箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

真木もぐ

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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第五章

14.まるごと愛して

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 エリオットは頭を上げて、バッシュを見つめた。非の打ち所のない、端麗な顔を。

 バッシュはエリオットを知ってる。公式プロフィールも、非公式な病歴も、面倒くさがりで臆病なことも。しかし、エリオットがなにを考えているのかは、当たり前だが分からない。そしてエリオットはバッシュについて、兄弟がいるかどうかすら知らないのだ。

 盲目もいいとこだな。

「あんたは、おれにどうしてほしい? どうしてれば安心する? カルバートンに閉じこもって、ベイカーたちに大事にしてもらって、いつかひとが怖くなくなるときまで待ってればいい?」

 自分からは何も知ろうとせず、何の努力もしないままで。

「……おれは」

 長い沈黙のあと、バッシュは言った。

「お前が怖がるものから、守ってやりたい」
「おれ、そんなこと頼んでないよ」

 息をのむ気配がした。エリオットは手首を返して、バッシュの手を強く握る。

「ひどいこと言ってるのは分かってる。でもおれ、前に言ったよな。おれはあのこと……ヘクターのことが、おれのすべてだと思いたくないって。ひとが怖いままで、しょうがないだろって、そんなふうに自分にがっかりしたくない」

 口を開きかけたバッシュを、エリオットは右手で制した。

「助けはいるよ。おれはひとりじゃ何もできない。でも、守ってほしいなんて思ってない。おれは、アニーに愛してほしいんだ」

 信じられないという表情で、バッシュがエリオットを見た。眉尻が吊り上がり、首が赤くなる。あふれ出ようとする激情──もしくは罵倒──を飼い慣らそうとしているように。

「……おれが、お前を愛してないっていうのか」
「分からない」

 頭を振った。

「でもいまは、アニーに締め出されてる気がする」

 今度こそ、バッシュは言葉を失った。力を入れすぎて震える手は、海に投げ出されて必死に板切れにすがる遭難者のようで、振りほどいたら、彼は揺らぐ感情の波間に飲まれてしまうんじゃないかと思った。

 やがて、バッシュは苦悩に満ちた瞳で呟く。

「自分でも、どうしていいか分からない」

 分からないんだ、と繰り返した。

「お前が笑っていられるなら、引きこもっていようが庭いじりだけしていようが、ひとが怖いままだってかまわない。どんな厄介でも引き受けるつもりだったし、守ってやるつもりでいた。……でも、どこかで慢心があったんだな。お前が甘えるのはおれだけで、本気でおれを怖がるなんてあるわけないと」
「……あれはあんたが悪いとか、嫌いだからじゃないって、分かってほしい」
「もちろん、お前にもどうしようもないことだと理解はしている。むしろ、お前が怯えるくらいなら、触れない方がいいとも思った。ただでさえ環境が変わったばかりだから、落ち着くのを待つべきだと。なのに結局、ハウスではまた軽率なことをした」

 エリオットはそこでようやく、自分たちが大きくすれ違っていたことに気付いた。ハウスでの一件を、自分は改善の兆しだと受け取ったのに、バッシュにとっては最大の失態だったのだ。

 キャロルは正しかった。バッシュは自分がエリオットを怯えさせ、傷つけるのが怖かった。そしてエリオットは差し出される手を拒否して、バッシュを傷つけるのが怖かった。

 袋小路。スティルメイト。これじゃあふたりとも、相手を窺うばかりで動けない。

「……おれはアニーと、対等な恋人になりたいよ」

 左手を持ち上げて、エリオットはバッシュの手の甲に額を押し付けた。

「おれはもっと……仕事とか、色々ちゃんとして、アニーに見合うひとになるように努力したい。『ひとが怖いかわいそうなやつ』なんかじゃなくて、おれは大丈夫だって、信じてもらえるように」

 そりゃ、たまに駄目なときだってあるけど。

 エリオットは、それ自体を恐れているわけじゃない。

「だから、おれを守ってくれなくていい。おれをビビらせることだって、自分に許せ。それはおれがそばにいてほしいって思う、アニーだけの特権だろ」

 独特の光彩を帯びた瞳が、エリオットを見下ろしてくる。この目に、自分の心のすべてを見せてやることができたらいいのに。でも、そんなことをしなくたって、伝わる思いはあるのだ。バッシュが受け取ろうとしてくれれば。

「……そういう、強引な理論で押し通すところ、サイラスさまにそっくりだな」

 こんどは、バッシュがエリオットの手を引き寄せた。

 指先に唇が当たる。

「キスしてもいいか?」
「もうしてるだろ」

 バッシュがエリオットの頬に触れた。首の後ろを支え、犬の挨拶みたいに額と鼻先を触れ合わせる。それからようやく訪れる、柔らかな唇とのキス。

 その瞬間、エリオットは確信した。世界で一番スマートでカッコいいくせに、頑固で身動きが取れなくなってしまうほど愛情深いこの男を、間違いなく愛していると。

 エリオットは握っていた指をほどいて、両手をバッシュの首に回した。素直に誘いに乗った体が折り重なって芝生に転がる。バッシュはエリオットを潰さないように両肘で上半身を支え、慎重に、じれったくなるほどゆっくり覆いかぶさって来た。それでも、発する熱は十分に伝わる。
 バッシュの体に囲われて、とても安心する自分がいるのを感じた。彼の重みが、不安定だったエリオットの重心を定めているようだ。
 過剰だなんて言わせない。この危険を冒さず、ひとりで立っていることなどできない。

「これを待ってた」

 ベストのなめらかな生地を掴んで、エリオットはバッシュを見つめる。神秘的な青色の瞳に、自分が映っていた。

「……本当はずっと、お前にキスしたくてたまらなかった」
「バカだな」

 バッシュの顔がまた近づいて来る。透き通るような金髪越しに見える空と、シャツを突き破ろうとしてくる尖った芝生の感触に、そう言えば外だったなと頭の片隅に浮かんだけれど、そんなことはどうだっていい。パパラッチも侍従も来ない、秘密の花園だ。
 額にキスされたとき、バッシュの首筋からあのユーカリの匂いがして、エリオットはそっと息を吸い込む。
 耳の下、閉じたまぶた、頬にキスされて、優しく唇を舐められた。喜んで──実際はおずおずと──口を開き、熱い舌を迎え入れようとした。の、だが。

「ぶっ──」

 いきなり、なにか、とても柔らかいものに顔を突っ込んだ。同時にバッシュの重みが消える。

 慌てて目を開けると、真っ白な毛玉。

「ルード!」

 バッシュを押しのけたルードが、エリオットの顔をまたいで立っていた。体当たりで突き転がしたバッシュを、さらに鼻先で遠くへ追いやる。いつもの「遊んで」という顔ではない。あきらかに、のけものにされたのを拗ねているのだ。

「待て待て、なんだおい」

 芝生の上を二回転して距離を取ったバッシュが起き上がると、ルードは強引に作った隙間にどすんと腰を下ろして鼻を鳴らす。
 満足げな様子に、ふたりはしばし呆気にとられ、そして同時に吹きだした。

 無垢なものだけが持ちうる愛情への素直な欲求は、不器用な男ふたりに「ほら、簡単でしょ?」と言っているようだ。

 両手と両足を広げて寝そべったエリオットは、ルードの尻をぽんぽん叩く。

「いい距離なんじゃねーの」

 ルードをまんなかに、手を伸ばせば届く距離で。

「犬一頭分か」
「犬じゃなくて、ルード一頭分」

 訂正すると、ふわりと揺れるしっぽの向こうから、呆れたようなため息が聞こえた。

「親ばか」













第一部 了


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