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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章
10.秘密をひとつ
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声が届く距離に一般の来館者がいなくなったのを見計らって、エリオットは尋ねた。
「ダニエルってどんなひと?」
マクミラン家がここ数代、展開している事業に成功して積極的な投資に乗り出しているのは、基本知識として知っている。しかし社交界で噂になるのは、もっぱら長男とふたりの姉について。末っ子である次男のダニエルについては、親しい友人すら見当たらなかった。
「三十二歳男性、大学の研究員だか講師だかで、都市についての研究をしてるんですって」
「……それだけ?」
「それだけ」
「求婚されてるんじゃなかった?」
「そうね。でも、会ったことないから」
「会ったこともない相手に、結婚を申し込まれてるのか?」
ここは中世か。いや、中世でも肖像画や釣り書きくらい交換する。
「SNSとか探してみた?」
「もちろん。でもそれらしいアカウントはゼロ。名前があるのは、貴族名鑑と大学のホームページの職員名簿だけ」
きっとアーミッシュなんだと思う。
キャロルは手を後ろで組んで、等間隔に並んだ絵画の前を歩いて行く。
「跪いて『結婚してください』と言われたんじゃないの。親を──つまり家を通しての打診」
「きみの両親はなんて?」
「ダニーのこと? 『いいひと』ですって。十歳も年上で、仕事を理由に一度だってデートに誘わない。そのくせ外堀だけは埋める男が? 目の前に連れて来てから言えっての」
ごもっとも。
さすがのエリオットも、キャロルの憤りには同意する。
「腹が立ったから、ほかのひととデートしてやったけど、何も言ってこないし。わたしに興味があるとは思えない」
「……もしかしてそれ、あの子爵のこと?」
「そう。そう言えば、あなた黒髪は似合わないわね。今の髪色のほうがいい」
「ありがとう。──あれは、人選ミスじゃないかと思うんだけど」
「そのとおりね。あなたの侍従を侮辱したのは本当に、何と言うか……クソだった」
片目を眇めたキャロルが、エリオット越しにイェオリを見る。
彼女とデート中だった子爵に遭遇し、差別的な言葉を投げかけられたイェオリは、丁寧に微笑みを返した。
エリオットが表舞台に姿を見せたことで、自分が罵ったのが王子とその侍従だと知った子爵からは、非公式ながら謝罪とお詫びの菓子が侍従の事務所へ届いたらしい。詫び状はイェオリに渡り、菓子のほうは侍従長から丁重に返送されたところまでは、エリオットも聞いていた。
「どうして、あれをデートの相手に?」
「お誘いがあった中で、年が一番近かったから」
「ショーレースには、まだ何人も参加中ってことか」
その中でもゴールに近いのが、マクミランだと言うだけで。ほかの男とのデートを黙認しているのも、自信の表れなのか。
「だけど、わたしは賞品じゃない」
キャロルはエリオットを振り返り、胸に手を当てた。
「あなたが誰かを選んだり、ダニーがわたしを選ぶのと同じように、わたしにだって相手を選ぶ権利があるの。選ばない権利もね。少なくとも、あなたと『恋人』でいるあいだは、マクミランも両親も何も言えない。……あなたに決闘を申し込む度胸があれば別だけど」
げぇ、とエリオットは顔をしかめた。
手袋を投げつけられたって、絶対に拾わないからな。
「でも、これは根本的な解決にならない。それは分かってる?」
エリオットと『別れて』しまえば、ダニエルが諦めない限り状況は変わらない。
キャロルは思案するように沈黙したあと、自分から目を離さない警護官を、軽く手を振って遠ざけた。
密談の気配を察して、イェオリも少し離れてくれる。逆に、エリオットは許容範囲までキャロルのそばに寄った。その細い腕を伸ばされても、ぎりぎり届かない距離。
掌の中に捕まえた蝶を見せるように、彼女はきらきらとした目でエリオットに囁いた。
「わたし、ウィーンへ行くの」
「ウィーン? オーストリアの?」
他に思い当たる節もないが、エリオットは聞き返した。
「来期からの留学の話が決まりそうなの。うまくいけばもっと早く。周りはみんな、物見遊山だと思ってるけど、シルヴァーナへは帰らないつもり」
「帰らないって……」
亡命でもする気なのか。
キャロルはブラウンの瞳を瞬かせる。照明の映り込んだ光彩が、宝石のかけらのように輝いた。
「むこうで音楽を仕事にしたいの。こんなところで勝手に将来を拘束されるなんて、冗談じゃない。だから長くて半年、あなたの恋人でいさせて」
「本気で?」
「えぇ。これは、わたしの『笑われた夢』よ」
「ダニエルってどんなひと?」
マクミラン家がここ数代、展開している事業に成功して積極的な投資に乗り出しているのは、基本知識として知っている。しかし社交界で噂になるのは、もっぱら長男とふたりの姉について。末っ子である次男のダニエルについては、親しい友人すら見当たらなかった。
「三十二歳男性、大学の研究員だか講師だかで、都市についての研究をしてるんですって」
「……それだけ?」
「それだけ」
「求婚されてるんじゃなかった?」
「そうね。でも、会ったことないから」
「会ったこともない相手に、結婚を申し込まれてるのか?」
ここは中世か。いや、中世でも肖像画や釣り書きくらい交換する。
「SNSとか探してみた?」
「もちろん。でもそれらしいアカウントはゼロ。名前があるのは、貴族名鑑と大学のホームページの職員名簿だけ」
きっとアーミッシュなんだと思う。
キャロルは手を後ろで組んで、等間隔に並んだ絵画の前を歩いて行く。
「跪いて『結婚してください』と言われたんじゃないの。親を──つまり家を通しての打診」
「きみの両親はなんて?」
「ダニーのこと? 『いいひと』ですって。十歳も年上で、仕事を理由に一度だってデートに誘わない。そのくせ外堀だけは埋める男が? 目の前に連れて来てから言えっての」
ごもっとも。
さすがのエリオットも、キャロルの憤りには同意する。
「腹が立ったから、ほかのひととデートしてやったけど、何も言ってこないし。わたしに興味があるとは思えない」
「……もしかしてそれ、あの子爵のこと?」
「そう。そう言えば、あなた黒髪は似合わないわね。今の髪色のほうがいい」
「ありがとう。──あれは、人選ミスじゃないかと思うんだけど」
「そのとおりね。あなたの侍従を侮辱したのは本当に、何と言うか……クソだった」
片目を眇めたキャロルが、エリオット越しにイェオリを見る。
彼女とデート中だった子爵に遭遇し、差別的な言葉を投げかけられたイェオリは、丁寧に微笑みを返した。
エリオットが表舞台に姿を見せたことで、自分が罵ったのが王子とその侍従だと知った子爵からは、非公式ながら謝罪とお詫びの菓子が侍従の事務所へ届いたらしい。詫び状はイェオリに渡り、菓子のほうは侍従長から丁重に返送されたところまでは、エリオットも聞いていた。
「どうして、あれをデートの相手に?」
「お誘いがあった中で、年が一番近かったから」
「ショーレースには、まだ何人も参加中ってことか」
その中でもゴールに近いのが、マクミランだと言うだけで。ほかの男とのデートを黙認しているのも、自信の表れなのか。
「だけど、わたしは賞品じゃない」
キャロルはエリオットを振り返り、胸に手を当てた。
「あなたが誰かを選んだり、ダニーがわたしを選ぶのと同じように、わたしにだって相手を選ぶ権利があるの。選ばない権利もね。少なくとも、あなたと『恋人』でいるあいだは、マクミランも両親も何も言えない。……あなたに決闘を申し込む度胸があれば別だけど」
げぇ、とエリオットは顔をしかめた。
手袋を投げつけられたって、絶対に拾わないからな。
「でも、これは根本的な解決にならない。それは分かってる?」
エリオットと『別れて』しまえば、ダニエルが諦めない限り状況は変わらない。
キャロルは思案するように沈黙したあと、自分から目を離さない警護官を、軽く手を振って遠ざけた。
密談の気配を察して、イェオリも少し離れてくれる。逆に、エリオットは許容範囲までキャロルのそばに寄った。その細い腕を伸ばされても、ぎりぎり届かない距離。
掌の中に捕まえた蝶を見せるように、彼女はきらきらとした目でエリオットに囁いた。
「わたし、ウィーンへ行くの」
「ウィーン? オーストリアの?」
他に思い当たる節もないが、エリオットは聞き返した。
「来期からの留学の話が決まりそうなの。うまくいけばもっと早く。周りはみんな、物見遊山だと思ってるけど、シルヴァーナへは帰らないつもり」
「帰らないって……」
亡命でもする気なのか。
キャロルはブラウンの瞳を瞬かせる。照明の映り込んだ光彩が、宝石のかけらのように輝いた。
「むこうで音楽を仕事にしたいの。こんなところで勝手に将来を拘束されるなんて、冗談じゃない。だから長くて半年、あなたの恋人でいさせて」
「本気で?」
「えぇ。これは、わたしの『笑われた夢』よ」
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