)
レティシアは問題なく使用ができすれば細かい部分は気にならないタイプである。
(とりあえず試してみよう)
ピラミッドのような形をイメージしながら、魔法石に魔力を流し結界魔法を発動させる。
すやすやと眠る幼子の体を起点に、薄い金色に光る半透明の三角錐ができあがった。
(うんうん、見た目も色もイイ感じ)
魔法石の横にレティシアの魔力をたっぷり注入した魔電池を置くと、なぜかカチッと音が鳴った。見ると、まるで合体したようにピタッと魔法石にくっついている。
(えっ、こんな風にくっつくんだ。そこまで考えて作ったわけじゃなかったけど……あー、深く考えるのはやめとこう。あまり時間ないし)
くっついた魔電池から魔法石へ、魔力の流れを感じる。
おそらく魔電池が正常に作動しているのだ。
結界に異常が出たら魔力が流れ、修復されるはず。
今回作った結界は、魔法と物理的な攻撃を弾き、悪意のある人間が中に入れない、というもの。
問題なく作動しているかを確認するために、地面に置いたままにしていたライトの魔法石を拾い、結界に向かって光を照射する。
ということで転移魔法にも制約がある。その制約とは、『行ったことのない場所へは転移できない』というもの。
レティシアとしては、それは制約というより転移先のイメージが鮮明に描けないからなのでは、という気がしているのだが、検証していないのでわからない。もしかすると魔道具で撮影した場所の映像を見るだけで転移することもできるかもしれないが、今のところ撮影ができる魔道具などレティシアしか持っていないので、実際に試すことは難しい。
転移先の地を本人が踏むことが転移魔法の条件だったとしたら、やはり無理だろう。
というわけでいきなり隣国へ……とはいかないため、レティシアはまず、王都から馬車で半日ほどの街近くにある森へ転移した。
ここは、幼い頃に家族で旅行に来た場所であった。
初めて転移魔法を試そうとした時、ふと思い出したのがこの森だった。記憶をもとに転移を試み、無事に成功することができた。以来、転移魔法を大いに活用するようになったのである。
魔道具の取引をするのにも王都では目立つかもしれないと思い、この森近くの街を主に利用している。
森に到着したレティシアは、右手に隠蔽魔法、左手にはインベントリの魔法を込めた魔法石を握った。両手に魔法石状態である。
隠蔽魔法で見た目をヨボヨボの老婆に変化させ、インベントリから取り出した真っ黒なローブに着替える。
変装はもう何度もしているが、この姿になるのはいまだに違和感が拭えない。まるで御伽噺に出てくる意地悪な魔女のような姿だ。
レティシアは正体を隠すためと、若い女では取引相手に舐められるだろうと考えたため、外ではこの邪悪な魔女の姿で活動をしている。この姿は凄腕の魔道具師として違和感がないらしく、ちょっと変わった魔道具を売る時も、商会の人間は「この方ならそういうものも作れるのだろう」と思ってくれるらしく、詮索されることなくスムーズに取引ができていた。
(これまで疑われたことはないけど、私が知らないだけで隠蔽魔法を看破する魔法もあったりするのかしら? 念には念を入れたほうがいいわよね)
顔が見えないように、レティシアはフードを深くかぶった。
隣国、ステーフマンス王国へ行くのは国境近くの街まで馬車を乗り継いでいく計画だ。人目に触れることは避けられないが、なるべく顔を見られることのないようにしたほうがいいだろう。
迷いのない足取りで、レティシアは街の方角へ足を進めた。
歩きはじめて五分もしないうちに、前方からものすごい勢いで誰かが駆けてくるのが見えた。
「ばあばぁぁーーーー!!」
叫びながら全速力で走ってきた彼は、勢いに任せてレティシアに飛びついた。
レティシアは倒れないよう足に力を入れて、飛び込んできた小柄な体をしっかりと受け止める。
「レナトかい……」
この世界では珍しいらしい黒髪を優しい手つきで撫でながら、子供の名を呟いた。
彼はレティシアが屋敷を抜け出し魔道具の取引をしはじめた頃、なりゆきで助けた少年だった。それ以来レティシアを『ばぁば』と呼んで慕ってくれている。
(ばぁばと呼べと言ったのは私だし、今の姿は間違いなくお婆ちゃんだけどさぁ……女性としてなんだか複雑な気持ちになるのよね……)
そんな胸中も知らず、もう二度と離さないとばかりに強い力でレティシアにしがみつく幼い子供。
(小さくて細い指だけど、食い込むくらい強く握られると地味に痛いぞ……)
レティシアの胸にぐりぐりと頭を擦りつけ「ばぁば、ばぁば、ばぁば……」とグスグス鼻を鳴らしている。
「どうしたんだい?」
レティシアは優しく声をかけ、その小さな背を宥めるようにそっと撫でた。
「ぼ、ぼくも……つ、連れてって!! ぼく、ばぁばと一緒にいたい!! ずっとずっと一緒にいたい!! 一人にしないで……っ」
小さな肩を激しく震わせながら、つっかえつっかえに話すレナト。
その姿に、胸が痛くなる。
(――連れてって、と言われてもねぇ……)
いつ帰ってこられるかわからない隣国逃亡なのである。
年単位の話になってもおかしくないのだ。帰るつもりはあるが、状況次第ではそれが叶わない可能性もある。王家を相手にした逃走劇だ。もしもレティシアの行動が悪質と見なされて国外追放にでもされれば、二度と戻ることはできない。
その覚悟を決めて準備をしている頃に出会ったのがレナトだった。一度手を差し伸べてしまったとはいえ、いずれこの国を出る身。
いつまでも世話をすることはできないと、独りぼっちの彼を引き取ってくれる孤児院を探し、連れていった。
隣国へ連れていくつもりはなかったのだ。
それなのに、離すもんかとしがみつかれ、レティシアは情けない表情でレナトを見下ろした。
この世の終わりだとでも言うような悲しみに満ちた啜り泣きが、静かな森に響いている。
(この子が巣立っていくまで、しっかり面倒を見るべきなのかな……)
幸いレティシアには魔道具での稼ぎがある。子供一人面倒を見るのに金銭面での問題はない。
(でも……王家が失踪した私を捜し出そうとする可能性は、まだ否定できない。大丈夫だと確信できるまでは、一つの場所にずっといることはできないし……)
行くあてもなく、いつまで続くかもわからない放浪生活。
(一人だけでずっと旅をしていくつもりだった。でも……)
迷いは一瞬だった。
(この子を一緒に連れていく。うん、そうしよう)
この国では、黒髪は忌み子とされている。
だが隣国では数こそ多くないが、この国のように忌み子という認識はないという。連れていったとしても、迫害を受けることはないだろう。
国が違えば環境も文化も違うものだ。
この国で黒髪が忌み子と呼ばれ嫌われる理由は、あまりにもくだらない。
過去に黒髪の子が膨大な魔力を暴走させ、人々を恐怖に陥れた。大きな村がいくつか滅び、何人もの死者が出たとか疫病が蔓延して人間の住めない魔の地が生まれたとか。
真偽のほどはわからないが、そんなあやふやな伝説のせいで、ただ髪が黒いというだけの人間が迫害されているのだ。
忌み子は人間ではない。魔に魅入られた得体の知れない生き物。
そうやってずっと黒髪は禁忌の存在として扱われている。
(この国から出ていくのは、この子にとってもいいことなのかもしれないわ。忌み子として扱われるような国に置いていくより、隣国で健やかに暮らして、やがて一人で立派に生きていけるように、私がその日までそばにいよう)
「連れてってあげるかねぇ。ここまで来てしまったものは仕方がない」
レナトが涙でぐちゃぐちゃの顔でレティシアを見上げる。
「いいの……?」
そのまま消えてしまいそうな、小さな声だった。
「駄目だと言っても、ついてくる気だったんじゃないのかい?」
「うん。絶対離れない離れたくないって思って……」
「なら連れてくしかないね。行先はステーフマンス王国だよ。ここからうんと離れた場所だ。それでもいいかい?」
「ばぁばとならどこだっていいよ!」
「じゃあ決まりだ」
「っ!! やったーーーー!!」
溢れる喜びを爆発させて、小さな男の子がレティシアの周囲をぴょんぴょん跳ね回る。
その無邪気な様子に、レティシアは思わず笑顔になった。
(すごく可愛いのだけれど、十五で子持ちか……いや孫持ち?)
と、内心では乙女心としては複雑な気持ちなのだった。
◇◆◇
レナトと出会ったのは、本当に偶然だった。
その日もレティシアは老婆の姿で商会の取引相手と会っていた。なかなかの売上金額を受け取り、気分は上々。
早々に取引が終わったので、時間に余裕があった。だから、いつもなら思いつかなかった行動に出ることにした。露店商でもしてみようかと。
いつもは商会にしか卸していない魔道具を誰でも目にすることができる場で売り出したらどうなるんだろうと、好奇心が湧いたのだ。
幸いにして商会とは専売の契約を結んでるわけではないので、誰に文句を言われる筋合いもない。
ほかにもちらほらと露店商がいる場所の一角に座り、敷物の上に魔道具をいくつか並べる。
この場所は特に届け出などなくとも商売ができる区画で、違法なものでさえなければ誰がなにを売り出すのも自由だ。
その代わり、この区画以外で許可を得ず商売をするのは禁止されている。
レティシアが商会に卸している魔道具は、平民でも手に入れやすい価格設定にしてもらっているため、売り出すそばから即完売だったりするらしい。
おまけにレティシアの魔道具は少ない魔力で起動させることができる。平民は貴族に比べて魔力量の多い人が少ないので、魔力をあまり必要としない魔道具は非常に需要が高く、レティシアが卸した商品はいまや平民たちに大人気なのだという。
「これ、あの品薄で手に入りづらい有名な魔道具じゃない!?」
並んだ魔道具を見た女性が、大きな声を上げる。
その途端、すごい勢いで人が集まってきた。
「もうないの!? いつまたお店を出すの!?」
「またいいものができたら売りに来るからねえ」
あっという間に完売してしまった店先で買い逃した人たちに詰め寄られつつ、レティシアはのらりくらりとお婆ちゃん口調で返しながら商売を終えた。
商会から支払われた売り上げと露店商で得た分は、かなりの金額になった。
目標額にはまだ遠いが、想定していたよりもだいぶ余裕があるので今日はほかの店を物色するのもいいなと思いながら、レティシアはぶらぶらと歩く。
ひとまずこの区画は出て商店街のほうへ移動しようと歩き出して、しばらく経った時だった。
老婆にしては軽い足取りで大通りを闊歩する。その大通りを一本外れた細い路地の前で、レティシアは足を止めた。
路地の先には朽ちかけた建物が見え、いかにも立ち入ってはいけない雰囲気だった。
そこから、呻き声のような声が聞こえた気がしたのだ。
(治安の悪そうな裏路地で呻き声……、トラブルの予感しかないわ)
昼すぎだというのに真っ暗な路地は、入っていくのに大変な勇気が必要である。そんな場所から聴こえた呻き声――
(人を呼ぶ? でも、こんな見るからに危なそうな雰囲気で助けてくれるだろうか……)
貴族の世界はいわゆるノブレス・オブリージュの精神で見返りなく人を助けることが美徳とされているけれど、この街に住むのはほとんどが平民だ。その暮らしは誰かに情けをかけられるほど余裕があるとは言えない。
人は余裕があるから誰かを思いやれるのだ。一人ひとりは善良でも、自分の生活を支えるだけで精一杯ではほかに目を向ける余裕などない。
今、レティシアはこの国を出ようと決意してその準備をしている最中。
面倒事に首を突っ込んでいる場合ではないはずだ。
必ず隣国に逃げて、自分の人生を取り戻す。
だから、今苦しんでいるどこかの誰かには悪いが、レティシアに人助けをする余裕はない。
そう非情な決断を下し、その場を立ち去る。
そう。立ち去ったはずだった。
けれど、気づけばレティシアの足は裏路地へ向かっていた。
(――見るだけよ。こっそり見るだけ!!)
ただ様子を見るだけ。もしも命に関わるような大怪我をしていて、そのまま助からなかったとしたら……と思うと、気づいてしまった以上、寝覚めが悪い。
結局のところ、レティシアは骨の髄までお人好しなのである。
特に前世の記憶が戻ってからはその傾向が加速していた。そんなお節介気質のせいで前世でもトラブルに巻き込まれたことが多々あったというのに、まったく懲りていない。
(やらぬ後悔よりもやる後悔、なんて言うものだし……これはあくまで、自分の心を守るための行動。自衛みたいなものなのよ)
断続的に聞こえる呻き声を目印に、ずんずんと歩を進める。
陽の光の届かぬ薄暗い路地の突き当たりに、呻き声の主はいた。
行き止まりになった壁を背に、汚く黒ずんだ地面にぐったりと力なく伏せていた。
うずくまる体はとても小さい。
痩せ細った手足に小さな頭――年端も行かぬ子供だった。
見たところ六歳くらいか。前世の世界なら幼稚園か小学校に入学したてくらいの幼さだ。
「だ、だいじょうぶ……!?」
レティシアは慌てて子供のそばへ駆け寄った。
ただ見るだけ、確認するだけという考えは相手が子供だと認識した途端に頭から消えていた。
駆け寄ってすぐに気づいた。子供の全身が血だらけだと。
(この黒ずんだ地面の汚れは、この子の血の……? なんてこと……!!)
レティシアの思考は真っ白になった。
呼吸がハッハッと浅くなり、その音で自分がパニックに陥っていると気づいた。
(今、こんな時に動揺している場合じゃないのに!!)
この瞬間にも、目の前で命が消えようとしているのだ!!
(私は落ち着いてるし、冷静に対処できる。私はできる子、できる子!)
念仏のように自分に言い聞かせ、まずはインベントリからライトの魔法石を取り出して、子供の状態がよく見えるように照らす。光の魔法で周囲を明るく照らすことのできる魔法が込められた魔法石だ。
ライトの角度を変えながら、うずくまった姿を確認していく。
(うう……背中だけでもすごい状態……)
冷静になれ冷静になれと思いながら、次に空っぽの魔法石を取り出した。
混乱して乱れがちになる魔力を、深呼吸して整える。
手に持った石に、頭の中で描いたイメージを損なわないよう慎重に魔力を流していく。
イメージするのは治癒魔法。それも、体の怪我も不調もなにもかも全回復できるような強力なものを強く想像する。
手に握り締めた魔法石が次第に熱を持ち、淡い光を放った。これで治癒魔法を込めた魔法石のできあがりだ。
魔法石を握り締めたまま、小さな背にそっと触れる。
すると真っ白な光がレティシアの手から指先から溢れて、子供の体の中へ入っていく。
やがて子供の体全体を白い光が包み込み、みるみるうちに傷が塞がっていった。
(――治癒魔法。使うのは二度目だけど、何度見てもすごい……)
目の前の生々しい傷口が、映像を巻き戻すかのように綺麗に塞がっていく。
それは、神の御業にすら感じる。
魔法を使った治療行為を、平民が目にすることはほぼない。その恩恵を得られるのは、王族や貴族たちのような、豊かな財力や権力を持つ特権階級に限られていた。
レティシアが魔法で人を癒やしたのも、その魔法の効果を目の当たりにしたのもこれまでにただ一度だけだった。
「娘の命を助けてくれ」と商会の取引相手に必死に頼み込まれ、悩んだ末に請け負った。
治癒魔法を込めた魔法石を作り、効果を見届けるために老婆の姿で治療に同席した。
神の御業をそこで見た。
娘に使用された治癒魔法の効果は、まさしく規格外だった。
馬車の事故に巻き込まれ、足を失い命の灯火すらも消えかけたその娘は、レティシアの治癒魔法が込められた魔法石によって、文字通り五体満足の体にまで全快したのだ。
この世界で治療に使われるのは、『回復魔法』と呼ばれる魔法だ。回復魔法を魔法石に込められる人間は少なく、魔法石の個数がとても少ない。貴族でさえもおいそれとは使えず大切に保管しているため、出回ること自体がほとんどないのだ。
そんな回復魔法ですら、すべての傷が完璧に治るとは限らない。傷の程度によっては傷跡が残ることもあるし、完全に切断されていれば、繋げることも新たに生やすこともできないのだ。それが回復魔法という魔法の制約だった。
これまで回復魔法を目にしたことのなかったレティシア自身は自分の魔法の異常性に気づいていなかったが、取引相手の家族はすぐにそのことに気づき、レティシアとの縁を守るために厳重に口を閉ざした。
レティシアの『治癒魔法』はこの世界で使用される『回復魔法』とはまったく異なる新しい魔法、まさしく別次元のものなのだ。
「う、うぅ……っ」
目の前の幼子の苦しそうな声が耳に届き、意識をそちらに集中する。
服はボロボロで、背中が剥き出しになっている。小さな擦り傷や大きな切り傷、火傷を負ったのか、引き攣れて溶けたように変色した皮膚。蛇が這ったような太く腫れた痕……そんな痛々しい傷のすべてが、綺麗になくなっていく。
レティシアの魔法により、悲惨な状態だった子供の体はすべて滑らかな肌になっていた。
治癒魔法によって痛みから解放されたためか、断続的に漏れていた子供の呻き声が止まった。
意識ないのは心配だが、安心して眠ったのだろう。
(困ったな……)
傷が癒えたとしても、こんな物騒な場所に意識のない子供を放置して立ち去ることもできず、レティシアは途方に暮れた。
仕方がなく、すやすやと眠る幼子の全身を見下ろすと、レティシアは恐ろしい事実に気がついた。
(……っ! 誰がこんなひどいことを!?)
細い首に、赤い色の首輪が巻きついていた。
愕然としながらも、うずくまる小さな体をそっと仰向けにさせる。
子供の両手首には手枷、両足首に足枷が装着されていた。枷には千切れた鎖が垂れ下がっている。
恐怖と怒りが込み上げた。
捨てられたのか、どうにか逃げ出したのかわからないが、どこかで身動きもとれないように拘束され、監禁されていたのだろう。
(この幼い子が、どうしてこんな酷い目に……)
周囲を見回して、子供の身元がわかるものがあるか探したが、あるわけもなかった。
身元不明のこの子を屋敷に連れて帰るわけにはいかない。そもそもこうして屋敷を抜け出して街で魔道具の取引をしていること自体、誰にも秘密なのだ。今、目立つのはなにより避けたいこと。
(これは本気で困ったなぁ……)
幼い子供に首輪や枷をつけて監禁するような異常者から逃げ出してここにいるのだとしたら、こんな物騒なところには絶対置いていけない。
(目覚めたら、お金を渡して立ち去る……っていうだけじゃ、やっぱり無責任だよね。それなら孤児院とかに連れていくとか……?)
監禁した犯人がこの子を探し回って見つけ出さないとも限らない。
孤児院に預けたとして、この子を絶対に相手に差し出さないとも言い切れない。
(こんなひどいことをしたのが、実の親っていう可能性もあるわよね……)
孤児院は親を亡くした子供が保護される場所だ。親がいるとわかれば、どんなに問題を抱えていたとしても孤児院は子供を親に返してしまう。
「乗りかかった船だけど、八方塞がりだわ……」
レティシアは暗澹たる気分で独りごちた。
いつ目覚めるのかもわからないが、ずっとこの場に留まり続けるわけにもいかない。
とりあえず、もともといろいろ買い出しに行く予定だったのだから、ついでにこの子の保護に必要な道具を買おうと決めた。ほかに頼れる人がいない以上、一時でも安全に過ごせる場所を作ってあげたい。
けれど意識のない子供を置いて離れるには、この場所は物騒すぎる。なにか使える魔法がないかとレティシアは考える。
(身を守るなら……やっぱり結界魔法かしら)
空の魔法石を手に持ち、どんな危険からでも守ってくれそうな結界魔法をイメージする。
(強い結界にするなら、どんなものがいいだろう。安定した形……三角形がいいかな? そうしたら、強力なレーザーが三角のピラミッド型に照射してる感じで……)
魔法石は、魔力を流すことで発動する。基本的には発動させる時に流した魔力の純度や量で効果の持続時間が決まるし、ものによっては一度きりしか発動できないものもある。
結界魔法にもいくつか種類があるが、一定のダメージを受けると壊されてしまうものがほとんどだ。結界魔法で守るにしても、あまり長い間離れるのは不安だ。
攻撃されるたびに修復されるような結界は作れないだろうか。
それならばかなりの時間を守護してくれる結界魔法になりそうだ。
(常時修復される結界ということは、常に魔力を流し込む必要があるわよね……。その場に私がいなくても魔力の補充ができるような、魔道具を作れないかしら)
ローブの内ポケットの一つから魔水晶を取り出す。
(魔力を貯めておけるものといえば……)
前世で使われていたエネルギーは電力。こちらではその代わりに魔力が使われている。
けれど、役割としては同じだ。力を貯めておける道具……
レティシアの手の中で魔水晶が熱くなり、形が変化していく。
「できた!」
そっと手を開き、できあがった魔道具を見た。
できあがったのは、小さく細長い六角形の石のようなもの。金色で、ラメが混じっているようにキラキラ輝いている。
これは、前世で言うところの電池だ。
(んー……、電力と魔力の違いなのかイメージした電池とは少し見た目が違うけど、まぁいいよね! この魔道具は魔電池と名づけよう)
レティシアは問題なく使用ができすれば細かい部分は気にならないタイプである。
(とりあえず試してみよう)
ピラミッドのような形をイメージしながら、魔法石に魔力を流し結界魔法を発動させる。
すやすやと眠る幼子の体を起点に、薄い金色に光る半透明の三角錐ができあがった。
(うんうん、見た目も色もイイ感じ)
魔法石の横にレティシアの魔力をたっぷり注入した魔電池を置くと、なぜかカチッと音が鳴った。見ると、まるで合体したようにピタッと魔法石にくっついている。
(えっ、こんな風にくっつくんだ。そこまで考えて作ったわけじゃなかったけど……あー、深く考えるのはやめとこう。あまり時間ないし)
くっついた魔電池から魔法石へ、魔力の流れを感じる。
おそらく魔電池が正常に作動しているのだ。
結界に異常が出たら魔力が流れ、修復されるはず。
今回作った結界は、魔法と物理的な攻撃を弾き、悪意のある人間が中に入れない、というもの。
問題なく作動しているかを確認するために、地面に置いたままにしていたライトの魔法石を拾い、結界に向かって光を照射する。
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