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1巻
1-2
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魔道具を作るのに、やはり前世の記憶は最強だった。
その記憶のおかげで、この世界にはなくて前世にはあった便利道具の数々が魔道具として誕生する。
イメージするものの輪郭が詳細であればあるほど、魔道具の完成度は上がった。
逃亡資金を稼ぐためとはいえ、これほど簡単に作れてしまうと楽しくて仕方ない。
様々な魔道具を作っては並べて毎日ニヤニヤする日々。
ここまでのものを自分が作成できるということを、両親を含めて誰にも話してはいない。
今までまったく興味を持っていなかった魔水晶関係のことにいきなり興味を持って不思議な魔道具をこそこそ作りはじめているなど、注目してくださいと言わんばかりだ。余計に動きづらくなるだけ。残念だがこの素晴らしい魔道具たちを両親や兄にお披露目するのはずっと先になりそうだ。
こっそり作り、こっそり試す。
徹底して秘密にしていたから、絶対にバレてはいないはずだ。
けれど油断は禁物。用心しすぎるくらいがちょうどいい。無事にこの国を出られるまで、念入りに準備をしなければ。
レティシアは魔道具を作って売り、逃亡資金を貯めることにした。その際に売るのは、前世の知識を駆使したスーパー魔道具ではない。そんな代物を売りに出したらすぐ噂になってしまう。
とんでもないチートアイテムを売ってドンッと大金を手に入れることも考えたけれど、魔道具師として無名の人間がいきなり得体の知れない魔道具を売りに出したところで、それを信頼して高値で即購入してくれる相手なんていないだろう。身分も名も隠した状態で伝手などあるわけもない。
ということで、そこそこの売値で取引できるようなそこそこの品質の魔道具を作り、街で売ることにした。
それでも自分自身が直接売りに出るのは危険だと判断し、魔水晶を融通してもらっている商会に魔道具の販売もお願いしたのだ。
売値の三割は手数料として商会へ渡す。少し高めなのはレティシアに関する情報の守秘義務に対する対価だ。ちなみに情報を漏らしたくても漏らせないように血を使った魔術契約で縛ってある。
いずれ逃亡して新天地で商売する時のために、魔法石を使って変装し、自分で露店商売もはじめてみた。
そうやって少しずつ、レティシアは逃亡資金を貯めていった。
次に必要なのは、決定的な証拠を手に入れるための道具だ。
前世の記憶がある自分なら、その道具はいくらでも思いつくはずだとレティシアは考えた。
魔水晶を手のひらに乗せる。
ガラスのように硬質なそれは、触れるとひんやりしている。一見すると普通の水晶のようだが、違いはその色にある。目を凝らして見ると、表面がうっすら紫がかっているのだ。
魔水晶は、それ自体が表面に微量の魔力をまとっている。魔力を感知できる者なら色すら確認せず魔水晶と認識できるかもしれない。中はまったく魔力のない空洞なのだけど。
レティシアは魔水晶をギュッと握り込み、前世のとある便利道具をイメージした。
証拠は鮮明であればあるほどいい。
あの便利な道具のイメージを隅々まで。使用した時の感覚や動作をしっかりと。
やがて手の中で、なにかが弾けるような感覚がした。
握っていた魔水晶のサイズが大きく変わったため、自然と手のひらが開く。
手の上にちょこんと乗っているのは、前世で見たものよりも小型化された魔道具だった。
――これ、どこまで小型化できるのかな? 今度検証してみようっと。
◇◆◇
深い深いため息を心の中で吐く。
現在、レティシアは張り込み中である。
隠蔽魔法で隠れているとはいえ、音まで隠せるほどの代物ではない。
納得できる魔法石を作り上げるほどの時間はなかった。王子との関係をバレてないと思っている妹ロザリンドが口を滑らせて逢瀬の日取りを知ったからだ。うっかりだったのかわざとだったのか、どうでもいいがありがたい。
逃亡準備はもう万全で、あとは証拠を入手するだけだったから。
ということで、完璧な隠蔽用の魔法石を完成させる時間がなかったので、自分の姿を風景と同化させているだけである。相手側から視認できないだけだから、ため息一つ吐くわけにはいかない。
なぜこんなことをしているかといえば、これからレティシアが突然の失踪をすることに対する理由付けである。
ただいなくなっただけでは誘拐や事件性を疑われて大変な騒ぎになるだろう。レティシアは侯爵令嬢であり王子の婚約者であり、次期王太子妃の身なのだ。アンストート王国が国を挙げて動くようなことになってもおかしくない。
手紙で二人のことを暴露することも考えたが、本人たちが「誤解だ!」と主張すれば通ってしまう可能性もある。もしかしたら誘拐犯が書かせたデタラメだ、などと主張してくるかもしれない。滑稽な話だけれど、混乱していれば信じてしまうこともあるだろう。
だから、王家の人間たちを納得させるに足る失踪理由が欲しいのだ。
これならショックで失踪してしまうのも仕方ない、という生々しい現場を撮影して、「こんなもの見てしまったらやりなおす気にもならないだろう」と思わせるほどのものが。
だからレティシアは作った。証拠となる映像をばっちり記録する道具――ハンディカメラを。
そしてこうやって気持ち悪さを我慢して撮影している、というわけだ。
なにが楽しくて実の妹と己の婚約者の濡れ場を覗きたいものか。
(そろそろ頃合いかなー……?)
さすがに最後までいたしているとこは撮影したくない。それぞれの親に見せるものなので、このくらいが限界だろう。
魔法石を手に持ち、レティシアは隠蔽魔法を解く。
背景と同化していたはずの姿がたちまち浮かび上がった。
じわじわというより、手品のようにパッと現れるのでさぞや驚くだろうと思いきや、まったく気づかずに互いを貪ることに夢中の二人。
(……これ呼びかけないといけないかな。気まずいんですけど……)
互いの体を撫でさすり、唇を合わせている。
その合間合間に「好きだ……」「私も……」というお決まりの台詞が聞こえてくる。
――浮気で盛り上がる人間の言葉なんて、しょせんは行為を盛り上げるためのエッセンス程度だろう。正直、婚約者がいる状態でこういう行為ができるのが理解できない。婚約の破棄なり解消なりの筋を通して、しかるべき冷却期間を置いた後で改めて婚約を結んでから行為におよびなさいよね。面倒だからって諸々すっ飛ばして行為に耽るなんて、真実の愛で結ばれた二人のすることではないでしょう。この二人、婚約関係を結んだままの王子が別の相手とイチャイチャする危険性を理解してるのかな。コソコソ隠れて逢瀬を重ねてるんだから、よくないことだと理解はしてるはずなのに。けれど愛という名の欲が溢れてなのかしらね――
そんな愚痴がレティシアの脳内をぐるぐる回る。
彼らはどう始末をつけるつもりでいるのだろうか。
そうこうしている間にも行為は続き、このままいくと全裸になりそうで、レティシアはついにハアと重たいため息を吐きだした。
情などない婚約相手とはいえ、さすがに知っている男女の全裸を見るのは嫌だ。
もうとっくに隠蔽魔法は解いているのに、まるで気づかない二人に心底呆れながら、「んんっ……」と唸ってみた。
その瞬間まで激しく絡み合っていた目の前の二人が、ピシッと動きを止める。
錆びたブリキ人形のようにギギギギギッとぎこちない動きで振り返ったのは、レティシアの婚約者である王子様。
もうこの証拠を入手した瞬間から「婚約者だった」になる王子様だ。
もう一人に視線を向けると、ただ愕然としていた。大きな瞳をさらに大きく見開き、キスで腫れた唇を「あ」の言葉に開けたままジッとレティシアを凝視している。
(なにその顔……今まで見たことないぞ妹よ)
そんなにビックリすること? とレティシアは考えて、いやするか。と思いなおす。
さぁ今から二人の愛のフィナーレという時、部外者が寝室にいるのだ。しかも、今の今まで熱烈に愛し合ってた男の婚約者である実の姉が。
妹よ、さっさと話を済ませて帰るから安心してね――とレティシアが再び王子に目を移すと、彼はなんとか言葉を口にしようとしているようで、口をパクパク開いたり閉じたりしている。
「お、おまえ……レティシア! こんなところでなにをしている!」
「ジェレマイア様こそ、な、に、を、されているのでしょう」
その言葉に、王子は自らが置かれた状況にようやく気づいたようだった。
「ち、違うんだ。これは。誤解だ、レティシア。勘違いをするな……いいな?」
――違う、誤解、勘違い……自分は半裸のままで女の上に上半身がのしかかってて?
(高貴な血筋の優秀な王子様でも、こういう時は浮気がバレた時の常套句みたいなセリフ吐くんだなぁ……)
思わず感慨深い気持ちになる。
王子という最上位の身分なのだから、婚約者に浮気がバレたとわかっても「気が散る、出ていけ!」なんて上から目線なことを言うかもと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「ご安心ください殿下、私は勘違いなど一切しておりませんよ。半裸の男女がベッドで睦み合っていた。と、正しく認識しております」
ご安心ください、と言ったあたりで王子は一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、キッパリと言い切られてまた固まる。
うやむやになどさせるものかという強い意志を感じたからだろう。
「いや、違う! これはだな……! これは……だから、これは……」
(王子が言葉に詰まるなんて珍しい。よほど混乱しているのね)
政務や外交など、人と対面する仕事は王子の得意分野で、王子が担当する交渉事はいつもかなりの確率で自分に有利な条件をとりつけていた。
たとえ不意を突かれて当初の計画を崩された時でも眉一つ動かさず立て直す手腕は、周囲から高い評価を受けている。
次期国王として充分な資質の持ち主であると、国内はもちろんのこと他国からも認識されているのだった。好色なことも人知れずバレていそうではあるが。
令嬢たちに大人気の見目麗しい容姿も、この取り乱す姿を見たらどうだろう。
レティシアは冷めた瞳で、見た目だけは完璧な王子を見つめた。
――さぁ、そろそろ終幕だ。
この証拠を手紙とともに私室に置いて、国外に逃げる。今後レティシアが王子と会うことは二度とないだろう。
「殿下、これ以上のお言葉は不要です。周囲への影響もございますから、私との婚約は破棄ではなく円満解消とした上で、そこにいる私の妹に婚約相手を変更ということにしておいてくださいませ。妹は同じリデル侯爵家の娘、政略的にも後ろ盾にもなんら不足はございません。せっかく整えた各派閥の力関係に混乱も生じることはないでしょう。諸々の手続きはすべて父と妹にお任せいたします。……五年間の婚約期間において、私は不満だらけの至らぬ婚約相手であったことでしょう。そのことだけは申し訳ありません。それでは、大変お世話になりました」
ここで美しいカーテシーをして退場すれば綺麗な終わり方だったが、その前に王子がしゃがれた声で問いかけた。
「おまえは……なにを言っている?」
まるで酒に酔ったように覚束ない足取りでフラフラとレティシアに近づいてくる。王子の顔色はもはや真っ白になっており、しかし瞳だけは縋るような強い視線をレティシアに向けていた。
王子が一歩近づくたびに、レティシアは一歩後ろへ下がる。
それは二人の心の距離のようであった。
「レティシア……」
縮まらないもどかしい距離に、王子は懇願するように名前を呼ぶ。
これまで婚約者を尊重したことなどなかったというのに、レティシアがずっと自分のそばにいてくれるとでも思っていたのだろうか。
「それでは、お邪魔してしまってすみません。どうぞお続けになってください。……失礼いたします」
最後の機会なのだから、今までの辛い気持ちや鬱憤をぶつけてやってもよかった。けれど、もう今さらだ。泣き喚いて罵っても、二人が不貞を働いた事実が消えることはない。
本音を吐露し互いの思いをぶつけ合えれば、なにか変わっただろうか。だがそれでどうにかなる時期は過ぎ去ってしまった。
自分も悪かったとは、レティシアは決して思わない。ただ、できることがもしかしたらほんの少しはあったのかもしれない。
辛かったし、たくさん泣いた。これが王族の妃になるということなのかと思ったりもした。
しかし王命で決まった婚約だと思い、結局は許してしまった。
だからいろいろなことを諦めた。
国のために民のために、私を育ててくれた両親のために、兄のために妹のために。
自分が王族に嫁ぐことみんなが幸せになるならと。
けれど妹と婚約者の裏切りによって前世の記憶が戻り、レティシアは取り戻す決意をしたのだ。
誰のためでもない、自分のための人生を。
今まで育ててくれた両親には、いつか必ず恩返しをする。
わがままを通した償いはするつもりだ。
レティシアは魔法石をグッと握り締め、転移魔法を発動させた。
金色の魔法陣が足元に浮かび上がる。レティシアの体を金色の魔力が包み、わずかな煌めきを残して消え去った。
◇◆◇
転移先はレティシアの自室だった。転移魔法はもう何度も使用しているが、一瞬で視界がガラリと変わることにはまだ慣れない。
「あぁ~、あの濃厚な甘ったるい匂いの後に嗅ぎ慣れた匂いを嗅ぐと心底ホッとするぅ~もう二度と嗅ぎたくない匂いだわ……」
室内の空気を肺いっぱいに吸い込み深呼吸する。まだ鼻に残るあの部屋の匂いを上書きするように、何度も念入りに。
「それにしても王子のあの顔……ブフッ、クフフッ」
いつもお綺麗な顔が、すごい間抜け面だった。
あの表情が見られただけでも自分の姿を晒してまで王子と対面した甲斐がある。
こっそり撮影するだけでも別によかった。誰が撮った映像なのかは曖昧にして「どなたかから送られてきた」と手紙と一緒に残すだけでも逃亡計画はうまくいっただろう。
けれど五年の婚約期間、婚約者としての尊厳をずっと軽んじられてきたのだ。最後になにか嫌味の一つでも言ってやりたかった。
妹に婚約者の座を譲ることをちっとも惜しんでいないところを、王子に突きつけたかった。
自分にとって王子の婚約者という地位も王子自身もどうでもいい存在なのだと示したかった。
それなのに、開き直るかと思っていた王子があんなに必死で否定してくるとは思わなかった。
去り際、王子の瞳には絶望が宿っていた気がする。
(そんなに私の魔力が惜しいのかしら)
純度の高い魔力持ちはかなり希少だ。レティシアを逃がさないようにしろと、王子は常日頃言われていたらしい。
だというのに結局、一番手を出してはいけない相手に手を出してしまった。
もう、レティシアには関係のない話だが。
両親や兄のことは心配だが、妹は家族の絆と引き換えに欲しい者を手に入れた。その後どうなるかは彼女次第だ。
すべての準備は整った。
愛用の書き物机に『記録水晶』と名づけた魔道具を置く。魔水晶から作り出した再生用魔道具だ。
そして先ほどの証拠を記録した魔道具の背面から、三センチほどの薄い正方形の部品を抜いた。それを記録水晶に押し当てると、トプンと部品が呑み込まれた。
この記録水晶は、見た目は丸い球体の水晶玉だが、手に持って「再生」と口にすると半円型に光が照射され、映像を投影することができる。前世で言うところのプロジェクターだ。
もっと小型化したかったが、今のレティシアの力量ではまともに機能するものを作るので限界だった。
記録用の魔道具のほうももっと小型化できれば、諜報活動をする者にとって喉から手が出るほどに欲しい代物になるだろう。権謀術数が渦巻くこの貴族社会、誰にも気づかれずに相手の弱みを握れば、どれだけ優位をとれることか。
どの道具にも言えることだが、使用する人間次第で善にも悪にもなるのだ。
魔道具の準備を終えたレティシアは、この後の計画を確認する。
明日の早朝、いつものように起きてすぐ侍女を呼ばないレティシアを不審に思った使用人の誰かがこの部屋を訪れる。部屋に入るとベッドはもぬけの殻。慌てて周囲を見回すもレティシアはもちろんいない。その時、書き物机にある魔道具と手紙を見つけるのだ。
記録水晶の使い方は、手紙に書いておいた。そして家族にはあの王子たちの痴態を見てもらうことになる。
手紙には、婚約者と自らの妹が不潔な関係であることを知り、耐えがたいショックを受けたことで婚約の辞退を考えるも、王命による婚約であるために辞退の難しさに気づき絶望したこと。しかし不貞の相手が両親を同じくする妹であり、王子と恋仲であるならば不要なのは自分に違いない、ならば婚約者を自分から妹へ入れ替えることで円くおさまるはず。不貞とはいえ、婚約者の存在があっても断ち切ることができぬ想いを重ねる二人をどうか添い遂げさせてくださいますよう、レティシアの一生のお願いです――と、そんなことをつらつらと書き連ねた。
あくまでこの婚約は侯爵家と縁を結ぶことだけを目的しているのだと認識している風を装って。
レティシアがいなくなって婚約者が妹に挿げ替われば、王子の年齢から考えても急ピッチで妃教育がはじまるだろう。着飾ってお茶会や観劇などに行くような余裕など少しもない妹を横目に、王子が今までのように奔放な女遊びを続けることは火を見るよりも明らかだ。
五年間も女関係にだらしなかった王子が、そんな状況で満足するはずがないのだから。
対外的には、レティシアは快癒の難しい大病を患った、ということにでもしておいてもらえるように、父への伝言も書いておいた。
(ほとぼりが冷めた頃に病から回復したことにして、またお父様やお母様の娘として、侯爵令嬢として受け入れてくれるかしら)
きっと年齢的にも評判的にもまともな結婚は難しくなっているだろうから、領地のどこかでひっそりと暮らすことを許してもらいたい。もちろん、その頃には魔道具師として腕を上げている予定だから、きっと両親や侯爵家の領民たちにお詫びも恩返しもするつもりだった。
侯爵令嬢としての地位や特権を失うことには未練はない。
そう思えるのは前世の記憶が戻ったからなのか、規則や慣習でがんじがらめの貴族よりも、自由度の高い平民という身分に魅力を感じてしまう。
多分それは前世の記憶だけではなく、魔道具制作の能力で安定した稼ぎができるとわかっていることも大きいのだろう。
お金は大切だ。それに、魔道具があればたとえ賊に襲われても太刀打ちできる。
魔水晶さえあればどんなこともできるという大きなアドバンテージは、レティシアに自信と余裕をもたらした。どんなものを作ってどんな風に生活しようかと、これから進む先にワクワクした。
――と、いうわけで。
これから国外へ出て、便利魔道具で商売をして、安定した稼ぎを得て生活の基盤が整ったら……大変な迷惑をかけることになるだろう両親と兄に、改めて土下座をしに戻ってこようと思う。
妹のあられもない姿を強制的に見せたことも謝ろう。
手紙は三通書いた。
一通は失踪するに至った理由と、五年間の婚約期間に受けた仕打ちへの思い。そして記録水晶の使用方法と内容。
二通目は、今まで本当に大切に育て慈しんでくれた両親への感謝の手紙。書きながら少し泣いてしまった。
三通目は、現在、他国へ留学している優しい兄への手紙が一通。兄は非常に優秀で、自国の学園を飛び級してあっさり卒業してしまったため、他国でさらなる学びに励んでいる。
手紙はこの三通のみ――妹へは、書かなかった。
レティシアは魔法石を握り、インベントリを展開した。異世界ものでおなじみの、亜空間になんでも収納できる便利魔法だ。魔法石の使い方をさぐっている時に、当然これも再現できないか試しておいた。
目の前に、ブラックホールのような黒く丸い穴が開く。そこには、すでに様々なものを無造作にポイポイと入れてあった。食料や生活必需品は当然のこと、野営道具なども用意してある。
もう、いつでも出ていける。
侯爵令嬢として所持していた装飾品のほとんどは、ここには入っていない。
けれど十五歳の誕生日を前に贈られたネックレスは、持っていくことにした。
王宮で来月開催される夜会で、レティシアはデビュタントを迎える予定だった。その前に国を出ていくのがわかっていたため、「デビュタントにつけていきたいの」と嘘をついてまで両親に早めのプレゼントをお願いしたのだ。
最近流行りの大きな宝石をいくつも使った派手なものではなく、小ぶりな宝石をティアドロップ型に加工しただけの、シンプルなものだ。けれど使われているのはとても稀少な宝石で、加工時に出た宝石の欠片を使って、そろいのピアスも一緒に作ってくれた。ネックレスのチェーンには小さな花を模した精工な細工がされており、細部までとてもこだわっているのがわかる品である。
両親のレティシアに対する愛を感じるこのネックレスとピアスだけは持っていきたかった。
最後に自室をぐるりと見渡す。
感傷的な気持ちが込み上げて、泣きそうになる。
もう少し、あと少し……最後に、両親の顔を少し見てから……
気持ちが大きく揺らぐ。けれど行動に移したくなる前に、レティシアは魔法石を握り締めた。
――大丈夫。一生会えないわけじゃない。
金色の魔法陣が現れ、レティシアの姿は消えていった。
◇◆◇
魔水晶とイメージ力さえあればなんでもできるほどのチートな魔力を長年所持していながら、レティシアはそれを前世の記憶がよみがえるまで使用しようとも思っていなかった。
隣国への逃避行が転移魔法でサクッとできたとしたら、レティシアはもっと早くに行動していたかもしれない。けれど、そんな簡単にはできない理由があった。
どんな魔法にも、ある程度の制約がある。
そもそも新たに魔法を生み出す際は、本来なら非常に煩雑な作業が必要だ。聖魔紙と呼ばれる特殊な紙に緻密な魔法陣を描き、魔法の内容や発動条件を正確に記した上で、それが理に叶っていなければ発動しない。
その作業をショートカットして想像だけで新たに魔法を生み出すことができるレティシアはとんでもない能力の持ち主なのだろう。
その記憶のおかげで、この世界にはなくて前世にはあった便利道具の数々が魔道具として誕生する。
イメージするものの輪郭が詳細であればあるほど、魔道具の完成度は上がった。
逃亡資金を稼ぐためとはいえ、これほど簡単に作れてしまうと楽しくて仕方ない。
様々な魔道具を作っては並べて毎日ニヤニヤする日々。
ここまでのものを自分が作成できるということを、両親を含めて誰にも話してはいない。
今までまったく興味を持っていなかった魔水晶関係のことにいきなり興味を持って不思議な魔道具をこそこそ作りはじめているなど、注目してくださいと言わんばかりだ。余計に動きづらくなるだけ。残念だがこの素晴らしい魔道具たちを両親や兄にお披露目するのはずっと先になりそうだ。
こっそり作り、こっそり試す。
徹底して秘密にしていたから、絶対にバレてはいないはずだ。
けれど油断は禁物。用心しすぎるくらいがちょうどいい。無事にこの国を出られるまで、念入りに準備をしなければ。
レティシアは魔道具を作って売り、逃亡資金を貯めることにした。その際に売るのは、前世の知識を駆使したスーパー魔道具ではない。そんな代物を売りに出したらすぐ噂になってしまう。
とんでもないチートアイテムを売ってドンッと大金を手に入れることも考えたけれど、魔道具師として無名の人間がいきなり得体の知れない魔道具を売りに出したところで、それを信頼して高値で即購入してくれる相手なんていないだろう。身分も名も隠した状態で伝手などあるわけもない。
ということで、そこそこの売値で取引できるようなそこそこの品質の魔道具を作り、街で売ることにした。
それでも自分自身が直接売りに出るのは危険だと判断し、魔水晶を融通してもらっている商会に魔道具の販売もお願いしたのだ。
売値の三割は手数料として商会へ渡す。少し高めなのはレティシアに関する情報の守秘義務に対する対価だ。ちなみに情報を漏らしたくても漏らせないように血を使った魔術契約で縛ってある。
いずれ逃亡して新天地で商売する時のために、魔法石を使って変装し、自分で露店商売もはじめてみた。
そうやって少しずつ、レティシアは逃亡資金を貯めていった。
次に必要なのは、決定的な証拠を手に入れるための道具だ。
前世の記憶がある自分なら、その道具はいくらでも思いつくはずだとレティシアは考えた。
魔水晶を手のひらに乗せる。
ガラスのように硬質なそれは、触れるとひんやりしている。一見すると普通の水晶のようだが、違いはその色にある。目を凝らして見ると、表面がうっすら紫がかっているのだ。
魔水晶は、それ自体が表面に微量の魔力をまとっている。魔力を感知できる者なら色すら確認せず魔水晶と認識できるかもしれない。中はまったく魔力のない空洞なのだけど。
レティシアは魔水晶をギュッと握り込み、前世のとある便利道具をイメージした。
証拠は鮮明であればあるほどいい。
あの便利な道具のイメージを隅々まで。使用した時の感覚や動作をしっかりと。
やがて手の中で、なにかが弾けるような感覚がした。
握っていた魔水晶のサイズが大きく変わったため、自然と手のひらが開く。
手の上にちょこんと乗っているのは、前世で見たものよりも小型化された魔道具だった。
――これ、どこまで小型化できるのかな? 今度検証してみようっと。
◇◆◇
深い深いため息を心の中で吐く。
現在、レティシアは張り込み中である。
隠蔽魔法で隠れているとはいえ、音まで隠せるほどの代物ではない。
納得できる魔法石を作り上げるほどの時間はなかった。王子との関係をバレてないと思っている妹ロザリンドが口を滑らせて逢瀬の日取りを知ったからだ。うっかりだったのかわざとだったのか、どうでもいいがありがたい。
逃亡準備はもう万全で、あとは証拠を入手するだけだったから。
ということで、完璧な隠蔽用の魔法石を完成させる時間がなかったので、自分の姿を風景と同化させているだけである。相手側から視認できないだけだから、ため息一つ吐くわけにはいかない。
なぜこんなことをしているかといえば、これからレティシアが突然の失踪をすることに対する理由付けである。
ただいなくなっただけでは誘拐や事件性を疑われて大変な騒ぎになるだろう。レティシアは侯爵令嬢であり王子の婚約者であり、次期王太子妃の身なのだ。アンストート王国が国を挙げて動くようなことになってもおかしくない。
手紙で二人のことを暴露することも考えたが、本人たちが「誤解だ!」と主張すれば通ってしまう可能性もある。もしかしたら誘拐犯が書かせたデタラメだ、などと主張してくるかもしれない。滑稽な話だけれど、混乱していれば信じてしまうこともあるだろう。
だから、王家の人間たちを納得させるに足る失踪理由が欲しいのだ。
これならショックで失踪してしまうのも仕方ない、という生々しい現場を撮影して、「こんなもの見てしまったらやりなおす気にもならないだろう」と思わせるほどのものが。
だからレティシアは作った。証拠となる映像をばっちり記録する道具――ハンディカメラを。
そしてこうやって気持ち悪さを我慢して撮影している、というわけだ。
なにが楽しくて実の妹と己の婚約者の濡れ場を覗きたいものか。
(そろそろ頃合いかなー……?)
さすがに最後までいたしているとこは撮影したくない。それぞれの親に見せるものなので、このくらいが限界だろう。
魔法石を手に持ち、レティシアは隠蔽魔法を解く。
背景と同化していたはずの姿がたちまち浮かび上がった。
じわじわというより、手品のようにパッと現れるのでさぞや驚くだろうと思いきや、まったく気づかずに互いを貪ることに夢中の二人。
(……これ呼びかけないといけないかな。気まずいんですけど……)
互いの体を撫でさすり、唇を合わせている。
その合間合間に「好きだ……」「私も……」というお決まりの台詞が聞こえてくる。
――浮気で盛り上がる人間の言葉なんて、しょせんは行為を盛り上げるためのエッセンス程度だろう。正直、婚約者がいる状態でこういう行為ができるのが理解できない。婚約の破棄なり解消なりの筋を通して、しかるべき冷却期間を置いた後で改めて婚約を結んでから行為におよびなさいよね。面倒だからって諸々すっ飛ばして行為に耽るなんて、真実の愛で結ばれた二人のすることではないでしょう。この二人、婚約関係を結んだままの王子が別の相手とイチャイチャする危険性を理解してるのかな。コソコソ隠れて逢瀬を重ねてるんだから、よくないことだと理解はしてるはずなのに。けれど愛という名の欲が溢れてなのかしらね――
そんな愚痴がレティシアの脳内をぐるぐる回る。
彼らはどう始末をつけるつもりでいるのだろうか。
そうこうしている間にも行為は続き、このままいくと全裸になりそうで、レティシアはついにハアと重たいため息を吐きだした。
情などない婚約相手とはいえ、さすがに知っている男女の全裸を見るのは嫌だ。
もうとっくに隠蔽魔法は解いているのに、まるで気づかない二人に心底呆れながら、「んんっ……」と唸ってみた。
その瞬間まで激しく絡み合っていた目の前の二人が、ピシッと動きを止める。
錆びたブリキ人形のようにギギギギギッとぎこちない動きで振り返ったのは、レティシアの婚約者である王子様。
もうこの証拠を入手した瞬間から「婚約者だった」になる王子様だ。
もう一人に視線を向けると、ただ愕然としていた。大きな瞳をさらに大きく見開き、キスで腫れた唇を「あ」の言葉に開けたままジッとレティシアを凝視している。
(なにその顔……今まで見たことないぞ妹よ)
そんなにビックリすること? とレティシアは考えて、いやするか。と思いなおす。
さぁ今から二人の愛のフィナーレという時、部外者が寝室にいるのだ。しかも、今の今まで熱烈に愛し合ってた男の婚約者である実の姉が。
妹よ、さっさと話を済ませて帰るから安心してね――とレティシアが再び王子に目を移すと、彼はなんとか言葉を口にしようとしているようで、口をパクパク開いたり閉じたりしている。
「お、おまえ……レティシア! こんなところでなにをしている!」
「ジェレマイア様こそ、な、に、を、されているのでしょう」
その言葉に、王子は自らが置かれた状況にようやく気づいたようだった。
「ち、違うんだ。これは。誤解だ、レティシア。勘違いをするな……いいな?」
――違う、誤解、勘違い……自分は半裸のままで女の上に上半身がのしかかってて?
(高貴な血筋の優秀な王子様でも、こういう時は浮気がバレた時の常套句みたいなセリフ吐くんだなぁ……)
思わず感慨深い気持ちになる。
王子という最上位の身分なのだから、婚約者に浮気がバレたとわかっても「気が散る、出ていけ!」なんて上から目線なことを言うかもと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「ご安心ください殿下、私は勘違いなど一切しておりませんよ。半裸の男女がベッドで睦み合っていた。と、正しく認識しております」
ご安心ください、と言ったあたりで王子は一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、キッパリと言い切られてまた固まる。
うやむやになどさせるものかという強い意志を感じたからだろう。
「いや、違う! これはだな……! これは……だから、これは……」
(王子が言葉に詰まるなんて珍しい。よほど混乱しているのね)
政務や外交など、人と対面する仕事は王子の得意分野で、王子が担当する交渉事はいつもかなりの確率で自分に有利な条件をとりつけていた。
たとえ不意を突かれて当初の計画を崩された時でも眉一つ動かさず立て直す手腕は、周囲から高い評価を受けている。
次期国王として充分な資質の持ち主であると、国内はもちろんのこと他国からも認識されているのだった。好色なことも人知れずバレていそうではあるが。
令嬢たちに大人気の見目麗しい容姿も、この取り乱す姿を見たらどうだろう。
レティシアは冷めた瞳で、見た目だけは完璧な王子を見つめた。
――さぁ、そろそろ終幕だ。
この証拠を手紙とともに私室に置いて、国外に逃げる。今後レティシアが王子と会うことは二度とないだろう。
「殿下、これ以上のお言葉は不要です。周囲への影響もございますから、私との婚約は破棄ではなく円満解消とした上で、そこにいる私の妹に婚約相手を変更ということにしておいてくださいませ。妹は同じリデル侯爵家の娘、政略的にも後ろ盾にもなんら不足はございません。せっかく整えた各派閥の力関係に混乱も生じることはないでしょう。諸々の手続きはすべて父と妹にお任せいたします。……五年間の婚約期間において、私は不満だらけの至らぬ婚約相手であったことでしょう。そのことだけは申し訳ありません。それでは、大変お世話になりました」
ここで美しいカーテシーをして退場すれば綺麗な終わり方だったが、その前に王子がしゃがれた声で問いかけた。
「おまえは……なにを言っている?」
まるで酒に酔ったように覚束ない足取りでフラフラとレティシアに近づいてくる。王子の顔色はもはや真っ白になっており、しかし瞳だけは縋るような強い視線をレティシアに向けていた。
王子が一歩近づくたびに、レティシアは一歩後ろへ下がる。
それは二人の心の距離のようであった。
「レティシア……」
縮まらないもどかしい距離に、王子は懇願するように名前を呼ぶ。
これまで婚約者を尊重したことなどなかったというのに、レティシアがずっと自分のそばにいてくれるとでも思っていたのだろうか。
「それでは、お邪魔してしまってすみません。どうぞお続けになってください。……失礼いたします」
最後の機会なのだから、今までの辛い気持ちや鬱憤をぶつけてやってもよかった。けれど、もう今さらだ。泣き喚いて罵っても、二人が不貞を働いた事実が消えることはない。
本音を吐露し互いの思いをぶつけ合えれば、なにか変わっただろうか。だがそれでどうにかなる時期は過ぎ去ってしまった。
自分も悪かったとは、レティシアは決して思わない。ただ、できることがもしかしたらほんの少しはあったのかもしれない。
辛かったし、たくさん泣いた。これが王族の妃になるということなのかと思ったりもした。
しかし王命で決まった婚約だと思い、結局は許してしまった。
だからいろいろなことを諦めた。
国のために民のために、私を育ててくれた両親のために、兄のために妹のために。
自分が王族に嫁ぐことみんなが幸せになるならと。
けれど妹と婚約者の裏切りによって前世の記憶が戻り、レティシアは取り戻す決意をしたのだ。
誰のためでもない、自分のための人生を。
今まで育ててくれた両親には、いつか必ず恩返しをする。
わがままを通した償いはするつもりだ。
レティシアは魔法石をグッと握り締め、転移魔法を発動させた。
金色の魔法陣が足元に浮かび上がる。レティシアの体を金色の魔力が包み、わずかな煌めきを残して消え去った。
◇◆◇
転移先はレティシアの自室だった。転移魔法はもう何度も使用しているが、一瞬で視界がガラリと変わることにはまだ慣れない。
「あぁ~、あの濃厚な甘ったるい匂いの後に嗅ぎ慣れた匂いを嗅ぐと心底ホッとするぅ~もう二度と嗅ぎたくない匂いだわ……」
室内の空気を肺いっぱいに吸い込み深呼吸する。まだ鼻に残るあの部屋の匂いを上書きするように、何度も念入りに。
「それにしても王子のあの顔……ブフッ、クフフッ」
いつもお綺麗な顔が、すごい間抜け面だった。
あの表情が見られただけでも自分の姿を晒してまで王子と対面した甲斐がある。
こっそり撮影するだけでも別によかった。誰が撮った映像なのかは曖昧にして「どなたかから送られてきた」と手紙と一緒に残すだけでも逃亡計画はうまくいっただろう。
けれど五年の婚約期間、婚約者としての尊厳をずっと軽んじられてきたのだ。最後になにか嫌味の一つでも言ってやりたかった。
妹に婚約者の座を譲ることをちっとも惜しんでいないところを、王子に突きつけたかった。
自分にとって王子の婚約者という地位も王子自身もどうでもいい存在なのだと示したかった。
それなのに、開き直るかと思っていた王子があんなに必死で否定してくるとは思わなかった。
去り際、王子の瞳には絶望が宿っていた気がする。
(そんなに私の魔力が惜しいのかしら)
純度の高い魔力持ちはかなり希少だ。レティシアを逃がさないようにしろと、王子は常日頃言われていたらしい。
だというのに結局、一番手を出してはいけない相手に手を出してしまった。
もう、レティシアには関係のない話だが。
両親や兄のことは心配だが、妹は家族の絆と引き換えに欲しい者を手に入れた。その後どうなるかは彼女次第だ。
すべての準備は整った。
愛用の書き物机に『記録水晶』と名づけた魔道具を置く。魔水晶から作り出した再生用魔道具だ。
そして先ほどの証拠を記録した魔道具の背面から、三センチほどの薄い正方形の部品を抜いた。それを記録水晶に押し当てると、トプンと部品が呑み込まれた。
この記録水晶は、見た目は丸い球体の水晶玉だが、手に持って「再生」と口にすると半円型に光が照射され、映像を投影することができる。前世で言うところのプロジェクターだ。
もっと小型化したかったが、今のレティシアの力量ではまともに機能するものを作るので限界だった。
記録用の魔道具のほうももっと小型化できれば、諜報活動をする者にとって喉から手が出るほどに欲しい代物になるだろう。権謀術数が渦巻くこの貴族社会、誰にも気づかれずに相手の弱みを握れば、どれだけ優位をとれることか。
どの道具にも言えることだが、使用する人間次第で善にも悪にもなるのだ。
魔道具の準備を終えたレティシアは、この後の計画を確認する。
明日の早朝、いつものように起きてすぐ侍女を呼ばないレティシアを不審に思った使用人の誰かがこの部屋を訪れる。部屋に入るとベッドはもぬけの殻。慌てて周囲を見回すもレティシアはもちろんいない。その時、書き物机にある魔道具と手紙を見つけるのだ。
記録水晶の使い方は、手紙に書いておいた。そして家族にはあの王子たちの痴態を見てもらうことになる。
手紙には、婚約者と自らの妹が不潔な関係であることを知り、耐えがたいショックを受けたことで婚約の辞退を考えるも、王命による婚約であるために辞退の難しさに気づき絶望したこと。しかし不貞の相手が両親を同じくする妹であり、王子と恋仲であるならば不要なのは自分に違いない、ならば婚約者を自分から妹へ入れ替えることで円くおさまるはず。不貞とはいえ、婚約者の存在があっても断ち切ることができぬ想いを重ねる二人をどうか添い遂げさせてくださいますよう、レティシアの一生のお願いです――と、そんなことをつらつらと書き連ねた。
あくまでこの婚約は侯爵家と縁を結ぶことだけを目的しているのだと認識している風を装って。
レティシアがいなくなって婚約者が妹に挿げ替われば、王子の年齢から考えても急ピッチで妃教育がはじまるだろう。着飾ってお茶会や観劇などに行くような余裕など少しもない妹を横目に、王子が今までのように奔放な女遊びを続けることは火を見るよりも明らかだ。
五年間も女関係にだらしなかった王子が、そんな状況で満足するはずがないのだから。
対外的には、レティシアは快癒の難しい大病を患った、ということにでもしておいてもらえるように、父への伝言も書いておいた。
(ほとぼりが冷めた頃に病から回復したことにして、またお父様やお母様の娘として、侯爵令嬢として受け入れてくれるかしら)
きっと年齢的にも評判的にもまともな結婚は難しくなっているだろうから、領地のどこかでひっそりと暮らすことを許してもらいたい。もちろん、その頃には魔道具師として腕を上げている予定だから、きっと両親や侯爵家の領民たちにお詫びも恩返しもするつもりだった。
侯爵令嬢としての地位や特権を失うことには未練はない。
そう思えるのは前世の記憶が戻ったからなのか、規則や慣習でがんじがらめの貴族よりも、自由度の高い平民という身分に魅力を感じてしまう。
多分それは前世の記憶だけではなく、魔道具制作の能力で安定した稼ぎができるとわかっていることも大きいのだろう。
お金は大切だ。それに、魔道具があればたとえ賊に襲われても太刀打ちできる。
魔水晶さえあればどんなこともできるという大きなアドバンテージは、レティシアに自信と余裕をもたらした。どんなものを作ってどんな風に生活しようかと、これから進む先にワクワクした。
――と、いうわけで。
これから国外へ出て、便利魔道具で商売をして、安定した稼ぎを得て生活の基盤が整ったら……大変な迷惑をかけることになるだろう両親と兄に、改めて土下座をしに戻ってこようと思う。
妹のあられもない姿を強制的に見せたことも謝ろう。
手紙は三通書いた。
一通は失踪するに至った理由と、五年間の婚約期間に受けた仕打ちへの思い。そして記録水晶の使用方法と内容。
二通目は、今まで本当に大切に育て慈しんでくれた両親への感謝の手紙。書きながら少し泣いてしまった。
三通目は、現在、他国へ留学している優しい兄への手紙が一通。兄は非常に優秀で、自国の学園を飛び級してあっさり卒業してしまったため、他国でさらなる学びに励んでいる。
手紙はこの三通のみ――妹へは、書かなかった。
レティシアは魔法石を握り、インベントリを展開した。異世界ものでおなじみの、亜空間になんでも収納できる便利魔法だ。魔法石の使い方をさぐっている時に、当然これも再現できないか試しておいた。
目の前に、ブラックホールのような黒く丸い穴が開く。そこには、すでに様々なものを無造作にポイポイと入れてあった。食料や生活必需品は当然のこと、野営道具なども用意してある。
もう、いつでも出ていける。
侯爵令嬢として所持していた装飾品のほとんどは、ここには入っていない。
けれど十五歳の誕生日を前に贈られたネックレスは、持っていくことにした。
王宮で来月開催される夜会で、レティシアはデビュタントを迎える予定だった。その前に国を出ていくのがわかっていたため、「デビュタントにつけていきたいの」と嘘をついてまで両親に早めのプレゼントをお願いしたのだ。
最近流行りの大きな宝石をいくつも使った派手なものではなく、小ぶりな宝石をティアドロップ型に加工しただけの、シンプルなものだ。けれど使われているのはとても稀少な宝石で、加工時に出た宝石の欠片を使って、そろいのピアスも一緒に作ってくれた。ネックレスのチェーンには小さな花を模した精工な細工がされており、細部までとてもこだわっているのがわかる品である。
両親のレティシアに対する愛を感じるこのネックレスとピアスだけは持っていきたかった。
最後に自室をぐるりと見渡す。
感傷的な気持ちが込み上げて、泣きそうになる。
もう少し、あと少し……最後に、両親の顔を少し見てから……
気持ちが大きく揺らぐ。けれど行動に移したくなる前に、レティシアは魔法石を握り締めた。
――大丈夫。一生会えないわけじゃない。
金色の魔法陣が現れ、レティシアの姿は消えていった。
◇◆◇
魔水晶とイメージ力さえあればなんでもできるほどのチートな魔力を長年所持していながら、レティシアはそれを前世の記憶がよみがえるまで使用しようとも思っていなかった。
隣国への逃避行が転移魔法でサクッとできたとしたら、レティシアはもっと早くに行動していたかもしれない。けれど、そんな簡単にはできない理由があった。
どんな魔法にも、ある程度の制約がある。
そもそも新たに魔法を生み出す際は、本来なら非常に煩雑な作業が必要だ。聖魔紙と呼ばれる特殊な紙に緻密な魔法陣を描き、魔法の内容や発動条件を正確に記した上で、それが理に叶っていなければ発動しない。
その作業をショートカットして想像だけで新たに魔法を生み出すことができるレティシアはとんでもない能力の持ち主なのだろう。
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