どうぞお続けになって下さい。 ~浮気者の王子を捨てて、拾った子供と旅に出ます~

iBuKi

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1巻

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   第一章


 月の光も星の瞬きも消えた闇夜。
 静寂と暗闇に包まれた室内。
 淡く室内を照らす灯りは闇夜にそっと隠した秘密のありを示す道しるべのよう。
 室内を彩る高級な調度品の間延びした影が壁に映っている。
 動かないそれとは別に、影絵のように動く影が二つ。
 影の先に見えるのは、今からむつみ合うつもりだろう男女の姿。
 せわしなく互いの衣服を脱がせ合いながら、激しいせっぷんを交わしている。互いの呼気を奪うかのような口づけでますます荒くなる呼吸の合間にれ出る、甘えたようなきょうせい
 女の胸元の肌が露わになるにつれ興奮した男がのしかかり、女はドサリとベッドに倒される。
 男はそのまま女に覆いかぶさるようにして、期待するように見上げる女の唇を奪った。
 ――うーん……わい。ここまで観察すればいいかな。いいよね?
 レティシアは手に持った魔道具に流していた己の魔力をしゃだんし、動作が正常に停止したことを確認する。
 これで「言い訳無用の証拠」のできあがり。
 わいな影を作るそこの男女は、自分の近しい知り合いである。知り合いの濃厚ラブシーンなど見る趣味はないし、勧められても断固として見たくない。それなのにわざわざいんぺい魔法まで使して部屋に身を潜めていたのは、この証拠を得るためだ。
 男のほうは長年の婚約相手、女のほうは血の繋がったレティシアの妹。
 ただの浮気と呼ぶなかれ。彼はこのアンストート王国の王子なのだ。それが婚約相手の妹に手を出した。大変なしゅうぶんだ。
 この証拠は大切な切り札になる。
 ――私が狙うのは婚約破棄じゃない。王命で結ばれた王家と我がリデル侯爵家の繋がりはそのままに、王子の婚約相手を私から妹に入れ替えるのよ。
 婚姻後も側室や愛妾などを山ほど持てる王族相手に、婚約段階での火遊びを理由に婚約破棄だと迫ったところで相手にはされない。なにも今回が初めてではないのだ。そのたびにレティシアは婚約破棄の意思を口することすら許されず、ただ王子に対する指導という形で手打ちとされた。
 誰も彼も本気で婚約をとりやめることはない、できないと思っている。
 正直、別に今さら浮気された怒りから婚約解消を望んだわけではない。
 ただ、己の人生を取り戻したいのだ。
 国のために民のためにと世継ぎの王子の隣に並び立ち、苦楽をともにしながら影に日向に支えていこうという、かつての健気で崇高な思いはもうじんもない。
 その崇高で健気な役は妹が担ってくれるだろう。
 浮気している人間に責任感なんてあるわけないが、それでは困るのであるということにしておく。
 きっと愛の力でどんな困難も乗り越えていけるはずだ。
 ここまで来るまで、なかなか長かった。


 婚約が決まったのはレティシアが九歳、王子ジェレマイアが十七歳の時。
 結構な年の差だった。
 婚約してからこれまでの間、唇へのキスはもちろんのこと頬に口づけられたことすらない。
 五年以上経っても進展はなく、幼い頃のイメージが消えずにそういう対象として見られないのかもしれない。
 初めて婚約の打診があった時は幼すぎて釣り合いが取れないだろうと、両親がやんわりとお断りをした。ほかにも婚約者候補はいることだし、そこで引き下がるだろうと思われた。
 ……が、りずにまた打診が来た。打診というか、国王じきじきの命令であった。
 それ絶対に断れないやつ……である。
 お父様は激しく抵抗し、当時はだいぶ荒ぶっていたが、お母様がなんとかなだめていろいろな条件をつけることでようやく婚約は成立。
 幼心にも婚約相手がずいぶん年上のこの国の王子だったことに、とても驚いた。
 もしかして、自分の知らないヒミツの姉がいるのでは? と思わず明後日の方向に考えが行くほどには信じられなかった。
 八歳の年の差も、ある程度の年齢になればそう珍しくはない。
 しかし、幼い少女だったレティシアの目に王子の姿は父や母と同じに見えた。
 婚約者と過ごす時間は、大人である彼とどう仲良くすればいいのか、なにを話せばいいのか戸惑うばかりだった。
 それでも、憧れはあった。
 初めて会った時は、まるでとぎばなしの世界から抜け出してきたように美しい王子様だと思った。
 その美しい王子様と婚約した自分は、たくさんの人たちに祝福される『いつまでも幸せに暮らしましたとさ』の、お姫様。
 けれど現実は甘くない。むしろ苦いことのほうが多いことを少女だったレティシアが知るのに、さほど時間はかからなかった。
 夢見ていたような甘い展開にはならないし、お姫様になるにはなにもかも足りなかった。
 貴族令嬢としての教育とは、まるで次元の違う妃教育。求められる水準の高さが少女だったレティシアを作り替えようとしてくる。
「できないので辞めます」なんて言えるわけがないし、許されるわけがない。
 できなければできるまで終わらない。
 できた後はすぐに上のレベルが求められ続ける。
 終わりのない階段を一段上がるたびに、優秀だと褒めそやされ、さすがですと微笑まれる。
 けれどレティシアが特別優秀かといえばそうでもない。少し記憶力がいい程度だ。
 厳しい授業の後で必死に復習をして、毎日毎日気が遠くなるほどに繰り返し、次の授業の日にそつなくこなした風を装っていただけ。
 そんな日々だから婚約者と交流する時もマナーを厳守することにばかり必死だったし、頭の中も学んだばかりのあれこれがぐるぐるしていた。
 王子様と仲良くする、などという余裕はあるはずもなかった。
『いつまでも幸せに……』ではなく国とそこに住む国民のために、妃として選ばれた自分ができることを考えようと、歯を食いしばって努力する日々だった。
 やがて教育の厳しさにも少しずつ慣れた頃。
 世継ぎの王子様なら自分以上に辛さを味わっているだろうと考え、ジェレマイアに弱音を吐いてもらえるようになりたいと思った。
 互いにはげまし合うことができればもっと頑張れそうだと。
 けれど、どんなに話しかけても王子は薄い笑みを向けてくるばかり。
 話す内容も似たり寄ったりで、心の距離は近くなるどころか遠くなっていった。
 幼いレティシアに、人の心のはまだよくわからない。
 母は「優しくしてほしければ、まずは自分から相手に優しくするのよ」と言っていた。
 けれどレティシアが思う優しさを尽くしたところで、王子の態度は変わらなかった。週に一度、婚約者との交流として王宮の庭でお茶をする時間も、だんだん苦痛を伴うものになっていった。
 レティシアがなにを話そうと、「それは頑張りましたね」「偉いですね。このまま頑張ってくださいね」が交互に返ってくるばかりで、思い出せばいつもとってつけたような態度であった。
 幼い婚約者が相手では、子守りをさせられているようなものだっただろう。
 八歳も下の女の子となにを話せばいいか、王子も同じように戸惑っていたのかもしれない。
 そんな日々が続き、ついに正式な婚約のおを迎えた。
 レティシアの年齢では夜会に参加できないため、王家主催の盛大なお茶会が開催された。
 そこでレティシアに突きつけられたのは、なぜジェレマイア王子が自分に対して距離を置いているのかを知らしめるような現実だった。

「幼い貴女では殿下は満足できないでしょうね。殿下がお可哀想」

 美しく着飾った王子と近い年の令嬢たちが、言い回しは違えどそんな内容の言葉を繰り返しレティシアに告げる。
 満足、とはなんだろうか? 王子様が可哀想? とたくさんの疑問を頭に浮かべるレティシアに渡されたのは、綺麗な装飾の封筒に入った手紙だった。
 おを終え、屋敷に戻ったレティシアはその手紙を開いた。
 名前は書いていなかったが、渡してきた令嬢の顔は覚えている。
 十歳になったばかりのレティシアにとって、その内容は難解であった。意味のわからない箇所を何度読んでもますます謎が深まる。
 すっかりお手上げになったレティシアは母のもとへ向かい、読んでもらうことにした。そして無邪気な顔で、手紙に書かれた内容の意味を尋ねたのだ。
 青くなったり赤くなったりしながら読み終えた母は、すぐさま父を呼ぶよう母付きの侍女に伝えた。そして慌ててやってきた父に無言で手紙を渡した。
 読み終えた父はげっこうし、手紙をくしゃくしゃに丸めて捨てた。
 優しい顔しか見たことがなかった両親が鬼のように怒る姿におびえながら、レティシアは「あの手紙はよくないものだったのだ」と理解した。
 手紙の全容まではわからなくても、使われている単語が男女の恋愛のことだということは理解していた。ただそんな話を自分に語る意味がよくわからなかった。
 両親の怒りから、ようやくその内容がわいじょく的な内容だとわかったのだった。
 手紙を渡してきた令嬢は王子の恋人なのかもしれない、と思った。
 そのまま両親の怒りに任せていれば、もしかしたらその時点で婚約解消ができたかもしれない。
 その時のレティシアは幼く純粋すぎて人間のねたそねみという汚い感情に対してまったくの無知だった。高度な妃教育を受けていながら、徹底的に守られた箱入りの脳内お花畑少女だったのだ。
 レティシア嬢と直接話がしたいという王家からの必死な打診で話し合いの場が持たれ、あの手この手の謝罪と言い訳の数々に、よくわからないままに受け入れてしまった。
「二度とこのようなことがないように徹底する。大変申し訳なかった」という王の言葉を。
 それはつまり、二度とこのような関係をレティシア以外と結ばせない――という意味だと信じ切って。


 ――前世の記憶が戻った日。
 あの日は、王子との交流のお茶会が我が侯爵家で開かれる日だった。
 週に一度、義務感だけでともにする二人だけのお茶会。挨拶と近況を報告し終えればもう話すこともなくなる。あとは定められた時間までお茶を飲むだけ……
 交流のためと言われて婚約して以来続けてきたが、関係がよくなるどころか後退している気すらする。それでも変わらず毎週開催されるこの時間に、重たいゆううつを感じていた。
 婚約者となってずいぶん時間が経つというのに、レティシアがジェレマイアについて知っているのは公にされている情報だけ。
 こんな有様で結婚など、まさに夢のまた夢ではないのか。

(結婚すれば、変わる?)

 まさかである。悪化することはあっても好転することはないと思わざるを得なかった。
 お互いに相手のことを苦手だと思っているはずだ。
 それぞれ歩み寄ることもせず、ただ時だけが流れた五年間だった。
 そんな状態が続いたお茶会の日――
 王子の訪れをメイドに知らされ、レティシアはお茶の用意がされている庭先へ出た。
 しかし用意された場に王子はおらず、使用人も知らないとばかりに首を振る。
 待たされることはたまにあるが、それは王宮でのこと。執務に時間がかかって、というくらいだ。
 ここで待つか探すか、すれ違いになっては面倒だし……と少し迷ったが、結局探すことにした。
 応接室、父の執務室前、正面玄関、まさか自分の部屋かと、レティシアはかくれんぼする相手を探すように屋敷を歩き回った。
 そして……見つけた。
 屋敷の建物から少し離れた庭のあずま。父と母が二人きりで静かに過ごす時に、よく利用している場所だ。
 そこに王子はいた。けれど、一人ではなかった。
 レティシアの妹、ロザリンドと――キスをしていた。


 あの手紙の一件があってからも、結局裏では王子がほかの令嬢たちと関係をもっているという噂は幾度も耳に入っていた。「二度とこのようなことがないように」という王の言葉は、レティシアに直接関係を知らせるようなろうぜきはさせないという話でしかなかったのだ。
 辛く悲しかったが、もはやなにも感じなくなるほどにはもう慣れていた。
 それでも、さすがに血の繋がった妹との裏切りはショックだった。
 吐き気と頭痛がした。重たい絶望が体をがんがらめにして、この場から逃げ出したいのに足が地に根づいたように動かない。
 表はせいれんけっぱくな顔をして裏では大変に好色な王子の裏切りよりも、妃教育がはじまるまでは仲がよかったはずの家族に裏切られる苦しみが、血を吐くように苦しかった。
 激しく痛む胸を押さえ、立っていられず思わずうずくまった時――

『あ、これ、前にも経験したことある』

 突然、そう思った。
 ここじゃないどこか、今の自分じゃない自分。この世界じゃない世界で――
 ――私は同じような体験をしたことがある。
 その感覚をきっかけに、レティシアは前世というものを思い出したのだった。
 今の自分と関係のない過去の自分の精神と交代することで、弱り切ったレティシアの心を守るかのように。
 過去の自分を思い出していくにつれ、もうこんなけがらわしい婚約者と関係を続ける意思などはじんもなくなっていった。
 婚約者でありながら、他人より遠い人。
 過去の自分からすれば初対面。知人ですらない。なんの思いも持たない相手。
 王命で結ばれた婚約? はぁ、知らんがな。と思う。
 前世でも、自分は己の妹と婚約者に裏切られたのだ。
 婚約者との関係は良好だった。なによりその相手を心の底から愛していた。
 だから、裏切りは死にたいほどに辛かった。
 それが理由で、過去の自分は自ら死を選んだのだろうか――? そこら辺の記憶はあいまいだ。辛いことは思い出さなくていいということだろうか。
 まあ、もう世界すら違う過去のことだからどうでもいいけれど。
 記憶が戻る前のレティシアにとって、婚約者とは義務以上の関係ではなかったが、妹には家族としての愛情があった。
 ――妹も私のことを慕ってくれていたのでは、なかったのだろうか……
 妃教育がはじまって忙しくなったために、妹と以前のように過ごすことはできなくなっていた。
 だからといって、まったく交流がなくなったわけではなかったのに。
 我が家では、ばんさんだけは家族そろってとると決まっている。だから、夜だけでも毎日顔を合わせていたはずだ。会話も弾んでいた。
 それなのに、前世と現世のどちらも妹に裏切られるって、どんな因果か。
 現実逃避したくなるが、そこから逃げてもまだあの好色王子との婚姻が待ち構えている。
 冗談じゃない。
 そもそもこの婚約が王家と侯爵家との縁を結ぶためなら、レティシアでなくてもいいはずだ。
 あの時王子の婚約相手に選ばれたのは、妹より一歳だけでも年上だったからだろう。
 今なら十四歳と十三歳――あまり変わらない気がする。
 あんなに熱烈なキス交わした相手が婚約者になるのだから、王子に不満などないだろう。むしろ感謝されてもいいくらいだ。
 王子は妹と婚約できて喜ぶとして。一番の揉めそうなのは王子以外の人間だろう。
 特に王命まで出して婚約を結ばせた陛下と王妃……
 レティシアはこの五年間かけて、血を吐く思いで妃教育をほぼ習得した。
 婚姻後でなければ学ぶことのできないこともあるため完全に修了というわけではないが、ここまで学ぶのに五年というのは最短記録らしい。
 そのレティシアを今さら王家が諦めるだろうか。
 また王子の火遊びといっしゅうされる可能性もある。いや、その可能性のほうが高い。
 ロザリンドがレティシア以上に優秀だったとしても、教育が終わるまでに三年か四年、ジェレマイア王子は二十六、七歳……世継ぎを作るには遅いはじまりである。
 それにロザリンドを新たな婚約者として挿げ替えるのに障害になりそうなことがもう一つある。
 レティシアの魔力だ。
 現在王国に存在する魔力持ちの中で随一と呼ばれるほどに、レティシアは魔力の純度が高いらしい。魔力の質は両親どちらかの性質を引き継ぐことがほとんどらしいが、まれにレティシアのような例外も存在する。
 こうした例外的な力を持つ者は、『神の祝福』と呼ばれる。
 レティシアがそんな魔力の持ち主ということは、王家に純度の高い魔力の子を提供できるということ。わざわざ国王が王命を出してまで婚約を結ばせた理由の一つはきっとそれだろう。
 ロザリンドの魔力は並だ。王子がロザリンドを選んでも、国がレティシアを手放すまいとしたら……
 王妃を自分に、側室を妹に……なんてとんでもない考えが浮かんだ。
 意味のない考えだとレティシアは頭を振る。
 同じ家から王妃と側室を出したりすれば権力が一点集中してしまう。他家からの反対は免れない。
 そうなればやはり、どうにかして王子の婚約者という立場から逃げ出す方法が必要だ。
 王子の暴走を野放しにし続けた王家など正直信用できない。なにせ王子だけでなく、王子の浮気相手の管理もできていないのだ。まだ幼い婚約者に王子との夜の関係を匂わせてくるなど気持ち悪いにもほどがある。
 いくら政略結婚とはいえこちらにも心がある。彼らなりにレティシアを尊重しているつもりで、実際はレティシアの尊厳をないがしろにしている。
 貴族の政略結婚なんてそんなものだ。家と家の繋がりであって、そこに個人の意思は必要ない。
 記憶が戻る前のレティシアだって理解していたから我慢した。王子とほかの令嬢の関係を知って不快に思っても、そういうものだと割り切っていた。
 前世の記憶が戻った今も、その考えは変わっていない。
 レティシアが無理だと感じたのは、王子の相手が妹だったからだ。
 婚約者の妹だと理解していながら口づけをする王子も、姉の婚約者とわかっていながら口づけに応える妹も気持ち悪い。
 両親には申し訳ないけれど――家を捨て、しっそうするという選択肢が頭に浮かんだ。
 この国ではないどこか。国境を越え、遥か遠くに見える隣国にでも移住してしまったりして。
『隣国へ移住』……そう考えた時、それはとても素晴らしい案だと思えた。
 国を捨てて、自由に生きる。
 両親には……隣国で生活基盤をしっかりと作れたら会いに戻ればいい。
 両親だけは王子とのことで苦しむレティシアをちゃんと尊重して、大切にしてくれた。
 王家に嫁ぐ有能な駒ではなく、娘としてとても愛してくれていることは、前世の記憶がよみがえった今もしっかりわかっている。
 国外逃亡。それを叶えるにはどうするのが一番スムーズか……
 国外へ逃げるとしても、先立つものがいる。逃げた先で生活をするにもお金は必要だ。逃亡資金は多ければ多いほどいい。
 侯爵家だけあって、レティシアが所持する宝石や装飾品はすべて極上の一級品ばかりだ。王家から定期的に贈られるドレスや装飾品もとんでもなく高価である。だがそんなものを売ればすぐに足がつくだろう。
 だからといって衝動的に国を出ても、移動しながら金策するような余裕もないだろう。
 王子の婚約者がいなくなれば、まずは誘拐を疑われるだろうし、そうでなくても即刻大捜索がはじまるに決まっている。一つの町で金策なんてしていたらすぐに追いつかれてしまう。
 侯爵家の図書室で調べまわり、よさそうな情報が見つからず冒険者にでもなるしかないのかなと考えていたある日。魔力はお金になることに気がついた。
 商売にできるほど魔法に詳しいわけではないからそちらの線は考えていなかったけれど、自分にはとんでもなく純度の高い魔力があるじゃないか、と。
 純度の高い魔力を持つ人間は、身分が平民であっても引く手あまなこの世界。
 幼いうちに魔力の純度の高さが判明すれば、貴族から養子に迎えられることも少なくない。
 それほどまでに魔力が求められる理由――
 それは、この世界で生活していく上で欠かせない魔水晶に関わっている。
 魔水晶という特別な水晶に魔力を流すことによって、流す者がイメージする様々な魔道具に変化させることができるのだ。
 魔力の純度が高ければ高いほど、イメージそのままのものができる。
 魔水晶自体にそこまで稀少性はない。宝飾に使用される水晶より少々高価な程度らしい。大きさにもよるが、手のひらに乗るサイズであればおおむねそれくらいの価値である。
 ――魔水晶で魔道具作れば金策ができる、前世の記憶が戻った私の脳内はイメージの宝庫だ!
 イメージさえできれば、魔水晶は物理的な法則などを一切無視して魔道具を作り出す。まさに魔法だ。一番必要なのはイメージで、この世界にないものでイメージできるものはたくさんある。
 ――純度の高い魔力に恵まれた私が前世の記憶を思い出して、ファンタジー小説でいう知識チート満載設定……素晴らしい!
 イメージとして使えそうなものは小説や漫画やアニメ、ゲームや映画……果てしなくある。
 ということは、この世界には存在しない殺傷能力に特化したとんでもない兵器も、イメージするだけでできるかもしれない。それに気づいた時、指先から頭の先まで凍えるような寒気が走った。
 そんなものを作りたいと思う自分になりませんように……と、いるのかわからない神様に祈った。
 そして魔道具を動作させるにも魔力が必要で、そこで必要になるのが魔法石だ。
 魔力が少ない人や一時的に魔力が足りない時など、いろいろ困る時に使用するのだ。
 魔法石のもとになるのも魔水晶で、魔道具と違って魔力を注入することだけをイメージして注ぐと魔法石になる。雑念なく魔力だけを注入するにはコツがいるらしいので、それ専門の人もいる。
 魔法石は種類が豊富で、前世でいう電池のようにただ魔力の放出をするだけのものもあれば、魔法がそのまま込められたものもある。
 その魔法が高位な魔法であればあるほど当然値段も跳ね上がる。
 魔水晶を入手してイメージするだけでさまざまな魔道具が作成できるなんて、チートにもほどがある世界だと思うだろう。けれど魔力さえあれば誰にでもできるわけではない。純度の低い魔力を注ぐと、魔水晶側が拒否するのかバキッとヒビが入ってしまうのだ。どうにか形になったとしても、その魔道具は望んだ通りのものにはならないし、耐久性も低い。
 そういう理由から、純度の高い魔力によって作られた魔道具や魔法石は高値で売買される。
 魔水晶の値段は変わらないのに、作り手が違うだけで何十倍にも何百倍にも売値が変わるんだから、純度の高い魔力を持つ人間は引く手あまなのだ。
 だから、レティシアは逃亡資金を稼ぐために、魔道具を作ることにした。
 魔水晶は、着なくなったドレスに縫いつけられていた小粒の宝石やレースと交換して入手した。
 試みは大成功だった。
 魔水晶に魔力を流しつつ、頭の中で詳細に作りたいものを想像するだけで、イメージ通りの魔道具があっさり完成する。


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